3日目
3
ホテルマンがロビーにいる客達に小さな白い封筒を配っている。
それを受け取ったセフィロスは、中に入っていたカードを一枚クラウドに渡した。
「1503だ」
「はい?」
「ルームナンバーだ。キーを一枚渡しておく」
「はあ…」
金色の高級そうなカードを、クラウドは裏表ひっくり返して眺める。
「観察するのは後にしろ。場慣れしてないのが、丸分かりだぞ」
笑いを含んだ声音に、クラウドは慌ててカードを小さなバックにしまった。
「それではお待たせいたしました。皆様、会場にご案内いたします」
その声で、グラス片手に歓談していた客達がエレベーターホールへ移動する。
「パーティーってどのくらいの時間やるんですか?」
クラウドは小声で聞いた。カウントダウンと言うからには深夜まで続くのだろうけど、今はまだ夕方の6時過ぎで、計算すれば6時間以上かかることになる。
「一応、予定としては7時に主催の挨拶があってそれから明日の午前1時までらしいがな。長丁場になるから、疲れたら用意された部屋で休めと言うことだ。最初の挨拶と日付が変わる瞬間に会場にいれば事足りる」
「えと…一般庶民の感想言ってもよろしいですか?」
「許可する」
「それ、凄く無駄なパーティーなんじゃ……」
「まったくだ。金持ちの暇つぶしみたいなものだな」
そんなのにつきあわされる方はたまった物じゃないな……クラウドはふとそう思った。
それを読んだようにセフィロスは笑う。
「だから部屋付きパートナー同伴だ」
「えーと……?」
クラウドはきょとんとした顔でセフィロスを見上げた。
「暇つぶしはパートナーと二人で楽しくやってください、だな」
「ああ……はあ…」
クラウドは脱力した声を出した。ああ、そういう事かと、ようやく理解できた。
金持ちのやることは分からない。ものすごい時間の無駄遣いだ。
頭の中にひとつ疑問が浮かび、クラウドはそれをそのまま口にした。
「サーは暇つぶしどうするんですか?」
「さあな。適当に昼寝でもしてるさ」
「昼寝というには、遅い時間ですね」
くすっとクラウドは笑った。俺はどうしよう。まさか、サーと一緒に寝てるわけにはいかないし、だからといって一人で何をするわけでもなし。
「普段は女性を同伴されるんですよね。なんで、今回は俺なんですか?」
「オレは徹夜明けだ。ベッドに入ったとたんに熟睡して、女にどつかれたくない」
「どつくんですか…?女性が、サーを?」
不思議そうな顔をしている少年は、まだ女性経験がないのだろうと、セフィロスは思った。据え膳差し出して手を出されなかったときの女の怒りは凄まじい。自分の容姿に自信のある女ならばなおさらだ。男にも都合があるなどということは、最初から眼中にない。
食事をした後、まっすぐ家に送っただけで「酷い…私の心を弄んだのね」などと言われると唖然とするしかない。
「まさかお前は、オレと寝たいなどとは言い出さないだろうな?」
「言いません」
からかった途端に少年は眉根を寄せ、セフィロスを睨み付けた。
(面倒くさいと言っていた通り、女性の相手が面倒くさいから、ほったらかしにしていても大丈夫なアレを所望した訳か。
なるほど。格好いいなんて思って、馬鹿みたいだ)
怒りや悔しさや情けなさが相まって、クラウドの表情が見る見るうちに消える。
可愛らしい少女の顔が消え失せて、硬質な人形じみた顔になった。
「冗談を真に受けたのか?」
「いいえ」
セフィロスは潔癖な子供の反応が面白かったようだが、クラウドはそれに気がつく余裕はない。
短い愛想のない声を出すと、ちょうど順番の回ってきたエレベーターに早足で乗り込む。
背筋をピンと伸ばし、身体を殆どゆらさないクラウドの歩き方は、人に声をかけられるのを拒んでいるようだ。
唇を引き結び、まっすぐ一点を見つめたきりの少年の横顔は美しいとセフィロスは思った。
豪華なパーティー会場は、100人は入れるんじゃないかという広さ。客の数は4、50人くらいだろうか。
立食形式で様々な料理や飲み物が美しく乗せられたテーブルが整然と並んでいる。部屋の隅ではバンドマンとダンサーがスタンバイ中だ。
「サーセフィロス。一度お会いしたいと思ってたんですのよ」
「ぜひ、一度、わしの家に来て話をしませんか?実は、わしの息子もあなたに憧れて神羅の士官学校に進学すると言っておりまして」
「サーセフィロス。今度ぜひ、私の家に。私の娘が、サーの大ファンでして」
あっという間に初対面の挨拶をしに来る人に囲まれたセフィロスは、言葉少なに応対している。もともとその際だった体躯と美貌に魂を抜かれたような顔つきをしている人ばかりで、適当な返事でも全く気にしていないようだ。
熟女という雰囲気そのものの色っぽい夫人が、傍らにいるパートナーそっちのけでセフィロスに熱い視線を送っている。
本当に面倒くさそうな顔してる、とクラウドは思った。徹夜明けと言っていたけど、疲れているのかもしれない。
「そちらのお嬢様は紹介していただけませんの?」
急に視線が集まって、クラウドの心臓が跳ね上がった。
今の今まで全く無視していたくせに、一人が口に出すと、一斉に目線が向く。
無視していたように見えたのはポーズで、本当は素性が知りたくて仕方なかったに違いない。
「ミス・ルリ。私のパートナーです」
セフィロスがにっこりと紹介する。その横で、クラウドも引きつった笑顔を見せる。
「失礼ですけれども、……以前、他のパーティーでお会いしたときのパートナーとは…その…随分と違いますこと…」
クールなスーツを着こなした中年の女性が、興味で目を輝かせて言う。
「私の連れにしては若すぎると、そう仰りたい?」
わざとらしいほど大胆にセフィロスはクラウドの肩に手をかけて引き寄せる。
「いえ、随分とお可愛らしい方だと…おいくつになられますの?ミス・ルリ」
そのままの年齢を答えていいのだろうか?と一瞬クラウドは戸惑った。
「16才です。ミセス・プラート」
クラウドが口を開くより早く、セフィロスが答える。名前を呼ばれ、目をまっすぐに見つめられた女性は狼狽えたように口を閉ざした。
「16才……どこかのプロダクションに所属してる?」
赤ら顔の男がずけずけと聞いてくる。タレントかモデルの卵と勘違いしているようだ。
「いいえ、彼女は私の個人的な知り合いですから」
セフィロスは婉然と微笑みながら答える。
人々が顔を見合わせた。個人的な知り合い、という言葉に、好奇心がさらにくすぐられたようだ。
会話が頭の上で勝手に進んでいく。
まあ、俺が答えたって、どうせしどろもどろになるだけだし――と、クラウドは人ごとのように考えた。
「個人的な知り合いと仰いますと……ひょっとして、本命の恋人ですとか?」
くすくすっと笑いながら言うのは、ちょうどセフィロスと並んだら絵になると思える年頃の、長身の美女。胸が半分見えるようなセクシーなドレスを着ている。当然、「本命の恋人」といったのは冗談のつもりだろう。言外に自分の方がふさわしいと主張してるのだ。
「そう思ってくれても結構ですよ。失礼、ルリが少し疲れたようだ」
あっさりと言って、クラウドをかばうようにその場を離れるセフィロスに、その美女は顎が外れたような顔で言葉を無くしてしまった。
クラウドもちょっと驚いた。顎は外れてないが、目がこぼれ落ちそうなくらいに見開かれている。
「サー、…問題発言ですよ」
非難するように言うと、セフィロスはおかしそうに笑ってる。
「別に、どう受け取ろうと向こうの勝手だ」
音楽が流れ始めた。会場がざわつきだし、進行役がマイクを取り上げる。
「主催がお出ましだな」
美女を何人も引き連れて登場した男が、マイクを持って気取った挨拶をしている。指に大きな指輪をいくつも付けているのが成金風だ。細身の長身で、一応美中年だな、とクラウドは思った。
「どういう人なんですか?」
クラウドは渡されたシャンパンのグラス片手に、こっそりとセフィロスに訊ねた。
「バーント・アンバー。神羅軍支給の衣類を収めている繊維メーカーの社長だ。もっとも、実権はあちらにいるご婦人、――ミセス・アンバーだがな」
セフィロスは会場のはしにひっそりと座っている女性を目線で示した。
白髪をきちんと纏めた美しい老女だった。
「お母さんなんですか?」
「そう、二年前に亡くなった夫と2人で特殊繊維を開発した女傑で現在の会長。あれは不肖の息子だ」
アンバー夫人に見せるのとは違う目で、セフィロスは息子の方を見やる。殆ど小馬鹿にしたような表情だ。
「そんな人のパーティーになんでわざわざ…」
「息子の方にも、一応世話になっているとも言える。あれの本職はポルノ製作だ」
「…ポルノ…」
「兵士ならあいつの会社で作った本やビデオを、必ず一部は持ってるだろうな」
セフィロスは意味ありげにクラウドを見下ろし、含み笑いをする。その意味を察し、クラウドはつんとした顔で言った。
「俺は持ってません」
「時間の問題だな」
「サーはどうなんですか?」
「二次元の女を相手にするほど不自由はしてない」
クラウドは不機嫌に眉根を寄せると、手にしたグラスに口を付けた。
甘い。
ジュースのような口当たりに、思わず顔がほころぶ。
つい、ニコニコと機嫌の良い顔になってしまった。
「お前、酒は飲めるのか」
「ワインくらいなら、慣れてますけど?」
ちらりと見上げると、セフィロスは微妙に不思議そうな顔をしている。
「サー、お、…じゃなくて私がいくつだと思ってました?」
「12、3才?」
「14です」
「思っていたより大きいのだな」
「…いくらなんでも、12才では入隊許可でません」
神羅の新兵募集要項によると、最低基準は「三カ月以内に満14才になる」だ。
「そうだったか?オレが軍に籍を置いたのは、確か12才くらいだったと思ったが」
クラウドは目を見張った。
「まあ、戦場に出た時は、14才を過ぎていたはずだ」
セフィロスは淡々と話す。クラウドはその顔を首を傾げるようにして見上げる。
「…過ぎていた筈って…?」
「正確な生年月日が分からない」
そう言ってから、セフィロスは自分を見つめたきりの少年の額を軽く指で突いた。
「そんな顔をするな」
「そんな顔って…」
額を抑えて言葉を詰まらせる少年は、酷く切なげな顔をしている。
「抱きしめたくなる」
クラウドは瞬時に顔を赤くすると、きっと睨み付けた。からかわれたのだと思った。
セフィロスはそんな少年に優しく笑いかけると、クラウドの腰を抱くようにして壁際に移動した。
「挨拶が終わったから、いろいろとうるさくなるぞ」
「は……?」
クラウドは壁に寄りかかりながら、長身を見上げた。
隣にいると顔を見ているだけで首が凝る。
アンバー社長が両手に女性を抱えてにこやかにステージから降りると、入れ替わるように半裸に近い衣装を付けたダンサー達が現れ、華やかな音楽に合わせて官能的なダンスを踊り始めた。
年輩の夫婦連れが何組か早々と会場を後にしていた。つきあいきれない、といった風情だ。
フロアではいきなりカメラ撮影会が始まり、アンバー社長が連れていた女性達がセクシーなポーズを取る。
マスコミの人間も何人かいるようだ。
いきなり間近でフラッシュが焚かれ、クラウドはとっさに腕を上げて顔を隠した。
マスコミのカードを首からぶら下げた男が、クラウドにカメラのレンズを向けている。
戸惑っていると、セフィロスの大きな体が前に出る。
「どこの記者だ?」
低い声音にひるまず、カメラマンはにやりと笑って「ミッドガルプレスです」と答えた。
「ゴシップ紙か」
「神羅の英雄がパーティーのパートナーとして素人の少女を同伴。知りたがる市民は多いですよ」
「神羅の広報を通していない記事は差し止め要求を出す。フィルムの無駄だ」
カメラマンはやれやれと言いたげな顔で別の被写体を探しに行ってしまった。
「サーが問題発言するから」
「牝犬を撫でただけで『新恋人発覚』と書きかねん連中だ。記事になったところで真に受ける者はそうはいないだろうがな」
上目で見上げている少年に、セフィロスは薄く笑った。
「同情していないか、お前」
「ちょっとだけ。英雄って呼ばれるのも、楽じゃないなって」
そう言ってクラウドも薄く微笑む。
「機嫌は直ったか」
セフィロスの手が顎に掛かった。上を見上げた角度のまま、顔が固定される。
「機嫌って…」
セフィロスの顔から目が離せなくなって、クラウドは少しだけ口ごもる。
「パートナーからずっと冷たい目で見られ続けるのは、少し切ない」
「冷たい目って、…そんな目してました?」
「このエロ親父、と言いたげな目をしていた」
その言い方に、クラウドは思わず笑ってしまった。細められたセフィロスの目が優しい色を放つ。その目に惹き付けられる。綺麗な宝石のような光を放つ目。非人間的にも見える縦長の瞳孔も、ただひたすら神秘的だ。
どうして、こんな人が存在するんだろう――とクラウドは思う。
おそらく、この人を間近で見るたびに、同じ事を思うんだろう。
どうして、こんなに綺麗で、強くて、魅力的な人間が存在するんだろう。この人なら、どんなにエロネタを口にしたって、本気で軽蔑されることなんて無いに違いない。
ふと、下ネタジョークを連発するセフィロスが頭に浮かび、自分の想像にまたおかしくなった。
自分の顔を見つめたままころころと笑い出したクラウドに、セフィロスは怪訝そうだ。
「オレの顔はそんなにおかしいか?」
「いえ――あの」
素直な言葉が口をついて出た。
「凄く、綺麗だな、って思ってました」
わずかに眉を上げて肩をすくめたセフィロスが、不意にまじめな顔になる。
そうすると、微笑んでいるときとはまた違った風に見える。
本当に綺麗な人なんだな、とクラウドはため息混じりに考える。
ふと、セフィロスの目が近く見える、と思った。
思った次の瞬間には、唇がふさがれていた。
周囲の人がざわつく気配がした。
あ、キスされてる――と、なぜか冷静に受け止めたクラウドの耳元に唇を寄せ、セフィロスは甘い表情で低く囁く。
「定時連絡の時間だ。部屋に行くぞ」
ああ、なるほど。
俺のファーストキスは、この場を離れるためのダシに使われたんですね。
クラウドは一気に冷めた気分になった。