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日 記のフリindex

02.0202.04

日記の フリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0203.htm#20020301


2002年3月

その他

南Q太『さよなら みどりちゃん』
南Q太『愚図な女ばかりじゃないぜ』
江國香織「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」「うんとお腹をすかせてきてね」

ウィリアム・ワイラー『孔雀夫人』
長澤雅彦『ココニイルコト』
江國香織「サマーブランケット」「りんご追分」「うしなう」「ジェーン」「動物園」「犬小屋」 「十日間の死」「愛しいひとが、もうすぐここにやってくる」
ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』
マノエル・ド・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』
マノエル・ド・オリヴェイラ『家路』@シャン テ・シネ
チェーホフ「ヴェーロチカ」
竹宮恵子『風と木の詩』(1)(2)(3)
デヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』@ 渋谷東急3
アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』
ジャン・ルノワール『草の上の昼食』
ハロルド・ライミス『恋はデジャ・ブ』
竹宮恵子『風と木の詩』(4)〜(10)
芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』(9)
ビットリオ・デ・シーカ『ひまわり』
ジャック・リベット『恋ごころ』@シャンテシネ 1
織田淳太郎『捕手論』
村山由佳『おいしいコーヒーのいれ方VI 遠い背中』
Herbert『Bodily Functions』
久住昌之『小説 中華そば「江ぐち」』


3/31(日)
和泉元彌と話してたら左か右の人差し指に毛糸くずがたまってきて気になったので小学校時代の通学路であるパチンコ屋の前の横断歩道までくずを落としにゆ く。しかしそこに水はない。羽野晶紀は出席日数が足りないらしく、和泉母の目をくらましながら学校へ行かないといけない。セーラー服を着せとりあえず布団 の中に隠しておく。ところが彼女からはなぢがとめどなく出るのだ。……どうしてこんな夢を見るのだろう。

小林幸子が「おもいっきりテレビ」に出演するも、なにかエピソードが出されるたびに「私に歌わせて」と発言し歌いまくってる。放送時には歌の場面は冒頭だ け紹介しどんどんカットしてた。「おもいっきりテレビ」って生放送だったよなあ。……という夢も見て疲れ た。

久住昌之『小説 中華そば「江ぐち」』新潮OH!文庫,2001を 読み終わる。『近くへ行きたい。秘境としての近所--舞台は江ぐち≠ニいう ラーメン屋』はまの出版,1985の加筆・改題。

よく通う近所のラーメン屋「江ぐち」の、あくまでも“観察”記。“観察& rdquo;だから店に断りはなく勝手に書いたもの。本になって出たあとも変わらず店に顔を出すものの、どうやら向こうも「この人が書いたのだな」という のをうすうす察しているらしく、それでもお互いそ知らぬふりのまま。そういった、必要以外こちらから話し掛けることもあちらから話し掛けられることもない 店対客の理想的な形が成り立った上でのエッセイが“小説”になったのは「ながいながいあとがき、あるいは途中経 過報告」が付け加えられたからだと思う。


3/30(土)
雨の音を聞いていたらふと気付いたことがあった。雨で目が覚めたのか覚めてから雨に気付いたのかわからないけど。03/30/02 03:35:07

..

吉井さんといつもの場所で待 ち合わせをする。中国茶のお店へ行く途中、彼女はさくっと眼鏡を買ってしまった。中国茶を飲みながら、ただただまったりと会話をしたりぼーっとしたり。ど うやら眠くなりながらお茶を飲んでいるのは私たちだけの模様。2時間くらい過ごして店を出たあとは、CDや靴の買い物をして明治通り沿いを恵比寿まで、そ して駒沢通り沿いに目黒方面へ、雨に降られませんようにと祈りながら楽しい散歩を続ける。目当ての中目黒のお店は残念ながら閉まっていたけれど、その途中 で見かけたお魚のお店は当たりだった。

どちらも初対面のこまひこさんオーサムさんが いらして4人で飲んで食べる。焼酎づいているこのごろ、時の旅人は25度、百年の孤独は40度、どちらもロックでいただいたのち、黒糖梅酒も楽しむ。焼 酎って酔わないようにできているのかな。初対面の人に会うのに心の準備がいったり緊張したりするんだけど今回そういう時間を取れなかったのが逆に良かった のかもしれない。笑いすぎて頬が痛くなった。目黒川沿いの桜を眺めながらそぞろ歩きふらっと入ったカフェで酔ってないけど酔いざまし。

こ のあいだ売り切れだった『マルホランド・ドライブ』の パンフとHerbert『Bodily Functions』を買うことができて嬉しい。

異なる2つのものなのに手に入れられた気持ちを「嬉しい」という同じ言葉であらわすのはどこか間違っているけれど簡単なことで、それがわざとであり、でも 本当は同じ嬉しさではないことを自分で知っている。


3/29(金)
手術したところがシクシク痛む。切った腕が(もうないのに)痛いというのは、もしかしたらこういうことを言うのか? 実質半分気分半分で合わせて1、自分の中でそんな理由づけをして休むことに決めた。お昼になったら、みのもんたの顔でも見てなごむことにしよう。早く時間 が過ぎるといい。

桜の花びらがくるくる回りながらまとまってゆくのは遠くから眺めると雪のようで、そういえば今年はちゃんと雪を踏みしめたことはなかった。桜の真下を歩い ているわけじゃないのに私の身体をかすめてゆく花びらが、実は気付かないうちに髪に落ちていたりポケットにすべりこんだりしてくれたらいいのに。上着を脱 いだときに1枚だけはらっと落ちるのを見られたら幸せだと思う。「髪に花びらがついているよ」と人に教えてもらえるのも。

咲いているときの桜ではなく、地面にバラバラになって落ちた花びらとしての桜ならば好きかもしれない。桜の花びらが1枚で冒険をする童話があったなあ。誰 のだったっけ。子供心に心を痛めた物語。いつだって冒険はものがなしさを秘めている。03/29/02 10:12:07

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家にいたころは母(ヤクルトファン)につきあって少し選手の名前を覚えたものの今じゃ全然みないし詳しくもない野球。でも、捕手というポジションは一番 かっこいいと思ってた(やっぱり古田の影響大なんだろうなあ)。というわけで昨日織 田淳太郎『捕手論』光文社新書,2002を読みおえたのですが、最初読み始めたのが会社の昼休みで、冒頭、ぶはっと吹いてし まった箇所があり、同じく近くで本を読んでいた人に「スミマセン……」と頭を下げたのでした。それはここ。

長嶋茂雄の現役時代の話である。日本シリーズで大戦した西鉄のエース稲尾和久が、長嶋茂雄にすっかり頭を抱えたことがあった。
長嶋はまったく計算のできない打者だった。捕手があれこれと配球を組み立てても効果がない。裏の裏のそのまた裏をつく投球を試みても、ものの見事に弾き返 されてしまう。
「長嶋さんはいったい何を考えているのか」
稲尾は悩み抜いた。が、やがて「もしや……」と思った。「長嶋さんは何も考えてないのかもしれない。それ じゃ、俺も何も考えず……」
稲尾は一切の駆け引きを放棄した無心の投球に切り換えた。すると、長嶋を完璧に抑えることができたという。(pp.24-25)

「内容は一環して捕手の大讃美」(p.191)と著者が記しているように、捕手のかっこよさや奥深さに惚れ惚れする内容(しかし著者は捕手以外へのフォ ローも忘れてはいない)。谷繁の名前は知ってても顔がわからないほど野球音痴な私が読んでも楽しめた本でした。登場する捕手は、古田、谷繁、達川、水沼、 村田、阿部、城島、若菜、田村、種茂、岡村、山倉、野村、森、谷田、そしてメジャー捕手を目指している佐藤隆彦、もれがあるかも。

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村山由佳『おいしいコーヒーのいれ方VI 遠い背中』集英社,2002を 読み終わる。6巻まできたのにまだ××どまりかよう! なんちって。でもそこがいいんだよね。志田正重のイラストも毎回楽しみ。

昨 日みたジャック・リベット『恋ごころ』公式サイトの中のジャック・リベット監督のプロ フィールの写真がいいんだ! 映画の中で主人公がしているのと同じことしてる。ああ素敵な74歳。銀座での上映は本日で終了なのですが、少し先の横浜・吉祥寺での上映のほかにこれから 回る予定のところもあります。→全国の公開予定


3/28(木)
ジャック・リベット『恋ごころ』(2001・伊=独=仏)@ シャンテシネ1。

閉じた人間関係の中での“恋ごころ”は、しかし全然“閉じて”いな かった。

劇中劇をくぐり抜けたせいなのか、登場人物たちが次第に集まってゆくラストシーンがまるで舞台のように思えて、この映画全体の自由な空気にさらなる広がり を感じた。ああ、ほんとに素晴らしかったなあ、ラストへの流れは!

織田淳太郎『捕手論』光文社新書,2002を興味深 く読み終えました。明日もう少し感想を書けたらいいと思う。


3/27(水)
会社の送別会のあと、吉井さん谷口さんキムラさんに会いに行きました。


3/26(火)
い い感じですよね(3/25)。好きなエピソードなんです。かなり古い雑誌からの引用なのですが(23 日のところに追記しておきました)、前後の文章を残しておかなかったのが悔やまれます。本当だったら、なお素敵。その場合、訳させた I love you.の前後の文章もなんだったのか気になります。

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「言葉は語りかつ語らず、言葉は語りすぎかつ語り足らない」J.ラサン,工藤孝 司訳『沈黙−形而上学序説』法律文化社 p.182
「あなたが深く愛している人について思い出すことは、その人が語った言葉や、その人のなした仕事ではなくて、あなたが共に生きた数かずの沈黙である。とい うのも、あなたの愛と、あなたがたの魂の質を明らかにしてくれるのは、それら沈黙の質だけであるからだ。」同上書,p.188
「最もやさしい最愛の魂と近づきになることを望むなら、包み隠さず話す者、言説によってその心が明かされる者のもとに赴いてはならず、沈黙を守る者、自己 の情熱を沈黙の墓場に閉じ込める者のもとに赴いてはならない。語りかつ沈黙を守る者、自己の顔と自己の心を隠し、自己の無言の愛に、自己の生けるイロニー の真摯な仮面をつける者のもとに赴きたまえ。」同上書,p.241原註43

3/24(日)
寒くて帽子マフラー手袋までして外へ出た。隣駅までいつもの道を歩いた帰り少し大回りして別の道を通ったら駄菓子屋さんがあるのを知る。

シードルを買って近くの川まで行くころには暖かくなってきた。川べりは花見客のシートで見事に埋まっていて美しくないし桜の花ももう白っぽい。誰か桜を見 ている人はいる? 川から家まで帰る途中にある桜、こちらは歩きながら眺める桜。人に疲れていないのか、いくらか花も美しい。

ビットリオ・デ・シーカ『ひまわり』(伊・1970)

冒頭のこちらを向いているひまわり、揺れる電車の中からのガタガタ揺れるひまわり…。あのひまわり畑の下には戦争で死んだ人たちが埋まっている、つまり墓場なのだと知る と、アントニオはあそこで“死んだ” のだというのが納得できる気がする。

最初の再会時の、男(マルチェロ・マストロヤンニ) と女(ソフィア・ローレン)の表情の対比。二度目の再会時の部 屋での緩い緊張。男はその場で感情をあらわすけれど、女はいつもいなくなったあとで感情を爆発させる、それがせつない。

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「街に暮らしてると毎日少しずつ シニカルになって夜を見つめてしまう」/佐野元春「マンハッタンブリッヂにただずんで」

3/23(土)
竹宮恵子『風と木の詩』(4)〜(10)芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』(9)講談社を読んで過ごす。

夜、外を歩く。月が少しふくらんでた。月齢カレンダーを買い損ねた今年は月の満ち欠けの情報がなくて心もとない。

夏目漱石は教師時代、生徒に I love you.を訳させた。「僕はあなたが好きです。」と訳した生徒に彼は言った。「そりゃあ君、“月がきれいですねえ& rdquo;と訳さなきゃいかんのだよ」。吉原幸子「うまい恋文といい恋文」 『言語生活』(巻数号数発行年不明)

3/22(金)
近くの小学校が卒業式だと知った夕方の帰り道、門から校舎へ通じる道一面に桜の花びらが敷き詰められていて、早い桜も強い風もそれならいいかと思えた。薄 暗がりで見る桜は美しいなあ。梅は近くで桜は遠くから眺めたい。

ハロルド・ライミス『恋はデジャ・ブ』(米・1993)

「永遠の現在」という言葉が少しわかった気がした。ヤスパースの言う「永遠の現在」という言葉は、「過去をにない、未来をはらむ現在の瞬間の充実」なのだ そうです。

眠って朝の6時になれば全てはリセットされ、自分だけが同じ一日を繰り返している状態になってしまったフィル。一日ごとのリセット、つまり彼は永遠に一日 だけを生き、自分は周りの人たちをどんどん知ってゆくのに、フィルの一日がリセットされると彼らはフィルを忘れてしまう。

最初、好きな女性を攻略していくためにその設定を使ってるようなフィルに嫌悪感を抱いたくらいだったけれど、いくらその一日を知っていたとしても、計画ど おりにいくことはないことをフィル自身も私も知ることになる。だって人は一人で生きているんじゃなく、関係の中で生きているんだもの。

だんだん絶望してゆくフィルが一転、眠ったままの彼女に告白(なんてせつない告白なんだ!)した“翌日”から彼 は輝きだす。そこから先の彼のふるまいが、せつなくて、いとおしくて、眩しくて、とにかく泣いた。

明日のことを思い煩うよりもとにかく今日を大切に生きたいと今更ながらに思う。積み重ねたい。今日が明日につながるってなんて素晴らしいんだろう。

邦題に惑わされずにみるべし。


3/21(木)
風の音がものすごいので目が覚めた。こわくて窓を開けられないくらい。家でビデオをみて過ごそう。『惑 星ソラリス』は、TSUTAYAに行ったら快 く交換してくれました。

アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』(露・1972)

自分の思考が生んだ他者と向き合うこと=自分と向き合うこと。なぜなら「自分の思考が生んだ」なのだから。自分と向き合うことはできそうでなかなかできな い。“普通は”自分自身の頭だけで考えを展開していくしかないから。しかし、自分自身の思考が生んだ存在である にせよ、それが具現化した“他者”であれば、自分の中でのみ煮詰まってゆくよりも対話らしくはあるようにも思え る。それが彼にとって罰になるのは、残酷ではあるけれど。

宇宙は人間の内面に(も)ある。

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ジャン・ルノワール『草の上の昼食』(仏・1959)

人工授精信奉者である堅物教授が彼の人工授精の実験台になりたいという娘に恋をしてという、骨組みはとてもシンプルな作りながらも、肉付けの仕方がなんと も喜劇的で楽しい。

教授と娘は同じ「草の上の昼食」の場にいながらも微妙にすれ違う。山羊を連れた男が笛を吹いて突風が巻き起こったことでやっとちゃんと出会えるという設定 がおかしい。水浴びしている彼女の姿を見ていきなり恋に落ちたんだろうけど、実際にそれをはっきりと感じたのは、事が終わってしばらくし、バイクに乗った 時の「君の名は?」「ネネット」というやり取りを聞いた時だった。二人の顔はすっかり恋モード、特に堅物教授の顔が堅物なのに恋の顔になってるんだー。バ イクで走るあのシーンは本当に素晴らしい!

堅物らしい不器用なあぶなっかしさで行動をおこしてゆく教授は喜劇的ではあるけれど、だからこそ、そのまっすぐさで行動を起こせたのだとも思う。

ラスト間近、針と糸を持たない女とそれを持つ女とい うわかりやすさはどうかなあと一瞬思ったものの、自分の身体の中で血がぐわーっと巡るような高揚感を否定できず、最後の教授のセリフに「ウワー、かっこい い!」「なんてしゃれた映画なんだろ!」と絶叫してしまった。

なるほど恋はすばらしい。


3/20(水)
おいしいお魚を食べに連れて行ってもらった。もともと4人で集まる中の1人が初対面で楽しみにしていたんだけど、残念ながら2度目(1.5度目?)の会い そこね。余計に会わないといけないような気になってくる。それにしても以前は断然肉派だったのに魚のおいしさがちゃんとわかるようになってきたこのごろ。 実際のところ肉をあまり食べなくなってきてるかも。本格焼酎もおいしかった。

9時閉店まぎわの東急東横店に駆け込んでアイスで締め。黒みつきなこ+抹茶。これがまた絶品。


3/19(火)
昨晩フォームで届いたメッセージの名前欄の英文字ひとつと文章で誰なのかがわかった。アドレスがわからないのでここに書いてしまうけど人違いではなくあな たと出会ってから桜より梅のほうが好きだと気付いた棗です。今でも雨は好き?

デヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』(2001・米=仏)@ 渋谷東急3

痺れた。みおわったあとパンフを買わなきゃいられない! ……と、売り切れ。ごもっとも、です。

わからなくなったところからが面白いなんて、いったいどういうことだろう? わからないままひきこまれ好きにならずにいられない。哀しく閉じた輪にほころびが見つからない。そして、なにも見つけようと思わない。ただ、私は、この映 画を、観る、感じる。

前半ベティが空港を出て老夫婦と別れたあとに老夫婦が車の中でゲラゲラ笑っているシーンがやけに記憶に残っていたのが、らスト、ダイアンに襲いかかる老夫婦の顔を見た瞬間、あのゲラゲラ笑いの& ldquo;意味”がわかった気がしてぞっとした。「輪」を感じた瞬間。


3/18(月)
彼岸の入り。そして自分の好きなように過ごしたい一日。……ああ、0時をまわってしまった。大好きな一日に なったよ!


3/17(日)
着ない服をまとめてリサイクルショップに持っていき、売れればいくらの皮算用をしてニヤニヤ。つづいて隣駅までの散歩開始。桜が咲きはじめているし、うぐ いすも鳴いているし、空気はぬるい。ぬるいどころか首筋に当たる太陽の熱はジリジリ一歩手前くらいだった。

お気に入りのケーキ屋でクレーム・ブリュレを買うと注文を受けてから焼いてくれる。砂糖をのせてバーナーで焼いているのをガラス越しに見られて感動。そん な感動のお菓子があるのに帰宅途中のミニストップで杏仁パフェも買ってしまった。杏仁味のアイスが! そして下のほうには杏仁豆腐が! おいしいようー。

アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』をセッ トしたらあまりに画面のざらつきがひどい。トラッキングを調整するけれど全然良くならず、しまいには全然見えなくなっちゃった。今までは普通に他のビデオ を見ていたんだから『惑星ソラリス』がのせいだと思うんだけど、確認のために他のビデオをセットしたらザラザラ画面! うえー、この間みたばかりのビデオ までダメになった。全然みえなかったんですけど……とTSUTAYAに言ったら取り替えてもらえるだろうか ……。

クレーム・ブリュレ、『アメリ』を思い出してスプー ンで表面を叩いちゃうね。もちろんおいしかった。


3/16(土)
昨晩、チェーホフ「ヴェーロチカ」(『チェーホフ 短篇と手紙』みすず書房 所収)を読む。思いあまってた人がいたよ。思いあまられた人の冷静さが残酷で安 岡章太郎「ガラスの靴」の分析版って感じ。その後、竹 宮恵子『風と木の詩』の文庫版を3巻までじっくり読んだ。愛は……、って言いた くなる。

スケートに行った。身体がなじまないと気持ちものらないので、さっさと上がる。駅とスケート場との道にトルコ料理屋ができたようで「いらっしゃいませー」 と呼び込みをしていたけど前途多難かな……。

高田馬場からJRで新宿まで出る。服なんて見たってどうせ私に似合うものないし、そんないじけた気持ちでいたくせに通りすぎることができないのも春のせい か。一目惚れしたA/Tのジャケットはブルーグレー。惹かれるのはどうしてもグレー、離れられない。

その後、同じくJRで原宿下車、表参道方面へ進んでからいわゆる裏原宿のあたりを適当に歩く。SHINICHIRO ARAKAWAのラガーシャツを買ってしまった。外苑西あたりに出てオン・サンデー ズに寄ってから千駄ヶ谷のICLへ。 ここはスターバックスとアフタヌーンティーが併設されていて食べる場所が1つのため、好きなものを組み合わせて買うことができる。温めてくれたチーズ入り のパンとチャイで一息ついて外へ出ると全体は暗く、でも空はまだ白い、夕方の美しい時間。そのまま代々木方面を目指して新宿まで歩いた。

新宿TSUTAYAでビデオを2本、ジャン・ルノワール『草の上の昼食』アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』を借りる。デビッド・ミラー『脱獄』(米・1962)を見つけられない。アレクサンダー・マッケンドリック『マダムと泥棒』は今日も貸し出し 中。


3/15(金)
楽しく過ごしていると時間の経つのが早い。少ししてからその時間を振り返ってみると、それがすごく前のことのように思う。へだたりを感じるのは自分がいた /いる時間の濃度の違いによるものなんだろうか。たとえば濃い塩水と薄い塩水の中では卵の浮き方は違う。もし私が卵で濃い塩水から薄い塩水に移されたとし たら、全然違う世界に来たと感じるに違いない。なかば記憶喪失っぽい感覚、かつ、自分の中の時間がのびちぢみしている感覚でもある。時間が私の中にあるの か、時間の中に私がいるのか、それは保留にしておくとして。

建物の内外で温度の差がないのに気付いて春を感じる。会社から外へ出る。電車からホームへ降り立つ。お互いの場所が含む空気に断絶がなくて溶け合っている 感じ。夜のぬるさは尋常じゃなく、春のはじめというよりはもう熟した春っぽかった。「夏は夜」ならぬ、「春は夜」と主張したくなる。

帰るときに傘が乾いていないのをおかしいと思った。朝と夕方の天気が離れすぎてるからだ。でももっとおかしいのはこの気分。私が男の子だったら小さなブー ケを持って女の子に会いに行ってる。春に浮き立って。


3/14(木)
マノエル・ド・オリヴェイラ『家路』@シャンテ・シ ネ。

オリヴェイラ監督もヴァランス役のミシェル・ピコリも素敵に老獪。

ヴァランス(ミシェル・ピコリ)がいつも行くカフェには彼の指定席があるんだけど、彼が帰った直後に来るフィガロ紙を読む男にとってもそれは指定席なの だ。ヴァランスが買い物をしたせいかいつもとは微妙に遅い時間にカフェに着いたんだろう、フィガロ紙の男が来たときにはまだヴァランスは「指定席」でくつ ろぎ中。それを見たフィガロ紙の男の憤慨加減と落ち着きなさが面白い。

車窓から見える観覧車の姿や移動しながら像を回りこんで映す構図も素敵だし、映画監督役のジョン・マルコヴィッチを映した長回しがすっごくいい。映画撮影 のリハーサル中という設定で、演じている役者たちにはカメラを向けず(しかしセリフは聞こえている)、映画を撮っている監督(ジョン・マルコヴィッチ)に カメラを据えてその表情を映し出す。演じられてるものの出来を感じることができる、その豊かさ!

もうひとつ、この場面で唐突に終わるんだろうと予感させときながらのラストの長回しもすごい。

原題“Je rentre à la maison”がセリフとして出てきたのを知ってしまうと、題名を『家路』としたことに多少の違和感あり。

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竹宮恵子『風と木の詩』田村由美『BASARA』を再読したくなり、それぞれ3冊2冊を発作 的に買い込んで帰宅したものの、どっちも濃かったり熱かったりするのを思い出したらお腹いっぱいになってしまい、なぜだか気持ちが勉強モード、宿題を片 す。目の前に5冊重ねて置いたままというストイックさで。

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祝復活!!!


3/13(水)
いとしさで 思い出したけど、物より思い出という物言いが大きらい。思い出と物を分けて考えられっこないじゃないね?

正直になれると、その時は少し自己嫌悪に陥っても後で楽かもしれない。感情を外に出してしまえれば、あとはもうなるようになれ、なのだ。嵐の後のように スッキリと落ち着いた気分になれる。正直よりは素直のほうが本当はいいんだけど。精進しなくては。


3/12(火)
吉井さんと 神楽坂のFloor!に夏の忘れ物を取りに行きました。


3/10(日)
マノエル・ド・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』(仏=ポルトガル・ 1997)

進行方向に背を向けた格好で流れてゆく風景。過ぎ行く風景は過去、それを(見えなくなるまで)見つめざるを得ないというみせかたは、せつなくもあり残酷に も思えたり。思い出は現在を拠点にして過去形で語るもの、か。サウダージ。

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サンソン・フランソワとフリードリヒ・グルダでドビュッシーの聴き比べして「美しいなあ〜!」と叫ぶ。小沢健二「大人になれば」風に言えば「ウッカリして 甘いお茶なんて飲んだり/カッコつけてピアノなんか聴いてみたり」? 小沢健二にカジヒデキにスピッツのCDをとっかえひっかえ少しずつ聴いて楽になってみる。ねころんで。

ちなみにドビュッシーの2枚は『ドビュッシー:前奏曲集第1巻・第2巻/フリー ドリヒ・グルダ』(POCL-4397)と、『ド ビュッシーピアノ名曲集/サンソン・フランソワ』(TOCE-3226)

一歩も外に出ない過ごしかたにも少し慣れてきたせいか落ち込まずにいられてる。結局、過ごしている時の気分次第でどうにでもなる。そして気分は数秒で変化 する可能性を持つ不安定でつかみどころのないもの。上向き気分になるのも下向き気分になるのも、「たったこれだけのことで?」と感心するくらい単純なこと に左右されてしまってる。


3/9(土)
スケート場はとても混んでいた。しばらくぶりに行っても上達具合に変化はない。行かない間に、覚えたことが身体に定着していくような錯覚さえ覚えるから、 むしろ毎週行くより2週間ぶりに行くくらいのがいいのかもしれないとたびたび思う。

「人生は一度だけ」って言い方は、気持ちがはやりもするし落ち着きもする不思議なフレーズだ。


3/8(金)
歩道橋がよく揺れた。

昨晩はジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』(米・1984)を みていたら10分くらいでウトウトしだしてしまったのであきらめ、今日改めて挑戦。重いけれど重苦しいのとは違う。そして静かに濃く。カサヴェテス作品は 眠くなる確率が高い……。精神力と体力の両方が必要。でも悪いところが見つからないのもカサヴェテスの作品 だ。なんでだろ?


3/6(水)
年末年始にもらった「TIME」のミニカレンダーにはイチローが写っていて、会社の机の上に紙類と一緒にクリアケースに入れて立てかけてある。しょっちゅ う目に入るので、いつしかインパクトはなくなるかと思いきや、見るとときどき「がんばろうかな…」という気になる。なにをがんばろ う、という具体的で強い意志とは少し違うけど、自分にちょうどいい強さでふとそう思う。

魚いろいろとおいしい焼酎。最後は鍋に雑炊までも! 料理もおしゃべりも堪能したよー。楽しい時間をどうもありがとう。


3/5(火)
小沢健二『Eclectic』ばかり聴いている。

江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』の 残りの短篇をすべて読み終えた。「サマーブランケット」「りんご追分」「うしな う」「ジェーン」「動物園」「犬小屋」「十日間の死」「愛しいひとが、もうすぐここにやってくる」。しかし、そのどの内容もす でに忘れてしまった。なにも起きていないようでいて、しかし、彼女たちの人生にはなにごとかが起きている。それは彼女たちの人生と私の今は別個のものだか らなわけで、そんな当たり前のことに気付いたというただそれのみ。

一日のうちには二者択一がたくさんあらわれる。今日一番印象的だった二者択一は、図書館へ続く二つに分かれた道に対してちょうど等距離の位置に立ち止まっ ていた瞬間で、どちらの道を選ぶか少しだけ迷った。この場合迷ったなんていうのは後付けの記憶で本当は適当に右の道を選んでただけだと思う。本を1冊カウ ンターへ持っていくとリクエストしていた本がまさに今日届いたと言われた。2冊の本を抱え、頭の中でいろんな二者択一をしながら歩いて帰る。

即寝るつもりがつまらない感傷でぐちぐちしながら時間を過ごしていたのが結果的に良かったような気もしてきた。私は言葉をあきらめたくない。さまざまな二 者択一をぐぐりぬけてそろそろ0時に近いです。


3/4(月)
意気消沈の自覚症状あり。どうしても長澤雅彦『ココニイルコト』(日・ 2001)感 想)をみたくなったので借りてきた。映画に薬的要素を求めるなんて我ながら不思議。

かたくなさがほどけゆく過程=再び願うことを取り戻してゆく過程。発見した風景の引継ぎあるいは共有というのがやはりいい。

..

考えていることについて少しずつヒントをもらった気がしたものの、どれも少し足りないし少しだけしっくりこない。それに、どこからヒントが来たのかをもう 忘れているから道筋をたどることができなくなった。結局、自分の頭で考えて自分の言葉をつかわないと始まらない。


3/3(日)
気まぐれに洋服売場を本当に一周だけ。色あいとは逆の気分になってしまった。帰る。

南Q太『さよなら みどりちゃん』祥伝社,1997/南Q太『愚図な女ばかりじゃないぜ』ぶんか社,1997/江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社, 2002を買い、南Q太の2冊を読む。私の知らない世界があった。江國香織は短篇集、表題作「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」「うんとお腹をすかせてきてね」を読む。

ウィリアム・ワイラー『孔雀夫人』(米・1936)。 人生の楽しみ方の違いは歩む人生の違い。まさに人生の機微に触れました。人生の機微に触れたという点では南Q太のもそうだったかも。

道明寺桜餅を食べた。桜の葉のうすべったさと塩味が懐かしい。なにか行事が巡ってくるたび、また1年経ったのだと思う。ノスタルジイを感じるほど濃い時間 を過ごしてこなかったことにも気付いてしまう。来年はどんな気持ちで桜餅を食べているだろう、と、たまには未来へ気持ちを投げてみようか。


3/2(土)
先月退社した元同僚を含めた4人でお茶して飲み。お茶と飲みの間に伊 勢丹B2のBPQCに 寄らせてもらう。ロクシタンのハンドクリーム少し欲しい。ほんとに欲しくなったのは、ご飯茶碗。大きさ、形の美しさとシンプルな柄がとても良かった。

TSUTAYAで会員証の更新ついでにウィリアム・ワイラー『孔雀夫人』(米・ 1936)ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリー ムス』(米・1984)を借りる。

昼間の暖かさに甘えてたら夕方からの寒さにやりこめられてしまった。意地悪だ。完敗。


3/1(金)
3月は好きな月。安心する。

「兄と妹がいた。/妹は兄を深く愛し、いつか兄の恋人になりたいと、心に願っていた。或る日、兄が、記憶を失った。/妹は、兄の記憶が戻るまで、兄の恋人 になることを、決めた。/氷の季節と、花の季節の間に、三月がある。三月は、嵐の季節…」

阿部嘉昭「『三月のライオン』はこのようにして淡い---矢崎仁司『三月のライオン』」『日本映画が存在する』青土社,2000 p.49

「最近のテーマ」だとーぅ。日記最新に飛ぶとわかんないけど気付いたぞGAKUさん。私 に怒られた夢が正夢になるよ!(嘘嘘) 遅く帰ったときに早々に寝ればいいんだけど更新してしまうから遅い時間となるわけよん。


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02.0202.04