3日目
8
医療班が到着した。
手早く簡易担架を組み立てる傍らで、衛生兵がアンバー夫人の様子を確認している。
「医療キット一つよこして」
ザックスは血で汚れたクラウドの顔をごしごしと力任せに拭いていた。乾いた布でこすられ、少年は相当痛かったらしい。思いっきり顰め顔になっている。
兵から手渡されたバックを開け、ザックスは中からウェットタオルを取りだした。
「ほら、顔拭いて」
それをクラウドに渡し、ザックスは消毒液のしみこんだコットンと傷テープを取り出す。
薄いショール一枚羽織っただけの背中や腕は、本人が気がついていなかっただけで擦り傷切り傷だらけだ。背中に一つ長い切り傷が出来ていたが、深くはなかったらしく血はさほど出ていない。破片を踏んだ足の裏の方が酷かった。
「ちょっと我慢しろよ。破片取り除いたら、後で旦那にケアルかけてもらうから」
「あんまり痛くない」
「今は興奮してるから感じないんだよ。ちゃんと手当てしねーと。火傷もしてるし、あとで寝れなくなるぞ」
ピンセットを使って欠片を取り除き、消毒をしてからおおざっぱに包帯を巻いた。
一通り治療が終わるのを見計らっていた兵士が声をかけてきた。
「ソルジャーザックス。夫人がレディにお礼を言いたいと仰ってますが」
クラウドはよろけながら立ち上がった。
「抱っこしてやるぞ」
「いい、歩ける」
差し出されたザックスの手を断り、クラウドは担架に乗せられ点滴を付けた夫人の傍らに歩み寄る。アンバー夫人は青い疲れ切った顔にほほえみを浮かべて手を伸ばす。
クラウドの手を握りしめ、噛みしめるように言った。
「ありがとう。あなたのお陰よ。あなたが居なかったら、私、きっととっくに死んでたわ。
ありがとう、あなたの優しさと勇気に神様の祝福がありますように」
クラウドは僅かに目を見張った。
唇を噛み、言葉を紡ぐこともせず、じっと夫人を見つめている。
夫人はもう一度「ありがとう」と言うと、大きく息をついて目を閉じた。衛生兵が酸素マスクを付けてやる。
「少し揺れますが、少しの間です。すぐに病院に運びますから、もう少しだけ我慢してください」
ザックスが言うと、夫人は力無く頷き、そして兵士達に運ばれていった。夫人を乗せた担架が階段を下りていくのを見送り、ザックスはクラウドに背を向けて膝をつく。
「ほら、下までおんぶしてやる」
「いいよ、歩けるから」
「いーから、無理すんな。足の裏、化膿したら、訓練休まなきゃなるぞ」
そう脅され、クラウドは仕方なくザックスの背中におぶさった。
その体勢になって気がついた。
血まみれのドレスが自分の目に触れないよう、気遣ってくれたのだ。
揺るぎない足取りで階段を下り始めたザックスに、クラウドは小さな声で礼を言った。
「ありがと」
「いーから、気にすんな。お前軽くて、全然しんどくないし」
軽い口調に苦笑が漏れる。
「ザックス、優しいな。女の人にもてるだろ」
「それがなぜかすぐに振られるんだよね。これも、俺がいい人過ぎる弊害?」
ザックスはしくしくと泣き真似をする。それが可笑しかった。
背中から聞こえた小さな笑い声に、ザックスは安堵する。
人を死なせて衝撃を受けないような、そんな人間でいて欲しくない。
でも、いつまでも引きずって、自分を責めても欲しくない。
せめて「ありがとう」の言葉を笑顔で受け入れられるように。
ザックスは複雑な思いに捕らわれた。
これは父性本能って言う奴なのだろうか?
一人っ子だったザックスは、近所の子供相手にお兄ちゃんぶるのが好きだった。
今度はこの子供相手にお兄ちゃんぶってみようと心に決めた。
15階にセフィロスが到着したとき、救出者達はまだ半分ほどその場に留まっていた。
ヒステリックに泣きわめいたり自分の不運を嘆いたりと、兵士に対して八つ当たりできるだけの元気があるならとっとと自力で帰れ、と言いたい気分になる。
そこから少し離れた場所に、落ちつきなく円を描くように歩き回っている男がいる。
セフィロスはその男に声をかけた。
「ミスター・アンバー」
男ははっとした。近づいてくるセフィロスから目をそらし、腕組みをした手をそわそわと動かしている。
「ご心痛、お察ししますよ。ミスター・アンバー」
同情する口調で言われ、男は少しだけ目を上げると横目でセフィロスを見た。一見、母親が心配で気もそぞろな様子に見える。セフィロスは丁寧に告げた。
「先ほど部下から連絡があり、ミセス・アンバーを無事保護したとのことです。少々衰弱しておられるようですが、別段異常はないとのことですので、どうぞご安心を」
男は瞠目した。一瞬、息が止まったように見える。
「――もう駄目だ、と諦めておられた?」
「い、いえ、まさか――」
男は首を振ってセフィロスが口にした問いを否定した。
「ミスター・アンバー。せっかくのバースディーパーティーが台無しになったことに関しては、同情します。その件に関し、少々話があるのですが、つきあっていただけますか?」
口調は穏やかだが、有無を言わせぬ威圧感があった。アンバーはごくりとつばを飲み込み、促されるまま階段の踊り場までやってきた。
下から、息を切らしながらやってくる男がいる。階段を駆け上るセフィロスのペースについていけず、すぐに脱落したタークスの男だ。途中でズルせず階段を登ってきた姿勢だけは評価していいと薄笑いでセフィロスは考える。
タークスはセフィロスとアンバーが居ることに驚いたようだ。汗だらけの顔をハンカチで拭きながら、2人の顔を交互に見た。
「どうかしましたか?」
「お前が来るのを待っていた。場所を移そう」
セフィロスは2人を人気のない場所へと誘うと、唐突に言った。
「お前に聞きたいことがある。答えろ」
自分に向けられた質問に、タークスは驚いてセフィロスを凝視した。
「なんでしょうか?」
「お前はどちらの味方だ。社長か、会長か」
アンバーが険しい顔になった。タークスは少しの間眉間にしわを寄せて質問の意図を考えていたようだが、やがて納得した顔で頷いた。
「どちらの味方でもありません。まあ、強いて言えば、神羅に益をもたらしてくれる方の味方です。……ですが、まあ」
タークスはため息をつく。セフィロスの意図がはっきりと理解できたからだ。
「今回は、アンバー会長相手に紳士的、かつ正統的なやり方で交渉するとしましょう」
「賢いな」
「ところで、サーはいつ気がついたのですか?」
「まともな息子なら、こんなくだらないパーティーに母親を引っ張り出したあげくに、ほったらかしにする訳があるまい」
セフィロスが宛然と笑う。その顔に一瞬見とれていたアンバーは、次に2人の会話に不穏な物を感じて顔を引きつらせた。
「何を仰っているのですか……私には理解できませんが…」
タークスがにこやかにアンバーに向き合う。そして、穏やかに話し始めた。
「アンバー社長。今回の主犯はあなたですね」
アンバーは瞠目したきり声を無くしてしまった。
「ホテルスタッフとしてあなたが推薦した男――この男がテロリストの1人であることをあなたは最初から承知していた。その上で、活動資金を提供し、今回の立てこもり事件を起こさせた。目的は上流階級の人々からの身代金の奪取と、――あわよくばのセフィロスの暗殺。あなたをテロリストグループの1人と判断し、身柄を軍で拘束します」
蒼白になったアンバーはあえぐように叫んだ。
「ち、違う!サーセフィロスの暗殺など考えてもいなかった。テ、テロリストなど、私は――」
「そうしておいた方が、母上にとってはまだ幸せだと思いますがね。それとも、どさくさ紛れの母親暗殺目的だとはっきりさせる方がお望みですか?」
タークスの言い方には容赦がなかった。アンバーは言い訳の言葉も思いつかずに膝をついた。
「アンバー繊維は元は小さな町工場に過ぎなかった。あなたはそれを嫌い、都会に出てえげつないポルノ作品を作り出し、富を築いた。その過程で裏社会ともつながりが出来たんでしょうな。
だが、あなたが家を出た後、アンバー繊維はその品質の高さを評価され、神羅軍に採用された結果、高品質が世界中に広まりあっという間に大企業に成長した。
あなたは父親が亡くなると同時に舞い戻り、強引に社長に就任したものの、実権は未だ母親にあった。当然でしょうね、父君が新製品を開発し、母君が販売ルートを確立した。
あなたは出来上がった場所に突然入り込んだだけだ。
取引先も従業員も、誰もあなたを認めない。
そうしているうちに、神羅によるアンバー繊維買収の話が出た。
あなたは売り払って金を手に入れたかったが、会社に愛着のある母上は乗り気ではない。その結果――あなたは知り合いのテロリストに声をかけてこの事件を起こした。
違いますか?」
語られた内容に、アンバーはもはや否定もしなかった。全て図星だったからだ。
「せめてもの親孝行です。目的は母殺しではなく、金だったと言うことにしておきなさい。それだけでも相当な親不孝ですがね」
タークスはくくっと笑った。どうやら嗜虐的傾向があるらしく、追いつめられた男の姿が心地よくなったらしい。
「そうそう、もう一つ疑惑があります。今回、惜しくも亡くなられたシャーレーン嬢……彼女とは別れ話のもつれでかなり険悪になっていたようですね」
のろのろと自分を見るアンバーに、タークスは優しく微笑んだ。
「軍にはシャーレーン嬢のファンが多いのですよ。……亡くなった真相を知ったら、きっと、悲しむでしょうね……義憤を覚える者もきっと多いと思いますよ」
ザックスは眼下に見えた物に少しだけ目を見張った。
先輩格である1stソルジャー達が、1人の男をつり下げるようにして連れて行くのが見えた。
そしてすぐ下の踊り場には涼しげな上官の姿。
「サーセフィロス」
声をかけると、セフィロスは顔を上げた。
階段を下りてくるザックスとクラウドの顔を見て「ご苦労」と、ねぎらうような笑顔を見せる。
「今、先輩達が連れてったの誰?」
ザックスが問うと、セフィロスはしらばっくれた顔で「ただの事情聴取だ」と答える。
「アンバー夫人は、もう下かな」
「ああ、優先的に下へ送った。すぐに病院に搬送されるはずだ」
「……よかった」
ザックスの背中でクラウドが吐息のような声で呟く。
セフィロスがゆっくりと近づいた。ザックスの隣に立ち、クラウドの頭を撫でる。
「酷い有様だ」
「もう、英雄の恋人役はこりごりです」
本気の顔で訴えられ、セフィロスは苦笑を浮かべる。
「こりごりか」
「こりごりです」
クラウドは断言する。
「それは残念だ」
苦笑のままでセフィロスは頷く。そして
「悪かった」
と、言葉少なく謝罪する。
クラウドは身を捩るようにしてザックスの背中から降りると、セフィロスの顔を見上げて言った。
「俺こそ――ご迷惑、おかけしました」
セフィロスはクラウドの全身を検分するように眺めた。青かったドレスは赤く染まり、首や肩にも拭いきれなかった血が散っている。
最後の1人は射殺だとザックスは言った。この子供の指が引き絞った引き金の結果だろうと分かる。
「――お前が詫びる必要はどこにもない」
セフィロスは上着を脱いで少年の頭にかぶせた。大きな男物の上着に視界を奪われ、その突然の布地の重さにも驚いて、クラウドが1、2歩よろめくと、膝裏に腕がかかって掬い上げられるように抱き上げられた。
「サー。歩けます」
「お前の靴はあいにくと紛失してしまった。あの靴がどうしても好きだというなら、探してくるが?」
上着の間から顔を出して抗議するもあっさりと交わされてしまい、クラウドは拗ねた顔になる。まるで小さな子供のように片手で抱えられているのが、何とも納得いかない。
「まあ、足の裏怪我してるし。ちょうどいいから、サーにケアルかけてもらえよ」
ザックスが気楽に口を挟む。
セフィロスはザックスに承知したと言いたげな目線を向けると、「オレはこれを向かいのホテルに送り届けてくる。お前達も点呼をすませたら撤収しろ。後かたづけはタークスと市警がやる」
「りょーかい。じゃ、クラウド。明日の昼頃迎えに行くから、それまでゆっくり安めな」
ザックスはそう言うと、一つ敬礼をして今も忙しなく動いている部下達の元へと走り去っていった。
セフィロスはクラウドを抱えたまま、階段を降り始める。
「階段、行くんですか?俺、やっぱり歩きます」
当然のように申し出は無視され、クラウドは諦め顔でセフィロスの肩に頭を乗せた。
固い体はクラウドの体重など全く感じていないようで、規則的な足の運びは安定感がある。そうやって規則的にゆられていると徐々に眠くなってくる。クラウドが睡魔と格闘していると、不意に低い声が問いかけてきた。
「訓練兵の今なら神羅に忠誠を誓う義務はない。まだ、引き返せるぞ」
一気に目が覚め、クラウドは頭を起こすとセフィロスの顔を見た。緑の瞳がまっすぐにクラウドを射抜く。
「今ならまだ、神羅を止めるのも、軍以外の部署への移転希望も受け付けられる」
「……兵士、止めた方がいいって事ですか?」
「お前には、向いていないと思う」
「……そりゃ、俺が小さくて頼りないって自覚はありますけど…でも、まだこれから訓練積めば」
「そう言う意味ではない」
「じゃあ、なぜ?」
クラウドは必死になって聞いた。ようやくスタートラインに立ったところなのに、まだ何も試していないのに、駄目だなんて言われたくない。
「お前は考えすぎる」
クラウドは虚をつかれて、唖然としてセフィロスを見つめた。
「考えすぎて、人の責務まで引き受けて、いつか重さに押しつぶされそうに見える」
唇を噛みしめ、クラウドは俯く。
「でも、俺は強くなりたいんです」
泣き声になるのだけは、なんとか堪えた。
「重さに耐えられる強さを身につけられるように頑張りますから…」
セフィロスは黙ってクラウドの背を軽く叩いた。子供を宥める動作だ。
「強くなりたいんです」
クラウドは自分に言い聞かせるように呟く。
「ではもう少し肩の力を抜け。いちいち物事を真剣に受け取るな」
セフィロスは間近にある少年の、少し潤みかかった目を見つめた。
「聞きたくない話は聞こえません、くらいのいい加減さを学ぶべきだな」
セフィロスの目が悪戯っぽく光り、クラウドの頬に軽くキスをする。
急に力が抜け、クラウドは泣き笑いの表情で答えた。
「次からは、そうします」