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2006.04/2006.06
日記の
フリ
日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g.
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0605.htm#yyyymmdd
2006年5月
読・観・聴・その他
5/31
(水)
五木寛之・望月勇『気の発見』幻冬舍文庫。
ロンドン在住の気功師、望月勇氏との対談。五木寛之は懐疑的な気持ちが見え隠れするほど冷静だし、望月氏も落ち着いている。双方とも自分の考えを揺るがせ
ることなく、しかし相手の言うことは理解しようとする、大人な対談だった。内容も興味深かったし。
小谷野敦『バカのための読書術』ちくま新書
も読み終わる。『もてない男』をイライラしながら読んだのが懐かしい。これは別にイライラしなかった。その中に出てきた日置昌一編『日本系譜綜覧』講談社学術文庫
が面白そうなので買う。分厚い!細かい!
5/30
(火)
乙一『失踪HOLIDAY』角川スニーカー文
庫 を読み終わる。
5/29
(月)
今練習しているのはショパンのいわゆる「革命のエチュード」とリストの「ため息」。ため息には本当にため息が出る。最近は火木土日しか練習しないと決めて
いるし、この曜日になにか予定が入ればそちらを優先するので、進みはもちろんとても遅い。でも無理してストレスになっちゃ意味ないし。練習する日は今だっ
てなんとなく気が重かったりするし。じゃあやめてしまえ、と思ったりもするけど、もったいなくてやめられない。なにかを始めるよりやめるほうがエネルギー
がいるというのは本当だと思う。
5/28
(日)
最近また物を捨てたい気持ちが盛り上がっている。先日は服を大量に処分した。きょうも、あれこれとは欲張らず、気づいたところのものをバサバサと捨てた。
たとえば残しておいた映画のチラシ。きれいに整理して折にふれ眺めたらそりゃ楽しいだろうけど、整理しないで数年経ったってことはこれからもしないってこ
とだ。だから捨てた。ただ、オリヴェイラの「家宝」のチラシ+映画キャンペーン絡みのポルトガル情報だけはなんとなく捨てられなくて取っておいてしまっ
た。
5/27
(土)
新
しい地図記号「風車」と「老人ホーム」に感心。
走ることのできる時間が少し伸びた。
ファティ・アキン監督「愛より強く」(公
式サイト)
をみようと思ったのだけど、Rー18がついているので嫌な予感がして情報収集。エロなRー18なら問題ありませんが、それ以外のRー18はあらかじめ回避
できるならしておかないといけない。どうやら予感は当たり、“ドバー”なところがあるらしい。いさぎよくあきら
めた。仕方がない。びくびくしながらみても楽しくないし。
5/26
(金)
岡崎大五『意外体験!
イスタンブール』祥伝社文庫。ツアーコンダクターの書いた小説仕立ての内容で、どういうところが有名で、ポイントで、というの
が簡潔にわかるのはいいと思った。知人がトルコ旅行するというのでなんとなく久しぶりにトルコものを読みたくなって。
5/24
(水)
ふしぎ新聞社
編・著『ふしぎふしぎ200』福音館書店。ずっと前に買ってところどころ読みかけだったのをまとめて読んだ。
努力しない怠け者だと折にふれて感じる。今まで一番努力したと思える時でさえ、端から見たらそうは見えなかったようだし。
5/23
(火)
乙一『失はれる物語』角川書店。
「Calling
You」「失はれる物語」「傷」「手を握る泥棒の物語」「幸せは子猫のかたち」「マリアの指」。満足する物語を読むと、なにも言わなくていいやと思う。お
いしいものを食べたあとと同じ。ただおいしいと思い幸せを感じる。たとえそれが苦い味であっても、残るのは甘美な思い。あとがきがまた印象的だった。
“この三部作の主人公には思い入れがある。他の作品にはない。”だって。かっこいい。
5/21
(日)
新しい洗濯ハンガーを買った。絡まないようにピンチが輪ゴムをはさんでいるのを取りながら思う。これ、手作業なんだろうか。まさか機械じゃ無理だよなあ。
5/20
(土)
植木の入替をした。始めるまでは面倒に思ったけれど、やり始めると意外に簡単ですっきりしていい気分。午後は、運動をしてからレイトショーの映画をみに出
かける。
森田芳光監督「間宮兄弟」(日本・2006)。少し
前
に『間宮兄弟』を読んだのは、実は、塚地が片方を演じると知ったからでした。塚地は好きな人なので、
映画をみたくなり、じゃあその前に原作を読もう、と。
さて、原作を読んだときに「うわあぴったり!」と嬉しくなったので、映画に対する期待は、塚地を見ることと部屋の雰囲気がどう描かれているか、そんなとこ
ろです。塚地はやっぱりとても良かった。しかし、部屋のイメージはもうちょっと!
部屋の中の様子は趣味のものや本棚の様子、二人の暮らしぶりがわりと感じられて良かったのですが、なんていうかな、もっとこう、部屋の中に風が吹き抜ける
ようなイメージが欲しかった。彼らの田舎の家のように、窓を開け放しにしても良いような、そういう感じが。
昭信が「自分は一日の最後に電話で話せる相手がいて幸せだ」と言う、私も最近、「話したいと思ったときに妹に電話を掛けられる幸せ」を思ったばかりだ。
仲の良い兄弟は彼氏彼女とはまた別の親しい関係で、他人が入り込めない空間であると思う。そういう関係でいる人たちを見ることは、羨ましくそして幸せな気
持ちになる。
5/19
(金)
藤
岡真『ゲッベルスの贈り物』角川書店
を読み終わる。
5/18
(木)
月曜から漫画をたくさん読んだ。
近藤ようこ『ルームメイツ』全3巻
小学館文庫。1巻だけ鞄の中に持ってきたのは失敗。早く続きが読みたくってたまらなかった。60過ぎてからの女3人の同居住ま
い。それぞれの家族・知人も絡んで、さまざまな家族のかたちが見える(などと決まりきったことを言ってみる)。誰と住むのか、どのように住むのか、それは
とても大きな決めごとなのだと思った。
西炯子『ひとりで生きるモン!』徳間書店。森川さん
素敵。冒頭の「はたらくお姉さん」を眺めていると、女の子を魅力的に描けるという
のは絶対に必要な能力だと思う。
高橋留美子『赤い花束』小学館。そつがない。無駄が
ない。
大原由軌子『大原さんちのダンナさん
このごろ少し神経症』文藝春秋。「軽い対人恐怖症かな」なんて言いつつ、初めて会った人たちと妙になじんで仲良くなってしまう
というこの極端さはいったい
どういう仕組みなんだろう……。こういう人、大好きだ。以前、“ダンナさん&
amp;
rdquo;である大原広軌の『精神科に行こう!』を
読んだこともあるのですが、気が楽になったことを思い出し、納得した。
5/17
(水)
最近、胃が痛むことがある。食後2時間くらい経ったころからずーんとした痛みが始まり、帰宅しても続く。1日と同じ痛みだ。しかし、お腹はすいているから
ごはんは食べてしまう。食後は少し収まったような感じ。しかし痛みというものは人に説明するのが難しい。胃という湖に大きな石をゆっくりじっくり落とした
ような痛さ、か? 胃の検査はしたことがないけれど、胃カメラだのバリウムだの大変そうだ。と、ちょっと調べてみたら少し明るい気分になれるような胃
カメラの説明が。
5/15
(月)
通勤電車に一駅乗ったところで「車両事故発生のためどこどこ駅で運転をストップします。振替輸送をご利用ください」というアナウンスを聞いた。降りたこと
のない駅で乗り換えることになったものの、離れた駅までの道がわからないので、人の行く方向に歩いてったら駅があった。パスネットで入って降車駅で精算し
てもらうとなにも引かれていなかった。つまり、最初パスネットを通したときに引かれた160円だけで目的地まで来たことになる。振替輸送のシステムはよく
わからないけれど、鉄道会社はずいぶんと被害を被るんだろうということはわかった。乗車駅から降車駅まで丸々振替輸送の経験はそういえばなかったかもな
あ。
5/13
(土)
用事があるから電話しようと思って、でも、たまには話してみたい気持ちもあった。電話をするのは好きじゃないはずなのに、電話をかける相手がいるのはいい
もんだ。私の場合は肉親に限るけれど。
5/12
(金)
藤岡真『ギブソン』東京創元社を読み終わる。尊敬す
る上司が失踪し、部下が足どりを追う。出
てくる人は多いものの、魅力的な人がとくにいないというのが気分の乗らなさを助長させた。最初は「尊敬する上司」なんて今時珍しいじゃん、なんて思って興
味を惹かれたのだけれど、そのあたりがあとで効いてくるとは思わなんだ。評価するのはそれだけ。
読後感はまったくもってよろしくないです。もちろん、事件なんてものに良いものなんてありえないけど、この物語って謎を解くまでの道筋・過程重視で、事件
の結末はどうでもいいと思ってるんじゃないかという感じがして、それが嫌だった。
昼休みの会話で、太宰治から詩人の話へ。昨年11月号「文学界」での片岡直子氏による小池昌代氏批判の文章がねちっこくてすごい、読んでいる分には面白
い、らしい。内容は置いておいて、片岡氏が小池氏の詩を検証するのに挙げた詩人の中に興味を惹かれる人がいて、それを知ることができたのは収穫だったとの
こと。名前を忘れてしまいましたが。「ユリイカ」2003年4月号の「詩集のつくり方」が面白いよ、ともすすめられた。
5/10
(水)
昼休みに山崎富栄『太宰治との愛と死のノート—雨の玉川心
中とその真実』の話を
聞き、少し興味を持つ。こんなにきれいで聡明
そうな人が、なんで太宰治と心中なんてしちゃったんだろう。彼の魅力ってなんなんだろう。しかし、太宰治といえば…と話
すタネもないくらい読んでいないことに気づき、とりあえず「フォスフォレッセンス」を読むことにする。口述、しかも、手直しなしだという。最初の見開き2
ページくらいに既読
感がある。最後のあたりも。国語の試験問題とか問題集とかで読んだのかなあ。それはともかく、うまいし美しい。これを読んでいると、彼は死なんて怖く感じ
てなかったんだろうな、という思いがする。これが手直しなしの口述かあ…。
5/9
(火)
南部ヤスヒロ+相原コージ『4コマ哲学教室』イーストプレス。
相原コージの漫画を使って哲学の解説をしてゆくという趣向。4コマ漫画のあとに解説が続いているのだけど、シンプルな4コマ漫画を細かいところまで読んで
いるなあという感心から、再び漫画に戻って読み返したりした。顔つきとか影が長いとかね。誰かの読んだとおりに何かを読むというのは面白い。そんなことは
ともかく、最後は素直に感動してしまった。スコットくんよりブタ公のほうがかわいいな。
手帳に「アイスクリームの日」とメモをしていたのに気づいたものの、いったいなんでそんなメモを書いたのかはわからない。「アイスクリームの
日について」。せっかくだから食べればよかった。
5/8
(月)
フジモトマサル『スコットくん』中公文庫。
スコットくんは、かわいいけれどかわいげはない。
5/3
(水)
気分が乗らないからといって一日家にいたらきっとあとで後悔するだろうと思って出かけることにした。天気も良いし。
平林寺へ。中は広く、緑というより雑木林の中を歩き回るような感じ。建物の中に入れないのが残念、というか、私はあまり自然の中を歩いたり景色を楽しむ気
持ちがないような気がする。ここでの修行僧の生活は、午前3時起床、午後10時就寝なのだと知った。5時間睡眠か…。行きに来たの
と同じ駅へ向かうバスに乗ったけれど、経由するバス停が違って、だから時間も10分多い。運賃も違うんだろうか?
とドキドキしていたら、同じだった。バスのシステムは難しい。
物足りなかったので、別の日に予定していた中板橋へも行くことにした。目当ては北條書店。このお店はもともと板橋本町商店街に
あったはずだ、という思いがあってそれを確かめかった。小さい頃、母と買い物に行っていた板橋本町の商店街に古本屋があり、よく本を買ってもらっていたの
です。ところが最近、中
板橋商店街を調べたときに「北條書店」とあって驚いたわけです。母に話すと、「以前そこには同級生のなになに君の実家がやっていた古
本屋があっんだけど、じゃあ、北條書店に売ったのかもね」と言っていた。子どもの頃に買ってもらった本のほとんどは新刊よりも古本のほうが多かったはず。
それも、北條書店で買った本が。
中板橋で降りて、その場所へ行ったのにどうしても見つからなかった。道を一本間違えたのだろうかと思い違う道を歩いてみたり、定休日なのだろうかと思った
り、道をぐるぐる歩き回ったけれど、どうしても見つけられなかった。
大
和屋でへそまんじゅうを買う。
なんだかやっぱり消化不良で、下赤塚へ行くことに決めた。北口3分にあるBOULANGERIE Ken。
外から見ると普通のパンが置いてあるように思えたのに、中に入って選ぶのに迷うくらい個性的なパンが並んでいる。キウイがはさまれたクロワッサンらしきパ
ンの色はキウイ色!
くるみとクランベリー入りのどっしりしたパンもあれば、明太子フランスもあるし、フォカッチャも3種類くらいある。お店のおにいさんは、いかにも「パンを
作るのが好きです」って雰囲気を漂わせていて素敵だった。そういう人が作るパンはいかにもおいしそう。「ajouter(アジュテ)」とい
う東上線の情報誌に載っていましたね」と言うと「自分でも自分のお店とわからないくらいの載りかたでしたねー」と。cafe
sweetsにも載ったらしい。オープンは昨年の10月、ということは、まだ1年も経っていない。
せっかくだから、東京大仏に行こうと歩いてゆくも、なかなかたどりつけない。松月院があったので中を見る。東京大仏通りを歩き、やっ
と乗蓮寺へ着いたーと思ったら
時間過ぎてて入れず。近くの赤塚植物園もやっぱり入れず。成増まで歩く。
帰宅後、北條書店について母に電話で報告。どうしてだろう、と二人で言い合う。なにか情報はないだろうかと調べていて、こちらの記
事で閉店したことを知った。
北條書
店のこのたたずまいは小さい記憶そのままで、懐かしい。
5/2
(火)
電池が切れた気分。
5/1
(月)
今邑彩『いつもの朝に』集英社。
会話文が多いためか、描かれている状況の濃さに
も関わらず重たくならずに読めてしまう。重たくない、つまりは、さらさらしすぎているという物足りなさと予定調和的な進みかたに不満を抱いてもいた。
が、最終章に入ってからは気持ちが揺すぶられ半泣きで読んだ。多くが会話文で進むことは変わらない。しかし、当事者たちではなく第三者による会話文
というところもミソなのだろう、彼らに思いを馳せるような気持ちが生まれる。そして、この展開に伝聞だからこその真実味を与えたり、大げさにならず抑制す
る役割も果たしていると思う。最終章はきれいごとと評されても仕方がないくらいなんだけれど、物語ならば中途半端なありえなさよりもここまでやってくれた
ほうがいいなあと思える。
お昼過ぎからひどく胃が痛むのが夕方になっても続いていたので、ピアノを休む旨先生にメールする。でも、帰宅してしばらくしたら徐々に収まってきたので、
こ
れって精神的なものなのかなあと少し思った。
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2006.04/2006.06