1日目
3
『何かあったら空に向けて銃を一発撃て。10秒以内に駆けつけるから』
そう胸を張って宣言したザックスの言葉をとりあえず信じ、クラウドは神羅ビル前のバスプールから、八番街行のバスに乗り込んだ。八番街のメインストリート
までバス停は7つ。
終業時間から少し経っているため、ここから乗り込む人間はあまり多くない。
昇降口近くに立つクラウドとは別に、サングラスをかけ、スーツ姿で一般社員を装うソルジャーの一人が奥の座席に陣取る。
「すいてますから、座った方がいいですよ」
バスドライバーが親切に声をかけてくれるのに軽く会釈だけ返し、クラウドは曖昧な微笑ともつかない顔を窓に向けた。
新羅本社には泊まり込みをする社員も多く、周辺には飲食店を初めとした数多くの店がある。だいたいが24時間営業なので、人の往来はひっきりなしだ。
ミッドガルについてからこのかた、基地敷地内からほとんど出たことの無かったクラウドには、これだけ多くの人間が夜になっても街をうろついているのが珍し
い。
「お嬢さん、座ったらどうですか?」
途中のバス停から乗り込んだ若い男が、空席を示して勧める。それにも会釈だけして、クラウドは外を見ている。
「何かおもしろい物が見えますか?」
今度は別の男だ。他にも乗客はいるのに、なんで自分にばっかり声をかけるんだろうと、少し鬱陶しくなってきた。
「お嬢さん、どこまで行くんですか?最近は女性の一人歩きは物騒ですから、良かったら送りますよ」
その言葉を聞いて、ああ、これがナンパか、と納得した。
夜に女が一人でいると、本当にいろいろ物騒だ。親切そうだが、顔つきが下心丸出しだ。
クラウドは会釈するのも止め、無言で窓の外を見た。
後ろの方にいたソルジャーが、さりげなく背後に回ってきたのが窓ガラスに映る。
ナンパ男達は引っ込んだ。魔晄の目を隠していても、さすがにうっそりとしたソルジャーの剣呑さは伝わるものらしい。
次のバス停を知らせる音声が流れ、クラウドはボタンを押した。角を一つ曲がると、にぎやかな繁華街のネオンが一気に目に入る。一つ目をしばたたかせ、クラウドはバスから降りる。
バス内のソルジャーはもう一つ先で降りる予定だ。ここからは別のソルジャーがついてくるはずだ。
クラウドはおっかなびっくりで人混みの絶えない街路を進んでいく。
(……ミッドガルってこんな場所だったんだ…)
今更ながら、妙な心持ちになった。
建ち並ぶビルに派手な看板、色とりどりのネオンライト。明るいディスプレイにはいろんな商品が並び、道行く人々の購買欲を呷る。
様々な場所から違う曲調の音楽が流れ、それに客引きの大声や女性の高い笑い声も混じる。路地を覗けば、そこは暗闇。ごちゃごちゃと捨て置かれた箱やビンの合間に座り込んだ人間や、抱き合う男女の姿も見える。
最初は物珍しくあちこちを覗きながら歩いていたクラウドは、徐々に気分が悪くなってきた。もともと田舎育ちで人混みには慣れていないし、大音響にも免疫がない。何より空気が濁って重苦しい。
顔を顰め、クラウドはザックスから指示されていた道筋をはずれ、路地に入り込んだ。
とにかく、少し一人になりたかった。
『ボウヤ、裏道にはいっちまったぜ』
『あちゃー、道間違えたかな。オレの書いた地図、分りづらかったとか?とにかく、そのまま尾行続けてな〜〜〜』
司令車の中で報告を受けたザックスは、気楽にそう答えた。すぐに次の報告が来る。
『小隊長〜〜ボウヤ、ナンパされてる〜〜』
『ボウヤの貞操確保〜〜、できたら大通り方面に逃げるよう誘導してくれ〜』
『わかった〜〜』
すぐにまた次の報告が来た。
『ボウヤ、ナンパ男三人撃退〜〜すげぇや、股蹴り一発だ。うずくまって動けません〜〜可哀想だけど笑えるぜ』
「へ〜〜、教官の言ってたの、社交辞令じゃなかったんだ」
感心してそう呟いたザックスは、続いた連絡に蒼くなった。
『悪い、ボウヤ、ちっこすぎて見失った』
「悪いですむかーーーー!」
それまでのほほんと構えていたザックスが、ヘッドホンをハンドルにたたきつけた。
しつこくからんできた男三人に急所蹴りを決め、蹲った隙にその場から逃げ出した。相手が素手とは限らないし、乱闘になって服を汚されても困る。クラウドの動きは小回りが利いてスピードがあるが、一撃にどれだけ体重を乗せても大した威力には成らない。
結果、先制で急所をたたいて逃げ出す、というやり方が身に付いた。
格闘訓練では逃げ出すわけにいかないので、相手を上回るスピードをどれだけ持続できるかが勝負の分かれ目になる。時間がかかると、結局体力差でやり返されてしまうので、基礎体力の向上は今のクラウドにとって一番の課題だ。
クラウドは、揃い踏みしていたソルジャー達の体格を思い出した。
長身で肩幅が広く、首にも腕にもがっちりとした筋肉がついている。そして手首も手も大きくてごつい。間違っても付けヅメやマニキュアは似合わないだろう。メイクのルナが持ち出してきた爪を思い出し、クラウドはため息をついた。まだ小さくて骨細の手は、女性のルナよりも華奢だったかもしれない。
人混みに出る気になれず、そのまま暗い方暗い方に向かって歩き続けた。自分には見えないけれど、ソルジャーが付いてきてくれると思ってるので、道に迷うことも気にしていない。どうせ、最終目的は襲われやすそうな暗い道を歩くことだ。適当にその辺を歩いてみよう、と考えた。
喧噪の大通りに駆けつけたザックスは、そこでクラウドを尾行中だった筈の部下と落ち合った。セカンドソルジャーのグレンはザックスも見上げるほどの大男
で、身長は2メートル近い。その体格に似合わず音を立てずに歩く癖があるので、こういう場合は頼りになる男なのだが、今回は違った。どうやら、クラウドと
の身長差がありすぎて、ちょっとよそ見をした弾みで視界から外してしまったようなのだ。
「悪い、距離を置いても足下見るような角度になるもんで、首が疲れたんだ」
「いくらあいつがちっこいったって、チョコボの雛ほどちっこい訳じゃねぇのに、視界から外すなよ〜」
ザックスは本気で慌てている。ここまで来るまでに、いったい何度クラウドはナンパされてきたのか。本人ほとんど気が付いていなかったようだが、本物の女性
よりもナンパ率は高い気がする。
予想以上に目立ちすぎだった。無自覚なだけに、「都会になれてない危なっかしい少女」に見えてしまう。
目標のレイプ犯はも
ちろんだが、それ以外の連中にも目をつけれられてもおかしくない。
ミッドガルは見えている以上に治安が悪いのだ。
『進路予定の区域に待機中の全ソルジャーに告ぐ。八番街中央大通り、通称「デートクラブ通り」でチョコボの雛一羽行方不明。美味しくいただかれる前に必ず
確保!』
少し混乱気味の命令だったが、ソルジャー達には通じたようだ。一斉に『アイアイサー』の返事が来た。
大通りをはずれ、魔晄炉方面に向かってビルの狭間を歩くと、ミッドガルの裏側が見えてくる。
華やかなメインストリートとは裏腹に、夜のビル街は薄暗く、ぽつぽつと灯りが漏れてくる程度。どこか退廃した雰囲気が伝わってくる。
新兵教育で、一通りミッドガルの現在の治安状況のレクチャーは受けた。
ミッドガル各プレートにあるメインストリートと、新羅本社で働く社員の社宅エリア一帯は治安は安定している。
しかし膨張し続けるミッドガルのプレートは外周に沿って新しい地域が今も作られ続け、建設途中の地域は夜はほぼ無法地帯だ。
また、比較的初期に建てられ老
朽化したビルはそのまま放置されてスラム化し、テロリスト達の前線基地として密かに利用されているところもあり、定期的に兵が掃討に入る。
ミッドガルの市内治安維持担当の部署に配属されれば、クラウドもこれらの任務に就くはずだ。
背後で金属的な音がした。素早く振り向くと、点滅する常夜灯の目障りな光の中をバケツが転がっていく。建物の影からはカサカサという紙がこすれる音。
小さ
な足音は野良猫か何かだろうか。
化学部門が実験に使った動物が逃げ出し、繁殖しているという話もある。
この場合、もれなく妙なウィルスを持っていたりモンスター化していたりするので、素手では触らないようにと言われている。
訓練で受けた講義を思い出しながら歩いていたクラウドは、いつの間にか町並みを観察する眼になっていた。歩き進んでいくと、廃ビルが並ぶ一角に出た。
窓ガ
ラスが全て割れていたり、中途半端に倒れて鉄骨がむき出しになっていたりと、かなり荒廃した雰囲気で、魔晄炉から漏れる光以外の光源がないため、一面が
濁った緑に染まっている。
クラウドは自嘲気味に笑った。どんな物好きだって、こんな場所を一人でうろつく女性が居るわけがない。これで、囮の役が務まるは
ずがない。だいたいにして住居エリアはもっとプレートの内側だ。
さて戻ろうと考えたところで、クラウドは自分の今いる場所がどこなのか分らなくなった。
とにかくここと反対の方向へ向かおうと踵を返したところで、奇妙な
静けさが気になった。
淀んだ風に混じって小動物が走り回る音はする。なのに、妙に静かで空気が緊迫しているような気がする。ざわりとする感覚が背筋を通り抜け、クラウドは銃を
手にすると撃鉄を起こした。そのまま周辺の様子を少し見てみたが、特別気になるような気配はない。
考え過ぎかと、クラウドは撃鉄を起こしたまま安全装置を
かけ、再び腰のホルスターに銃を戻した。緊張のしすぎだ、と再び自嘲気味に笑ったところ、不意に背後の空気が鋭くなった。
とっさにかわせたのは、山で獣相手の狩りに慣れていたおかげだったかもしれない。ハンターに追われていると見せかけて自分の領域に引きずり込み、逆に待ち
伏せをかける頭のいい獣も多いのだ。
油断して背後の気配を感じることをおろそかにすると、あっという間に餌にされるぞ――銃の手ほどきをしてくれたハン
ターの言葉だ。
ステップを踏んで半回転し、眼の隅で自分に襲いかかってきた物を視認する。
人型なのは間違いない。だが、その眼は暗い赤で、ソルジャーの魔晄の色ではない。周辺を染める緑色の中に見えたのは、首から上腕筋、そして太股だけが異常
発達した姿。クラウドは一度収めた銃を再び抜いたが、安全装置を外す一瞬前に鋭い手刀が襲ってくる。肩口を狙ってきたその腕をとっさに身体を傾げて
避けた。
ショルダーバッグの肩ひもがちぎれ、背後に飛んでいく。
クラウドは背後に跳びながら、腰を低くして大猿を思わせる姿勢をとる相手に向かって発砲した。
タイミング的に当たった、と思ったが、相手は予備動作無しに真横に跳んで弾を避けている。ソルジャーではないが、この動きはまさしく人間離れしている。
少
なくとも、少々のスピード自慢程度ではかわしきれない。
「10秒以内に駆けつけて来るって言ったのに!」
10秒経っても現れない救援に恨めしげに叫ぶと、クラウドは全速で駆けだした。
「……いない」
「どこいっちまったんだ、ボウヤ」
「人多すぎだって。紛れるとちっこすぎて、わかんね」
「あんな目立つのが一人で歩いてるのに、なんで目につかねーんだ」
あちこちに散らばっていたソルジャー達が、最初にクラウドを見失った周辺へと集まってきた。裏通りではあるが、メインストリートのざわめきが十分に届く辺
りだ。戻れなくなるとは思えない。
「もう一回見回ってみようぜ、その辺のカフェに入ってるのかも――」
そうザックスが言いかけたとき、思いついたようにショーンが言った。
「小隊長、無線で連絡は取ったんですか?」
「あ!」
今更ながら気づいたのか、間抜けな声をあげる。
「忘れてた、忘れてた〜〜そうだ、無線で聞けば良かったんだ」
へらっと笑いながら、ザックスは無線のスイッチを入れた。
「おーい、クラウド。今どこだ?」
返事がない。
「おーーーい……?」
呼びかけに答えないクラウドに不安を感じつつ、無線が拾う音を聞こうと受信に切り替える。何も聞こえない。カサカサという風が何かを飛ばしてるような音が
するだけで、クラウドの足音も拾われてこない。
「……ところで小隊長……ボウヤはそもそも自分が迷子になってるって事、気が付いてるんですか?」
おそるおそるのショーンの言葉に、ザックスは青ざめたまま固まった顔をさらに白くした。
「ソルジャーの護衛が付いてると思ってたら、そのまま裏通り探検に行っちまってるかも……」
ザックスはぱっと走り出した。司令車では、無線機が垂れ流してくる音を全部記録しているはずだ。自分が迂闊にも車から離れている間の音声を全部チェックし
てみなくてはいけない。
大男の集団が全速力でメインストリートを横切るのはちょっとした交通渋滞の原因になったが、それにかまっている暇はなかった。
車に飛び込み、録音テープを再生すると、さっきと同じ無音状態。10分ほど巻き戻したところで、せっぱ詰まったような声が飛び出してきた。
急いで再生してみると、空気を切る音、あわただしく動く靴音、地面になにかが落ちる音、銃声。
『10秒以内に駆けつけるって言ったのに!』
クラウドの叫ぶ声の後、走り去る足音。軽いブーツが地面を蹴る音はクラウドの物、もう一つ、重い身体が地を蹴る音がそれを追っていく。足音は遠ざかり、無線機は
沈黙した。
「……ビンゴ」
再生を止め、ザックスは呟く。全員が裏通りに向けて蒼白な顔を向けたとき、ソルジャーの鋭敏な聴覚が鋭い悲鳴をとらえた。
「あっちだ!」
彼らは再び交通渋滞を引き起こしながら、断続的に悲鳴が聞こえる方向へと走りだした。