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めちゃくちゃ疲れた1日だった。
これなら、20キロランニングの方が、気持ちのいい汗がかけるだけマシだ。
バスタブに半ば沈みそうになりながら、クラウドはそう考えた。
髪はスタイリング剤とスプレーでゴワついているし、足はパンプスの所為で痛いし、女装に慣れたといってもやっぱりきつい所はきつい。
「ふやけるぞ」
バスルームのドアが開き、セフィロスが顔を覗かせる。
「遅いから、寝ているかと思った」
笑いながら言うとセフィロスはシャワーヘッドを掴み、鼻の頭に泡を乗せているクラウドの髪を洗い流し始める。クラウドはセフィロスの髪を引っ張った。
「サーも入りませんか?」
「疲れているから、今日は1人で入るといったのはお前だろう」
「そうですけど……」
クラウドが握ったままの銀髪の先が、泡に触れる。
「落ち着かないのか」
「なんだか、いろいろ考えちゃって」
クラウドの頭の中では、今日1日の出来事がぐるぐる回っている。
明るいユーシスやマリカが抱えている疑惑と葛藤。
士官候補生達の実体と裏側。
納得がいかないことばかりだ。
休暇のつもりで連れてきたジュノンでの予想外の出来事に、正直セフィロスも戸惑っている。こんな複雑な表情をさせるつもりではなかった。
泡を洗い流し、立たせて大きなバスタオルで身体を包むと、クラウドは少し不満そうな顔をした。苦笑してセフィロスはその鼻先に軽くキスを落とす。
「頭を冷やして少し考えを纏めたい。先にベッドへ行っていてくれ」
「……はい」
不満そうなままペタペタと足音を立てて寝室に向かうクラウドに、不意にセフィロスは腕を伸ばし、バスタオルをめくり上げて現れた小さな尻に音を立ててキスをした。
「うひゃ!」
驚いたクラウドは跳ね上がるようにして振り返った。
「いきなり、何するんですか!」
バスタブに腰をかけているセフィロスはケロリとして「消毒だ」と答える。
……なんかもう、大人のやる事って分からない……。
ただでも疲れているところへの意味不明な行動に、クラウドはその場にへたり込みそうになる。
「やはり、一緒にはいるか?」
「……いいです、お先します……」
ヨタヨタとしながらクラウドはバスルームから出ていった。
セフィロスは服を脱いでシャワーのコックをひねる。
頭から浴びているのは、湯ではなく水だ。冗談抜きで不快だった。
大人げないと言われようが、クラウドの尻を触った士官候補生を闇討ちしてやろうか、などとまで考える。
さすがにばれた後の事を考えると面倒くさくなりそうなので闇討ちは思いとどまったが、何か灸を据えてやりたい気持ちは残っている。
合法的に追いつめる手はないだろうか。
セフィロスは積極的に事故の再調査に手を付ける気になった。
バスルームから出ると、セフィロスは寝室を見回した。
クラウドがいない。リビングを見ても、そちらにもいない。
はて、どうしたのかと思うと、僅かにカーテンが開いた窓の下にころりと丸くなって眠っている。ガラス越しに見る外は雪だ。
セフィロスはクラウドの寝付きが良かったことを思い出した。フロの中でも廊下でも眠くなる寝てしまう。
今夜も降る雪を眺めているうちに眠くなって、その場で眠ってしまったのだろう。
いくら空調の整ったホテルとはいえ、湿り気のあるバスタオル一枚にくるまっただけでは体に悪いだろうに。
本当に、まだ幼いのだと、こんな時にセフィロスは強く実感する。
まともな家庭で生まれ育った子供なら、まだ親の庇護下にある年齢の筈だ。今夜会った士官候補生などと比べても遙かに年若く、大人に守られてしかるべき頃だ。
セフィロスはまともな家庭という物を知らない。特殊な環境下で育ち、それが当たり前だと長い間思っていたのだから、それ以外の子供の育ち方など想像できない。
その自分が、この子供の親代わりもこなそうなどと考えているのだから、随分と無理があると思う。
ただ思うのは、出来るだけこの子供を泣かせるような事はしたくないということ。
セフィロスは眠っている子供を胸に抱え込み、そのままベッドに潜り込んだ。
胸元にすり寄る子供の安らかな眠りを、守ってやりたいと強く願った。
■■□
ジュノンでは、昨夜からの雪がずっと降り続いている。
クラウドは窓ガラスに張り付くようにして、ずっと外を眺めている。
雪が降ると海からの風の所為で、体感温度はミッドガルよりも低くなる。
セフィロスから外出禁止を言い渡され、クラウドは過保護すぎると不満顔だ。
「俺、これでもけっこう丈夫ですよ。ニブルヘイムにいた頃だって、風邪ひいた事なんてなかったし」
「分かっているが、今日はオレはやることがある。1人での外出は禁止だ」
そう言ってから、さすがに部屋に閉じこめるのも可哀想だと思ったのか、セフィロスは付け加えた。
「ホテル内の施設なら遊んできても良いぞ。シアタールーム、トレーニングルーム、ゲームコーナーなどがある」
「1人で遊んでも、つまらないです」
クラウドは思いっきりふくれっ面で答えた。駄々をこねるクラウドというのは珍しいので、セフィロスは新鮮な表情だと笑みが誘われる。
「出来るだけ早くすませる。いい子にしていろ」
セフィロスは瀟洒なガラスのデスクで、持ち込んでいたパソコンを立ち上げている。
何か急ぎの仕事があるのかと思うと、不満はあっても我が儘は言えないと、クラウドは肩を落とした。
「例の事故調査だ。とりあえず、閲覧できる資料を集めてみる」
「…え?」
クラウドはパソコン画面が見える場所へ移動した。セフィロスは自分用のIDとパスワードを入力し、神羅軍のデータバンクを呼び出ししている。
「あ、俺が見ちゃまずいですか?」
「別に機密事項を引っ張り出そうというわけではない。暇つぶしになるなら、そこで見ていても構わない」
クラウドはいそいそと椅子を運んでくると、セフィロスの隣に陣取って画面を見つめた。
いくつかのキーワードを入れ、セフィロスは事故報告書や、引き上げられたへりの残骸の調査報告書、気候やフライトのデータなどを呼び出していた。
一つ一つはクラウドから見てもさほど珍しい書式ではないが、モニター上に一度に表示されると、目がチカチカしてくる。
顰め顔で真剣に画面を睨んでいるクラウドを見て、セフィロスはフロントにプリンターと紙を用意するように言いつけた。
プリントアウトされた資料を片手にソファに座ると、クラウドは資料をテーブルに置いて部屋備え付けの小さなキッチンでコーヒーを淹れた。
新婚用の部屋だけあって、簡単な料理なら作れる程度の道具が整っている。あいにくとクラウドは花婿に披露できるような得意料理はないので、コーヒーを淹れるだけだ。
トレイに乗せて運んでいくと、セフィロスはさらに細かい記事も検索していたようで、スモーク・グレイのちょっとした学校新聞の記事や、課外活動での評価も画面上に呼び出されていた。
「……なんだか、凄く熱心ですね。いつも調査ってこんな風なんですか?」
「まあ、そうだな……一度、事件性なしと判断された事故でもあるし」
「そうですか」
セフィロスは、私怨混じりで調べていることは内緒にしておいた。好色な目で身体を品定めされていたなど、不愉快な事をわざわざ本人に知らせることもない。
歯切れの悪い説明ながら素直に納得したクラウドは、自分の分のコーヒーをテーブルに置いて、改めて資料に目を通し始めた。
ざっと読み進んだ限りではスモークが提出した報告書自体には、特別問題がないような気がした。
あの日のへりの操縦実習は以前からの予定通りの物。
時間通りにエアポートに着いたスモークは、一通りの整備箇所をその場でチェック。本格的な整備は事前にすませていたはずなので、彼自身は形式だけのチェックだったという。
予定時間に発進し、ジュノン近辺の沿岸を一回りして戻ってくる予定だった。
操縦は、スモークがしていた。急にへりのコントロールがきかなくなり、隣に座っていたパイロットがいろいろと計器をいじっていると、燃料計が壊れていて、肝心の燃料が空になっていたことが分かった。眼前に魔晄キャノンが近づき、もう駄目だと思ったスモークは後部座席の棚からパラシュートをとりだし、一つをパイロットに渡して脱出した。
相手もすぐに後を追ってくるかと思ったら、来なかった。パイロットはそのままへりと一緒にキャノンの砲身に激突炎上、墜落。
単純な整備ミスによる事故。
事故調査報告書の方は、引き上げられた機体の残骸などから原因を調べた物らしいが、専門用語や知らない単語が多すぎて、クラウドには理解不能だ。
「サー、ここのホテルって、本屋さんありましたよね」
「ああ、あるが、それがどうかしたのか」
「ちょっと、行ってきていいですか?」
「欲しい本でもあるのか」
セフィロスはモニターから視線を外して、クラウドに向き直った。
「辞書、欲しいんです。俺、初等教育しか受けていないし、仕事してても、分からない単語が増えてきてるから勉強したくて」
真顔でそういう少年に、セフィロスは柔らかく微笑む。
「マンションに戻ったら、オレの書斎にも自由に出入りして良い。書店は地下一階にある。ついでにアイスクリームでも買ってくればいい」
「サーも食べますか?アイスクリーム」
「……オレは遠慮しておく」
笑いながら手を振るセフィロスに、クラウドも笑みを返す。
「じゃ、ちょっと、行ってきます」
ポニーテールを揺らして、クラウドは部屋から出ていった。淡いオレンジのセーターにジーンズ生地のミニスカートという、少女の格好が全く違和感無い。子供の姿が眼前から消えると、セフィロスはまたモニターを見る。
事故自体には問題ないかのように見える。
ただし、親が憲兵隊の隊長である以上、意図的に改竄された可能性もあるので、それ以外の個人的なデータや評判を調べる。
成績は優秀で性格も明るく、学校では常にリーダー的な立場だ。
ただ、検索範囲を広げて士官学校生全体の評判を調べてみると、いくつか支社に苦情が上がっているのが分かる。
実名こそ上がっていないが、「士官候補生」「将来パイロット希望」「親が憲兵」といったキーワードを持つ生徒が何度か商店街で問題を起こしていた。
自動販売機を蹴飛ばしたとか、コーヒースタンドで代金を踏み倒したとか、集団で練り歩いて通りかかった老人を突き飛ばしたという目撃情報だ。
ただし、それが学校や軍に連絡された様子はない。
確かに一つ一つは他愛のない内容だが、少なくとも、公式の資料に載せられているような、好人物とは言い難い。
だからといって、それで殺人を起こしかねないと判断するには無理がある。
この男が、人を平気で陥れるだけの倫理観の欠如があるという証明には成らない。
もう少し、個人的なデータが必要だと思われた。
ホテル内の書店で、クラウドは中等学生向きの辞書を購入した。専門用語を調べるにはほど遠いが、あいにくと専門用語辞典や大人向けの辞書は置いていなかった。
もっとも、そういった内容の難しい辞書はセフィロスの書斎にあるだろうから、今は自分の頭のレベルに合わせておこうとクラウドは考えた。ついでにシャープペンシルとノートも購入。セフィロスから貰ったカードを何度も使うことに少々後ろめたさを感じつつ、買い物を済ませる。
その次にクラウドは一階ロビーにあるカフェに向かった。
ここでは手作りケーキやアイスクリームを持ち帰りすることが出来る。
セフィロスは甘い物はあまり好まないが、ちょうど甘さ控えめのコーヒーアイスがメニューにあったので、自分用のチョコレートアイスと一緒に自腹で買っていこうと思った。
ささやかな自己満足だが、これくらいは奢ってみたい。アイスクリームケースを覗きながら注文しようとしていると、突然肩を叩かれた。
振り向くと、昨夜合ったスモーク・グレイがいた。背後に女性が3人ほどいる。マリカでもユーシスでもない、見知らぬ女性達だ。
「ほら、俺のカン、大当たり〜〜〜。ルリさんがいるって事は、サーもこのホテル泊まってるんだよね」
「えーー、ほんとにいるの?神羅の英雄!」
「テレビで見ただけだけど、むっちゃくちゃハンサムだよね!その辺のタレントや俳優なんてお呼びじゃないって感じーーーー!」
きゃんきゃんとはしゃいだ声を上げる女性達に、クラウドは言葉を無くしてしまった。
何しに来たんだろ、この人達。
「ここで会えるなんて、すんごい偶然だと思わない?良かったら、食事でもどう?サーもホテルいるの?いたら一緒にご飯食べない?サーがつきあってくれたら、俺、凄く彼女たちに鼻が高いんだけど」
ペラペラとしゃべるスモークに、クラウドは反応できずにポカンとなった。
何言ってるんだろう、この男。サーと知り合いだとでも、この女性達に自慢してたんだろうか。
「すみませんけど、サーは今、部屋でお仕事中です。私ももう戻りますので」
クラウドは出来るだけ素っ気なく言うと、スモーク達の脇を通り抜けようとした。いきなり女性達が騒ぎ出す。
「えー、ひどい!朝から探し回ったのに、こんな冷たい態度、酷い!」
「むかつくーーー」
「セフィロスと会えるっていうから、来たんだよ、つまんない!」
「ねえねえ、そんな冷たい事言わないで、ちょっとお茶するだけだから」
女性達の声に、スモークはクラウドの前に回り込むと下手に言った。
「サーが仕事中ならさ、ルリさんが少し彼女たちの質問に答えてくれたら、それですぐ帰るから」
「私の方から、お話しできるようなことは何もありません」
クラウドは頑固に言った。実際、セフィロスのプライベートについては、殆どが情報規制の対象に含まれているから、関係者以外には何も話せない。
別にもったいぶっているとか、神秘主義とか言うのではなく、こういったうわさ話を元に個人情報が広まると、出所がどこなのかタークスでも把握しにくくなるからだ。
好みのブランド、好みのアーティスト、好みの場所。
ほんの些細な情報でも、数を集めていけば、行動範囲の予想をする事が出来る。
どこでどんな方法でテロの標的にされるか、判らない。
「そんな難しく考えなくても、どんな色が好きで、寝るときはどんな格好とか、そんな話だけでいいって」
「ソルジャーの個人情報に関しては、広報を通した物以外は全て公開できない事になっています。神羅軍の士官候補生の方ならご存じかと思いますが」
少し慇懃無礼な口調で言うと、女性達はしらけた顔でスモークを見た。
「なんだ〜最初っから、駄目だって分かってたんじゃん」
「自分が会いに行ったら、きっと会ってくれるって言ったくせに」
「フロントに言ったって、全然相手にされないし、あたししらけちゃったーーー」
「ちょっと、待てよ」
女性達の小馬鹿にした口調に、スモークは険しい顔になった。
「ちょっと、俺が挨拶したいだけなんだから、顔見せてくれるだけでも良いだろ。取り次いでくれよ」
そう言いながら、クラウドの腕を掴む。その手に込められた力の強さに、クラウドは顔を顰めた。これが本当の女性なら、悲鳴を上げてもおかしくない強さだ。
「面会希望なら、軍の総務を通して正式にアポイントメントを取ってください!」
そう言い放った瞬間、スモークはまた手に力を込めた。
「ちょっとだけって頼んでいるのに!」
「何をしているんですか!グレイさん!」
ホテルの警備員が駆けつけてきて、クラウドからスモークを引き剥がした。
「いくら、グレイ大尉の息子さんでも、お客様への暴行は許されませんよ!」
ホテルの支配人らしき男が、クラウドをかばって青筋立てそうな勢いで鋭く言った。
スモークは舌打ちをし、謝罪の一つも言わずに口を尖らせた女性達を連れてホテルから出ていく。乱暴な足音に、ロビーにいた他の客達も脅えている。
支配人は忌々しげにそれを見送った。
「ここは神羅系列のホテルですから、まだいいんです。地元住人のペンションなどでは、騒ぎを起こしても泣き寝入りさせられるところが多いんです」
支配人はそう苦々しげに呟いた後、それがクラウドに聞かれていることに気がついて、慌てて営業スマイルを浮かべた。
「ご不快な想いをさせて申し訳ございませんでした。ここへは、ケーキをお買い求めに?」
「あ、いえ、アイスクリーム……を」
急に質問され、狼狽えて答えると、支配人は「申し訳ございませんでした。後ほど、お部屋の方へお届けいたします。さあ、お部屋までお送りいたしますので」と、有無を言わさぬ口調でクラウドを促した。
クラウドも、買い物をする気が失せていたので、大人しく部屋に戻る。
支配人に付き添われて戻ってきたクラウドに、セフィロスは当然だが酷く驚いた。そして状況の説明を受けると、その表情がすうっと消える。
その秀麗な顔に浮かぶ冷たい無表情に、支配人は凍り付くような気分を味わった。