3日目
7
夫人を盾にするように男は廊下に出た。
「お前も来い。ババァを死なせたくないならな」
憎々しげに命令する男にクラウドは従った。
悔しいけれど、夫人が人質になっているのに1人だけ逃げるわけにはいかない。
「おい、エレベーターボタンを押せ」
言われるまま、屋上に向かうエレベーターのボタンを押した。
待つまでもなくドアが開く。
男はクラウドを先に乗せると、夫人を突き飛ばすようにしてエレベーターに乗せ、最後に自分が乗り込んだ。
閉まりかけたドアの向こうにザックスが見える。
男は懐から何かを取り出した。
「これ以上邪魔するなよ」
ピンが抜かれた手榴弾がザックスの足下に落ちる。
「ザックス!」
ドアが閉まる直前、ザックスが横に飛ぶのが見えた。
上昇するエレベーターが爆発の衝撃で一瞬揺れる。
「ああ、神様!」
夫人が叫ぶ。
あれくらいで死ぬわけがない、とクラウドは思った。そう信じたかった。
「隊長!」
副官が駆け寄ってきた。ザックスは床に尻餅を付いたまま頭をふる。多少擦り傷ができた程度で、ほぼ無傷だ。直撃を受けない限り、手榴弾程度では1stソルジャーにさほどダメージは与えられない。
「ああ、こんちくしょう!階段だ、階段!」
ザックスは一動作で飛び起きると、階段に向けて突進した。
屋上にエレベーターが到着するまでかかっても20秒程度だ。
ひっくり返っている間に時間をロスしてしまったが、まだ逃亡を阻止するには間に合うはずだ。
でも、人質の命はどうだろうか。
20秒あれば生身の人間は殺せる。人質は2人もいらないだろう。
どちらの命も失いたくなかった。
突入開始したとの報告がセフィロスの元に届いた。
これでもう案山子のように突っ立っている必要もない。
「インカムをオレにもよこせ」
セフィロスがそう言うと、ロビーの端に控えていた兵士が直ちに差し出した。
イヤホンマイクを身につけ、セフィロスは突入部隊を呼び出す。
「オレだ。現状報告しろ」
『ザックス小隊、スプラウトです。サー』
「どうなってる」
『現在、人質29名を保護。軽傷が数名で重傷者は居ません』
「人数が足りないな」
『まだソルジャー部隊の確認が終わっておりません。分かり次第、報告します』
割り込むようにザックス小隊副官のショーンの報告が入った。
『報告します、サー』
「状況はどうだ」
『テロリスト4名の死亡は確認。1名が人質2人を連れてエレベーターで屋上に逃亡。現在、ザックス隊長が追っています』
「人質の名前は分かるか」
『ストライフと主催のアンバー社長のご母堂です』
セフィロスは舌打ちをした。
「オレも今からそちらに向かう。念のため、医療チームを屋上に向かわせろ」
『了解』
踵を返しかけたセフィロスは、背後にひっそりとたたずむ男に気が付いた。
中年のタークスだ。
「何しに来た」
「これは、我々のヤマでしたので」
「見届けに来たのか」
「お察しの通りです」
セフィロスは口元だけで笑った。人を巻き込んで置いて、見届けるだけか。
「お前も来るか」
「お供します」
殊勝に後をついてくる男に、セフィロスはエレベーターではなく階段を駆け上る事に決めた。
中年とはいえタークスだ。途中で疲れた、などとは言うまい。たとえ疲れたとしても、気遣ってやる気などなかった。
これも給料分の内だ、頑張って走れ。
■■■□□
エレベーターの扉が開く。
正面にはヘリポートへ続くガラス戸。夜間灯が鎮座する小型ヘリを照らしている。
男はクラウドをエレベーターの外へ突き飛ばすと、身体で扉を押さえるようにしてアンバー夫人を睨んだ。
「あんたはここでおさらばだよ、ババァ」
そう言って手榴弾を取り出し、ピンに指をかける。
ひっと掠れた声を上げ、アンバー夫人はエレベーターの角にすがった。
とっさにクラウドは男に飛びつくと、ピンにかけられた手ごと手榴弾の安全レバーを握った。
「小娘、手を放せ!」
男はクラウドをふりほどこうとして大きく腕を振り回す。クラウドは振り回されながらも脚をドアの間に挟ませ、アンバー夫人に向かって必死に声を上げた。
「早く、早く出て!」
夫人は完全に体が竦んでしまったようだ。膝が立たず這いずるようにして進むと震える指でオープンボタンを押し、もみ合っている2人の足下をようやく通り抜ける。
「くそババァ」
男が大きく腕を振り上げ、クラウドは跳ねとばされた。
弾みでピンの抜けた手榴弾が男の手からすっぽ抜ける。
「このガキ!」
男は声を荒らげると、慌てて爆発間近の手榴弾をエレベーターの閉じかけのドアの内側に蹴り込んだ。
クラウドは腰が砕けたようになっているアンバー夫人を必死で引きずった。とにかく、何か身体を隠せるところまで。すぐ近くに見えるロッカーが遠くに見える。
「伏せて!」
なんとかロッカーの影に身を潜めた途端、エレベーターが内側から爆発した。
扉が吹っ飛び、破片と火炎が吹き出す。
夫人の金切り声が響き、爆音と悲鳴でクラウドは鼓膜が破れるかと思った。
爆発は昇降路に添って衝撃を下まで伝えた。
轟く爆音にようやく助かったと息をついた救助者達は悲鳴を上げる。
「大丈夫です。ここは安全です!」
その場を仕切るショーンと1stソルジャー達が安心させるように声をかける。
「サーセフィロスもこちらに向かっています。大丈夫です」
セフィロスの名を出した途端に、救助者達の混乱が収まった。
英雄がいれば、何があっても大丈夫だと思っているようだ。
彼が救出しようとしたのは、少女のフリした兵士だけです。
あなた方のことは視界に入ってなかったんですよ。
ショーンは化粧もヘアスタイルもぐちゃぐちゃに崩れたレディ達を見ながら、意地悪くそう考えた。
なんだか視界がぐらぐらする。
怪我はしてないはずだ、痛いところはない。
クラウドは伏せていた頭を上げた。
舞い上がった粉塵の所為で視界は良くない。
よたよたと歩きながら周囲を見回す
黒煙を吸い込んで、喉が痛い。
靴を履いていない足の裏がまだ熱い破片を踏み、クラウドは顔を顰めた。
エレベーターの扉は大破し、下に向かって黒々とした穴が続いている。
男はどうしたのだろう。自分たちよりも爆心に近いところにいたはずだ。
煙の中から手が伸びたことにクラウドは気がつかなかった。
気がついたときは、血まみれの手に首を捕まれ床に押し倒されていた。
「このくそアマ……てめぇは助けてやろうと思ってたのに」
片目を潰した男がきしむ声を歯の間から絞り出す。
「もうゆるさねぇ、英雄の女だろうが知ったことか。裏ルートでなぶり者にして売り飛ばしてやる」
片手でクラウドの細い首を締め上げながら、男は銃を握った手をアンバー夫人に向けた。
「てめえは大人しく死ね」
夫人は顔を上げたが、状況が理解できていないようだ。疲れ切った老女の目では、男が持った銃が見えていないのかもしれない。悲鳴を上げることもなく、座ったまま動かない。
クラウドは視界が暗くなるのを感じながら、それでも腕を動かした。
堅い物が指に触れた。
身体の上には血まみれの顔で老女に銃を向ける男。
クラウドは床に投げ出されたように見える腕を僅かに上げた。
厚みのあるスカートの一部が不自然に持ち上がる。
クラウドは指に力を込めた。
銃声が響く。
階段を駆け上ったザックスが屋上エレベーターホールに到着した、その瞬間だった。
その場にたどり着き目にした物に、一瞬ザックスは遅かったのかと思った。
二度の爆発の衝撃で緊急安全システムが誤作動し、階段が封鎖されかかったのだ。
すぐに管理制御室が解除したが、そこでまた時間のロスが出た。
ザックスは焦燥で気が狂いそうだった。こんな不安定なシステムを開発した会社も、採用したホテル側も、みんな纏めてぶっ潰れてしまえばいい。
あの爆発に巻き込まれていたら、生身のクラウド達はひとたまりもない。
まだ煙を上げる破片が散らばるホールの片隅に、壁に背を預けて呆然としている老女が見えた。
ザックスは駆け寄ると老女の身体に手をかけた。
「ミセス!意識はありますか?」
目を見開いたままの老女は、ぱくぱくと何度か口を開いて何か話しかけたが、声は出ない。目線だけがしきりと何かを訴えている。
ザックスは振り向いた。
老女が見つめる先で、2人の人間が重なって倒れている。
赤く染まったドレスに金髪が散らばる。
その上に大きな黒服を着た男。
「クラウド!」
ザックスは自分が泣き出すかと思った。
傍らに滑り込むように膝をつくと、男の身体を横に投げ出し、少年を抱き起こした。
ドレスのスカートに穴があき、そこから硝煙が登っている。
「……大丈夫」
喉を痛めたのか、掠れた声で少年が答える。
青いドレスは血で真っ赤だ。
クラウドは痛そうに顔を顰めると、自分で身体を支えて座り直し、動かない男を見た。
「……ごめん、まだ死亡確認してない」
「……お前、こんな時に真面目な事言うなよ」
安堵でザックスは笑い出したくなった。
クラウドは生きていて、自分で体を動かして、頭もちゃんと働いているようだ。
自分で自分の身を守り、そしてあの老女も守り通した。
ちっこいくせに、大した奴だとザックスは泣き笑いで考える。
男を仰向けにし、首筋に手を当てて脈を確認する。目を開けば瞳孔は完全に開いている。
間違いなく死亡だ。喉元に大穴があいている。
訓練兵の大手柄だった。
「すぐに下に連れて行って、休ませてやるからな」
ザックスは浮き立つ気分でインカムの通信スイッチを入れた。
「こちらザックス」
『ザックスか、状況を報告しろ』
「あー旦那。大丈夫、テロリストは射殺。人質2人は無事。ただしちょっと怪我してるし、ばあちゃんはだいぶ衰弱してるから医療班送って」
『もう向かわせてある』
「サンキュ、じゃあ、応急手当てしたら一緒に戻る」
機嫌良く通信を終わらせ、ザックスはクラウドを振り返った。
「じゃあ、ちょっとだけ休もうか。足痛いなら、おにーさんが背負って降りて……」
軽口をたたきかけたザックスは、途中で口をつぐんだ。
クラウドは蒼白になり、ガラス玉のような目で死体を見ている。
無表情で、見たくないのに目が離せない、そんな顔だ。
「クラウド?」
ザックスの呼びかけにも反応がない。
「クラウド……」
肩に手をかけると、クラウドはびくりと震えて目を伏せる。
「……お前、人を殺すの初めてだった?」
クラウドは少しの間身動きしなかった。
ややあってから、ようやくこくんと頷く。
「……そか」
ザックスは次の言葉が見つからない。
兵士である以上、遅かれ早かれ体験することだ。
だが、クラウドはまだ14才で訓練兵だ。
本来ならば、よほどの非常事態でもない限り実戦には参加しない。
ましてやこれは一対一だ。
人の命の消える瞬間を、クラウドはダイレクトに感じたことだろう。
「大丈夫だよ」
ザックスの気持ちを感じ取ったようにクラウドは呟いた。
「どうせ、いつかは経験することだから――慣れるよ」
力無く首を傾げた格好で、クラウドは自分よりも高い位置にあるザックスの顔を仰ぎ見る。
「大丈夫だよ」
クラウドはもう一度言った。
蒼い目に涙が盛り上がっている。
「ちゃんと慣れるから」
ザックスは黙ってクラウドを抱きしめた。
「あんたの方が辛そうだよ」
クラウドは言った。
泣いているのに、口調は乾いたままの少年。
それが酷く哀れだと、ザックスは思った。