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寝室に追いやられたクラウドは、ドアの隙間から、リビングにいるセフィロスとホテル支配人の様子を窺った。
真剣な顔で、けっこう長い時間話し合っている。
自分も当事者なのだから、話を聞かせてくれてもいいのに、とクラウドは憤慨する。
とはいえ、自分自身はあの程度でショックを受けたりはしないが、普通の当たり前の女性なら男に乱暴に腕を掴まれたら脅えるだろうというのも判るので、大人しくショックを受けたフリで寝室に籠もるしかない。
それにしても、説明を受けた直後のセフィロスの顔は怖かった。支配人が、まるで自分が悪いことをしたかのように1、2歩後退ったくらいだ。
その後セフィロスは支配人を招き入れると、クラウドに有無を言わさぬ口調で寝室に行っているように言った。
それから、ずっといろいろと話を聞いている。
何を聞いているのか、支配人が退出したら教えてくれるのだろうか。
クラウドは全然聞こえてこない会話を盗み聞きするのを諦め、ベッドの上に転がった。
なんだか、いつも余計な面倒を引っ張り込んでいるような気がするのは、気のせいだろうか。
さっき声をかけられた時も、適当に言い逃れすれば、相手も大人しく引き下がったかもしれない。遣り取りの下手くそさ加減には自覚があるので、自分の言い方が相手の癇に障ったのだろうと推測できる。
ザックスやセフィロス、小隊のメンバーなど、少々の事は気にしない大らかな人達に囲まれて、自分がどれだけ人付き合いが下手なのか忘れかけていた。
もう少し、上手に立ち回れるようになる日が来るんだろうか。
そんな事を考えている内に、クラウドは意識がぼんやりしてきて目を閉じた。
支配人を帰し、寝室に入ってきたセフィロスは、ベッドの上にうつぶせで眠っているクラウドに苦笑すると同時にため息をついた。
少し目を離すと、あっと言う間に居眠りしている。
日常的に無理をして、疲れがたまっているのだろうと思う。本人は辛いとか疲れたとか、よほどの時でなければ口にしないので見過ごしてしまうが、この成長途中の身体で一人前の大人達と行動を共にしていれば疲れるのも当然だろう。
セフィロスはベッドに腰をかけると、子供の頭を軽く撫でた。身じろぎし、クラウドが目を開ける。
「……話、終わった?」
「ああ、災難だったな」
「……なんでいたのか、分かんない」
「大方、オレと知り合いだと女どもに自慢しに来たのだろう。支配人の話だと、ああいう振る舞いは日常茶飯事だそうだ」
「……地元の人の宿とかだと、泣き寝入りしているって言ってた」
「そのようだな。横暴を取り締まるべき憲兵の父親が見ない振りをしているから、増長し放題だ」
寝ぼけ眼のままノロノロと起きあがると、クラウドは両腕を伸ばしてセフィロスに抱きつく。
目が覚めきっていない状態のクラウドは、どちらかというと甘えたがりだ。これで、名前を呼び捨てにしてくれば完璧なのだが、とセフィロスはクラウドを抱きおこしながら考える。
クラウドは顔を大きく顰めると、その状態で2、3度瞬きをした。そうやって無理矢理眠気を追い払うと、顔をこすりながら1人で座り直す。
「それって、放っておいていいんでしょうか」
明瞭になった言葉遣いに、セフィロスは僅かに残念そうになった。
「お前はいつまでも固いな」
「……可愛くなくて、すみません」
「可愛くないとは言っていない。拗ねるな」
「拗ねてません!それより、そんな問題人物、放っておいていいんでしょうか」
「ジュノンの憲兵の人事までは、オレは口出しできん。どうあっても見過ごし出来ないほどの事件でも起こしてくれればいいのだが、そうでもなければ決め手がない」
「事件、起こされるのも、困ると思いますけど……どこ、触ってるんですか」
「決め手を探している」
「俺の決め手探して、どうするんですかーーー」
素知らぬ顔でセーターの下に潜り込んできた手に、クラウドは慌てて身体を捩った。
逃げようとしたときはもう遅く、がっちりと長い腕の中に囚われている。寝起きのろくに力の入らない身体で反抗できるわけもなく、それどころか素肌を直に撫でられて、クラウドは早々に逃げる気を無くした。なんだかもう、全身くまなく決め手になってるみたいだ。
セフィロスはせっせとクラウドの服を脱がす作業に入っている。
つい脱がせやすいように腰を浮かしかけてしまい、悔しくなってクラウドはセフィロスの髪を思いっきり引っ張った――つもりだったが、全然力が入っていない。
拗ねた子供の抵抗にもならない仕草に笑いながら、セフィロスはクラウドの唇を塞ぐ。
髪を掴んでいた手が広い背中にすがるように回り、クラウドは与えられたキスに没頭していた。
いつまでも微睡んでいたいような幸せな時間も、肉体の欲求の前には終わりになる。
クラウドは自分のお腹の音で目を覚ました。隣では、肘をついて上体を起こしているセフィロスがくすくす笑っている。
「……今何時ですか」
「午後の3時になるな。腹が鳴るのも当然か」
笑いながらガウンを羽織ると、セフィロスはルームサービスでランチを注文している。
「昼日中から、何をしてるんだか……」
照れ隠しもあって、クラウドはシーツにくるまったまま膝を抱えた。
その右の二の腕には青い痣が出来ている。昼前に、スモークに掴まれた場所だ。
セフィロスはその痣に指で触れた。
「痛むか?」
「…痛くはないですけど、これ、けっこう手加減無しだったと思います。普通の女性なら、悲鳴を上げてもおかしくないくらい」
「口先では紳士ぶってみても、振る舞いを見れば中身が知れるというものだな」
そう言ってから、セフィロスは顎に手を当てた。
「そうか……嘘を付けない中身を調べるべきだった」
「は?」
突然何を言い出すのかと、クラウドは首を傾げた。
「ブラックボックスだ。コックピット内の音声と映像データが残っているはず」
「……ブラックボックス?」
「簡単に言えば、機体が破損しても壊れない頑丈な素材で出来ている記憶装置だ。新種モンスター等の襲撃による墜落時の調査分析に備え、神羅の機体には標準装備されている」
「それじゃ、それを調べれば、事故直前の様子が分かるんですか?」
「おそらく。生きている人間は嘘を付けるが、この手のデータを改竄するのは難しい。報告書等で事故原因を確定しているのなら、手を付けないまま放置されている可能性は高い」
「それじゃ、すぐに……」
勢い込んで言ったクラウドの腹の虫が盛大に鳴く。赤面したクラウドに、セフィロスは笑いながら「食事が先だな」と言った。
遅いランチには、支配人が言ったとおりにアイスクリームのおまけが付いてきた。10種類程あったメニュー全部がずらりと並び、嬉しいんだかなんだかよく分からない。
「……2個だけで良かったんだけどなぁ…」
「お前が欲しかったのはどれなんだ?」
「コーヒーとチョコ……コーヒー味なら、サーも食べられるかと思って」
「ほう、オレの分か」
セフィロスはひょいとコーヒーアイスのカップを取り上げた。
透明な蓋を取り、少し匂いをかいだところで顔を顰める。
「……これも駄目?」
「駄目というわけでもないがな……」
セフィロスは微妙な言い方をする。正直、セフィロスは味の好き嫌いはない。というか、好き嫌い以前に、美味い不味いの基準がない。
レシピを見せればそれを基準に調味料の使い方や焼き加減など判断できるが、だからといって、それが美味い不味いと感じるわけでもない。
単純に、精製された白砂糖があまり体質に合わないのだろう。菓子に入っている分量だと胸焼けがする。蜂蜜や黒砂糖は平気なので白砂糖限定のようだが、基本的に菓子類を口にしないセフィロスを見て、クラウドは甘い物が駄目だと思いこんでいるようだ。
このコーヒーアイスも白砂糖が使われているが、『甘さ控えめ』が売りらしく量は少な目だ。この程度なら、おそらく大丈夫だろう。セフィロスはそう判断して、頷いて見せた。
「これなら食べられる。大丈夫だ」
「そか、良かった」
クラウドはにこっと笑うと、残りのアイスを冷凍庫にしまい込んだ。
夕食時にはチョコマーブルとナッツのアイスを味見してみよう。ブルーベリー入りチーズクリームも確か甘さを抑えていたはずだから、これはセフィロスも食べられるかも知れない。
アイスクリームのカップを抱えてニコニコしているクラウドに、「ご機嫌だな」とセフィロスが言う。
「……単純だと思ってるんでしょ」
「いや、お前が機嫌がいいとオレも嬉しい」
真顔で返事をされ、クラウドは赤面する。ここまで真剣に新婚さんごっこしなくても良いじゃないか、と、少しだけ照れ隠しに考えた。もっとも表情は緩みっぱなしなので、セフィロスには今クラウドが何を考えているのか筒抜けだったりする。
照れくさそうながら機嫌の良いクラウドの食事姿を堪能しつつ、魚貝スープとサラダ、それにサンドイッチのランチを片づけ、セフィロスはまたパソコンの前に戻った。コーヒーアイスは無事に完食だ。
アイスクリームのスプーンをくわえていたクラウドが、急いで隣に来る。
「ブラックボックス、調べるんですか?」
「非公開資料だから、検索に少し時間がかかる。お前は食べていて良いぞ」
ブラックボックスの内部データは特定のクラスしかアクセスできない階層においてあるらしく、セフィロスはIDとパスワードを打ち込んだ後、さらに数回違うパスワードを入れて検索を繰り返している。
「ジュノン総括のパスを使えば簡単なんだが、オレのパスでは新羅本社のデータバンク経由で申請するのが正式な手順になる」
クラウドは、「ん?」と考え込んだ顔になった。
「ひょっとして、不正アクセスって訳じゃないですよね」
「勘がいいな」
ケロリとした返事に、クラウドは呆れ顔になりながら質問した。
「どうして、サーが直接アクセスできないんですか?」
「一応、管轄違いになるからな。ソルジャーのデータならともかく、へりのデータとなると、車両保管部や兵器開発部門と共有になる」
「随分手慣れているように見えますけど、……前にもやってます?」
「必要な情報が回ってこない時だけだ」
そう言うと、セフィロスは悪童めいた目つきで笑う。
「ちなみに、今使ったのは、ハイデッカーのIDとパスワードだ。年に一度しか変更しない上に、その時の愛人のイニシャルとスリーサイズの組み合わせだから、簡単に想像がつく。軍部データベースならばフリーパスだ。お前も覚えておくか?」
とんでもない申し出にクラウドは首を横にぶんぶんと振った。
そして、その言い分はただの言い訳なんじゃないかなぁ、と密かに考えていると、セフィロスの指が伸びてきて口元を拭った。
「アイスが溶けているぞ」
「あ、ごめんなさい」
スプーンを持ったまま突っ立っていた事を思い出し、クラウドはティッシュを取りに走る。そのちまちまと動く姿を眺めている内に、パソコンは検索を終え、目的のファイルの保管されている場所にたどり着いた。
日付とクルーの名前で分別されたフライトデータとボイスデータ。
セフィロスはそのボイスデータの方をクリックした。動画再生画面が立ち上がる。
へりの製造ナンバーを見ると、すでに旧式に分類されている機体だ。おそらくデータ記録は10分に満たないだろう。長くてせいぜい5.6分といったところか。
チェックはすぐに終わる。
映し出された画像は、コックピットのパイロット席の上部後方、正面がほぼ見渡せる位置だ。パイロットの後頭部が移っている。
気がついて近づいてきたクラウドが、映像を見て首を傾げた。
『グレイ候補生、具合はどうですか?それじゃ、フライト実習にならないですよ』
『たかがヘリだって、軽く考えちゃいけませんよ。ちゃんと実習こなして免許取らなきゃ、パイロットとして登録されないんですから』
「このパイロット、スモーク・グレイじゃないですよね……報告書と違う」
「ああ、完全に偽造報告書だな」
これだけでも、十分に再調査の証拠になる。
そう思ってセフィロスは再生を停止しようとした。その手をクラウドが押さえる。青い目が見開かれ、顔色が白くなっている。
モニターにはパイロットが突然の機体の異常に動転している様子が写っている。
『……どうしたんだ、これは。……この揺れは?グレイ候補生!このチェックシートは本当に……何をしている!』
椅子の傍らに置いた用紙を手に持ちながら背後を振り返った男が、驚いて目を見開く様子が見える。ユーシスに似た、少し童顔の優しい面立ちだ。
『グレイ候補生、待て……』
パイロットの姿がカメラから消え、フロントから見える空は雲の角度が変わって急速に機体が傾いているのが判る。
へり後部に移動したパイロットの声が響く。
『グレイ候補生!くそ、パラシュートがない!なぜだ!』
一瞬だけ、コックピットに戻りかけたパイロットの頭部が移る。正面には魔晄キャノンの巨大な砲身。腕を上げてパイロットは顔をかばい、悲鳴が上がる。
衝撃音と爆炎が見えた刹那、データは終わった。
クラウドは口を押さえて呆然となった。
「……だから、止めようと思ったんだが」
息を一つ吐いてセフィロスはクラウドを引き寄せ、膝に座らせた。
「大丈夫か」
「……はい。サーは予想がついて…?」
「虚偽報告書だとハッキリした時点で、なにかしら不愉快な内容だろうとは思った」
「……計器点検したの、あの人だったって事ですか…?」
「報告書と事故調査書から推測すると、燃料計に細工して残存量を誤魔化したのだろうな。途中で燃料が無くなって墜落するのが分かっていたから、自分だけ脱出し、パイロット用のパラシュートの置き場所をすぐに見つからない場所に変えた」
「ひどい、それで、事故の原因をパイロットの整備ミスにするなんて」
セフィロスはパソコンの電源を落とした。
「クラウド。ひどい事だから、嘘はつかれたんだ」
クラウドは唇を噛む。
「後ろめたい事がなければ、嘘をつく必要はない。違うか」
「違いません……こんな人のために、ユーシスやマリカは辛い思いして…」
嗚咽がこみ上げてきて、クラウドは口元に手をやった。
「……お前が泣いて、どうする」
「どうにもならないけど、でも悔しい。マリカは、自分の所為で彼が殺されたんじゃないかって、そんな事考えたくないって言ってた。彼女は全然悪くないのに、被害者なのに、それなのに、そんな罪悪感抱えて。本当の加害者は全然平気な顔で笑ってるなんて」
「笑わせたままにしておくつもりはない」
セフィロスはクラウドの頭を自分の胸に押し当てるようにして、抱き寄せた。
「お前を泣かせた、責任は取らせる」
それはちょっと違うんじゃないかな、と思ったが、クラウドは黙って頷いた。
自分の涙が彼女たちの涙の変わりになるとは思わないけど、それで彼女たちの敵がとれるなら、海の水と同じ量だけ涙を流しても構わない。