ちょこっとした感想を「日記のフリ」のほうに書くこともあるので、そちらもどうぞ。
堕ちた預言者(F・ケラーマン) (9/1)
最後の息子(吉田修一) (9/2)
善人たちの夜(天藤真) (9/4)
バベル消滅(飛鳥部勝則) (9/14)
踏みはずし(M・リオ) (9/16)
フェイ・ケラーマン 高橋恭美子訳『堕ちた預言者』創元推理文庫
1999
Faye Kellerman,FALSE PROPHET,1992
*感想
ピーター・デッカー&リナシリーズ第五弾。
これまで、事件が、二人の関係や自己の問題と絡んできたのを、興味深く読んできたのだけど、今回は、事件の性質上そういうのはなし。しかし、変化(あるいは二人の安定)は、これほど物語を平坦にしてしまうものなのか。マージのカッコよさも全然出てこない。
複雑怪奇な人物描写がたっぷりたっぷり続いた後、あっけなく幕切れる。描かれる人物は相当クセがあるはずなのに、なんとまあ薄味に感じたことか。シリーズ中、きわめて印象の薄い作品になってしまいそう。
現段階で、シリーズ中の傑作は、『聖と俗と』と思う。
1999/9/1
*感想
「最後の息子」「破片」「Water」の三編が入ってる。私、本当の家族話よりも、疑似家族話が好きなのかもしれない、って思った。
一番好きなのが「最後の息子」だったので。”ぼく”の輪郭が結構ぼやけてるんだけど、”閻魔ちゃん”のキュートさがあるから別にいい。区切りごとにオチみたいに終わるのも好き。まっすぐに見えた紐をたどっていったら、一番はしっこでキュッと結び目ができてたようなひねくれ具合が、かなり好き。ただし、「破片」は、ノれず。でも、「Water」は、やっぱり心地良かった。
オカマの人が優しくない話って、まだ読んだことない気がする。
1999/9/2
*内容紹介(裏表紙より)
新居購入の資金不足ゆえ結婚に踏み切れないみどりと修三。そんな折り修三の後輩弥太郎から奇妙な依頼が。危篤の父親を安心させるため数日間にせの嫁を演じてくれないか、もちろんお礼も弾むから。相談の末、修三を親戚の者として、にせ花嫁に扮したみどりと弥太郎は病床の父親が待つ郷里の村へと向かったが……。
*感想
最後の最後に小さな毒を仕込ませちゃうところが、天藤真だ〜っ。たまらないなあ、もう。
この奇妙な依頼が実行されていく中で、登場人物の内面(あるいはボロ)が出てきちゃうところは、やっぱり面白い。巻末にある「初刊時に削られた部分」を読んでみると、みどりの心の動きがよりわかった。こういう巻末にまとめる形ではなく、間に全部入れて、つまりは完全版として読んでみたかった気もする。
決断した後の女って強い、かも。
1999/9/4
*感想
からっとしてない、じっとりどんよりとした雰囲気を感じる物語。もちろん、けなしているのではなく、「ちょっと病んだ感じ」が出ていていい、と思った。ただ、前半の期待に比べると、だんだんまともな感じになってきて、本当にまともに着地したなあっていうのが正直なところ。納得がいきすぎてしまって、それが、物足りなさの原因かもしれない、と思った。
「読者への挑戦状」タイプだったのね、というのを、後で気付かされた。加えてちょっと「メタ」な感じの発言(部分)もある。
とにかく、”きちんと”読むのがいいと思う。
1999/9/14
ミシェル・リオ 堀江敏幸訳『踏みはずし』白水社
1994
Michel Rio,FAUX PAS,1991
*感想
「訳者ノート」によると、「フランスで刊行されている推理小説年鑑の、一九九二年版には、本書がまぎれもないミステリーとして記載され」ているらしいです。確かに、テイストはミステリかもしれないけど、いわゆる謎解きを期待しては、だめです。…別のことで考えるはめには、なるかもしれないけど。
乾いた硬質な文章。感情の描写はほとんどなく、あるのは、何をしたか、何を語ったか、それのみ。それでも私は、そこに感情を読んでしまう。読めるんじゃなくて、読もうとしてしまうのだ。わりと最近のフランスの”ミステリ”って、こういう雰囲気が多いんだろうか…。『眠りなき狙撃者』を思い出させました。あちらが「センチメント」なら、こちらは「メランコリー」、か。
「踏みはずし」が何を指すのか、もっともっと俗っぽいものを想像していたのに、見事に裏切られてしまった。「踏みはずし」。なんて印象的な、なんてうまいタイトルなんだろう。
1999/9/16