一緒の時間

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9

海底パイプから見える神秘的な眺めに、クラウドはポカンと口を開けて見入った。
まるで、海の底をそのまま歩いているみたいだ。
深い深い藍色の世界に、魔晄の淡いグリーンライトが小さなアクセントを付けている。
パイプの分厚いガラスに張り付くようにして、クラウドは上を見た。
厚い水の天井を透かして、陽の光が白く揺れている。
銀色の魚の鰭が陽を弾いて光っているのが、まるで宝石のように見えた。




「お連れ殿は、この光景が気に入られたようですな」
「ああ、良い気分転換になったようだ」


少し離れた場所で、セフィロスはディーマンと2人で向かい合っていた。
ブラックボックスに残されていた映像を見たクラウドは、昨夜は殆ど眠れずに過ごしていたようだ。夜中にベッドの上に上体を起こし、膝を抱えてそこに顔を埋め、感情の爆発を抑え込んでいるようだった。
セフィロスはそれを見ない振りで過ごした。頼ってきたなら、一晩中でも抱いて慰めてやろうと思ってはいたが、1人で感情を処理しようと懸命なクラウドに、余計な手出しをしたくなかった。
だからこそ、この件はしっかりと片を付けなければと思った。
たとえ、それが管轄違いの内容でも。
公私混同と言わば言え。大義名分が必要なら、いくらでも後付けしてやる。
あのボンクラ士官候補生にこれ以上人生を謳歌させてやるものか。
けして譲る気のないセフィロスの顔を見て、付き合いの長いディーマンはグタグタと何かを言う気など失せていた。
1人の嘘吐き士官候補生の将来は、これで決まったようなものだ。
二度と神羅の支配する世界では、日の目を見ることはあるまい。


「とりあえず、憲兵隊本部に連絡して、匿名の告発による再調査を申しつけましょう。それで誤魔化すなら、本社総務部調査課に委ねると。まあ、タークスの名前を出した時点て、トカゲの尻尾きり。グレイ大尉も更迭でしょうな」
ディーマンは、わざとらしいため息をつきながら言った。
「そんなものか」
「むろん、息子のバカを知ってて目を瞑っていた証拠があれば、軍法会議ですよ。ただし、ジュノンの監察の連中は面倒くさがりですからね。とっとと首を切る方を選ぶでしょう。出世を待つ憲兵の後が詰まってることだし」
「本人の方は」
「わざわざ言うほどでもないでしょう。まあ、干上がらない程度には何とかなるんじゃないですか?」
その言い様にセフィロスは小さく肩をすくめた。
「速やかに対処してくれ。出来れば、オレがジュノンにいる間に結果を知りたい」
「滞在はいつまででしたか?」
「あと、3日だな」
ディーマンは本気のため息をついた。
「……まあ、あなたの無茶はいつもの事だ。今回は証拠を先に出してくれただけ、親切だと思うことにしましょう」
セフィロスは口角を僅かに上げて笑う。その酷薄な笑みにぞくりとしたものを感じながら、ディーマンはそれを誤魔化すように1人で海底の様子を見学している少女を見た。
金髪碧眼の人形じみた容姿によく似合うひらっとしたチュニックに、切り替えのあるフレアスカート。脱いだコートを抱え、じっと天を仰いでいる。癖のある髪をリボンで纏めた幼い姿に、ディーマンは腕組みをして呻った。


「サー、こんな事は言いたくありませんが、ちょっと想像してたよりもちっこすぎませんか、あの子」
「そうか?」
苦々しげに言うディーマンに、セフィロスはおかしそうに応えた。
反応がザックスとよく似ている。どうせ、この後は、「犯罪だ」とでも言うのだろう。
「ちっこすぎますよ。公称16らしいですけど、どう見てもまだ発育途中の子供でしょ。これで手を出してたら犯罪ですよ。連れ回すなら、せめてめいっぱい身体が育つまで待っても遅くないんじゃないですかね」
予想通りのセリフに、思わずセフィロスは吹き出した。
「なーにを笑ってるんですか。まさか、本当に手を出してるわけじゃないですよね」
その問いに、少しやましさのある顔つきで目をそらすセフィロスに、ディーマンは思わずへたり込みそうになった。


「……手、出したんですね…」
「まあな」
「そこまで、飢えてたんですか……天下の英雄が、子供相手に……」
「泣き真似をするな、わざとらしい」
ディーマンは背を向けてしゃくり上げる真似をする。セフィロスはやれやれと言いたげな顔になった。
「別に飢えていたわけでもないのだが」
「もう、やっちゃった物に言い訳したって仕方ないでしょ。お子さまの機嫌とるのは、大変ですよ。あんた、ちゃんと相手できてるんですか?」
「それなりに出来てるとは思うが」
「思うが、じゃ困るでしょ。可哀想に、あの子、きっと顔で騙されたんですな」
「騙してなどいないぞ」
「タラシはみんなそう言うんです」
にべもない言い方をすると、ディーマンはにっこりとできるだけ優しい顔を作ってクラウドに歩み寄った。どれだけ優しい顔をしても、ディーマンは典型的な戦士顔だ。角張った顔に鋭い目つき、戦闘で残った傷跡。普通の子供は見た瞬間に引きつけを起こすという、曰く付きの笑顔だ。


「どうですか?お嬢さん、海底パイプは。退屈しませんか?」
「いえ、魚が泳いでいるのを見ているだけでおもしろいから…」
控えめな声音で自分を見上げる少女に、ディーマンは内心で感嘆した。
本当に間近で見ても綺麗な、動く人形のような少女。
それなのに、自分の厳つい顔を見ても脅える様子一つ見せない。


「なかなか胆力のあるお嬢さんですな」
にかっと笑う顔は、怖いけれど愛嬌がある。
クラウドは、この人を騙すことに後ろめたさを感じて、セフィロスを見上げた。言いたいことがあるときのクラウドの視線は、どことなくお強請り風だ。少女の服装をしていると、決まって「大人しい」と称されるのは、この人見知りで口下手、視線でお強請りの所為だろう。
本当は、視線の前に蹴りが出ることも多いのだが。


「……ちゃんと自己紹介したいのか?」
「……黙ってるの、失礼な気がして…」
顔を寄せて小声で話をしていると、ディーマンはこほんと咳払いをする。
「いちゃいちゃは2人きりの時になさい」
「まあ、良いか。あれはザックスの元上官だし、これからも顔を合わせる機会もあるだろうから、話を通しておいた方がいいかもしれん」
「なんの話ですか?」
「まだ、きちんと紹介していなかったと思ってな」
話が見えずに首を傾げるディーマンの前にクラウドを押しだし、セフィロスは「自己紹介しろ」と言った。部下に命令するような口調に、ディーマンはいぶかしげになる。その目の前でクラウドは背を伸ばすと踵を合わせ、綺麗な敬礼をした。


「ザックス小隊直属支援部隊スプラウト班所属、クラウド・ストライフです。よろしく、お見知りおき願います。サー・ディーマン」
ディーマンの顎がかくんと外れたようになった。
そして我に返ると、セフィロスの鼻先に指を突きつける。


「あんた、部下の部下に手を出したんですか!」
「お前もザックスと似たような反応をするな」
「ザックスも知ってるんですか!自分の部下が毒牙にかかったというのに放っておくとは情けない!こ、こんな小さい子供相手に……」
「だから、泣き真似をするな!鬱陶しい」
うっうっうと肩をゆらして泣き真似するディーマンに、セフィロスは怒鳴る。
「……面白い人ですね」
クラウドは人事のように呟く。でも、関係を知ると、揃ってみんなセフィロスが手を出したと咎めるような言い方をする。親しい間柄からの冗談も入っているのだろうが、そんなに自分は哀れまれる立場なのかと、少しばかり落ち込んでくる。


「あ、あの」
クラウドはまだ泣き真似をしているディーマンに向かって、声をかけた。ディーマンは顔を上げてクラウドを見る。
「俺、今はまだ子供ですけど、そのうち、大人になります。身体だって、きっともっと育つだろうし……だから」
「だから?」
ごく自然にディーマンは先を促す。クラウドは思い切っていった。
「だから、サーが無理強いしてるような言い方するのは、止めてください」
一瞬、少女の姿の少年を見つめた後、ディーマンは声を上げて笑い出した。


「なるほど、大した子供だ。あんた、尻に敷かれてますな、きっと」
バンバンと肩を叩かれ、セフィロスは憮然とする。
「楽しそうだな、お前は」
「そりゃー、そうでしょ。あんたの事、かばってますよ、この子。こんなタラシを本気でかばうなんて、大物ですよ」
「別に誰もタラシ込んでなどいないぞ」
「ああ、はいはい、あんたは天然のタラシですからな。その気はなくても、勝手にみんなたらされに近寄ってくるんです。勝手に近づいてきて、想像通りでないと、勝手に騙されたと文句を言うんです。あんたの意志なんて関係なくね」
ディーマンはまじめな顔になる。
「少なくとも、あんたの立場以外を心配するような子は、今までいなかった。大事になさい」
そしてクラウドに向き直り、その頭を撫でる。


「ありがとう。仏頂面で無表情で冷酷で意地悪で部下をいつも脅えさせていたサーが、こんなにヘラヘラと楽しそうに笑うようになったのは、お前さんのおかげだ」
「……サーって、笑い上戸だと思ってたけど…怖かったんですか…」
ぽつんと呟く言葉に、ディーマンは腹がよじれるほど笑い出した。
「…お前、いい加減にしろ」
「判ってますって……しかし、面白い子ですな。なんでまた、女装させてるんですか?」
「これが普段着だ」
「さらっと嘘つかないで下さい!」
そのクラウドの言葉を聞いてまたディーマンは爆笑した。今度はセフィロスの脅しにも止まることはなかった。


「それでは、概要が分かり次第、報告しますから……くく……ぷ…」
「しつこい」
声が枯れるまで笑いまくったあげくに、まだ思い出し笑いをしながらディーマンはセフィロスの依頼をこなすために戻っていった。
クラウドは首を傾げてディーマンの姿が見えなくなるまで見送った。 その頭に、セフィロスが手を乗せる。
「寒くないか。気温が安定しているとはいえ、ここは冷暖房完備というわけじゃない」
「あ、ひんやりして、気持ちいいくらいです。あっちは魔晄炉ですか?」
クラウドは海底パイプの先に見える建物の影を指さした。
「ああ、あそこは関係者以外立入禁止だ。見せてやれなくてすまないな」
「……いえ、今、俺、民間人扱いだから、仕方ないですね」
「そのうち、見せてやる。さて、戻るか」
「今日の用事は終わりですか?」
「そうだな。……物足りないか?」
クラウドは慌てて首を振った。
「いえ、そんな事無いです。本当のことがちゃんと公になるんですよね」
「公表されるかどうかはわからん。だが、神羅内部ではスモーク・グレイの名はブラックリスト入だ。今後、神羅関係の職を得ることは出来ないだろう」


今のこの神羅独裁の社会で、そこに職を得ることが絶望的だとすると、スモーク・グレイは社会的に抹殺されたも同然だ。いっそおおっぴらに処罰された方が幸せかも知れない。
クラウドは少し納得のいかない顔つきながら頷いた。
憲兵隊隊長の息子が一般民間人を謀殺など、「企業」である神羅のイメージ戦略的には絶対に避けるべき類のスキャンダルだ。処罰を確約されただけでも幸運なのかも知れない。
セフィロスは宥めるようにクラウドの肩に手を回し、背を屈めて訊ねる。
「この後、どこか行きたい場所はあるか?」
うーん、とクラウドは腕組みをして考えた。
「……あんまり、人混みに出たい気分じゃないんですけど」
「食事をすませたら、アンダージュノンに行ってみるか。浜辺で遊ぶわけにはいかないが、上の連中と会うこともないだろう」
クラウドはにこっと笑った。


支社の幹部用カフェで軽い食事をとった後、空港エレベーターでアンダージュノンに向かった。
ジュノン要塞の影になり、寂れた場所ではあるが、自然の大地に降り立つとそれだけで気分が違う。
海の汚染で漁業はだいぶ廃れてはいるが、沖合に出ればまだ漁は可能だ。
共同で漁師が使う大きめの漁船の修復や網の手入れで、村はそれなりに活気がある。
上にいたときよりも、潮の香りが強く感じられ、クラウドは大きく深呼吸した。


「波の音も近く感じますね」
「ああ」
物珍しげにきょろきょろしながら、クラウドは浜へと降りる階段を下る。
通りすがりの浅黒く日焼けした中年の男が、場違いな服装のクラウドをじろりと見やった。 その顔にはしわが深く刻まれ、たくましい肩に漁に使う網を抱えてる。
「あんた、観光客?」
「……は、はい」
緊張して応えるクラウドに、男は思いがけず人なつっこい顔で笑った。
「大した物はないけど、ゆっくりしていきな。小魚のスープとか、上の連中は食わねぇけど、けっこう上手い名物だ」
「はい、ありがとうございます」
男はその返事に満足したのか、網を抱え直して去っていった。途中でセフィロスとすれ違ったが、英雄だとはまるで気がつかない様子だ。


「何を言っていたんだ?」
「小魚のスープが美味しい名物だって」
「……ああ、あっちの屋台で売っていたな。後で食ってみるか」
「はい……観光って、やっぱり食べるのが主になるんですね…」
最初の日にユーシス達に案内されて、ジュノン食べ歩きをしたことを思い出した。
たった数日前なのに、あんなに屈託無く楽しめたのはあの日限りだ。
クラウドはセフィロスを見上げると、袖を引っ張った。


「どうした?」
「……いえ」
問いに答えず、クラウドはセフィロスの袖を引っ張ったまま浜辺に降りた。
砂浜に干からびた貝や海草が散らばっている。人はもちろん、犬猫の姿も見えない。
ひやりとした海風の冷たさと相まって、酷く寂れた雰囲気だ。
ミッドガルのスラムですら、雑然とした活気に溢れているのに、生き物の気配のない場所というのは、どうしてこんなにも寂しいのだろう。
まるで、枯れた木々が地から突き出す白骨に見えるニブル山を彷彿させる雰囲気だ。
クラウドは波が押し寄せるぎりぎりの縁を、1人で足跡を確かめるように歩く。
表情を無くして歩く少年の髪が、海風に揺れる。
海猫の声は遙か頭上で聞こえ、断末魔の悲鳴を思わせる。
クラウドは足を止め、海岸に立つセフィロスを目で探した。
別に意味のある行為ではない。ただ、そこにいる事を確かめたかった。


「夏なら、もっと生き生きしてるんでしょうか、ここ」
セフィロスの側へと戻りながら、クラウドは唐突に訊ねた。
「それはそうだな。コスタ・デル・ソル程ではないが、近在ではここ一体の浜辺は海水浴にも使われているようだ」
「そうか、よかった」
何に対しての「良かった」なのかは聞けなかったが、クラウドはそれなりに楽しそうな笑顔になった。
「スープ、食べに行きませんか?なんだか、寒くなってきたし」
「そうだな」
スパイスを使った辛目の小魚スープは、体を温めてくれた。
その後はエアポートで夕陽の沈むのを2人で眺め、少しだけ落ち着いた気分でホテルに戻ると、伝言が二件あった。


一件は、ディーマンから。
もう一件は、マリカから。
どうしたのだろうかと、伝言に残されたPHSの番号に連絡をしてみると、泣きそうな声が飛び出してきた。


『ユーシスが、連れて行かれちゃったの!あいつ、おかしいのよ!スモーク・グレイ!あいつ、おかしくなってる!』


そして連絡の付いたディーマンが慌ただしく伝えてくる話は、父親のグレイ大尉を通じて虚偽報告書の件で出頭命令が出たことを伝えさせたら、逆上したスモークが家にあった銃で父親を撃ち、その足でユーシスの家に行って娘を人質に逃亡したという内容だった。





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