11
憲兵隊本部応接室のソファの上で、女性が3人眠っている。
実体は女性2人に女装の少年1人なのだが。
1人の憲兵に案内されてその部屋に入ったセフィロスは、あまりの違和感の無さに今更ながら笑いがこみ上げてくる。
「モス少尉、案内ご苦労」
セフィロスがそう言うと、マリカの父である憲兵はぴしっと敬礼の形を取った。
「サーセフィロスにはお礼の言葉もございません。上官の子息と言うだけで、人と成りすら確かめず娘に結婚を望んだ不明を恥じい
るだけです」
「オレは別になにもしていない。自分の判断が間違っていたと思うなら、直接娘に詫びるのだな」
素っ気なく言うと、セフィロスは眠っているクラウドの傍らに歩み寄った。
クラウドはソファの背もたれにぎりぎり頭が引っかかっているような格好。その隣ではマリカが上半身だけ横たえて眠っている。もう一つのソファにはユーシスが横たわっている。
3人とも、緊張が一気に解けたせいか、人が部屋に入ってきても目を覚まさない。
セフィロスは寝顔に目を細めると、黙ってクラウドを抱え上げた。
身じろいだクラウドが「……サー?」と甘えた声で呼ぶ。
「そのまま寝ていていい。帰るぞ」
僅かに頷いて、そのまま頭をセフィロスの肩に乗せようとしていたクラウドは、急に体を起こすと目の前の肩に手をついて距離をとった。
「どうした」
「お……1人で歩きます、大丈夫です!」
どうやら、どこで寝ていたのか思い出したらしい。憲兵達がウロウロしている本部の中を、抱えられたままで帰るなんて、恥ずかしすぎるようだ。
「やれやれ」
へそを曲げられても困るので、セフィロスは大人しくクラウドを床に降ろしてやった。ヘロヘロとおぼつかない足取りでドアに向かうので、蹴躓いて転びそうになったときの用心にセフィロスはクラウドの背後につく。
案の定、出入り口の僅かな段差に蹴躓いて転びかけている。それを両脇の下に手を入れる格好で支えてやると、クラウドは目の前にある床を見ながら長い息をついた。
「……ようやく、目が覚めました」
「それは良かった」
体を起こしかけ、今度は長いスカートの裾を踏んでまた転びかける。呆れたため息が背後から聞こえ、あっさりと抱え上げられてクラウドは諦め顔になった。
「文句あるか?」
「……ないです」
その遣り取りの間に、眠っていたマリカとユーシスが目を覚ました。
「ルリちゃん」と声がかかる。
クラウドを抱えたままセフィロスが振り返ると、放心した顔のマリカが立っている。
「いろいろ、ありがと」
「自分は何もしてません、…全部、サーが…」
急いで首を振ったクラウドの言葉を、セフィロスは遮った。
「お前が関わらなければ、オレは手を出すつもりはなかった。大人しく謝辞を受けておけ」
そう言われて改めてマリカの顔を見ると、彼女は儚げな、それでいてどこかきっぱりと割り切ったような顔で微笑んでいる。
「…大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。ぼんやりしていた所が全部ハッキリして、いろんな事がストンと腑に落ちた感じ。止まっていた時間が動き始めた気がするの。……ありがと」
「私も同じ気分よ」
いつの間にか起きあがっていたユーシスも重ねて言う。
「ありがとうございます。兄さんはパイロットとして恥じるようないい加減な仕事してなかったんだって、判っただけでも嬉しい。……誰も聞いてくれなかったの。兄さんと一緒に働いていたはずの人も、誰も兄さんのこと信じてくれなかったから」
「お兄さんの名誉回復は、速やかに行われることでしょう。今度の事は全て公表されますから」
マリカの父がハッキリと告げる。ユーシスは嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、ルリちゃん、サーセフィロス。心から感謝してます」
差し出された2人の手をクラウドは順にしっかりと握った。
にっこりと笑う女性達の笑顔がまぶしく見えた。
物思いに沈んでいたので、興味本位に横目で見る憲兵達の間をセフィロスの腕に抱えられたまま運ばれても気にならなかった。
本部の建物から外の駐車場に出ると、空は朝日が昇りかけの中途半端な明るさを迎えている。海と反対側のビル群の向こうに覗く空に、かすかな朝焼けの名残がある。
「……明け方の空って、綺麗だけど寂しい感じがします。なんでだろ」
誰にと言う事もなく、クラウドは呟く。その耳元で、聞き慣れた低音が呼ぶ。
「クラウド」
「はい?」
「浮かない顔だな」
「……は?」
「事件は解決した。娘達は感謝した。もう少し喜んだらどうだ」
「は……あの、…」
喜ぶ気分にはならなかった。感謝されたとはいえ、亡くなった大事な人はもう戻らない。
そして、自業自得とはいえ、若い士官が将来を絶たれた。人が悲嘆にくれているのが想像できるのに、『良かった』と考えることはクラウドには難しかった。
目を伏せて考えているそぶりのクラウドに、セフィロスは無表情ながら真摯な目を向ける。
「あの男に同情していたのか?」
「……あ…」
クラウドは答えに詰まると、上目遣いでセフィロスを見た。
「なぜ?」
「なぜって言うか……」
クラウドは頭の中で考えながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……別に、スモーク本人が可哀想だとか思ってるんじゃないと思います……なんだか、ユーシスもマリカも、みんな可哀想だなって…」
セフィロスは僅かに首を傾げた。そうして、自分の感情をもてあましているような、そんなとりとめのない表情をしているクラウドの、次の言葉を待つ。
「……大事な人が突然消えて、生活がそれまでとまるっきり変わってしまったら、俺、どうするのかなと思って……スモークみたいな醜態晒さないなんて、言い切れなくて」
「それが怖いのか」
「怖いです……マリカみたいに、止まった時間を受け入れられるようになれるか、自信ないです。ずっと、止まったまま引きずりそうで」
クラウドは間近のセフィロスの顔を見た。
ただそこにいてくれればいいと、そう思っている人。
強くなりたい、支えられるようになりたいとそう願っているのに、現実にはすがりつくばかりで失ったあとの恐怖の方が先に立つ。
この人と過ごす時間が、突然途切れたりしたら、どうすればいいんだろう。
「クラウド。失うことを恐れるのは、お前だけではないんだぞ」
「……え?」
自分の考えに沈んでいたクラウドは、唐突に言われた言葉が理解できなかった。
「銃口を自分に向けさせるなど無茶をして。あれが隙だらけのひよっこだからまだしも、手慣れたテロリスト相手だったら撃たれてもおかしくないタイミングだったんだぞ」
その声音に、クラウドはセフィロスが静かに怒っていたことに気がついた。
「サー、怒ってます…?」
おそるおそる訊ねると、「当たり前だ」という、きっぱりとした答え。
「オレも万能ではない。いつでも、間に合うとは限らない。自分の命と引き替えにリスクを買うような真似は止めろ」
真剣な声に、クラウドは自分の挑発がどれだけ危険な行為だったのか、今頃気がついた。
あの時は、とにかく、ユーシスを危険から遠ざけなければと、そればかり考えていた。
セフィロスが近くにいるから、だから何とかしてくれる筈だと、都合良く考えていた。
――その都合のいい期待こそが、セフィロスを『英雄』の名のもとに孤独にしているのに。
「……ごめんなさい」
クラウドはセフィロスの肩に回していた腕に力を込め、ぎゅっと抱きついた。
「ごめんなさい」
もう一度言うと、宥めるように背を軽く叩かれる。
「反省しろ」
「はい」
クラウドは素直に答えた。反抗する気など、微塵も起きない。
しょげた顔で抱きつくクラウドを抱き返してくれる力は、強いのに優しい。
クラウドに負担をかけないよう、いつでも黙ってそうやって気遣ってくれている。
この人の優しさに甘えて傷つけてしまった。
自分の子供っぽい心では、一生かけても返せないだけの物を貰っているのにさらに負担をかけてしまって。
いったいどうしたら、この人の心に応えることが出来るのだろう。
クラウドに考えつく方法は、そう多くなかった。
『いくらなんても、あそこまでがっちりと凍り付かせるのは、ちょっと反則じゃないですかねぇ』
「そうだったか」
『熱湯につけこんでも溶けないんですよ。氷柱の下の部分みたいに力尽くに割るわけにいかなくて、手間のかかる事かかる事。ファイアかけてみても意味無いし、ファイラにするとガキは脅えて泣きわめくし。思わずディスペルかけたりとかやってしまったり』
「ほう、それでどうした」
『効果あるわけないでしょ!結局、電動チェーンソーで表面がりがり削って、ようやく壊しましたよ。ガキの泣き声のうるさかったこと』
「溶けたのなら、よかったじゃないか」
『右手の指2本は凍傷で壊死しちゃってましたがね』
「前途有望な若者に対し、悪かったか?」
『全然そんな事思ってないくせに』
電話の向こうで、ディーマンがため息をついている。
氷の柱に両腕を凍り付かせた士官候補生は、とりあえずその場からなんとか助け出されたものの、両腕を固めている氷の塊を排除するのに時間がかかりすぎて、結果、指を2本無くしてしまった。それ以外の場所も凍傷が酷く、おそらく後遺症で日常生活にも障りが出るはずだ。
もちろん、魔法を使って治してやろうなどという奇特なソルジャーはいない。『セフィロスの恋人に銃口を向けた』ならず者に気遣いするほど、ソルジャー達は暇でないのだ。
「女性に銃を向けているのを見て、慌てて手加減が出来なかった。オレにだってしくじる時はある」
『はいはい、そういう事にしときましょ。別に問題にはならないと思いますがね。グレイ士官候補生は放校処分ののち、市警に殺人罪で引き渡し。父親のグレイ大尉は軍曹に降格処分の上、民間倉庫街の警備に移動です。街中での不行状知らんぷりしてただけでなく、ブラックボックスの解析不要の指示も出していたのが部下の告発で判りましてね。証拠隠滅の容疑で警察から引き渡し要求が来たら、軍はかばわない方針です。イモずる式に他の士官も不正をしていないか、監査が入ることになりました』
「氷山の一角だな」
『いろんな意味で、氷山の一角でしたね』
立場の差こそあれ、神羅の中で同じようなことは山とある。隠しきれなくなったから公表し、逆に神羅の真摯な姿勢をアピールして他のもっと上の連中の不正や公私混同は煙に巻く。
特権階級だと思っていた軍の大尉程度の身分など、所詮はトカゲの尻尾の端切れだ。
ディーマンはまたため息をつく。切られた尻尾の端っこなど自業自得でしかないが、電話口の向こうから聞こえるしらばっくれた声に、不正を暴く本音は正義感からではなかったと気がついたからだ。本当の本音はどこにあったのか、上官の鉄面皮を剥ぐのは自分にはなかなか出来ない芸当だと、改めて認識する。
『ミッドガルへの帰還は今日の午後でしたか』
「ああ」
『残りの休暇は楽しめましたか』
「散歩する以外はホテルに籠もっていたな」
『……そりゃ、楽しかったでしょうな。あの子、壊してないでしょうね』
「お前、何を考えている。する事がないから、TVゲーム機を購入してそればかりやっていた」
『健全だかなんだか判りませんなぁ…』
「ホテルの手作りアイスクリームは全種類制覇したぞ。コーヒーとヨーグルト味は大丈夫だったのが判った」
『新しい世界が開けたんですな』
「それから、シューティングとパズルゲームは最高得点を出せるが、対戦ゲームではクラウドに必ず負ける。手加減したつもりはないのだが、勝てない」
『はいはい……ごちそうさまです』
そのおざなりの言葉に、セフィロスは声を上げずに笑う。電話の向こうでディーマンはその気配を感じ、ふっと表情を和ませた。
『それじゃ、お気をつけてお帰り下さい。あの子は大事にしなさいよ』
「言われるまでもない。本当に、お前の反応はザックスと同じだな」
『あれは、俺の自慢の部下ですからね』
得意げに言って、ディーマンは通話を切った。
受話器をおろし、セフィロスは帰りの準備をしているクラウドの様子を見に行く。
クローゼットの前で子供は服をトランクに詰め込んでいた。
スーツやワンピースはとりあえず衣装部屋に送るとして、問題は女性用の下着だ。今後も使用予定はないし、かといって、未使用のブランドのシルクなので捨てるのはもったいない。どうしようかと悩んでいると、セフィロスが「どうした」と聞いてくる。
「サー、この下着、どうしましょう」
そう言ってセフィロスも目の前に出されたのは、やっぱりピンクのショーツ。
「要らないのなら、捨てたらどうだ」
「そんなの、もったいない」
「ザックスにでもやったらどうだ?あれなら、下着をプレゼントできる女ぐらいいるだろう」
「ああ、そうか、そうします」
クラウドは納得したのか、とりあえず衣装部屋行きのトランクに下着を詰めた。
セフィロスは持ち帰り用のトランクに目を向け、ふと一枚持ち上げた。
「クラウド、スカートを持って帰るのか」
「あ、それ……」
セフィロスが手にしているデニム生地のスカートを見て、クラウドは顔を赤くした。
「普段着にするのか?」
セフィロスは意地悪げな笑みでスカートをぶら下げている。
「……サーが嫌なら、止めます」
クラウドは強情な目で答えた。
「嫌ではない」
くすくす笑う男から、クラウドはスカートをひったくるとトランクに入れて蓋を閉めた。
「……このくらいなら、普通に散歩の時とか着てもおかしくないかなって……」
言い訳するようにぶつぶつと言うと、セフィロスはクラウドの隣に座って頭を撫でる。
笑うばかりで何も言わないが、クラウドはその顔を見上げて(ああ、自分の考えなんて、全部ばれてるんだな)と思う。
もしもミッドガルに戻ってからも、セフィロスが休暇の時のように一緒に外を歩きたいと望んだなら、「ルリ」の姿でいつでも応えられるようにしておきたい。
今はこんな程度の事、ほんの少し笑わせる事くらいしかできないけど、呆れないでいて欲しい。
いつかもっと強くなるから。
心配かけず、安心して笑ってもらえるようになるから。
必ず成るから、それまでは。
子供っぽくて考え無しで、しょっちゅう失敗して心配ばかりかけてる俺だけど――ずっと一緒にいて下さい。
そう願いながら、クラウドはセフィロスの頬に自分からキスをする。
キスを返してくれるセフィロスの笑顔を目にするこの一瞬が、かけがえのない大事な時間だと思った。