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エリザベス・フェラーズ 中村有希訳
『猿来たりなば』創元推理文庫 1998
Elizabeth Ferrars, DON'T MONKEY WITH MURDER, 1942
*内容紹介(とびらより)
ゆるやかな丘の広がるダウンズ地方の片田舎、イースト・リート。異邦人からの助けを求める手紙に応え、連続誘拐未遂事件を解決するため、トビーとジョージはロンドンから遠く離れたこの地まで遠路はるばるやってきたのだ。だが、想像以上の寒村で彼らが出くわしたのは、前代未聞の誘拐殺害事件であった。たしかに、嫉妬に遺産に保険金と、動機にも容疑者にも困らない状況なのだが、誘拐されて死体となって見つかったのは、なんと、チンパンジーだったのだ!
*感想
「なぜ」チンパンジーが殺されたのかは、わりとすぐにわかってしまったんだけど、その先は、この人が怪しいと目星をつけられたくらい。うまく組み立てられなかった。
ジョージの、とぼけているようで鋭い推理がいい。おまけに「いいやつ」。彼はこの事件を「ひどくきたない事件」と評している。そう、確かにひどくきたない事件。動機はわからなくもない。けど、あんたにそこまでする権利あるのか? っていう気持ちがわくね。
最後まで読み終わってから、導入部を読み返してしまった。小さな皮肉がここにある。
パトリック・モディアノ 白井成雄訳『1941年。パリの尋ね人』作品社
1998
Patrick Modiano, DORA BRUDER, 1997
*内容紹介(表紙折り返しより)
「尋ね人。名前ドラ・ブリュデール、女子、十五歳、目の色マロングレー、うりざね顔・・・・・・」。1941年12月31日、占領下のパリの新聞に載った<尋ね人広告>。これを偶然発見した時から、少女ドラの行方を探す旅がはじまった・・・・・・。歴史の忘却に抗し、名もなきユダヤ人少女のかすかな足跡を追い求め、フランスを感動の渦に巻き込んだ名作。
*感想
フィクションではなくノン・フィクションを書いても、フランスものには不思議な雰囲気が出てくるような気がする。オーバーな表現はどこにもないし、ただたんたんと事実が書かれているだけなのに、うす曇りのようなさみしい雰囲気が漂っている。ドラが行方不明になった時代と彼女がユダヤ人であったことで、そういう印象をことさら強く受けてしまっているのかもしれないけれど。
彼自身の物語が、ドラの話に寄り添うように描かれている。不思議なつながりを感じた彼が、彼なりの思い入れで書いたノン・フィクションなんだろう、と感じた。
注や、訳者によるあとがきが丁寧。
J・G・バラード 山田順子訳『殺す』東京創元社
1998
J.G.Ballard, RUNNING WILD, 1988
*内容紹介(表紙折り返しより)
ロンドン郊外に新設された、超高級住宅地で発生した大量殺人事件。家政婦、ガードマンを含む三十二人の大人全員が殺害され、十三人の子供が誘拐された。警察の捜査では迷宮入りしかけたこの事件に、内務省は精神分析医グレヴィルを招聘する。さまざまな仮説が検討されるが、捜査は一向に進展をみない。だがある日、行方の知れなかった子供の一人が、心神喪失状態で発見された。少女との対面のなかで、精神分析医が見出した残酷な真実とは。
*感想
あながち、ありえなくもなさそうな話。こういう話が成り立って、ありえそうだと思わせる今の世の中は、やっぱり不気味、なんだろうね。
ジョルジュ・シムノン『13の秘密』創元推理文庫 1963
Georges Simenon,"LES 13 MYSTE'RES"(1932)/"L'E'CLUSE NO.1"(1932)
*内容紹介(とびらより)
探偵趣味の持主ルボルニュ青年が、貧弱な新聞記事を手がかりに十三の犯罪の謎をいとも鮮かに解明してみせる連続短編集。メグレものの長編『第1号水門』を併載。
*感想
『第1号水門』は、大して面白くなかった。反対に13の短編のほうは、切れ味鋭い見事なものばかり。最後の「金の煙草入れ」みたいな幕切れも好きだし。
疲れた時には、あまり心がざわざわしないものが読みたくなる。もともとエッセイはあまり好きでないんだけど、時々ふふっと笑みがこぼれるようなユーモアと、居心地の良さが気に入った。表題作の「小さな手袋」が、飛び抜けていい。しまっておきたいような小さな物語。彼のエッセイではなく、物語をちゃんと読みたくなった。で、前から「白孔雀のゐるホテル」を読みたいのだけど、どうも見つけられない。全集でないと読めないのかも。
藤澤房俊『『クオーレ』の時代』ちくま学芸文庫 1998(1993)
ただ単に、『クオレ』が好きという理由で読んでみた。『クオレ』の中に読み取れる、その時代のイタリアの姿、国家として目指していたものを読み解いてゆくという内容。『クオレ』の分析ではなく、あくまでもイタリア近代史が主。だから、『クオレ』自体に対する批判はない。この本を読んだ後も『クオレ』は『クオレ』という物語なんだ、という気持ちでいられるので、ほっとしてる。
*内容紹介
OL片桐陶子が遭遇する不思議な出来事。7つの連作短編集。
*感想
謎の不思議に驚くというよりは、陶子さんの鋭い観察力に驚くといった感じだった。OLの日常生活描写に、わかるな〜という部分もあったし、彼女になにかとまとわりつく萩も、とぼけてるようで鋭い、面白い人。ぽわ〜っとした感じが目に浮かぶ。
でも彼らにはこういう部分もあるんだよ、というのを潜ませる。そういうのがうまい。
謎を解いて周りが不幸になる物語というよりは、むしろ、犯人(に当たる人)が謎を解いて欲しい、そして楽になりたい、なんて思っているのかも、と思ってしまった。そういう意味で読後感がいい。いい意味で重くない物語。
*内容紹介(創元社の新刊案内より)
わずか五年間に多数の作品を描き燃え尽きるように自殺した画家、東条寺桂。興味を抱いた学芸員が足跡を辿るうち、桂の謎めいた大作に出逢う。二枚の絵から読み解かれるドラマとは?
新境地を拓く図像学ミステリ、ここに誕生。
*第9回鮎川哲也賞受賞作
*感想
面白かった! 少し前に絵画の謎を読み解く本を読んで、ミステリみたいだなと思っていたけれど、この本の中でもまさにその通りのことが行われる。
読み解くことに正解はないと思う。解釈はあるけれど。だけど、正解のない謎を追うのもとても魅力的なことだと思う。
だんだんに謎が深まってゆく様子もいいし、密室の扱いや謎の解決に無理がないと思った。2人の刑事の雰囲気にちょっと違和感を感じるけど(賞の選者の誰かもそう書いていたと思う)。なにより、謎解きの周りをくるむ構成がいいよね〜。この辺あまり言えないけど。
こんなに出来がいいのを書いて、あとが大変そうだなと思う。でも、次が楽しみな人。
パトリック・クェンティン 稲葉由紀他訳『金庫と老婆』ポケミス#774
1963
Patrick Quentin, THE ORDEAL OF MRS.SNOW, 1951
*9つの短編集。収録作品。
「ルーシイの初恋」「汝は見たもう神なり」「不運な男」「ミセス・アプルビーの熊」「親殺しの肖像」「少年の意志」「母親っ子」「姿を消した少年」「金庫と老婆」
*感想
私好みの、後味の悪さが残る物語が大半。勧善懲悪が好きな人には合わない、かも。
歪んだ愛情、憎悪などが描かれていて、トリックがどうの、という物語ではないです。気持ちが刻々と動く感じや、心の暗い部分を追っていく物語と思います。一途さ(あるいは純粋さ? というには曲がっているけれど)が「周りが見えない」ことにつながり、それによって起こる事件、といった感じもあります。
伏線が効いてる〜と感じるものが多かったです。また、物語の流れが追えるようでいて、不思議と道に迷いそうな感覚がありました。
「ルーシイの初恋」と「母親っ子」の根っこは同じでしょう。
「汝は見たもう神なり」は、山口雅也の『マニアックス』に入っていた「モルグ氏のすばらしきクリスマス・イヴ」を思い出しました。どうしてかな。
「不運な男」「ミセス・アプルビーの熊」。つまりはこちら(読者)から丸見え状態なわけで、そこで繰り広げられる「物語のような」物語。見事というには語弊があるけど、ほんと、見事なんだよなあ。
「親殺しの肖像」は、衝撃的な一行目から始まる悲劇の物語。少年の不気味な残酷さが恐ろしい。だからこそ、彼の父親の態度にことさら胸をうたれるんだろうけど。父親の気持ちが文章で描かれてない分、想像が膨らんで痛々しさを感じてしまう。
「少年の意志」。ウォルポールの「銀の仮面」っぽいけど、もうひとひねりして別の恐ろしさを味あわせてくれる。無邪気な(に見える)少年には、大人はだまされやすい? エンドレスな構成の救いのなさ。お先真っ暗。奈落の底。私、自分がこんな状況に置かれたら、相手を殺して自分も死ぬかって思いつめるよ〜。
「姿を消した少年」「金庫と老婆」は、ちょっと毛色が違っていくぶん安心できる、かな?
P・D・ジェイムズ 青木久恵訳『正義』上・下
ポケミス#1668,1669 1998
P.D.James, A CERTAIN JUSTICE, 1997
*内容紹介(上巻裏表紙より)
ミドル・テンプル法曹学院に所属する弁護士ヴェニーシャ・オールドリッジは、伯母殺しで起訴された青年アッシュの弁護に立ち、見事無罪を勝ち取った。だが、勝利の美酒に酔う間もなく、彼女は学院の自室で無残な刺殺体となって発見される。しかも遺体には奇妙な細工が施されていた。頭に法廷用の鬘が被せられ、その上から同僚の弁護士が手術用に保管してあった血液が注がれていたのだ。事件の謎を追って、ダルグリッシュ警視長は法曹界の中枢に踏み込む。
*感想
いつもながら、一人一人の人物描写が深く、登場人物が多くても見失うことがない。過去がどうで、何をどう思い、誰に対してどんな感情を抱いていたのか、一人分の濃い描写が、さらに人数分になれば、重厚な作品になるのも当然のこと。彼女が描くのは、一人一人の人生そのもの。一つの殺人が、暴いてしまった過去、秘密。どうしたって殺人は、周囲の人々を変えてしまうんだと愕然としてしまう。
ある一人の重要人物の感情だけが、最後の最後まで(著者によって)明かされず、動きの読めない恐怖を感じた。
犯人も動機も、最初から当然気にはなる。だけど、一人一人の物語を味わっているうちに、それらを忘れかけそうになる。まるで、真実は、物語の中に丁寧に組み込まれた一つのパーツみたいだと思った。真実は、いきなり現れるのではなく、物語の中にあってこそ存在するもの。
『タンブーラの人形つかい』(1988)
『兇殺のミッシング・リンク』(1989)
『”魔の四面体”の悪霊』(1990)
すべて、竹本健治、徳間書店(トクマ・ノベルズ・ミオ)。
*内容紹介
「パーミリオン(百万分の一)のネコ」。存在自体が極秘扱いの「D種犯罪者」を抹殺するのが彼女の任務。押し掛けコンビのノイズは、一見風采があがらないが、実は腕は確かな情報工学の天才。コンピュータを自在に操り、彼女の頭脳となって助ける。さまざまな星々での彼らの戦い。
*感想
一応ミステリではない、竹本健治の作品。カチカチしてなくて、伸び伸び書いているように思えた。彼の作品は「ああ、らしいならしいな」と思いながら読むことが多いのだけど、この作品群に関しては、「らしいな」というのと「あれ、誰が書いているのだっけ」という思いが交錯する感じだった。
ネコは、本当につかみどころがない。自分の考えを表に出さないし、私も、たとえば「クール」なんていう一言で済ませたくない。彼女が抱えている「爆弾」は、そのままなんだろうか。ノイズがいなくてもずっと第一級のスナイパーとは思うけど、やっぱりノイズというパートナーがいてくれたほうが、私は安心する。3作目で出てくる、ビュインとブーキーも(特にブーキー)、見ていたい。
4作目(短編)に収められている「銀の砂時計が止まるまで」は、竹本健治らしくなく(?)、せつない話。あの少年から見れば、彼女は「女神」そのものなんだろう。ここでも彼女の心情についてあれこれ書かれていないため、逆に「でもきっと彼女はわかってるんだ」などと想像が働いて余計せつない。涙出そうになっちゃったよ。
竹本健治の物語の終わりの「宙ぶらりん感」が私はとても好きだけど、シリーズ自体が「宙ぶらりん」なのだけは、いやだなあ。続きが読みたい!
98/10/30