3日目
4
部屋に入ったところでクラウドは靴を脱いだ。
女性用の華奢な靴は爪先が痛い。部屋の床は毛足の長いカーペットが敷いてあって、裸足で歩いた方が気持ちいい。
巨大なプレートの上に乗っているミッドガルは、中央の新羅本社ビルは別格として、あまり高層のビルはない。このホテルの周辺も大体が10階以下程度の建物なので、15階の部屋からだと全て目下に見える。
クラウドは窓際によって、夜のミッドガルを見回した。
夜景は地上に落ちた星空のように見えた。
セフィロスはクラウドから少し離れた場所でPHSを開いた。
メールのメッセージが入っている。それに目を通してから、窓の外を眺めているクラウドに声をかける。
クラウドは首だけ呼ばれた方に向けた。なんの感情も伺えない、からくり人形じみた動きだ。セフィロスは低く息を付く。苦笑が浮かんでいる。
「オレはまたお前の気分を害したようだが、何が気に入らない?」
「別に何でもありません。何かご用でしょうか、サー」
取り付く島のない口調に、セフィロスは少し眉根を寄せたただけで事務的に告げた。
「急ぎの資料が届いているようだ。下のフロントまで行って来る。オレが戻るまで、お前はここで待機だ。外へは出るな」
「アイアイ・サー。サーが戻るまで、ここで待機します」
命令を復唱すると、クラウドはもう用は終わったとばかりにまた目を窓の外に向ける。
少年のかたくなな態度は、逆にセフィロスの笑みを誘った。
怒ったり笑ったり拗ねたり、子供の表情の移り変わりは見ていると退屈しない。
そして時折見せる硬質な無表情は、端整な顔立ちをそのまま引き立て、セフィロスの目から見ても感嘆するほど美しい。
本人がそれに気が付いていないようなのが、余計に好ましく写る。
「すぐに戻る。いい子にしていろ」
言葉通り、子供に言い聞かせるような口調でそう言うと、セフィロスは部屋を出ていった。扉が閉まると同時に、オートロックがかかる音がする。
クラウドは閉まってしまった扉をみながら、ため息を付いてベッドに座った。
足の爪先が痛い。ジンジンするそこを揉みながら、クラウドは自己嫌悪に顔を顰めた。
セフィロスが寛大だからって、俺、なに無礼なことばかりしてるんだろ。
気まで遣わせて。
下っ端の部下なんだから、上官の都合のいいように扱われて当然だろう。
まさか、仕事以外でキスされたかったなんて、寝ぼけたこと考えてないだろうな、お前。
頭を抱えるようにして、必死に自分に言い聞かせる。
セフィロスが戻ってきたら、今度はちゃんと割り切った振る舞いをするんだ。
お前は、セフィロスのパートナー、場合によっては本命の恋人のフリをするのが仕事なんだから、その通りにすれば良いんだ。
セフィロスや他の人が何を言ってもニコニコして、――ただニコニコしていれば良いんだ。それだけなんだから。
……それだけが難しいって、本当に、どうしようもないな、俺。
頬杖をついて、そう考えた時だった。扉がノックされる。
クラウドは首を傾げ、ドアチェーンをかけて少しだけ扉を開いた。
ホテルのスタッフが立っていた。さっき、フロアにいた男だ。顔に見覚えがあった。
がっしりとした体格で、コンパニオンらしき女性達に指示をしていた。
「何かご用でしょうか?」
「失礼いたします、レディ。サー・セフィロスはいらっしゃいますか?」
「……用があるとかで、一階へ行きましたけど…」
「ミスターアンバーより、サーへのお届け物がございます。中へ運ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
丁重に言う男の手には、大きなリボンの着いた箱が持たれていた。
クラウドはとりあえずドアチェーンを外すと、扉を開いて脇に寄った。
「ありがとうございます、レディ」
一礼して、男が部屋に入ってくる。
男はにこやかな顔のまま、横を向いた。
クラウドは目を見張った。銃口が脇腹に押しつけられている。
「失礼、レディ。会場にお戻りいただけますか?」
男は無言のクラウドの腕をとると、その背に銃を突きつけた。
一階に下りると、ザックスが待っていた。
「楽しいパーティーの最中にゴメンネ〜」
「楽しくはないがな。それで、資料は」
「ハイハイ、コレ」
オープン前の人気のないブティックへ入り込み、ザックスは持ってきたファイルをセフィロスに渡す。
「コレ、パーティーで見た顔あるかな」
ファイルを開き、ザックスはそこに挟んであった何枚かの写真を示した。
「これは、ミズ・リーの連れ。ミスター・グレイティスの養子。ミセス・マギーのツバメ。ミズ・ジンジャーのフィアンセ」
関心のない顔をしていながら、挨拶してきた全員の顔と名前はきちんと覚えていたようだ。
セフィロスは会場で見た顔を一つ一つあげていくが、最後の写真で手が止まった。
最後の一枚は、黒サングラスに黒い帽子で顔がはっきりと分からない。
「これは、…分からないな。見かけたような気もするが」
「あー、やっぱり?多分、コレが下着屋の彼女の口封じた実行犯。顔データがコレしか見つからなかったんだ」
「詐欺師グループの内偵だったんじゃないのか?」
「彼女の最後の情報分析したら、アバランチの分派の武闘過激派と一部で繋がってたことがはっきりしたんだ。彼女殺したのは、詐欺師連中じゃなくて、そっちの奴」
「アバランチの分派?」
「建前なんてなんも無しの、『金持ちが悪い、全部悪い。思いしらせてやる』つータイプの連中。若い奴ばっかりで、結婚詐欺やらで稼いだ金が資金源」
ザックスは優男揃いの写真をぴらぴらさせながら言った。
「アジトに踏み込んだら、もう幹部連中はトンズラこいた後だったんだけど、下っ端が残された物資あさりとかしていてくれて助かった。吐かせたら、一部の連中がまだミッドガルに残ってるってのが分かったんだ」
「それが、ココか…」
セフィロスは階上を見上げた。
「どうする?俺達の仕事じゃないと思うけど」
「分かってるなら聞くな。クラウドを連れて引き上げるだけだ」
「メンバー、すでに入り込んでるわけだし、ここで騒ぎ起こすかもよ」
「オレの知ったことではない」
やれやれ、と言いたげに肩をすくめるザックスを残し、セフィロスはフロントに近づくと、支配人に声をかけた。
「1503だが、連れに連絡を取りたい。つないでくれ」
「はい、セフィロス様。少々お待ちください」
支配人は内線を操作して1503の部屋を呼び出した。
ややあって、困惑げにセフィロスを見る。
「お出になりません。バスルームを使っているのでは?」
セフィロスは眉を寄せた。あの少年がシャワーを使うとは考えられない。
「部屋の外に出られているのかもしれませんが、……もう一度呼び出してみます」
「いや、いい」
不吉な予感に顔を顰めたザックスに目を向け、セフィロスは直接様子を見に行こうとエレベーターホールに向かった。
「おい…?」
ザックスが声を上げる。
操作ボタンから光が消えている。フロントを見やると、支配人は驚愕の顔で受話器を耳に押し当てている。
「何かあったのか?」
駆け寄ったザックスを、支配人は蒼白の顔で見た。
「管理制御室から――16階以上のコントロールが不能になったと伝えてきました。エレベーターは現在全基停止、非常階段も16階登り口で防火扉が作動してVIPフロアは現在、孤立しています」
パーティー会場は、しんと静まりかえっている。
当然だ。
マシンガンを抱えた男達が5人、会場を占拠しているのだから。
テラスに続く窓とドアから離れた壁に背を向けた状態で座らされた客達を見張っているのは、一人。
5人中4人が客として入場してきた男達で、彼らをパートナーとして連れてきた女性達は顔面蒼白で半分意識が飛んでるように見える。
2人は部屋の外を警戒し、1人は会場の隅に設置されていた管理パネルにケーブルを何本も繋いだ端末を操作している。
クラウドはアンバー夫人と一緒に他の客達とは少し離され、端末操作している場所の近くに座らされていた。
彼らの横には、ホテルマンの服装をした男がいて、銃口を向けている。
「コントロール、うまくいった」
端末を操作している男がそう言うと、ホテルマンは頷いた。
「一階の状況を知りたい。監視カメラの映像、出せるか?」
「楽勝、楽勝〜〜〜」
軽い態度で男は親指を立てる。まるでゲームのようだ。
端末に繋いだディスプレイに動画画面が開く。
フロント正面の監視カメラが捕らえた映像が、リアルタイムで映し出されている。
当然のことだが、すでにミッドガル市警の警官が押し掛けてきている。
その画面の隅に写る長身の姿に、ホテルマンはにやりとした。
館内の捜索に向かった警官が数組の男女を連れて降りてきた。
15階分階段で下りて来たので、疲労の色が強い。
用意された部屋で休息をとっていた老年の夫婦3組、パートナーと楽しんでいたカップルが2組の10人が人質になるのを免れていたようである。
絡み合っていた真っ最中に警官の訪問を受けたカップルは、自分たちを幸運とは考えておらず、女の方は時折ヒステリックに警官に殴りかかり、男の方は着崩れたスーツ姿でげっそりしていた。
一緒に捜索に向かっていたザックスが、ひと揃いの青い靴をセフィロスの前に差し出した。
「1503号室。これだけ残ってた」
セフィロスはわずかに眉を寄せる。部屋に入ったとき、足が痛かったのかクラウドは靴を脱いでいた。自ら部屋の外へ出たのなら、靴は履いていく筈だ。
「他の部屋の客は無視で、クラウドだけはさらっていったって訳だ」
ザックスは不安が的中したことを知った。
「セフィロスのパートナー」は、彼らにとってかなりの価値のある人質に違いない。
「ヘイ、レディ」
ホテルマンがクラウドを呼ぶ。
「あんたの彼氏が心配そうにしてるぜ。安心させてやりな」
ホテルマンは厭がるクラウドを引き寄せると、館内マイクのスイッチを入れた。
『レディースアンドジェントルメン〜聞こえてるかい?こちら16階だぜ〜』
ふざけた声がスピーカーから響いた。
『みんな眉間にしわ寄せちゃって、マジになるとつまんないよ〜〜。別にさ、大したこと無いから大丈夫、ダイジョ〜〜ブ』
「大丈夫って、なにがさ…」
さすがのザックスも脱力する軽さだ。
『そっちがさ〜要求ちゃんと飲んでくれたらさ、人質、全員ちゃんと帰すからさ。証拠に北側従業員専用エレベーター覗いてみ』
その言葉に、捜査員が何人か走っていく。
『要求言うからさ。ちゃんと聞いてよね。こっちの要求は、現金で500万ギル、それと屋上へリポートに脱出用ヘリ』
500万ギルという金額に、ロビーにいた全員がどよめいた。支配人は今にも卒倒しそうだ。
『あー、金に関してはさ、心配しなくていいの。ココにいる紳士淑女のみなさんがカンパしてくれるって言うからさ。あんたらは、ココの連中が振り込んだ金を現金化して持ってきてくれればいいの』
捜査の指揮をとっている市警の警部が館内マイクのスイッチを入れる。
「今何時だと思ってる。銀行はすでに業務終了だ。振り込みも現金化もできるわけがない」
『だったらさ〜〜〜誰か立て替え払いしてよ』
笑い声が響き、警部は憮然となる。
『あんまり頭悪いこと言わないこと。ネットバンキング使えば、24時間金の移動は可能でしょ。後は現金化すること。これはさ、銀行の頭取でもなんでもたたき起こしてやってよ、非常事態なんだから。なんたって、こっちには神羅の英雄の本命の彼女がいるんだぜ。彼女、見捨てていーの?』
セフィロスが黙って前に進み出た。無言のまま、監視カメラを睨み付ける。
『うわー怖い。神羅の英雄に睨まれちゃった〜〜〜』
声はあくまでふざけている。
『ほら、彼女。何か言ってやって〜〜そんなに怒っちゃいやん〜とかさぁ』
何かぶつけたような音に、短く上がる声。
『ほら、これ。マイクに向かってちゃんと言うんだよ。助けて、私を見捨てちゃいやんってさぁ』
少しの間が空く。そして、躊躇いがちの小さな声がスピーカーから流れる。
『サー……』
「ルリ、無事か?」
マイクに向かい、セフィロスは普段と変わらない落ち着いた声で語りかけた。
『……大丈夫です…ごめんなさい…』
「謝ることはない」
また、間が空く。
犯人が焦れたようにクラウドを急かす。
『ほら早く。ちゃんと言うんだ。私を助けてって』
『…すみません、私が迂闊にドアを開けたりしたから……まさかホテルのスタッフが…』
殴りつける音でクラウドの言葉が遮られた。
『余計なことを言うんじゃねぇ!』
会場内で悲鳴が上がる。女性の泣き声、助けを求める声。年老いた女性の声が悲壮に響く。
『ああ、神様!なんて事を!こんな少女を殴るなんて!』