3日目
5
男がマイク片手に要求を語っている。
500万ギルを人質が払うという話は本当だ。
会場を占拠し、人質をひとまとめにした段階で、男達は彼らに身代金として合計500万ギル支払うよう要求していた。
銃を突きつけられた状態で拒めるはずもなく、彼らは震えながら自分たちの会社や家に連絡を入れ、指定の口座に振り込むよう泣きながら指示していた。
おめおめと人質にされた悔しさで唇を噛むクラウドの耳に、喜々として語る男の「神羅の英雄の本命の彼女がいるんだぜ」の言葉が届く。
端末のディスプレイには、カメラを睨んでいるセフィロスが映っている。
「うわー、怖い。神羅の英雄に睨まれちゃった〜〜。ほら、彼女。何か言ってやって。そんなに怒っちゃいやん〜とかさ」
男はクラウドを強引に引き寄せた。引っ張られてバランスを崩し、肩が壁にぶつかる。思わずあげた小さな声に、男はにやりとした。
「ほら、これ。マイクに向かってちゃんと言うんだよ。助けて、私を見捨てちゃいやんってさ」
まっすぐに顔を上げているセフィロスの姿に、クラウドは苦しくなった。
気を遣わせて、面倒かけて、挙げ句の果てに人質になって、こんな奴の言葉を延々聞く羽目に陥らせて、なんて自分は馬鹿なんだろう。
「サー…」
ようやく声が出た。『ルリ、無事か』と、気遣う声が聞こえる。
悲しくなった。
「……大丈夫です、…ごめんなさい…」
言葉を絞り出すようにして口にすると、すぐに「謝ることはない」と返事が来る。
ごめんなさい、どうしよう。
本当に迷惑をかけてしまった。
言葉に詰まったクラウドを、男が急かす。
「ほら早く。ちゃんと言うんだ。私を助けてって」
助けて、なんて、口が裂けても言えない。言えるわけがない。
「……すみません…」
情けなさに涙がこぼれそうになる。
「私が迂闊にドアを開けたりしたから。……まさか、ホテルのスタッフが…」
突然殴られ、クラウドの身体が床に叩きつけられた。
「余計なことを言うんじゃねぇ!」
脅えて震えていた人質達は、その凶暴な声がスイッチだったかのように一斉に悲鳴を上げた。
「助けて!」「死にたくない!」「神様!」
泣きわめく声が響く中、アンバー夫人は倒れたまま蹲るクラウドをかばうようにその身体を抱きしめると、男に向かって毅然と叫んだ。
「ああ、神様!なんて事を!こんな少女を殴るなんて!」
男は目をぎらつかせながら、自分を睨み付ける老女を見下ろした。
騒然となった会場に舌打ちすると、アンバー夫人を突き飛ばして朦朧となっているクラウドを引き起こす。
「やめて!その子になにをするの!」
「うるせぇ、ババァ!殺すぞ!」
男は怒鳴ると、クラウドの身体を揺さぶった。
スピーカーからはセフィロスの声が響く。
『ルリ!大丈夫か!貴様、ルリに何をした!』
「おーおー、神羅の英雄も彼女のこととなると、必死の声をお出しになるようで」
セフィロスの呼ぶ声にクラウドの意識が戻った。
何度か深呼吸を繰り返し、頭をふる。まだ少し目の前がチカチカしているが、なんとか意識は保てそうだ。
「騒ぐなよ、神羅の英雄。たかが小娘1人にみっともねぇぜ」
揶揄する声にクラウドは怒りを感じた。こんな連中に、セフィロスが愚弄される謂われはない。
「おーや、レディも俺を睨んでる。気の強いことで」
男はクラウドの顎を掴むと、顔を正面から覗き込んだ。ひるまずににらみ返すクラウドに、男は歪んだ笑顔を浮かべた。
「そんな顔すんなよ。ほんとは怖いんだろ。あーらまあ、唇から血が流れてるじゃない。切っちゃった?仕方ないよね、余計な事言うあんたが悪いんだからぁ」
男はくくっと笑った。
監視カメラが伝える映像には、鋭い目線を向けるセフィロスと、蒼白な支配人、ぎりぎりと唇を噛む市警の警部の顔が写っている。
「こっちの映像も見せてやれれば良いんだけどね。そちらさんが言うこと聞いてくれないと、この綺麗な彼女の顔、唇の傷程度じゃすまなくなるよ」
男は挑発を繰り返す。
「早いとこ、金、持ってきてよね。ほら、彼女からもお願いして」
クラウドの前にマイクを突きつける。
「私を助けて、って、そう言うんだよ」
クラウドは大きく息を吸った。
こんな男の言うことなど、絶対に聞くものか。
「絶対にそんな事言わない」
男の目が凶暴に光る。だが、クラウドは怯まなかった。
「助けてなんて、絶対に言うものか」
再び殴りつけられた。
『ルリ!』
セフィロスの声が聞こえたが、腹を蹴られ、目の前が暗くなって意識が遠のいていく。
「止めて、こんなお嬢さんに!止めて!」
アンバー夫人が泣く声が頭のすぐ上で聞こえた気がした。
『随分と強情な女飼ってんだな。英雄さんはよ』
幾分呆れた声がロビーに響く。
『分かってると思うけど、ソルジャーの介入は無し、な。もし、なんか企んでるような様子見せたら、彼女の可愛いほっぺたに筋が増えると思っとけよ。あんたはその辺の連中がさっさと仕事こなすように、ハッパかけてくれてりゃいいんだ』
セフィロスは完全に表情を消したまま監視カメラを見ている。
通信は途絶えたが、こっちの様子は見ているはずだ。
警官の陰に潜むように壁際に控えていたザックスは、髪をガシガシとかき回しながらセフィロスの方へ一歩踏み出す。
声が聞こえた。
「こっちに来るな。カメラの範囲内にはいる」
「は?」
セフィロスは殆ど唇を動かすことなく、ごく低い声で話しかけてきた。ソルジャーの聴覚でなければ聞き取れないほどだ。
ザックスは足を止めた。
「黒サングラスの男が分かった。フロア係のチーフを務めていた男だ。顔データが手にはいるなら、写真と照合してみればいい。骨格が同じなはずだ」
「分かった」
ザックスは普通に話しているが、セフィロスの声は周りには聞こえない。1人で話をしているように見えるザックスに、周囲の不審外な視線が突き刺さる。
それに気が付き、ザックスはまた髪をかき回した。
「……フロア係のチーフの顔写真ある?」
「履歴書に添付されてますが、それが何か?」
「テロリストの疑いがある。照合したいから、それ貸して」
支配人は仰天した顔で口を大きく開けた。
「……まさか、チーフが連中の仲間だとでも?」
ザックスはちらりとセフィロスを見た。目線だけで頷いてくる。
「そのまさからしい。ルリが言ってたホテルのスタッフ、そいつが手引きしたと見て間違いない」
「……なんという…彼は、アンバー社長の紹介で雇い入れた男です」
「詐欺師集団の一員でもあるから、社長も騙されてたのかもな。とにかく、写真」
「照合はこちらでやります」
警部が申し出る。支配人の指示で管理制御室から従業員のデータが呼び出され、数分後には写真が届いた。警官が二枚の写真を持って足早に出ていった。
「ザックス」
呼ばれて振り向いた。相変わらずセフィロスは無表情で、唇も動いていないので、声が聞こえるのが不思議に思える。
「指揮権をオレによこすように警部に伝えろ」
「手ぇだすの?」
「ソルジャーの女を人質に取るのが有効だという前例を作るわけにはいかない。徹底的に叩きつぶす。ソルジャーの身内に手を出すことが、どれだけ割に合わないか。他のテロリストにも伝わるように派手にな」
「……りょーかい」
ザックスはそのまま警部に伝えた。不本意そうではあるが、英雄に逆らうほどの度胸は無さそうな男はそのまま頷く。
「では、我々は今後どう動けばいいのでしょう」
「とりあえず、要求を叶えるように動いて」
警部は銀行と交渉するためにロビーから出ていった。
つばを飲み込み、ザックスはセフィロスの次の言葉を待つ。
「これから言うことは復唱は無用だ。グラビラ、グラビガが使える者を何人か揃えろ。お前の小隊でまかなえなければ、待機中のソルジャーを呼びつけてもいい」
「どうするのさ」
ザックスもセフィロスと同じ会話術に切り替えた。2人以外、話の内容を聞き取れる者はいない。
「15階のパーティー会場の真下から、上階に向かってグラビガを広範囲でかける」
「天井抜けるぞ」
「それでいい。パーティー会場の床に穴をあけろ。後はそこから突入。混乱に乗じてテロリストどもを掃討する。捕虜は要らない」
「人質も巻き込まれるぜ」
「現場指揮はお前に任せる。人質を無事に救出したければ、お前が上手く采配することだ」
「指揮能力不足の汚名返上のチャンスをくれるって事かな」
「上手くやればな」
セフィロスは酷薄な笑みを口元に浮かべる。
「クラウドだけは必ず救出しろ。あれに何かあれば、ミッションは失敗だ」
「りょーかい……」
ザックスはソルジャー達に連絡を取るために本部へと急ぎ戻っていった。
ふっと意識が浮上した。
クラウドは息が詰まるような腹部の痛みを感じ、身を捩ったまま呻く。
「気が付いたの?ああ、よかったわ」
上から覗き込む夫人の顔が見えた。
「……私、気を失ってましたか…?どのくらい…?」
顔を顰めながら聞くと、夫人はほっとした笑みを見せた。
「そうね……2、3分くらいかしら…5分は経ってないと思うわ」
華奢な腕時計をみながらそう答える。
クラウドが頭を抑えながら体を起こすと、背中を支えてくれた。
見回すと、男達は警戒をしながら何か相談しているようだ。
「勇気がおありなのね。でも、こんな時に逆らうのは無謀よ」
アンバー夫人はあきらめきったような笑顔でそう語る。
その通りなのは間違いない。クラウドは疲れた顔で笑った。
「それは分かってますけど……」
なに?と言いたげな顔で夫人が首を傾げる。
「これ以上、サーの足手まといになりたくなかったんです」
無表情で呟くクラウドを、夫人は首を傾げたままで眺める。
ややあって、孫を見るような優しい目で微笑んだ。
「分かるわ。大事な人の足手まといにはなりたくないって気持ち。私もそうだったもの」
アンバー夫人がくすっと笑う。少女のような笑顔だ。クラウドはその顔を見つめた。
「主人が生きてた頃の話ね。あの人、仕事はとにかく熱心な研究者だったんだけど、商売が下手くそでねぇ。私、あの人が開発した製品をなんとか売り出したくて、必死で勉強したの。あの人の力になりたくて、あの人の仕事をみんなに誇りたくて、頑張ったわ。亡くなる直前、『お前と一緒になって良かった、ありがとう』って言われて、本当に、私の一生は無駄じゃなかったんだって、そう思った…」
少し遠くを見つめるような切ない表情をしながら、アンバー夫人はクラウドに微笑みかける。
「あなたの気持ち、きっとサーにも伝わってるわ。大丈夫、サーは頼りになる人ですもの。絶対に、あなたを助けに来てくれるわ」
「ありがとうございます…ミセス」
力づけようとしてくれる夫人の気持ちが嬉しくて、クラウドは素直に礼を言った。
「大丈夫ですよね、きっと…みんな、助かります」
アンバー夫人は微笑みながら頷く。
「そうね。きっと、大丈夫よ。身代金さえ払えば、きっとね」
意味ありげなセリフに、クラウドは違和感を覚えた。
それの理由が分からないまま、当たり障りのない慰めの言葉を口にした。
「アンバー社長は一番最初に電話かけてました。きっとすぐに解放されます」
「……そうね。……あの子…」
アンバー夫人は意味深な笑みを浮かべたきり、口を閉ざした。
訳が分からないまま、クラウドは夫人の隣に座り直し、こっそりスカートの隙間に手を入れる。
拳銃に手が届く。初弾は装填済みで、安全装置を外すだけで発射は可能だが、今は使い時ではない。
これ一丁でどうにかなると思えるほど、クラウドは楽天的でもなければ自信家でもないが、せめて自分を励ましてくれる優しい女性だけは絶対に守らなければいけない、と強く思う。
そう思うことで、クラウドは自分が落ち着いていくのを感じた。
助けはきっと来る。
その時にもたつかないよう、冷静でいなくては。