子供の事情と大人の事情

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3

クラウドは磨き上げれた玄関ホールにおそるおそる足を踏み入れた。
軍靴は規則通りに磨いているが、汚したり傷を付けそうで怖い。


「なーにびびってんの。大丈夫だから」
笑いながらザックスがずんずんと奥に行く。
馬鹿みたいに広いリビングを横目に通り過ぎてドアを開けると、長い廊下にまたドアが並ぶ。


「確か、この一番奥が主寝室、旦那の部屋な。リビングの逆側にあったドアは書斎。このふたつは許可無く入ると、正宗の錆になる、そうだ」
ザックスは正宗の錆、と言うところを強調していった。
「ザックスは前に来たことあるの?」
「一回だけ、泊めてもらっとことある。その時、酔っぱらってて、かってにあちこち見て回ってさ。それで旦那に釘指された」
げらげら笑いながらそんな事を言うザックスに、クラウドは本気で呆れた。
ザックスはファーストソルジャーの中では一番のルーキーだと言うが、なんでそんなに近しいのだろう。


「で、その時に俺が泊めてもらって部屋は、次にもまた俺が使わせてもらうとしてーー」
「……かってに泊めてもらうの決定?」
「ここ、バーカウンターもあってさ〜〜ワインもウィスキーもブランデーもいいコレクション揃いすぎてんの」
嬉しそうに笑いながら、ザックスは自分の宿泊先指定してる部屋の隣のドアを開けた。
ちょっとしたビジネスホテル並みの部屋が現れ、クラウドは目眩がしそうになった。
セミダブルサイズのベッドだけでもアレだが、ライティングデスクにサイドテーブル、クローゼット完備。ちゃんとバスルームもついている。


「ここ贅沢すぎだよ、俺、帰りたい」
「お前なぁ、部屋見たくらいでびびるなよ。いつもの度胸はどうしたんだ」
「分不相応だって言ってるんだよ」
「今更言ってももうしょうがないの!ほら、さっさと荷物片づけて」
「う〜〜〜〜」
呻りながらクローゼットを開け、制服をハンガーに掛けた。
バッグの中にあるのは、野戦服やトレーニングウェアなどの殆どが軍からの支給品。私服は数えるほどしかない。
それから箱を開けて洗面具をバスルームに運び、マテリア、戦術戦略論などのテキスト、一般兵利用の武器の分厚いマニュアル、筆記用具等はデスクに。
私物もほとんどない。せいぜいがサイドボードに置かれた古い目覚まし時計くらいだ。


「……お前、荷物少ないな〜〜〜お前ぐらいの年頃なら、好きな女優やタレントの写真とか、CDとか雑誌とかいろいろ持ってるもんだろ」
少なすぎる荷物に、手を出す間もなく様子を見ていたザックスが呆れる。
「俺がそんなもんに金使うと思う?」
そう一言返すと、ザックスは頭をかいて「そーいやそうだな」と笑った。
「ここ、でっかいテレビはあるし、プロジェクターはあるし、オーディオはあるし、そのうち、俺がおすすめの映画とかライブビデオとか、持ってきてやるよ」
空になった段ボールを畳み、バッグと一緒にクローゼットの奥に片づけ終わったところで、家主が帰宅したようだった。


「お帰り〜〜〜」
「…お帰りなさい」
と二人が出迎えると、セフィロスは無言でクラウドを手招く。
「なんでしょうか」と近づくと、セキュリティ用パネルを開き、そこに何かを打ち込んでいる。「そこのレンズを見ろ」と言われてその通りにすると、電子音が『網膜パターン登録完了』と告げる。パネルの液晶部分に8桁の数字が表示され、スリットからカードが一枚排出された。


「これがお前のカードキーだ。認証コードを覚えておけ」
「は、はい」
カードを受け取りながら、クラウドが覚えたての認証コードを復唱する。
「ルームキーパーは週に5日、管理会社から派遣されてくる。仕事内容は掃除と洗濯、食事の支度。洗濯物は洗濯室にあるランドリーボックスに入れておけば翌日に戻ってくる。自分でやりたければ好きにしろ。食事は朝食と夕食一週間分を冷凍していくから、好きな物を温めて食え。要望があれば下のフロントに言えばいい」
セフィロスは事務的に説明すると、「何か質問はあるか」と付け加える。
至れり尽くせりの待遇に、たいていのことは自分でやる習慣が出来ている少年は、ぽかんとするばかりだ。
返事の無さに焦れたのか「質問はないのか」と不機嫌に言われ、クラウドは慌てて聞いた。


「あ、あの、キッチンやその他、俺が自由に使ってもいいんでしょうか」
「オレの部屋と書斎以外は勝手にしていい。どうせオレは殆ど使わん。他には」
「今のところはありません、サー。疑問点が出た時点で逐次質問して良いでしょうか」
「許可する」
「あ、もう一つ質問があります。あの、部屋代とか、生活費とかはどうすれば……」
セフィロスとザックスの呆気にとられた視線にあって、クラウドはそんなに馬鹿なことを聞いたのかと小さくなった。


「クラウド…お前、旦那に寮費払う気だったのか?」
「……だって…」
困り果てて上目遣いでザックスを見やる。理由もなく、セフィロスに養ってもらうわけにはいかない。
「……せめて食事代とか…」
「いらん。どうせこの部屋自体、無駄な管理費をつぎ込んでるようなものだ。必要経費は全て管理費に含まれてる。お前から徴収するにしても内訳がわからん」
おずおずとしたクラウドの言葉をセフィロスは一蹴した。
セフィロスにしてみれば、どうせ年の半分も使っていないような家だ。食事をしてもしなくても、ルームキーパーは毎週新しく料理を作り、手つかずで残っていた分は廃棄する。今まで無駄になっていた部分を、有効利用するだけだ。
クラウドはまだ何か言いたげだが、セフィロスは手を振って黙らせた。


「どうしても気になるというのなら、出世払いで返せ。訓練兵から金を取るほど、オレは困窮していない」
「分りました。では、一人前になりましたら、お返しさせていただきます」
「そうしてくれ。他に言い分がなければ、オレは休む。ザックス、お前も泊まっていけばいい」
「お、いいの?実は俺から言おうかと思ってた。今から帰るのかったるくて」
「明日は寝坊するな。起こしてはやらんぞ」
「イエス・サー!4時に起きるとして、3時間は寝られる」
「え、もうそんな時間?」
クラウドは焦って壁に掛かっていた時計を見た。深夜1時まで後10分ほど。
「訓練兵も朝の6時には練兵場に整列してなきゃ無いんだろ?俺達にあわせなくて良いから、間に合うように起きて行けよな」
「う、うん」
あわただしい引っ越しの後、あわただしいままにクラウドの居候生活は始まってしまった。




4時半にセットした目覚ましがなり、自室を出てみると、部屋の主も、昨夜一緒に泊まったはずの友人も、とっくに出かけた後だった。
出ていった気配に全然気づかず寝こけていたことに多少の自己嫌悪を覚えつつ、クラウドはシャワーを浴びて寝ぼけた頭をすっきりさせた。
着替えをすませ、キッチンに行って大きな冷凍庫を開ける。
中には一食分づつきちんと容器に入れられた料理や、パンやベーグルが綺麗に並べられている。卵料理とロールパンを取り出して電子レンジで温め、冷蔵庫にあったオレンジジュースで朝食をすませた。
なんだか、とても贅沢をしている気分だ。
ベッドカバーもシーツも極上のリネンだし、シャワーは嬉しいことに適温のお湯が豊富に出る。食事も美味しい。冷凍用のプラスチックのプレートは味気ないが、野戦用レーションに比べたらずっとマシだ。まずい食事に不満を感じることはないが、やはり美味しい料理はそれだけで幸せだ。
昨日は突然のことで混乱してしまったが、一晩経ってみると、なんだかわくわくしてきた。
英雄の家に居候という緊張感はさておき、クラウドはこんなに浮き立った気分になるのは、生まれて初めてかもしれない、と思った。



マンションのエントランスに行くと、昨夜と違う人が正面カウンターに座っていて、クラウドを見るとにっこりしながら「行ってらっしゃいませ」と声をかける。
クラウドは焦って「は、はい、行ってきます」と会釈する。
なぜ、自分がここの住人だと知っているのだろうかと首を傾げつつ、ザックスに教えてもらった道を走って基地の西門に向かった。
走ってだいたい10分程度で到着。西門から訓練生の練兵場までは距離があるが、荷物や兵の移動用のカートがあちこちにあるので、それを使う。
部屋を出てから兵舎についてロッカールームで着替えをすませ、装備確認をして練兵場に整列するまで部屋を出てから約40分。5時に出れば楽勝だな、とクラウドは機嫌良く思った。
午前の訓練を終え、昼休みにフルブライト教官に居候先が決まったことを報告に行こうとして、そこでクラウドは現実的な問題にぶちあった。


英雄セフィロスの家に住んでます、なんて、どうやって説明すればいいのだろう。
だいたいにして、緊急連絡先にセフィロス家の電話番号なんて指定するわけに行かない。かといって自分のPHSは持ってない。
でも住居と連絡先を人事に知らせない訳にもいかない。
どうしたらいいのだろう。
クラウドは朝のお気楽な気分を果てしなく後悔した。
不便で汚くて狭かったけど、気楽だった零寮が懐かしくなった。
困り果て、クラウドはこっそりとソルジャー棟の事務室にいるジンの所に相談に行った。最悪、連絡先だけでも貸してもらえないかと思った。


ザックスの仲介でセフィロス宅に居候させてもらう事になった、という話をすると、ジンは別に困る風もなく一枚の書類を出してきた。

「それじゃ、ここに名前書いて。後の処理はこっちでするから」
「は?それでいいんですか?」
あまりにあっさりとした態度に、クラウドは驚いて聞いた。
「ああ、ソルジャーが一般兵と同居って、今までもない訳じゃあない。ソルジャーの住所は非公開だから、一般兵への緊急連絡時には面倒な手順になるが、まあ、そう頻繁にあることでもないからさほど問題でもないだろう。家主の署名がいるから、手続きは帰還してからになるが、君はあとは何もしなくて良い」
「はあ…」
脱力した声を出してから、「ありがとうございました」と頭を下げ、クラウドはジンの執務室から退出しようとした。そこへ、ジンは思い出したように声をかける。


「そうだ、大事なことを聞くのを忘れていた。つまり、君は、ザックスの仲介でサーセフィロス宅に部屋を借りている、だけなのだね」
「はい?」
奇妙な言い方に足を止め、クラウドは聞き返した。
「……そうですけど…それが何か?」
「サーの家に住む事を知っているのは、私とザックス以外にはいるかね」
「いいえ、いません。フルブライト教官に報告に行く前に、お伺いしましたから」
「そうか。一つ忠告しておく。心して聞きたまえ」
「……はい」
真剣な言いように、クラウドも真剣な顔で返事をした。
「血縁のない一般兵がソルジャーと同居した場合、それはもれなく「愛人関係」と見なされる風潮がある。君がサーと個人的な関係がないのならば、同居の事実は隠しておくことを勧める」
「そりゃ、触れ回る気はないですが……えーーーーー!」
「静かにしたまえ。事務所にいる連中に聞こえるぞ」
クラウドは慌てて口を押さえると、ジンに近づいて小声で聞いた。
「……なんで愛人…?」
「そういうケースが多かったから、としか言えん」
「…わかりました」
クラウドは肩を落として、今度こそジンの執務室を後にした。
やっぱり零号寮がひたすら恋しくなった。


午後の訓練後は3番倉庫に直行し、今日は残業無しで帰宅する直前のロイゼンを捕まえて、今まで間借りさせてもらったことの礼を言った。クラウドと同じ年頃の息子を持つというロイゼンはたくましい中年男で、大きな手でクラウドの頭をなでながら「あんまり無理するなよ、坊主」と優しいしかめっ面で言う。
彼の班のメンバーはみんなロイゼンと似たり寄ったりの男達だ。ぶっきらぼうで優しい。クラウドは彼らと過ごすのが好きだった。
彼らは自分の子供達に向けるのと同じ優しい手と眼差しを、倉庫で作業するクラウドにも与えてくれる。一日のうちのほんの短い時間だが、子供時代は経験したことのない父親の大きさという物を、垣間見させてくれる。
「残業のない時でも、暇なら遊びに来いよ」と言われ、クラウドは大きく頷いた。


夕方、セフィロスのマンションに戻ってくると、正面カウンターには昨夜とも今朝とも違う人がいて、クラウドを見ると「お帰りなさいませ」と挨拶する。本当にどうやって自分の事を知ったのだろうか、と悩みながらエレベーターを降り、緊張しつつカードキーを差し込む。認証コードを打ち込んで鍵が開くと、なぜかほっとため息が出た。

センサーが住人の帰宅を察知して灯りがつく。
リビングのテーブルの上に、今朝はなかった筈のクッキーの包みと、メモが置いてあった。


『初めまして。この部屋を担当しておりますルームキーパーの、エリ・ブライトともうします。お若い方がお住まいになられましたと聞いて、とりあえず、甘いものとフレッシュフルーツを何点かご用意しました。食事のお好み、アレルギーの有無などお知らせくださればそれに沿ったメニューをご用意します。その他、ご要望がおありなら何なりとお伝えください。快適にお過ごしできますよう、願っております』


メモを読んでキッチンに行ってみると、リンゴやオレンジが篭に盛りつけておいてある。
セフィロス一人の時は置いてなかったので、本気で出来合の物以外は手を付けなかったのだろうなと、一人変な風に感心した。
リンゴを一つ手に取り囓ってみると、しっとりとした果汁が口の中に広がる。ニブルヘイムでは新鮮な果物は貴重品で、乾燥させた物や砂糖漬けが殆どだった。それもクラウドにとってはご馳走だったが、新鮮な果物が持つ歯触りや風味は格別だ。


「……贅沢しすぎだ…こんなのに慣れたら、あとがきついよな…」
呟きながら、次にアーモンド入りのクッキーも口にする。香ばしくてこれも美味しい。
エリ・ブライトという女性はとても料理上手だ。
クラウドは彼女宛に、食べ物の好き嫌いやアレルギーはない事を知らせるメモを書いた。そうして彼女が作った食事を温めて食べ、ゆっくりとシャワーを使い、クッションの良い革張りのソファに深く座り、膝を抱えて考え込んだ。

この部屋は居心地が良い。いろんな意味で、今まで住んだどの場所よりも便利で快適だ。

――でも、静かすぎる。


高層マンションの最上階、防音構造のその部屋は、階下の音も、窓の外の音も、何一つ室内には伝えてこない。
テレビを付けてみても、普段からニュース以外は見る習慣がないので、バラエティもドラマもどこをどう楽しめばいいのか理解不能ですぐにスイッチを切った。
広すぎる部屋で膝を抱えたまま、セフィロスは寂しさなんて感じないのだろうか、とふと考えた。






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