キス

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2

クラウドがダンスのレッスンに参加するようになって、ちょうど一週間。
その間、夜勤で1日休んだだけの、皆勤賞物の律儀さでクラウドはレッスンに通っている。
そして日が経つにつれ、セフィロスにとっては面白くもない事に、見学者が増えているらしい。
そう面白そうに伝えに来たザックスの首根っこを掴み、引きずるようにして格闘訓練場に来ると、なるほど入り口の辺りに人だかりが出来ている。
「はい、ちょっとどいてどいて〜〜〜」
ザックスは気楽な口調で、団子状態で中を覗いていた兵達をどかした。
最初は不満そうに振り返った兵達も、セフィロスの顔を見て慌てて道をあける。
訓練場にはいると、大きなモニターにはプロのダンサーのビデオが流れていて、その曲に合わせて3組のカップルが練習をしている。
そのうち2組は、ごつい男同士。残りの一組は、金髪の美少女もどきとごつい兵。
汗で髪が襟足にくっつくのを嫌ったのか、クラウドは髪を高い位置で纏めているので、ゆったりとしたTシャツ、巻きスカートを着用していると、なんの作為も無しで女の子に見える。
この数日で基本のステップはすっかりマスターしたのか、切れの良い動きでターンするたびにスカートが翻り、ほっそりとした足が太股あたりまで露わになる。膝上までの黒いスパッツ着用なのだが、一瞬見えるだけなのが妙に色っぽい。
その度に、集まっている見物人からどよめきが上がる。
セフィロスの手首にはまったバングルのマテリアが不穏な光を宿しだし、ザックスは蒼くなった。


「旦那!施設内での攻撃魔法の使用は厳禁だ!」
「そんな事は知っている。ろくな制御も出来ないお前と一緒にするな」
「ひ、ひどい……いくら俺だって、そのへんで魔法暴発させるなんてマネ、したこと無いぞ!」
「おーう、ザックスにサーセフィロス。部下の様子を見に来たのか」
ザックス達に気がついたレイヴンが陽気に声をかけてきた。
その声にレッスン中だった受講生が全員気がつき、揃って足が止まる。


パートナーから離れてクラウドが駆け寄ってきた。
「……ザックス、サーセフィロス。どうしたんですか?」
関係を公表していない都合上、クラウドはザックスの部下というだけで、セフィロスとは特別関わり合いがないことになっている。 セフィロスは当たり前のようにザックスの隣で立ち止まるクラウドに、少しだけ不満顔だ。
「……旦那、そんな怖い顔しないの……」
「この顔はもともとだ」
クラウドはそんなセフィロスに困りつつも、表だって宥めるわけにもいかず、口を押さえて上目遣いで見る。その微妙な雰囲気に気づかず、レイヴンはニコニコと勝手に話を進めている。


「主催から招待状が届いてます。明日にでも持っていく予定だったんですが、今渡しても構いませんか?」
「……ああ」
興味なさそうな声で首肯するセフィロスに一通、そしてザックスに一通、レイヴンは手渡した。
「え、俺にも?」
「お前、去年、もててただろ。最終価格に到達してたらしいぞ」
「やった!これで俺も3分1000ギルの男〜〜」
節を付けて歌うようにザックスは雄叫びを上げた。
「3分1000ギルの男?」
なんだか嫌らしい響きの枕詞にクラウドが胡乱な目をすると、ザックスは慌てて説明を始めた。
「そーいや、誰かが放置してたエロ本のタイトルがそんなんだったな…『5分1000ギルの女』。いや、そーじゃなくて変な目しないの。それでいったら、サーなんて3分5000ギルの男よ」
「……え?」
「3分ってのは、チャリティダンスパーティーの一曲平均の時間。1000ギルというのは、ダンスチケットの値段。最初は200ギルから始まって、チケット売り上げ枚数が増えると値段も上がる。で、1000ギルまで値上がりするくらいに人気があると、次の年には実行委員会の方からぜひ今年も参加してくださいと招待状が来る。そういう話」
「……そうなんだ、じゃ、サーが5000ギルっていうのは、一曲踊るのに5000ギルのダンスチケットが必要って事?」
「サーの場合は、通常ダンスだけのチケットが5000ギル、ゴールドチケットが8000ギルで頬にキス付き、プラチナチケット10000ギルで唇にキス付き」
微妙に面白がってる顔で、ザックスは「キス付き」を強調して説明を終えた。
「実行委員会にとっては、目玉商品ですからな、サーは」
レイヴンは相変わらず微妙な雰囲気に気がつかずに、声を上げて笑う。
「……そうなんだ、キス付きチケットか……」
クラウドの目が遠くを見つめ、切なげな声が漏れる。


「……キス一回、頬が3000ギルで、唇が5000ギルか……」


妙に感心したような響きに、ザックスは軽く目を剥いた。
「クラウド君、関心持つところはお値段ですか?」
「は?い、いや、その……」
我に返ってセフィロスを見ると、少し目を尖らせてクラウドを睨んでいる。
「あはは……いや、そんな高いチケット買う人がいるなんて、さすが凄いなーーとか……」
クラウドは引きつった笑顔で誤魔化すと、手持ち無沙汰に順番を待っている受講生の元へ走り去っていった。
レイヴンも一礼してフロアの奥へと戻っていく。


二人きりになったところで、ザックスはおっかなびっくり言った。
「……旦那、顔が怖いって」
「これはもともとだ」
「あー、ほらほら。クラウド、けっこうワルツ上達してるじゃん」
「そうだな」
「旦那、大人げないって」
「悪いか」
「悪くないけど……クラウドに八つ当たりするのは止めろよな……ただの素直な感想述べただけなんだから」
「判ってる。あれはまだ子供だ」
「キスったって、妙齢の美女相手なだけじゃないモンね。マジで、福祉事業」
「ふん」
セフィロスは不快げに鼻を鳴らした。妙齢の美女どころか、老若男女お構いなしだ。
英雄に憧れているという士官や、どこかの企業の役員など、男にもチケットを購入されてしまうのはセフィロスだけだ。キス付きチケットだと参加メンバーには断る権利がないので、否応無し。
「キス」という言葉が持つ甘いイメージとはほど遠い行為だ。
格闘訓練場のフロアの真ん中では、クラウドが他の男の腕に抱かれてくるくると回っている。セフィロスは本気でつまらなそうなため息をついた。




レッスンが終わり、クラウドは少しおっかなびっくりでマンションのドアをくぐった。
セフィロスは怒ってないだろうか。
リビングを覗くと、ソファに腰掛けて新聞を広げているセフィロスがいる。
帰ってきたのに気がついている筈なのに、振り向く素振りも見せないセフィロスに、クラウドは少し萎れた気分になった。


「……ただ今帰りました。サー」
「ああ」
「夕食は…すませましたか?」
「ザックスに奢らせた」
「はあ」
クラウドは明日ザックスに謝ろうと思った。見学に連れてきたザックスの自業自得と言えば言えるのだが、キス付きチケットの話で値段にだけ反応してしまったのは、まずかった気がする。セフィロスの機嫌を悪くしてしまった。
だって、本当に値段に驚いたのだ。
唇一回、5000ギル。
クラウドの給料なら、一ヶ月分丸ごと全部つぎ込んだって二回で終わってしまう金額だ。
キッチンに行って冷凍リゾットを取りだし、レンジで温めながら、クラウドはシンクに肘をついてぼんやり考えた。


「5000ギルのキスか…」
「随分値段にこだわるな」
頭の上からふってきた声に、クラウドは飛び上がりそうになった。


「わ……サー」
「お前は、夕食はまだだったのか」
レンジを横目で見ながらセフィロスが聞く。クラウドはまだ動悸が収まらない胸を押さえながら答えた。
「……軽く、ホットドック食べたんですけど、…お腹空いて」
「待っていれば良かったな」
クラウドはぶんぶんと首を振った。
「待つ事なんて無いです。俺が勝手にやってることだから」
「勝手に、か」
含みのある声に、クラウドは何とも言えない気分になる。怒ってるのだろうか。
おそるおそる聞いてみた。


「……サー、あの、怒ってます?」
「なにが」
「なにがって、その……」
何がと言われても、その何でセフィロスの機嫌を損ねたのか、クラウドは上手く言えない。
まさか自分よりも遙かに大人で経験豊富なセフィロス相手に、「俺がキス付きチケットで焼き餅焼かなかったから、拗ねてますか」なんて聞けるわけがない。
「……ほう、お前にはオレが拗ねているように見えるのか」
「はい?」
クラウドはまた飛び上がりそうになった。なんで、判ったんだろう。
「唇が僅かに動いていた。そうか、お前には、オレがそんな些細な事で拗ねているように見えたのか」
「……すみません。そう見えました!」
思い切ってクラウドはそう言いきった。しばし、セフィロスと睨み合いになる。
かなり高い位置から睨み下ろされると、足が震えそうに怖いが、そこは踏ん張ってじっと顔を見上げた。ややあって、セフィロスの方が先に口を開いた。
「そうか……」
クラウドが思っていたよりも、低く落ち着いた声だ。思わず拍子抜け仕掛けたクラウドの耳に、さらに力の抜けるセリフが届いた。


「よく分かったな」


俺、誉められてるんでしょうか、サー。




「……拗ねてたんですか?」
「さあな。よくわからん」
「はあ…」
リゾットをスプーンでちびちびと口に運びながら、クラウドは無表情にコーヒーカップに口を付けているセフィロスをぼんやりと眺めていた。
こうやって見ている限りは全く平静で、さっきのはただ、からかわれただけだと判断した方が、一番無難な気がする。


(……この人って、時々何考えてるんだか、全然分かんなくなるんだよな…)


むろん、クラウドはセフィロスの考えが全部判るなどと自惚れているつもりはない。
とくに仕事に関しては、クラウドはセフィロスが何を考え、どういう目算で動いているのか、さっぱり見当もつかない。
私生活では割とわかりやすい時もあるのだが、今日は全く不明だ。こんな風に無表情でいられると、真面目に拗ねていたのか、それともただ拗ねたフリでからかっていただけなのか判別できない。


クラウドは、黙ってコーヒーを飲んでいる口元を見つめた。
薄くて形のいい唇。どことなく口角が上がり気味で、見る人によっては冷笑されている気分になるかも知れない。
この唇に一瞬触れるだけで、5000ギル。
それを惜しくないと思われている唇だ。


「オレの口がどうかしたか」
「はい?」
いつの間にか、セフィロスの方がクラウドをじっと見つめている。
とすると、自分がぼーっと馬鹿面下げて眺めていたのも全部見られていたのかと、クラウドはなんだか恥ずかしくなった。
赤面して俯いていると、セフィロスは軽く笑った。


「値札でも付けておくか?『唇、一回5000ギル』」
「だ、だめです!」
思わずクラウドは身を乗り出した。セフィロスがその過剰反応に少し呆気にとられている。
こうなると、黙っているのもなんなので、クラウドは開き直って言った。

「駄目です。値札なんて付けたら、俺ががんばってお金貯める前に、売り切れになりそうだから」
そう言うと、クラウドは文句があるなら言って見ろ、と言わんばかりの形相でセフィロスを睨んだ。とはいえ、スプーンを右手にしっかりと握ったままなので、迫力には欠ける。
セフィロスは微かに笑うと、手を伸ばして顔を赤くして睨んでいる子供の顎を捉え、真っ正面から目を覗き込んだ。


「お前が気にするのは、売り切れだけか?オレが他人にキスする分は構わないのか?」
クラウドはうーんと生真面目な顔で呻った。


「サーって、キスにあんまり思い入れなさそうに見えるから……俺もアドリブでいきなりされたし……」
一つ息を吐いて、クラウドは首を傾げる。
「なんだか、挨拶と大差ないような気がして」


その言葉に、セフィロスはくくっと声を漏らす。笑っているのかとクラウドが思った次の瞬間、強く唇を噛むようなキスをされた。
戸惑っているクラウドの唇を嘗めるように動いた舌が、ゆっくりと口内に進入してくる。
唾液と舌が絡み合って、気が遠くなりそうなキス。
とろんとなったクラウドを見て、セフィロスは満足そうに訊ねた。
「これは思い入れのない挨拶のキスか?」
「……違う…と思う…けど」
クラウドは急にキッと目を鋭くした。
「キス付チケット用のキスって、これですか?」
「だったら、どうする?」
珍しく嫉妬めいた表情をするクラウドに、セフィロスは面白がって聞いた。
その意地悪な質問に少しの間悩んでいたクラウドは、一つ頷くときっぱりと言った。


「当日は熱湯コーヒー口に注いで、舌、火傷してもらいます」


その幼い脅迫に、セフィロスは吹き出した。
「何が可笑しいんですか」
不満顔の子供に、セフィロスは僅かに片手を振ってみせる。笑いすぎて答えられないようだ。さんざん笑ってから、セフィロスは食事するのを忘れて睨んでいる子供に、もう一度軽くキスする。
「さっきのは非売品だ。バーゲンセールする気はないから、安心しろ」
「バーゲン……」
その言葉に反応して、クラウドは思わず呟いた。


「バーゲンセールで5000ギルか……」


いつまで経っても値段から離れられない子供に、今度こそセフィロスは笑いが止まらなくなる。その笑いっぷりに、なんだかもう何も言い返せなくなって、結局クラウドも一緒になって笑ってしまった。
しばらくたってようやく笑いが収まった頃、セフィロスは笑いすぎで涙を浮かばせているクラウドに、もう一度非売品のキスをした。





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