4
家主が帰宅したのは、出発してから8日目の夜――。
非番前夜でソファに蹲ったままぼんやりしていたクラウドは、ドアが開いた音に飛び上がった。とっさに時計を見ると、日付が変わる10分ほど前。
迎えに出る前に大股な靴音が近づいてきて、玄関ホールに通じるドアを開けた瞬間、クラウドはセフィロスの大きな体に激突するところだった。
半分青ざめつつ見上げると、クラウドを見下ろすセフィロスは不審下に目を眇めた。
「なぜ、ここにいる?」
「は…」
なぜ、と言われてクラウドは返事に詰まった。驚いた顔で口をぱくぱくさせていると、一瞬眉を寄せたセフィロスが「いや、なんでもない、失念していた」と言う。
別のことを考えていて、同居人が出来たことを完全に忘れていたようだ。
ザックスは大した仕事ではないと言っていたが、大変だったのだろうか――と思ったので、クラウドはセフィロスの一連の反応は無かったことにして、とりあえず「お帰りなさい、お疲れさまでした。サー」と言った。
セフィロスは一つ頷くとまっすぐソファに向かい、正宗を横に立てかけると深く座って足を組んだ。膝に肘をつき、そこに額を乗せる。何か考えているように見える。
クラウドはおずおずと近づくと、「何かお飲物でもお持ちしますか?」と尋ねた。
セフィロスは顔を上げないまま、「酒。グラスは要らない」と答える。
あまりにもぶっきらぼうな口調に、なんの酒が良いのか、と聞き返すのもはばかられ、クラウドはとりあえずサイドボードの一番目立つところに置いてあった透明な酒のビンを掴み、それを差し出した。
そのビンを受け取りながら、セフィロスは奇妙な目でクラウドを見た。そこにいるのが誰なのか、理解しかねると言った目つき。クラウドは居心地悪げに、その場に座り込む。一つ頭をふって、セフィロスはビンに直接口を付けるとそのまま傾けた。
長い銀髪の先から上へと視線を動かし、(うわーー…ラッパ飲みしてる)と、思わずじっとその顔を見つめてしまう。
強い酒を一気に半分ほど飲み下し、セフィロスはぼそっと呟く。
「……ホテルをとるべきだった」
「……はい?」
つぶやき声をよく聞こうとクラウドが身を乗り出すと、「……女を呼ぶつもりだった」という独り言ともつかぬ言葉が耳に届く。
乗り出した姿勢のままでその言葉の意味を考え、クラウドは不意に頭に血が上った。
(…オ、俺の馬鹿ーーー!サー・セフィロスだって大人の男なんだから、遠征の後会いたい女性とかいて当たり前じゃないか!)
クラウドはぱっと背筋を伸ばすと、あたふたと意味もなく手を振り回した。真っ赤になって妙な真似をし出した少年に、セフィロスは初めて焦点を合わせる。
「何を踊ってる」
「お、踊ってるんじゃなくて…気が利かなくてすみません!俺、外に出てますから――」
言うなり立ち上がりかけた少年の襟首を掴み、セフィロスはその場に押さえ込む。
「子供がこの夜中にどこに行く気だ」
「だ…だって、俺がいるから、サーは…その…」
クラウドは真っ赤になって俯いた。
「……お会いになりたい恋人がいらっしゃるのでしょう?」
「恋人?オレはしらんが、どこに居るんだ?」
「はい?だって、今…」
真っ赤になったまま目を丸くするクラウドに、セフィロスは自分の呟きを聞かれたのだと判った。
「女と言っても恋人ではない」
「は……?その…」
ますます真っ赤になってクラウドは絶句した。
つまり、セフィロスが呼ぼうとしていたのは、その筋のプロのお姐さんのことだ。
「や、や、やっぱり、俺、外に出てます」
「子供が今からどこに行く。外で夜明かしする気か」
「あ、じゃ、じゃあ!俺、部屋で布団かぶって耳塞いでますから!」
眉間にしわを寄せ、慌てているクラウドを眺めていたセフィロスが、ついにそこで吹き出した。
いきなり肩を振るわせて笑い出したセフィロスに、一瞬ぽかんとしたものの、クラウドはなんとなく不機嫌になった。
――そこまで笑わなくたって良いのに。
「楽しんでいただけて、喜ばしく思います。俺、別にふざけて言った訳じゃないのに」
むっつりとした声に、セフィロスはまだくっくっと笑いながら、謝罪するように軽く手を挙げた。
「悪い。別にお前を笑ったわけではない」
挙げた手をそのまま額に当て少し俯いたセフィロスの目が、クラウドからは見えなくなる。目を隠したまま黙り込む英雄の姿に、クラウドは少し不安になった。
「……サー。他に入り用な物はありますか?」
「何もない」
「お食事は」
「いらない」
「……服を着替えて、くつろがれては」
「あとでな」
とりつく島もなく、クラウドは床に座ったまま困った顔でセフィロスを見上げた。
俺がここにいるから、この人は休めないのだろうか。
だったら、俺はここから消えた方がいいのだろうか。
それでも一人にするのがなぜか不安で、クラウドはなんとなくその場から動けなかった。血と埃にまみれた戦闘服姿のまま顔を隠し、ソファに深く腰掛けている英雄の姿は、ニュースや神羅の広報紙で見る軍神とは違い、とても人間くさい。
この静かな部屋に埋もれて潰されてしまいそうだ。
クラウドは我知らず手を伸ばしていた。髪の先にふれ、きゅっと手の中に握り込む。
セフィロスはわずかに視線を動かし、クラウドに目を留めた。
自分の足下にぺたりと座り、真摯な目で見上げながら髪を握りしめる子供。
ひどく子供っぽい動作なのに、見つめる目は人を労り気遣う色が浮かんでいる。
セフィロスは手を伸ばして少年の頭に手を置いた。癖があって跳ねている金髪は、触ってみればサラサラとして柔らかい。つむじの位置はどこだろう、きっとふたつ以上あるに違いない――そんな暢気な思いが頭に浮かぶ。
ふっと表情を和らげ、セフィロスはクラウドに声をかける。
「…お前はオレが怖くないか?」
「……質問の意味が分りませんが…怖がる理由がありませんけど…」
大きな手で髪を撫でられながら、クラウドは茫洋として答えた。セフィロスの長い指が自分の髪をもてあそび、自分の小さい手はセフィロスの綺麗な長い髪を握りしめている。こんな夜中に見つめ合って、俺達、何してるんだろう。
セフィロスはなんで変なことを聞くんだろう。
クラウドはセフィロスがまた何か質問するかと、じっとただその目を見つめている。
薄い綺麗な翡翠色の目。魔晄の光が揺らめく中の縦長の瞳孔。
すごく綺麗だ。
セフィロスは身体を滑らせるようにして、クラウドの隣に座った。
少年の身体を自分に近寄せ、本格的に髪を弄くりにかかった。
クラウドの奔放に伸びた髪に指を滑らせたり、絡ませたり、飽きずにずっと触っている。クラウドはクラウドでセフィロスの銀髪を握ったまま、じっくりと両手でその手触りを楽しむことにした。細くて少し硬めの直毛。つるつるしていてすごく気持ちがいい。
「…こんなに長くて、絡んだりしませんか?」
クラウドは銀髪の束に指を入れ、先端まで一つのひっかかりもない滑らかさにため息を付いた。
「俺の髪、しょっちゅう縺れちゃって。変な癖はあるし」
枝毛も無さそうだ――と、銀髪の先を一本一本よりわけるように睨みながらクラウドは羨ましそうに言う。
金髪と銀髪を見比べながら、真剣にそんなことを言う少年に、セフィロスは小さく笑った。
「オレの髪はソルジャー仕様だ。お前とは違う」
「そうか、ソルジャーになれば、髪も扱いやすくなるのか」
そのセリフがツボにはまったのか、またセフィロスは吹き出した。
「……これ、けっこう、俺には切実な悩みなんですけど!」
「すまん、ソルジャー仕様は冗談だ。これはもともとの髪質の差だ」
「…………夢も希望も憧れも無くなるような笑えない冗談、ありがとうございました!」
ぷっと頬を膨らませてそう言うと、クラウドはセフィロスにぽふっと寄りかかった。上官をクッション代わりにしつつ、それでも長い髪は離さない。口元に笑みを残しつつ、セフィロスもまた少年の髪をいじる。
そうしながら、改めて同居人となった少年の観察を始めた。
確か14才になったばかりだと言った。その年頃にしても、クラウドは少し小柄なのではないかと、セフィロスは思う。
肩幅も狭いし、胸も薄い。セフィロスの髪をいじっている指は細くて長い。おそらく、この長めの髪に隠れた首も、きっと細いのだろう。色素が人より薄い自分とも違うタイプの白さを持つ肌。目元や頬にうっすらと血の色が透けているのを見て、よほど肌が薄いのかと考え、髪をもてあそんでいた指先を滑らせた。
こめかみから、頬へ、それから髪に隠れた項へ。
クラウドは物問いたげな目をセフィロスに向けると、項を撫でるセフィロスの手を掴んだ。
「触られるのはイヤか?」
からかうように言うと、意外と真剣な眼差しで首を振る。
セフィロスのまだ革手袋をはめている手をしげしげと見つめながら、
「これ、汚れてゴワゴワしてるから。外しても良いですか?」
そう言うと、返事を聞く前に両手を使ってセフィロスの手袋を指から抜き始めた。
手袋を汚しているのは、返り血だ。乾いて固くなっている。セフィロスは血まみれの手袋を一心に外そうとしている少年の真剣な目をのぞき込む。
外した手袋をテーブルに乗せると、少年はもう片方の手も強請った。
「そっちの手も貸してください」
言われるままに手を差し出すと、これも真剣な目で外しにかかる。
長い指を持つ大きな手から大きな革の手袋を外し終わり、クラウドはセフィロスの素手をしげしげと眺める。
「……綺麗な手ですね」
「綺麗か?この手が?」
セフィロスは少年の言葉に皮肉に答える。誰よりも血に汚れた、汚い手だ。
「綺麗な手ですよ」
少年は宥めるように言うと笑った。
そしてセフィロスの顔を見てから、身体を包む戦闘服に目を向けた。
それも手袋同様に乾いた血がこびりついて、所々ゴワゴワになってる。
セフィロスの体も心も、血の鎖で拘束しているようだ。
クラウドはセフィロスの服に付いている血の跡を指で触った。
「これの手入れはどうするんですか?普通にクリーニングするの?」
「ソルジャーの戦闘服は通常の洗濯屋では手に負えない。専門の係りがいる」
ふうん、と頷き、服からセフィロスの顔に視線を戻して、クラウドは言った。
「これも脱いだ方がいいです。身体を締め付けてるみたいで、休めないでしょ」
「身体の動きを邪魔しないように出来ている。締め付けはしない」
「でも苦しそうに見えます」
「見えるか?」
「はい、見えます。脱いで、シャワーを浴びて、休んだ方がいいです」
きっぱりと言い切る少年に、ふと悪戯心がわいた。
「お前、誘っているのか?」
「はい?」
「服を脱げと言ったが」
「……寝間着には見えないから……」
セフィロスの言ってる意味に思い当たったクラウドは、真っ赤になるとしどろもどろに答えた。
本当に、楽な格好で休んで欲しいと思っただけだ。他意はない。からかわれているのは分るが、冗談でも誘ってるなんて言われたくない。しかも自分を見ている目は間違いなく面白がっている目だから、質が悪い。
「俺、その手の冗談は、真面目に嫌いです。耳にタコができるくらい言われてるから」
クラウドは低く言うと、膝でにじるようにしてセフィロスから離れた。
「子供の言い分をまともに聞く気がないなら、それでもけっこうです。でも、本当にちゃんと休まれた方がいいです。お休みなさい」
悔しそうな顔つきで口早に言いつつ立ち上がりかけた少年の手を、セフィロスは掴んだ。「あっ」と短く声を上げた少年を、一瞬で自分の身体の下へ押さえ込む。
真上から見下ろし、眉根を寄せて睨むクラウドに
「オレの言い方が気に入らなかったか?冗談も通じないとはな」
「俺の背が低いのも女顔なのも、俺のせいじゃないですけど。それをネタにいつも馬鹿にされ続ければ、笑って聞き流す限度も超えます」
「馬鹿にしたつもりはないがな」
「でも、からかうつもりはあったでしょ?」
くくっと喉奥で笑いながら、セフィロスは力を抜いた。仰向けになったクラウドの胸に額を乗せ、そのままずっと笑っている。
「お前は面白いな」
「……面白いですか?」
身体が密着しているので、笑うたびに小刻みに揺れるセフィロスの動きがダイレクトに響いてくる。
「……今日はしゃべりすぎな自覚はあるけど…面白いこと言ったつもりはないのに…」
「本人の意図とは違う受け取り方をされるのは、よくある事だ」
「…そうですか…」
呟きながら、「夜中に服脱げって言ったら、やっぱり誘ってるってとられるのも仕方なかったですね…」と一人納得する。
何しろ、この手の誤解なら山のように受けたことがある。
頑張って愛想良くしようと思って微笑んだだけで、「誘ってる」と本気で言われたこともあるくらいだ。
冗談のネタにされた程度ならマシな方だ。気分は良くないけど。
「過剰反応してすみませんでした」
「素直だな」
胸の上からわずかに顔を上げ、セフィロスが至近距離でクラウドの顔を見つめる。
魔晄の瞳が不可思議な色合いに揺れるのを見返しながら、「そんなに笑われたら、怒る気力も抜けます」と自分も笑いながら答えた。
「そろそろ、起きてもらえませんか?重いんですけど」
くすくす笑いながらクラウドはそう続けた。肘を床に着いたセフィロスは、本当にクラウドの身体に体重をかけているわけではないが、身動きがとれないので圧迫感がある。
不意にセフィロスの口調が変わった。クラウドの耳に唇を寄せ、ゆっくりとささやく。
「…お前、…オレがなんで女を呼ぼうと思ったか分かるか…?」
「はい?」
クラウドはきょとんとなった。わざわざプロの女性を呼ぼうというのだから、理由は一つしかないと思うのだが、それをはっきり口にするには勇気が要った。
「えと……性交渉…?」
「それもあるが、本音は違う」
微妙な言い回しをする少年に微笑みつつ、セフィロスはなおもゆっくりと言った。
「抱き枕が欲しかった」
「はいぃ?」
その驚いた声がおかしかったのかまた笑い出したセフィロスに、クラウドはあきれ顔になった。
「抱き枕って……俺が子供だからって、何もそんな誤魔化し方しなくても…」
「誤魔化しているわけではない。オレだって、独り寝したくないときがある。セックスは二次的なものだ」
「はあ…」
「オレには似合わんと思うか?」
セフィロスが片眉を上げて聞く。確かに、そういう彼は自信と余裕に満ちているように見える。とても、独り寝がイヤで添い寝相手を捜しているようには見えない。
でも――とクラウドは思う。
さっき感じた、一人にしてはいけないという思いは、セフィロスの孤独を感じたからじゃないのだろうか。
クラウドは手を動かして、また銀髪を掴んだ。その手触りはサラサラとしていて、冷たい。
「……俺の家、母さんしか居なくて…」
唐突に昔語りを始めたクラウドの声に、セフィロスは無言で耳を傾ける。
「急に仕事を頼まれると、夜も外に出ていったりして、小さい頃はそれがすごく寂しくて。ベッドに入って寝ようと思っても、一人でいるのが怖くて、寂しくて――」
次を語るのを、クラウドは少し躊躇った。幼い子供の感じた寂しさと、この大人で、英雄と呼ばれる人の孤独を一緒にするのは、お笑い物の勘違いかもしれない。
セフィロスはまた吹き出してしまうかもしれない。
でも、同じとは言わないまでも、近いかもしれない、という気はした。
「……誰でもいいから、ここに来て抱きしめて欲しいって、そう思った」
クラウドは髪を掴んでいた手を離すと、そっとセフィロスの背中に回した。広くて、クラウドが精一杯両腕を伸ばしても、全然抱きしめることは出来ない。
セフィロスは無言のままでクラウドを見ている。笑い出す様子はない。
「……俺、抱き枕代わりになれますか?」
セフィロスがクラウドの耳元に唇を寄せ、低く答える。
「…十分だな」
耳たぶにかかる息に、クラウドはぎゅっと目を瞑った。
セフィロスの長い腕が、クラウドの背に回る。
すごく温かい――そう思った。