10
ジュノンの街を、憲兵達が走り回っている。
うっかりすると職務質問されそうで、クラウドはセフィロスの腕にべったりと張り付いた。
「で、娘はどこで待っていると?」
「アルジュノンの3番シャトルバス停」
男が押し入った時、マリカもユーシスといたのだそうだ。マリカが憲兵隊員である自分の父親に連絡を入れ、実家に向かった兵が脇腹を撃たれて倒れているグレイ大尉を発見。
揉み消しは不可能な状態になった。
本来ならば内輪で話を付けたかったところだろうが、父親といえども憲兵隊大尉が傷つけられた上に民間人の家に侵入誘拐までした事で、スモーク・グレイ士官候補生は憲兵隊の指名手配犯となってしまった。
捜索には結構な数が駆り出されているようで、クラウドは1人で外にいるマリカが心配になった。
うっすらと降り始めた雪明かりの中で、マリカはバス停に凭れるように立っていた。
「マリカさん」
「あ、ルリちゃん!サー・セフィロス……わざわざ申し訳有りません」
張りつめていた糸が切れたのか、マリカは俯いて嗚咽を漏らす。
「……マリカさんは、怪我は?」
「私は大丈夫。でも、止めようとしたユーシスのパパが突き飛ばされて捻挫したの。彼が死んでから、ずっと調子が悪くて寝込んでいたのに。ユーシスだって、それで、学校休学して、バイトいくつも掛け持ちして働いていたの。どうして、こんな目に遭わなきゃいけないのか判らない」
顔を覆って泣き出したマリカの肩を支え、クラウドはどうしたらいいのか判らずにセフィロスを見た。セフィロスも泣いている女を慰めるのは不得手だ。キスしてベッドに連れ込む以外宥める方法は知らないが、むろんそれは実行できない。
セフィロスはあえて事務的な口調で言った。
「スモーク・グレイが潜みそうな場所に心当たりはないか。普段からよく入り浸っているような所とか」
「どこって、……私、そんなに親しくないし……」
マリカは混乱した顔で考え出した。士官学生がよく出入りするクラブやゲームセンターでいろいろと聞いてみたが、誰も心当たりがなかった。
「港湾倉庫……かな…それくらいしか、思いつかない」
「倉庫って、どうして?」と、クラウドが訊ねる。
「ボートを軍から安く払い下げして貰ったって自慢してたの。乗せてやるって言われたけど、冬の海であんな人の漕ぐボートなんて怖くてのれっこないわ」
「では、とりあえず、そのあたりを探してみよう」
「……でも、見当違いだったら…」
「他で発見されたら、連絡を入れるように言ってある」
おろおろとしているマリカを見ながら、セフィロスは素っ気なく言った。もっと親切にしてやってもいいんじゃないかと、クラウドが思ったくらいだ。
「それとも、連絡が入るのを家で待つか。それでも構わないが」
「いいえ、探します!」
セフィロスが突き放すように言うと、マリカは急にシャンと背筋を伸ばして答えた。
「何もしないで、ただ待つだけなんて嫌」
「では、行こう」
踵を返すとセフィロスは港に向かって歩き始めた。クラウドはマリカの腕をとって、慌ててその後を追う。脚の長さが違うので、クラウドとマリカは小走りになる。
途中で、憲兵数人とすれ違った。セフィロスに気づいて敬礼の姿勢を取る。セフィロスが簡単に捜索範囲を訊ねると、どうやら港はまだ範囲に含まれていないようだ。
基本的にスモークは街中の会員制の店で、士官の追っかけの女性達と過ごすことが多かったらしい。
「やっぱり、見当外れだったのかしら?」
マリカはちくりと呟く。
「見つからなければ、いずれ港も捜索される。オレ達が先にやっても問題有るまい」
「マリカさん、疲れたのなら、家で待っていてください」
クラウドが心配して言うと、彼女は急いで首を振る。
「ごめんなさい。私がこんなグダグダしてちゃいけないのよね。行きましょ、案内します」
今度はマリカが先頭に立った。出来るだけ急ごうとする脚が小走りから、今は完全に走っている。クラウドもその後をついて走り出したが、セフィロスは歩調を早くしただけで歩きだ。こんな時だというのに、クラウドはそれが無性に悔しくなった。
絶対に、サーより育ってやる!
クラウドがそんな無謀な誓いを密かに立てている内に、倉庫街に到着。
ゲートがあって、眠そうな顔の警備員がセフィロスを見て、慌てて敬礼する。
「誰か、忍び込んだ奴はいるか」
「……は、いえ、気がつきませんでしたが」
「そうか。少し調べさせて貰う」
「はあ……」
状況が判っていない警備員を置いて、3人で倉庫街に入り込んでいく。
「あれなら、いくらでも目を盗んで入り込めるな」
「そですね……」
倉庫街は作業が終了しているので、常夜灯が灯っているだけで、人がいる気配はない。
「確か、一番奥の、古い荷物保管用の倉庫のどれかだったと思います。使ってないから、勝手に利用してるって自慢してるから、呆れちゃった覚えがあります」
セフィロスは無言で奥へと進んだ。その足音が聞こえないことに気がつき、クラウドとマリカも音を立てないよう、こわごわと進む。セフィロスは時折、頭を左右に動かし、何か音を聞こうとしているように見える。
しんしんと降る雪に多少の音は吸い込まれているのか、辺りは静かだ。
こんな場所で何が聞こえるのかと思ったが、セフィロスは連なる倉庫街のある方向を向くと、そこで少しの間立ち止まった。
「……サー、何か?」
小声でクラウドが聞くと、セフィロスは小さく笑った。
「別にそう抑えなくても良い。普通の人間の耳には、聞こえない」
と、言うことは、セフィロスは何かを聞き取ったということだ。
「ここにいるんですか?」
「まだはっきりとは判らない。確認してくるから、ここにいろ」
言うなり、セフィロスは静かに走り出した。密集して立つ倉庫の間に、その姿はあっと言う間に消えてしまう。
マリカは困惑げに訊ねる。
「サーは、どうしたの?」
「多分、人の声か物音みたいなのを聞いたんだと思います。ただ、それがユーシスさん達かどうか判らないから……」
「いるのね、ここに!」
激高したマリカが急に大声を出した。そしてクラウドが止める間もなく、セフィロスが消えた方向に向かって大股で歩き出した。
「出てらっしゃいよ、卑怯者!いつだって、こそこそして隠れて、なんでも人の所為にして!あんたなんて大っ嫌いだったのよ、顔見るだけで虫ずが走るくらいに!」
「うわ、マリカさん、落ち着いて!」
クラウドは慌てて腕を引っ張ったが、怒りに我を忘れているマリカは止まらない。
「スモーク・グレイ!いるなら、出てきなさいよ、1人じゃ何も出来ない卑怯者!」
「マリカさん、お願いだから、静かにして……」
クラウドは必死になって止めようとするが、その声など耳に届いていないようで、マリカは怒鳴りながらどんどん奥へ行く。
これでは、セフィロスの行動の邪魔になってしまう。
ひょっとしたら、憲兵隊も来ていると誤解したスモークが、ユーシス道連れに何かするかも知れない。
さまざまな考えが頭をよぎりクラウドは焦るが、怒りで目がくらんでいるマリカは、そんな事を考える余裕がない。
「出てきなさい、卑怯者!」
「卑怯者なんて言うな!この売女!」
突然、倉庫の扉が内側から蹴り開けられ、男が喚きながら出て来た。
スモーク・グレイだった。どす黒くなった顔に目を充血され、左腕に抱えたユーシスのこめかみに銃口を突きつけている。
「ユーシス!」
マリカは悲鳴を上げた。
「マリカ、……来ちゃ駄目、こいつおかしいよ」
「俺をおかしいなんて言うな!整備士風情の娘が偉そうに、俺を語るな!」
「あなた……」
その喚く顔を見ていたマリカが、不意に言った。
「やっぱり、あなたがあの人に何かしたのね」
「うるさい、うるさい!お前なんて、俺の言うとおりにしてればいいのに、気取りやがって!お前ら、みんな、俺のこと馬鹿にして……」
「ひ…」
ユーシスは短い悲鳴を上げると、目をぎゅっと閉じた。こめかみに銃口を押しつける力が強くなる。
彼女は覚悟を決めたように目を閉じたまま唇を噛んだ。死んでもこの男に命乞いなどする気はないと、固く噛みしめた口元が語っている。その彼女の頬は赤黒く腫れている。殴られた痕に気がつき、マリカは喉を鳴らすと口を押さえた。それでも、ショックでこぼれる嗚咽を抑えることが出来ない。
「売女のくせに、生意気なんだ、お前ら……俺の所為じゃないって、証言しろ、証言!」
唾を飛ばして男は喚く。いつ引き金が引かれてもおかしくないくらい、男の手は力が入りすぎて震えている。
クラウドはマリカの腕を引っ張った。興奮が退いた彼女は、身体から力が抜けていてあっさりとよろめく。
「マリカさん、少し離れてください。流れ弾がきたら危ないから……」
クラウドは彼女を脇に押しやった。驚いた顔のマリカは、狼狽えたようだが力が抜けている足はその場から動かない。
クラウドは今二人が出てきた倉庫の屋根の上で、何かが動くのを確認していた。
多分、セフィロスだ。完全に行動の邪魔をしてしまったとクラウドは思った。「ここにいろ」という言いつけを守れなかったせいで、ユーシスを危険にさらしてしまった。
ショック続きで精神的に不安定になっていたマリカを抑えられなかった、これは自分の落ち度だ。
とにかく、男の気をユーシスから逸らさなければいけない。
後は、セフィロスがなんとかしてくれる筈だ。
「お、お前……サーに口添えしてくれ。そしたら、この女、返すから……」
男は、今始めてクラウドに気がついたのか、懇願口調になる。
それを無視し、一歩前に出たクラウドは口を開いた。
「やかましい!このヘタレ×××野郎!一人前に取り引きなんて語ってんじゃねぇ!」
スモークの顔がポカンとなった。マリカと、そして目を閉じていたはずのユーシスも目を開け、呆気にとられた顔でクラウドを見つめている。
「ふざけんな、ママに皮剥いてもらわなきゃ、勃つモンも勃たせらんねーようなカスが偉そうに条件なんてだしてんじゃねえ!くやしけりゃ、女放して実力で来いや、このクサレ××持ちの××カス野郎!」
クラウドは挑発的に中指を立てた。
それまで大人しくて、大事に飾っておきたくなるような美少女だとばかり思っていた3人の、とくにセフィロスのアクセサリー程度にしか考えていなかったスモークのショックは大きかった。
ブルブルと全身が震え、まともに声が出ない。
「こ、こ、この……」
「なんだよ、まだ人質無しじゃ話が出来ないってか?金ボタン付けた案山子野郎が水鉄砲振り回してたって雀1羽追い払えねぇぞ!とっととかかってこいや、この短小××××被りが!」
それが決定打だった。
スモークはユーシスを突き飛ばすと、両手で銃を持ち、まっすぐにクラウドに向けた。
「黙れ、小娘!」
引き金にかかった指が動く。倒れたユーシスが男の手を見て、悲鳴を上げた、その瞬間。
耳をつんざく鋭い音。ガラスをひっかく音と金属がぶつかり合うような不快な音があたりに響く。雪の結晶が大きくなり、渦巻く粒が頬にあたって痛みを覚える。
クラウドは目の前の光景に目を見開いた。
銃を構えた男の両腕を戒めるように、地表から氷の柱が立ち上がっていたのだ。
スモークは何が起きたのか判らず、目を丸くしたまま、しきりにしゃっくりのような声を上げた。彼の両腕は、銃を握ったまま、完全に氷の柱の中で凍り付いている。
抜け出そうにも、がっちりとした分厚い氷柱は壊れそうにない。男は必死にもがいた。
氷の中で腕は感覚を無くしつつある。掌の皮は銃に張り付いて、指が痛む。
「助けてくれ!」
スモークは喚くと、大声で泣き出した。
男の醜態に上体を起こしたまま固まっていたユーシスは、背後から抱え上げられて小さな声を上げた。
「サー……」
「怪我は無かったようだな」
そのまま、風の当たらない倉庫の影に連れて行き、壁に凭れるように座らせる。
マリカとクラウドが急いで走り寄ってくる。
「ユーシス!」
「サー」
マリカとユーシスが抱き合って泣き出す。クラウドはセフィロスに抱きついた。
「良かった、ありがとうございました」
「タイミングを見計らっていた。今度からはストップも持ち歩くようにする」
クラウドはくすっと笑った。セフィロスは間接補助系のマテリアは普段はあまり使わない。
「それにしても、見事な啖呵だったな。どこで覚えた」
笑いながら訊かれ、クラウドは赤面した。
「……新兵訓練の時、フルブライト教官が……」
こそっと答えると、セフィロスは頷いた。クラウドのこの手の挑発セリフなど聞いたのは、セフィロスも始めてだ。金髪碧眼一見美少女の口から飛び出す下品な罵声も刺激的で良い、などと思えるセフィロスの頭は人に言われるまでもなく、そうとういい加減に軽くなっている自覚がある
。
とはいえ、軽く見過ごせない事もある。
「あいつと話をしてくる。ここにいろ」
セフィロスはクラウドから離れると、泣きわめいている男の傍らに行った。
「それくらいで、ビービー喚くな。鬱陶しい」
「……サー、助けてください。なんで俺がこんな目に遭うんですか?」
男は鼻水を流しながら、哀れっぽく言った。
「報告書に嘘書いたって、別に大したことじゃないでしょ。事故の原因なんて、今更調べてどうなるってんですか。俺、士官学校じゃ、トップクラスなんです。軍に入ったら、あんな民間パイロットより絶対に使えますって」
「お前は勘違いしてるな」
セフィロスは酷薄に笑うと、背後にいる3人に聞こえないように声を潜めた。
「オレは、別にお前の嘘の報告書なんてどうでもいい。それこそ、別件だ」
「……え…?」
スモークは惚けたようになった。
「お前はルリの尻を触った上に、腕に痣を残した。オレが、そんなお前に好感を持つと思うか?」
「そ、そんな……」
「そんなしつけの悪い手など、あるだけ無駄だろう。凍傷で使えなくなるまで、そうしていろ」
「そ、そんな、サー、すみません、謝ります!だから、助けてください!」
「憲兵隊に連絡してやるから、救助を待て。もっとも、オレの魔法を解除できる奴がいるとも思えんが」
「……サー」
スモークは情けない声を出した。泣いても喚いても聞いてもらえない。氷の中の腕も指も感覚がない。一体どうすれば助けてもらえるのか、頭の中はもうそれで一杯だった。
「サー、すみません。心から謝ります、助けてください!」
スモークは声を振り絞った。その声に、ユーシスとマリカが涙で濡れた顔を上げる。
男の足下には、湯気の立つ水たまりが出来ている。ショックで失禁したのだ。
「……あんな馬鹿の所為で兄さんは死んだなんて……」
ユーシスは唇を噛むと、歪んだ笑い声を上げた。
「心からなんて、嘘に決まってる。絶対に許さない」
マリカは憎悪の目で睨む。
「残念だな。スモーク・グレイ。お前が使える男だと思っているのは、この世でお前1人らしい」
セフィロスは冷ややかに言う。
クラウドはそれらの言葉を聞きながら、心の奥にうっすらと沸いてきたスモークへの哀れみの感情を飲み込んだ。
結局、彼は自分で自分を罰したのだ。
その、短絡的な行動の所為で。