77 有無の決戦(時の運)

 去程に三浦の軍勢五千余騎、秋谷大崩の険阻に陣を構えて北条勢を防ぎける、大将陸奥
守道寸入道老臣数人を引連れ、小高き丘に登りて敵陣の様子を窺い「不思議やな、敵の兵
気俄に盛んにて、旗の手天に翻り昨日に増したる勢いは敵に加勢の着きたるか、河内守斥
候仕れ」と下知する声の下より、武功の老臣左保田河内守馬を陣頭に乗出し、遙に敵陣の
有様を眺めうって返し「恐れながら我君、敵には新手の兵の加わりて候、今迄一の宮の城
を守りし北条家の嫡男新九郎氏綱が精兵数百を率いて敵陣に参着致したり、氏綱は父早雲
に劣らぬ智勇の大将故御用心こそ然るべく候」と言上す、道寸眉を顰め「今迄の合戦だに
味方の不覚多かりしに、敵に援兵の加わりては此上共に難儀ならん、如何に汝等有無の一
戦を為して此敵を破るべき計略あるか」と思いの余りを尋ねける、武勇鋭き郎等達も敵が
早雲父子なれば、誰攻破らんと云うもの無し、左保田河内守進み出で「斯る時にこそ荒次
郎君の此陣中に坐さば、敵兵何万騎寄せたりとて更に懼るヽ所は無く候、荒次郎君の御武
勇を以て北条勢を破り給わば、よも早雲父子も花水川の此方へは入れ申すまじきものを、
今は徒に当国鳶尾山の辺りに閑居し給うと聞え候、天晴れその二心無きを思し召さば今迄
の勘気御免あり、是より鳶尾山へ使者を立てられて荒次郎君を迎え取り給え、是より外に
敵を破るべき良策は無く候」と憚ること無く申しける、外の諸臣も口揃え只管荒次郎君を
迎え給えと勧めたり、道寸暫く沈吟し「荒次郎の武勇はさる事ながら、今此期に臨んで俄
に迎いの使者を立てなば、我身の武勇衰えたりと笑われん、さなきだに虎王丸の国を出で
しも皆荒次郎が為す業なりと聞きたるに、其罪を質しもせで敵の怖ろしさに我より勘気を
許し難し、まこと荒次郎に二心無くば、此方より招かずとも自ら来って罪を謝し、敵を破
って孝の道を立つべきに、家の存亡を余所に見る不孝の心憎むべし、仮令此侭北条勢に打
負けて国亡び身死するとて、不孝者の援けを乞わじ、いでいで汝等由無き人を頼まずとも、
我兵を尽して敵陣に攻掛り、最後の勝負を唯一戦に決せん、疾く合戦の用意せよ」と怒り
を含んで立上る、左保田河内守押留め「是はしたり我君、日頃の御武勇を忘れて短慮の事
を為し給うな、此度の対陣、我は主にして敵は客なり、兵法にも客地に入れば速に戦うべ
しと申す事の候、されば今戦うは敵に利ありて我に益なし、先兵を按じ陣を固めて敵の変
を窺い給え」と老功の異見も聞く人の心乱れたり、「否々それは時にこそよれ、今有無の
決戦を為さずんば、敵は益々我が領地を荒し勢い日々洪大なるべし、勝つも負くるも時の
運なり、唯死を決して敵陣を破り候え」と道寸諸将を励まし、遂に五千余騎の兵を繰出し、
無二無三に北条が備に打掛りける、北条早雲は敵の出るをこそ待ちたるなれば、余すな漏
らさじと戦いたり、されども武勇鋭き三浦勢が必死の覚悟を定めしなれば、其勢い当り難
く、北条勢は忽ちの内に二三町計り後ろの方へ追い巻られける、道寸大に勇み立ち、此図
を外さず敵勢を微になせと我が本陣を繰出し早雲が備に突入らんとせし時、思いも寄らぬ
大楠山の間道より北条新九郎氏綱二千余騎の兵を従え、後ろざまに大崩の本陣に攻め来り
ぬ、折しも本陣無勢なり、忽ち氏綱の為に攻め取られたれば、道寸前後に敵を受け、先の
勢いに引換えて忽ち総敗軍となりにけり、