日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0308.htm#20030803
2003年8月
読・観・聴・その他
堀井和子『朝ごはんの空気を見つけにいく』
杉原賢彦+編集部編『ムービー・ラビリンス』
岡崎京子『ヘルタースケルター』
ユベール・モンテイエ『かまきり』
杉浦さやか『おしゃべり12ヵ月』
夏目漱石『こころ』
桐野夏生『グロテスク』
8/24(日)
本屋で岩波文庫の棚を見ていると、隣にいたおじさんに「すみません、『日本の目覚め』を取ってください」と言われました。一番上の棚にあったので私も腕を伸ばしてとりついでに著者を盗み見。岡倉天心でした。どんな内容だろう。『茶の本』がかっこよかったので少し気になる。私自身は夏目漱石と吉田健一を1冊ずつ買って帰りました。
8/19(火)
桐野夏生『グロテスク』文藝春秋,2003(→Amazon)を読み終わった。ここでのQ女子のような世界があるということを誰に教えられるでもなく気付いていたと思う。大学を選ぶときに「華美じゃないところ」を条件にもあげていたくらいだし。笑われるかもしれないけど本気でそうしました。特別恵まれた家庭で育ったわけでもない自分がきらびやかな世界に入ったらきっと居場所がないだろうと。
8/18(月)
夏目漱石『こころ』岩波文庫を読み終わった。ここで感想を書くよりも、読んだことのある人と直接話をして、疑問を出したり積み上げていったり発見したりしたい、そんな感じ。
桐野夏生『グロテスク』文藝春秋,2003(→Amazon)を読み始めた。と思ったらもうじき読み終わりそう。
2冊とも内容が内容なので、厭世的な気分になったり怖くて閉じこもりたくなってしまった。でも、本から離れて外を歩いていたら少し明るい気持ちになってきた。夜なのに不思議だ。
「寂しい」と「淋しい」。どっちの字面が好きだろう。
8/17(日)
バッハのシンフォニア全15曲を弾くことができた。一年ほどかかった。
約一年前、再びピアノを弾き始めたのは、引越する両親からピアノを引き取ったのがきっかけだった。私が引き取るか捨てるかのどちらかの選択肢しかなくて、かなり悩んだ挙句、引き取ることに決めた。
引き取ったら引き取ったでただの場所ふさぎではもったいない。一人ではきっとなまけてしまうだろうと週に一度習いに行くことにした。ハノン、ツェルニー40番、バッハのシンフォニア、など。しばらく自転車に乗らなくても乗りかたを忘れないのとは違い、動かしてない指はまったく言うことを聞かない。こんなにブランクがあるのにやめたところから再開するというのは思った以上にきつく、毎日毎日少しずつ必死で練習した。平日に遊ぶ予定を入れては心の中で「ピアノの練習……」と思い、土曜日に遊びに行っていても「ピアノ……」と気になり、ピアノに苦しめられている夢を何度も何度も見た。
昔習っていたときには練習曲メインであまり曲らしい曲をやらなかったので、今回ドビュッシーの『アラベスク第1番』を弾けたときはとても楽しかったけど、正直、曲を弾いていてもあまり心がときめかない。苦痛に感じることもある。むしろ、ツェルニーを弾いているほうが機械的な中に遊びが入ってるのを感じられて楽しいくらい。
でも、バッハはやっぱり別格だ。昔インヴェンションを弾いていたときにいいなあと思ってたけど、その気持ちは以前より強くなった。シンフォニアは三声を二本の手で弾くので楽譜を見ているだけでなにがなんだか混乱するし、弾いていても、もちろん混乱する。数学の問題を解いているようだ。バッハって頭いいなあと感心もする。でも、その“解いてゆく”過程が快感で、弾けば弾くほど飽きないし弾かずにはいられなくなる麻薬的音楽だ。ちなみにグールドの弾くシンフォニアの15番がちょーかっこよくて真似してみたかったけど無理だった。
シンフォニアが終わったときには先生と一緒に「わー」と拍手してしまった。嬉しかった。今ちょっとバタバタしているので先生にツェルニー40番だけにしてもらい(でももうすぐ終わりそう!)、それが終わったらバッハのパルティータに入れるかも。バッハだけ弾いていられれば満足。
8/15(金)
昨日からずっと雨で、起きてもやっぱり雨で、こんなに降って大丈夫かと思うくらい降っている。ところが今遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。だからそろそろ上がるんじゃないかと思う。08/15/03
04:45:09
8/13(水)
杉浦さやか『おしゃべり12ヵ月』大和書房,2003(→Amazon)。いままでいろいろな雑誌の載せていた仕事をまとめたもの。映画に触れている内容も多い。
たぶん鈴虫の声がする。
8/12(火)
夏休みの中高生よろしく『こころ』を読み始めた。抜き書きしたいような文章がちらほら。昔、『三四郎』と『それから』を読んで面白いと思わなくて、それ以来他の作品を手に取らなかったというのに。それにしても、これを読んで感想を書くのはとても難しいだろうな。先生が連発する「淋しい」に共感しつつも、人に淋しいって言われたらきっと淋しいとも思う。
スイカらしき芽が出てた。このあいだ食べたときに、土に軽く埋めたおいたやつだ。芽に種の殻みたいのをかぶっていた。
長い間水やりもしないのにサボテンが元気なのは、夜に降るこういう雨のせいなのかもと思う。寝ている時間、つまりは気付かないうちにに降る雨の。今日は起きてるけど起きているからそう思った。
8/11(月)
岡崎京子『ヘルタースケルター』祥伝社,2003(→Amazon)。
昔、岡崎京子の作品を読んだときに、作品自体の好き嫌いは別にして、私の住んでいる世界とは全く違う世界にいる人のことみたいだ、と思った。今回もそう思ったんだけど、ちょっと冷静に分析してみるに、その中に描かれる性を怖く思うんだと思う。村上春樹作品に多少の嫌悪感があるのも、たぶん同様な感覚。『ヘルタースケルター』の世界に羽田ちゃんとして放り込まれたら生きていけない気がする。
瞬間は時間の中にありながら、時間は瞬間を裏切り続ける。瞬間を切り取る方法はいくつかあると思うけど、“退場”というやり方は強烈さではかなわない。でも、その強烈さですら、時間の中の瞬間なのだ。
ユベール・モンテイエ 斎藤正直訳『かまきり』早川書房 世界ミステリ全集 15巻。
フランス物らしく、じわじわとした心理戦を楽しむ作品。全編書簡体を取っていて、特に後半、日付と日付の間の空き方で焦りやじらしが見えるのがたまらなく面白い。書簡は、「神の視点」と違って嘘が書かれてる場合もあるだろうと思う反面、本音部分は本音以上に感じてやけに生々しい。神といえば、会話に宗教問題がはさまれるのも、罪と罰の意識が絡むこの作品では必要なことだ。息詰まるやりとりの合間では、逆に軽やかな息抜きのようにさえ思える。
8/7(木)
わけもなく敬遠していた堀井和子の本を1冊読んだ。『朝ごはんの空気を見つけにいく』講談社,2002(→Amazon)。身近な人たちに「朝ごはんのアンケート」をとって、インタビューしたもの。冒頭にある問いに答えたあと読み進めていくと、「うーん、そんなオシャレな答えをするとは!」と少しカルチャーショック。私はとっても即物的なんだなあと思った。っていうか、このごろ朝ごはん食べてないなあ。朝に限らず、食事自体を。要は夏バテですね。
モラン。ハックマン。デュアリット。チクテにも行きたいな。
朝ごはんで一度だけ、思ったとおりのものが出てびっくりしたことがあった。トルコ旅行中、毎日毎日、必ず出るのがチャイに山羊チーズ。さすがに飽きてきて、「ああ、たまにはハチミツが食べたい。ホットミルクが飲みたい」と思った翌朝に両方とも出たのです。後にも先にもこのときだけだった。焼きたてでやわらかいパンにハチミツをつけて、ホットミルクには砂糖を2つ入れてこくこく飲んだ記憶があります。
杉原賢彦+編集部編『ムービー・ラビリンス』フィルムアート社,2003(→Amazon)を読み終わる。
8/3(日)
昨晩、何気なくみはじめた日テレ『すいか』がとても良かった。自分が今考えていることの答えをもらった気がして救われた。片桐はいり(の役)、ありがとう。甘いとか間違っているとか言われたとしても、そうしてゆきたいのだ。
ワイルドストロベリーが少し前からぽつぽつ花をつけていて、実を結びはじめているのに気付いた。おいしげるバジルは葉っぱを摘み取るでもなく伸びるままにしておいたら、とうとう白い花が咲いてしまった。それも、朝起きたときには咲いてなかったのに、水をやって少ししてまたみたら咲いていたのだ。開くまでの時間はどのくらいだったんだろう。なぜ、瞬間に立ち会うことは難しいのだろう。
誠意に誠意で応えているだろうか?
たくさん夢を見て、たくさん汗をかいて起きる。昼寝の間にもたくさん夢を見る。懐かしい人が言って欲しいことを言っていた気がする。夢かも。夢だ。