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子供は濡れた髪のままで眠っている。
お互い襲撃現場に立ち会って、血と泥と硝煙の臭いにまみれ、家に帰って最初にしたのはまず風呂にはいること。
抱えて帰ってきたのが徒となり、マンションに到着した時点ですでに熟睡していた子供をなだめすかせるようにして服を脱がせ、バスジェルで泡だらけになったバスタブに放り込んだ。
目を覚ますかと思ったが、そのまま素直に沈みかけた子供に何が出来るわけもなく、お行儀よく身体を洗うだけですませ、その後はベッドに寝かしつけてやる。
以前のミッションで一緒になった兵が新米パパで、赤ん坊を風呂に入れて寝かしつけるのが得意だと自慢していた。その時はそんなことの何が楽しいのかと思っていたセフィロスだが、いざ自分が似たようなことをやっていると思うと可笑しくなる。
薄く笑ったまま、セフィロスはベッド脇のサイドテーブルに置いてあったPHSを取り上げた。
待っていたメッセージが届いていたのを確認。
名残惜しげに眠っている子供の額にキスをすると、書斎に行って受話器を取る。
連絡を付けた先は総務部調査課の携帯端末。
一回目のコール直後に相手が出た。
『報告いたします。サー』
「待っていた、話せ」
『テロリストの使っていた武器の型番から、5年前に廃棄処分になっていたはずの物と判明しました』
「横流しした奴がいたようだな」
『ウータイ戦で使われていた物ですが、新型に切り替わった後、その場に放置された物も多かったようです』
「ウータイに放置されていた物が、突然、ミッドガルに姿を現したのか」
セフィロスの声は笑いを含んでいる。当然、ミッドガルにいた誰かが手引きしたに違いない。
『その件ですが、同じく5年前に退役した第3歩兵師団のグリーン中将を覚えていますか?』
「確か、息子を2人ウータイで亡くした後、現地の女を連れてミッドガルに帰還した男だな」
『よく覚えておいでだ』
「無能なバカ息子だった。こっちの計画を無視して突撃し、おかげで無駄な戦いをさせられた。こいつらの所為で500人からの一般兵士と10人を越すソルジャーが死んだというのに、当人達は軍団の動きが鈍いと文句を言っていた。コネで幹部になった奴らは使えないという見本だ」
『確か移動中に地雷を踏んだのでしたな』
「女を買いに行った帰り道だ。地雷原を示す立て看板が倒れていたのは、不幸な偶然だったな」
『不幸な偶然ではなかったと、そうグリーン中将は考えたようです』
「父親の方はそう無能ではないと思っていたが、所詮は血筋か」
くくっとセフィロスは喉奥で笑った。『不幸な事故で亡くなった』ままにしておけば、誰も傷つくことはなかっただろうに。
「――あいにくと、オレは引退して若い女と乳繰るだけの生活をしている男よりも、今現在の部下の方が重要だ。余計なミッションで疲弊させられるのは困る」
『そう仰ると思ってましたよ』
電話の向こうで、タークスの男はわざとらしいため息をついた。
『グリーン中将は本日未明、火事にて亡くなられました。おそらく、酔って火の始末をし忘れたのでしょう。不幸な出来事でした』
「女はどうした?」
『愛人も一緒です。他に身内もいないようですし、実にお気の毒です』
「軍葬になるな。何せ、中将にまでなった男だ。最後まで、面倒を見てやらねばな」
『では、そのように手配をいたします』
「そうしてくれ」
『立ち会いされますか?』
セフィロスは少し考えた。
「今から、1時間以内に終わるなら」
『グリーン中将の家は壱番街にあります。そこからでしたら、30分もかかりません』
「そうか、では今から行く。用意をしておけ」
『承知しました』
セフィロスは脱いだばかりの軍用コートを纏うと、正宗を手にした。
タークスの連中だから手抜かりはないだろうが、念のためだ。
中将宅の警備システムが作動し、警備員が巡回に来る前に片づけなくては。
セフィロスは静かに部屋を出た。
迎えの車がマンションの正面で待っている。
繁華街の方向ではまだどんちゃん騒ぎの音が聞こえるが、高級住宅街は住人が年齢層が高いせいかすでに寝静まっている。
グリーン元中将の家はなかなかの豪邸だ。
高い門はロックが解除され、開け放されている。
暗い室内で動く人影を建物の外から視認し、セフィロスは次の動きを待つ。
二階の一室で火が出た。
数人の男が家から出てきたのを待ちかねていたように、屋敷は炎に包まれる。
セフィロスは音もなく近づいてきた男に目をやり、「すんだか」と一言声をかけた。
「お歳の割に元気な方でしたが、すぐにすみました」
男は穏やかな笑顔でそう答えた。
マンションに戻ると、フットライトだけの薄暗いリビングで、クラウドが途方に暮れたような顔で立ち竦んでいた。
「どうした?起きたのか?」
そう声をかけると、上目で見つめてくる。
「どこにもいなかったから……」
どうしていなくなったの?と、そう問いたげな顔だが、そこまでは口に出さない。
セフィロスの仕事の内容に口出しをすることになるのを、憚っているように見える。
「急に野暮用が入った。もう終わったがな」
頬に手を当ててそう言ってやると、クラウドは無言でしがみついてきた。
「黙って出ていって、悪かった」
しがみついたまま、クラウドは首を振る。相変わらず無言のままだ。
自分自身の危険に関しては不感症的な所のあるクラウドだが、数多くの怪我人を出した今日の現場はさすがに刺激が強すぎたのかもしれない。高ぶった神経が、1人になることを不安にさせている。
セフィロスは子供を抱え上げると、宥めるように背中を撫でた。
「いい子だ。今日はもうどこにも行かない」
クラウドは顔をセフィロスの首筋に埋め、頷く。
「だから安心して眠れ」
ほっとしたのか、こわばった身体から力が抜けるのが分かった。
セフィロスはクラウドが自分に依存しつつある事に、奇妙な満足感を覚えていた。
翌日。
冷凍庫の扉を開けたまま、クラウドは中のフリージングされた料理の山を見て呻っていた。
セフィロスが帰宅した後、昼近くまで眠って、それで空きっ腹を抱えて目覚め、さあ昼食の用意をしようと思ったのはいいが、年末休暇前にルームキーパーが用意していった料理は大量で、選択の余地がありすぎてクラウドは困った。
「サー、エビドリアとエビグラタンとエビクリームパスタと、どれがいいですか?」
そうリビングにいるセフィロスに質問してくる。セフィロスは、どれでも同じではないかと首をひねった。
「オレはどれでもいいが、お前は何が良いんだ」
「……全部、気になって決まらない…」
本気で悩んでいる様子に、セフィロスはキッチンのクラウドを覗き込んだ。
「三種とも調理すればいいだろう」
「一度に3食分じゃ、絶対に食べきれなくて残しそうで」
「では、オレと半分ずつにすればいいだろう」
そんなに悩むことかと少し可笑しくなって提案してやると、クラウドはぽんと掌を叩いてにこっと笑った。
「半分こずつでいいですか?」
「ああ、構わない」
「じゃ、それで用意します」
クラウドはてきぱきと冷凍された料理をオーブンレンジに入れてタイマーをセットした。
それから棚を開けて取り分け用の皿をだし、その他にガラスの器も取り出す。
別の棚からシロップ漬けカットフルーツのビンを取りだし、ガラスの器に盛りつけてヨーグルトを添えている。
この家のどこにこんな皿やフルーツがあったのかと、セフィロスは食事の用意をするクラウドの手元を見ながらしみじみ思う。
セフィロス1人の頃は、ルームキーパーが用意する食事は酒のつまみかオードブルのような物ばかりで、それも一つのプレートに盛りつけられ、後は解凍するだけの状態だった。
それすらも殆ど手つかずのまま処分する羽目になっていたので、料理自慢のルームキーパーにしてみれば歯がゆくて仕方なかったに違いない。
クラウドが来てからいかにも家庭料理といった内容が増え、その他に食べる前に一手間必要な物も用意されるようになった。
セフィロスも仮眠室を利用する回数が減り、よほどのことがない限り帰ってくるようになった。
いつの間にか、この家は子供が中心になりつつある。
だがそれも悪い気はしないと、セフィロスは思う。
「見られると緊張するから、サーはリビングでテレビでも観ててくれませんか?」
無意識のうちに見つめていたのか、少し赤面したクラウドが言った。
上目遣いで照れている様子が可愛いがじっと見ていると手元が狂うようで、セフィロスは追い出されるようにリビングに戻ってテレビのスイッチを入れた。
『つい数時間前までは若者達であふれかえっていた8番街公園も、今は静まりかえっています』
そう言うレポーターの背後では、清掃局の臨時雇いの連中が公園中に散らばったゴミの片づけをしている。
『昨日の壱番魔晄炉、四番魔晄炉襲撃テロについて、神羅治安維持部門総括のハイデッカー氏が声明を出しました。犠牲となった社員全てに哀悼の意を示すと共に、このような卑怯な手を使うテロリストに屈することはない、とのことです。魔晄炉への被害は市民生活に直結することだけに、テロリストへの市民の非難は強まっています』
キャスターの言葉に続き、昨夜のうちに収録してあったらしい市民のコメントが流れる。
頭に紙で作った安っぽい派手な帽子をかぶり、顔にペイントをした若い男が、『あいつら何考えてんだろーね。魔晄の供給が止まったらどうするつもりよ』と酔っぱらい特有の口調でぼやき、傍らの若い女がうんうんと同調する。
老年にさしかかったサラリーマンらしき男は、少しだけ思慮深そうに、
『私が若かった頃は、まだ魔晄なんて無くて生活はこんなに豊かではなかった。だが、自然は豊かで美しかったから、テロリストの言い分も分かる気はする。ただ私は孫にも便利な生活をして欲しいから、滅多なことをしてもらっては困るというのが、正直な気持ちだ』と語る。
似たような意見が2、3人続いた後、黒い服を着た女がカメラを睨むようにしてコメントした。
『私の兄は神羅兵で、テロリストと戦って死にました。私たちの生活を守るために戦ったんです。テロリストなんて、みんな死ねばいい』
カメラはスタジオに戻り、キャスターとコメンテーターが神妙な顔をカメラに向けていた。
『言い分があるなら、破壊活動ではなく言葉で訴えれば良いんです。こんな、みんなが新しい年を祝おうとしているときにこんな事するなんて、卑怯ですよ』
『結局、暴力でしか決着を付けられない連中が、こんな行為に走るんですよね』
一方的な非難の言葉。
別段、それがどうという訳ではない。
一般大衆が同調し、理解できる理由が付属しない行為が非難されるのは当たり前のことだ。
セフィロスは無表情にそれらの言葉を聞き流した。
『次は訃報です。本日未明、壱番街にある元神羅軍中将グリーン氏の家から出火し、2時間後に消火しました。焼け跡から2人の遺体が発見されています。グリーン氏は当日、退役軍人会の会合に出席した後、年が変わる前に帰宅したことが確認されており、遺体はグリーン氏本人とハウスキーパーのフェイ・フジキさんと思われます。火元はグリーン氏の寝室と見られ、サイドボードの燭台が倒れて変形していたことから、就寝後に倒れた燭台に気付かずキャンドルの火がカーテンに燃え移ったのが出火原因ではないかと見られます』
「壱番街って、この辺ですよね」
ニュースを聞いたクラウドがひょいと顔を出した。
「火事があったなんて、全然気がつかなかった」
「ここは高層階だ。下でサイレンが鳴ったところで気がつかないだろうな」
「元中将って、サーも知っている人ですか?」
ぺたりとセフィロスの隣に座り、クラウドが聞いてくる。
「ああ、ウータイで一緒になったことがある」
「そうですか……」
そう言ってから、クラウドは首を傾げた。
「フェイ・フジキさんって、ウータイの人?」
「ああ、確か内縁の妻の筈だ」
「ウータイからミッドガルにまで来て、火事で亡くなるなんて、……気の毒です」
クラウドは本気で同情しているようだ。
とはいえ、面識があるわけでもないので、早々に気分の切り替えに成功したらしい。
ピーンというタイマーの切れる音に、ぱっと立ち上がる。
「いい匂い。ブライトさんの作るソースって、美味しいから」
嬉しそうに言ってクラウドは足早にキッチンに戻っていった。
「火事で亡くなるなんて、気の毒か……」
1人になったセフィロスはクラウドの言葉を繰り返す。
タークスの調べでは、今までに何度かウータイにいる女の家族からミッドガルに荷物が届いていたらしい。グリーン中将の注文品のウータイ製家具と言うことで、検閲はされなかった。
さて、中身はなんだったのだろう。
女は本当にただの愛人だったのだろうか?
本当に、気の毒な女だったのだろうか。
真実は全て闇の中だ。もっとも、真実そのものに意味はない。
要は、新年の朝を迎える前に男と女が死んだ――それだけだ。
「ウータイからミッドガルまで来て、亡くなるのは気の毒か……確かにな」
そう呟いた顔は、楽しそうに笑っていた。