名探偵は嘘をつかない/阿津川辰海
〈FOB連続見立て殺人事件〉
ゲーム『ファンタジー・オブ・バース』に基づいた“風・土・水・火”の見立て殺人について、“探偵士を呼ぶため”という直接的な見立ての理由はさほど面白味がありませんが、四人の戦士たちの“退場”がゲームのストーリーをなぞったものであり、犯人自身が最後に“魔王”として自殺することでゲームの見立てが完成する、という趣向はなかなか面白いと思います。
犯人が火村明殺害の際に、ポリタンクを横倒しにして灯油を死体の方へ流したことを暴き、そこから“満タンのポリタンクを持ち上げられなかった非力な人物が犯人”という結論を導き出す、阿久津の推理は実に鮮やかです。しかしその推理を成立させるために、使いかけのポリタンクをあらかじめ持ち去って満タンのポリタンクだけを残しておいた“逆トリック”が凄まじいところで、犯人の次の犯行を――火村兄妹を候補に含む次の犠牲者が出ることを予定に入れた計画は、後述のようにやむを得ないとはいえ、やはり何とも冷徹に感じられます。
後に阿久津の“逆トリック”に気づいた火村つかさは、水原優子の死体が“浴槽の縁に(中略)もたれかかっていた”
(25頁)ことから、その時点で阿久津が犯人を見抜いていたと追及していますが、これは少々無理があるように思います。阿久津は死体発見時の水流による移動を指摘していますが、さらにそれ以前に、浴室が“水の棺”に仕立てられた段階で死体は水に浮いて漂ったはず(*1)なので、当初の位置はまったく不明ということになるでしょう。
もっとも、阿久津は天童勇気少年を狙った“逆トリック”を仕掛けたわけですから、勇気が犯人である可能性を想定していたことは確かです。これは、“水”の見立てが死体を浴槽に入れておくだけにとどまらず、“水の棺”という“過剰な演出”
(35頁)が施されていたことに着目し、その理由として“犯人が死体を持ち上げることができなかった”可能性を念頭に置いた(*2)、ということではないでしょうか。
この〈FOB連続見立て殺人事件〉そのものは、弾劾裁判の場面ではあまり重く扱われてはいないものの、〈相島早苗殺害事件〉につながる“阿久津の傾向を窺わせる”
(41頁)のはもちろんのこと、(1)“探偵を呼ぶため”という見立ての理由がほぼそのまま、〈相島早苗殺害事件〉での現場の装飾の説明となる、(2)明が殺された際の現場の傾きに基づく阿久津の推理が、隠された〈阿久津透殺害事件〉を掘り起こすためのヒントになる、(3)〈相島早苗殺害事件〉に関する宇野朴人の証言で『FOB』そのものが再びクローズアップされ(*3)、最終的には火の戦士・フレイが“犯人”と名指しされることになる――といった具合に、徹底的に“再利用”されているのが目を引くところです。
“水原優子の死体を水中に埋没させた”(26頁)と表現していますが、溺死ではないのですから、死体がすぐに沈みはしないでしょう。
*2: 見立て殺人における装飾は、極論すれば犯人の自己満足であって、どこまで凝った装飾を施すかは犯人次第となるわけですから、“過剰な演出”が犯人にとって“本来必要ないはずの作業”とまではいいきれず、この推理はあくまでも“可能性の一つ”にとどまります。
*3: 天童勇気が、“伝説のFOBプレーヤー”の
“ミサさん”(28頁)――その正体は相島雅夫の妻・美佐子――に言及しているのもうまいところです。
〈明と優子の転生〉
星影美空が自殺した場合に備えて転生可能な霊魂を“キープ”しておくという、“優玲”こと相島早苗の思惑(191頁~192頁)からすると、明の霊魂が“手に入る”前に優子が転生させられたのは、さらに差し迫った理由が生じた、すなわち他の証人が急死したためと考えるよりほかないでしょう。そして、三宮雄人が“道路の上で(中略)車のヘッドライトに照らされて”
(153頁)いたことが、優子の転生先を暗示する伏線となっています。
作中で明は、利き手の違いを手がかりとして“三宮”が優子であることを見抜いていますが、“三宮”(優子)の利き手については“左手で紙を押さえてサインを書いていた。”
(216頁)と、また三宮本人の利き手については“三宮さんを容疑者から除外した利き手に関する手がかりの検討(中略)犯人の利き手が右である”
(219頁)といった具合に、読者に対しては(*4)うまく濁して書かれているのが絶妙です。
しかして、裁判が二日目にアクシデントで中断した時点で早々に、裁判官・榊遊星が転生を推理してしまう展開は予想外(*5)。“三宮”の利き手はかなり目立ちますし、“美空”の言動の矛盾にも気づいている(*6)のは確かですが、後に“美空”と“三宮”の会話の隠し撮りで確認しているとはいえ、きっちり調査された早苗のペンダントの由緒来歴(179頁)まで考慮に入れて、“異次元の領域”
(323頁)に踏み込んだ推理が展開されるのがすごいところです。
隠し撮りされた映像の効果もあってか、関係者たちが“転生”を比較的すんなりと受け入れているのに驚かされましたが、ここで転生に関する知識――とりわけ利き手・筆跡・記憶が手がかりになり得ること――が共有されることが、〈阿久津透殺害事件〉の真相解明に不可欠。裏を返せば、特殊設定の“ルール”が関係者に周知されたことをもって、それが謎解きに関わることが暗示されている、と受け取ることまで可能かもしれませんが、それでも相島雅夫の犯行で“上書き”されている〈隠された殺人〉の存在まで見通すのは、かなり困難ではないでしょうか(*7)。
*5: 常識的には受け入れられない現象なので、明と優子をよく知るつかさだけに(裁判が終わった後で)こっそり打ち明ける、といった穏当な(?)展開が普通ではないかと思われます。二日目の法廷で、早苗の証言を直接持ち出すことなく暖炉の問題が指摘されたこともあって、霊魂と転生の話が明るみに出されないまま進んでいくかと思ったのですが……。
*6: 親が
“門限も厳しくて、深夜に外出させたこともない”(91頁)はずの“美空”が、
“深夜のコンビニで買うアイス”と口にしたところで、榊が
“口元に笑みを浮かべたまま黙った”(いずれも206頁)とあからさまな反応を見せています……が、“美空”の正体を最初から知っている読者にとっては、明自身と同じく榊の反応の意味がわかりにくくなっている部分があるようにも思います。
*7: 利き手・筆跡・記憶が転生者を見抜く手がかりとなることを踏まえれば、候補者は限られるかもしれませんが。
〈相島早苗殺害事件(その1)〉
事件の被告となった阿久津による“解決”は、“法廷内”(*8)と“法廷外”の状況に対応した“二段構えの解決”となっているのが目を引きます。まず“法廷内”では、反対尋問を通じて検察側の主張を突き崩すことしかできない(自由に推理を述べることはできない)ので、血の付いた靴下と足跡の矛盾(*9)を指摘して第三者の存在を印象づけた上で、〈第一の密室トリック〉――斧の刃で死角を作るシンプルで大胆な隠れ場所トリックを提示する、密室状況の打破という一点に絞ったわかりやすい“解決”です。
そして無罪を勝ち取った後の“法廷外”では一転、〈第一の密室トリック〉で示した“外部犯X”の存在――阿久津が無罪となった以上、事件解決のためには捜査陣もこれを受け入れざるを得ない――を前提として、やや複雑で詭弁めいた(後述)〈硬貨のロジック〉などを介して“犯人がすでに脱出していた”という結論を導き出し、“犯人が窓越しに阿久津を襲って偽装を施した”という〈第二の密室トリック〉を“解明”し、自らをより安全な立場に置きつつ容疑者の範囲を広げる(*10)ことに成功しています。
ただし、阿久津が展開する〈硬貨のロジック〉については、よく考えてみると納得しがたいところがあります。
作中で阿久津が主張するように“証人としての信用性を毀損することには一定の効力が”
(138頁)あるとしても、現場の密室状況そのものに比べれば些細な効果にとどまるのは明らかで、“たとえわずかな差であっても常に最大の効果を求める”ことが犯人にとって合理的とは限らないと考えれば、“外部犯X”が硬貨を持ち去らなかったことが“あり得ない”
(135頁)というのは、少々いい過ぎではないでしょうか。
しかも詳しく検討してみると、阿久津がいうように“硬貨を元の場所に戻せればベスト”
(138頁)なのは確かですが、〈第一の密室トリック〉では“外部犯X”にその機会が生じるのはあくまでも死体発見後なので、帰宅時に阿久津が来ていることに気づいた(108頁)――置いた場所に硬貨がないことを確認した(*11)相島雅夫が、その後の硬貨の“出現”に当然不審を抱くことになります。それを避けるために別の場所を選んだ場合(*12)には、阿久津が“一度手にした硬貨を、離れに行くまでの間になぜか手放した”ことになるわけで、犯人だとしてもかなり不可解な行動になってしまうきらいがあります。
もちろんこのあたりは、“外部犯X”が存在すると見せかけるための阿久津自身による偽装工作とも解釈され得るので、より強い疑いを阿久津に向けることができるともいえますが、しかし一方で、(何もしない場合と比べて)“外部犯X”が実在するという疑念が高まるのも確かでしょう。しかも、阿久津が硬貨の偽装工作をできるタイミングはやはり、実質的にすのこが敷かれた後に限られる(*13)のですから、そこで“すのこルート”からの脱出が注目された結果として、〈第一の密室トリック〉の露見につながるおそれも生じるのではないかと思われます。
このように、“外部犯X”が硬貨を持ち去るメリットよりもデメリットが上回ると考えられる以上、〈硬貨のロジック〉は成立しないというべきでしょうが、どのみち“偽の解決”であることを踏まえれば、阿久津もそこは自覚的だったと考えていいのではないでしょうか。自身でも成立しないことを承知の推理を駆使してまで、“解決”を望ましい方向へ持っていこうとする姿勢だとすれば、多少なりとも阿久津の探偵像に合致しているように思われますし、阿久津の推理に誤りがあったと解釈するよりも“こっちの方が面白いだろ?”
(320頁)――閑話休題。
このような(過去の)阿久津の推理に対して、弾劾裁判ではまず、新たな証人・宇野朴人が阿久津による捏造を目撃したことを証言します。証言の信頼性に関する反対尋問を受けて、思いもよらぬ愉快な証言が飛び出すのも面白いところですが、阿久津がそのタイミングで甲冑に掌紋をつけた――それまで掌紋をつけなかった(*14)理由には目から鱗で、二通りの隠れ場所トリックを用意してあった周到な企みにうならされます。“甲冑の中”をわざわざ否定しておく必要性は薄い気もしますが、不可能性を高めてそこからの“解決”をより鮮やかなものとする狙いでしょうか。
しかして、明と読者に対しては宇野の証言を待つまでもなく、被害者自身の証言――殺された早苗自身が幽霊となって目撃した阿久津の行動を語る“反則技”によって、阿久津の様々な偽装工作が明かされているのが本書ならではのポイント。そしてその中で、阿久津の推理ではまったく言及されていない偽装工作、すなわち暖炉の使用がクローズアップされる流れが秀逸(*15)ですし、“答え”から逆算する形で手がかりを見出す手順も面白いところです。その手がかりとなる、夏場でも溶けないチョコレート(178頁~179頁)は少々都合がよすぎる感もありますが、よく考えられているのは間違いないでしょう。
この〈暖炉の問題〉に対して、“阿久津”が“犯人が暖炉の火をつける理由”を列挙しては否定していく、いわば〈暖炉講義〉(?)がこれまた秀逸。事件の状況から想定できる可能性を網羅した真っ当な(?)〈講義〉(*16)であると同時に、“エメラルドグリーンの太陽”という決定的な“失言”につなげる企みを潜ませてあるのがお見事です。“中断して火を消した”場合まで補足する、丁寧な検討の体裁を取っているところもよくできていますが、“火をつける理由”から始まって“燃やされなかったもの”に行き着く意外性も面白いところです。
実際にはこの時点で“阿久津”の正体は転生した早苗だったわけですが、最後に明がいうように“ずっと阿久津のことを見続けていましたから見事に思考はトレース出来ていた”
(459頁)というだけでなく、目撃した阿久津の行動の中でほぼ唯一説明のつかない〈暖炉の問題〉について長年の間考えていた、ということではないでしょうか。いずれにせよ、“阿久津が犯人”だと決定づけようとした早苗の“渾身のトラップ”
(435頁)が、かえって“阿久津が誰かを庇っている”という印象を榊たちに与えることになっているのが何とも皮肉です。
“あれはもともと坊ちゃんの手柄でございます”(132頁)と述べています。
ただし、後の暖炉の問題に関する反対尋問(281頁)は、明らかに“阿久津”(この時点では早苗)の意を汲んだものではないので、単なる代弁者にとどまるわけではありません。
*9: 阿久津は、この矛盾が第三者(外部犯X)の存在を示すものであり、
“血の足跡を偽装しなかったのは手落ち”(132頁)としていますが、逆に外部犯Xの偽装工作としてはあまりにもずさんすぎる上に、血を付ける場所としてわざわざ靴下を選ぶメリットがまったくないので、むしろ阿久津自身による“第三者の存在を匂わせるための偽装工作”と解釈する方が自然ではないか、というのが気になるところです(ついでにいえば、
“阿久津の証言は変わらず、現場の状況と矛盾も起こさない”(116頁)とされているので、靴下の血に関して阿久津が当初どのような証言をしたのか(あるいはしなかったのか)も気になります)。
この部分については例えば、血を付けるのは靴下だけにしておいて、“窓からの距離と位置関係で、“刷毛”が靴下までしか届かなかった”ように演出するのはどうだったでしょうか。
*10: “外部犯X”を密室の“外”に追いやることで、その時“内”にいた阿久津の無罪がより強く印象づけられます。また、容疑者のアリバイが問題となる時間帯が〈第一の密室トリック〉よりも狭まる――アリバイ成立で除外される容疑者が減ることになるので、“外部犯X”の正体を曖昧なままにしておきたい阿久津にとっては好都合でしょう。
*11: “元の場所”は
“玄関のところの棚”(108頁)ですから、相島雅夫が帰宅した際に硬貨がないことに気づく可能性は、“外部犯X”にも十分に想定できるはずです。
*12: いうまでもないでしょうが、硬貨を相島家から外部に持ち去ってしまうのは、相島雅夫の証言と矛盾との矛盾から“外部犯X”の存在が裏付けられることになるので、問題外です。
*13: 離れに行く前に偽装工作をしておくことも不可能ではないかもしれませんが、その場合、離れを密室に仕立てることまで含めてすべてが事前に計画されたことになるので、いくら何でも無理があるのではないでしょうか。
*14:
“甲冑のベルト部分に阿久津の掌紋が残っていた”(124頁)にもかかわらず、阿久津の偽装工作に関する早苗の証言(233頁~235頁)を注意深く読むと、早苗がその場面を口にしていない――ここで話さなかっただけで、目撃はしていたようです(439頁)――ことがわかるので、
“早苗が話した時点の次”(236頁)である宇野の証言の内容は事前に予測することもできる……ように書かれています。
*15: しかしやむを得ないとはいえ、“阿久津の解決で使われたか否か”という観点がこの段階で示されたため、終盤の
“それらの証拠は一度坊ちゃんが解決に使ったものたちです。(中略)検討するには値しないのではないでしょうか”(387頁)という瀬川の指摘が、的外れ気味に感じられてしまうきらいがあります。
*16:
“第三の可能性から第七の可能性は確かに考えにくく、第一の可能性はより可能性の低いケースまで検討された”(287頁)という理由で、明はいち早く第二の可能性(何かを乾かした)に着目していますが、(法廷ではその証言が使えないとはいえ)霊魂となった早苗の目撃談を手がかりとして、阿久津の行動に合致しない第一・第三から第五・第七の可能性を除外できるのではないかと思います。
〈阿久津透殺害事件〉
相島雅夫による“阿久津”殺しはショッキングではあるものの、“阿久津”の“自白”によって固まった動機、地震の発生による混乱で生じた機会、そして倉庫に置かれた凶器(手段)と、条件が揃ったために半ば必然といっても過言ではなく、それが〈隠された殺人〉の隠蔽に一役買っているところがあると思います。また、相島雅夫としては“目には目を”を意図した首切りが、神木柚月が目撃した“クワガタ怪人”(*17)を生み出すことになり、結果として柚月の〈相島早苗殺害事件〉当日の記憶が呼び起こされる、という流れもよくできています。
相島雅夫の自白で事件の真相は明白かと思いきや、逆に自白と符合しない事実という形で謎が浮かび上がってくるのですが、〈隠された殺人〉につながる手がかりとなるそれらの謎が、転生に関する手がかりや法廷での“自白”などとともにまとめて〈阿久津透の行動について〉の疑問点にカテゴライズされている(385頁)(*18)ことで、“手がかりは手がかりの中に隠せ”式のミスディレクションとなって、これまた〈隠された殺人〉を隠蔽するのに貢献している感があります。そしてもちろん、〈隠された殺人〉と転生をセットで考えなければ解明できない、“殺人なくして転生なく、転生なくして殺人なし”ともいうべき一体不可分の真相が強力です。
その点で、自ら転生を経験した明以外には〈隠された殺人〉を見抜くのは難しかったといえそうですが、さらに現場の傾きと逆に流れた血痕を手がかりとした推理が、明自身が殺された事件での阿久津の推理にヒントを得ているあたりも、そして凶器に槍が使われた理由に着目した推理の結果、〈殺人犯〉として妹・つかさを告発することを余儀なくされる――そこで阿久津の“探偵の覚悟”という言葉(230頁)がクローズアップされる――ところまで含めて、主人公兼メインの探偵役は明でなければならなかったということになるでしょう(*19)。
〈隠された殺人〉が露見すれば、とりわけ〈被害者〉の体に〈転生者〉が入っていたことがわかれば、“不可解な行動”それ自体が手がかりとなって〈被害者〉は見え見え。つかさによる証拠の提示をミスディレクションに仕立ててある――遠上蓮弁護士が引っかかっている(408頁)とおり――のはユニークな狙いですが、他に手がかりの見当たらない証人たちの中に〈被害者〉がいるとは考えにくい(*20)一方、領収書が証拠となるルームサービスは“盲点”とはいいがたい(*21)ので、ミスディレクションとしてはあまり有効でないように思います。
それでも、阿久津が〈被害者〉だったことが明かされた後、“阿久津”の不可解な行動に丁寧に説明をつけていく謎解きはよくできていますし、瀬川や遠上らにも見せ場を用意するという意味でも効果的。特に遠上が指摘する〈小箱の問題〉が秀逸で、〈DL8号事件〉(*22)から導き出された暗証番号によって、阿久津自身が番号を度忘れした可能性を排除するとともに、“阿久津”(転生者)以外の人物がスーツケースをこじ開けた可能性を、〈ハンカチの問題〉に関連して示された手がかり(*23)によって否定してあるのに脱帽です。
前述のように、相島雅夫による“阿久津殺し”が必然ともいえるだけに、その陰に隠れていたつかさの犯行が相対的に弱く感じられる面もないではないですが、兄・明の復讐、つかさ自身の積年の恨み(?)、そして“探偵”のままで死なせる慈悲(?)と積み重ねることで、愛憎入り交じった動機を組み立ててあるところがよくできていますし、証拠の捏造を確定させる宇野の証言内容を事前に明かす(222頁)ことで、犯行のタイミングに説得力を与えてあるのもうまいところです。そのようなつかさの犯行に対して、探偵らしく即座に手がかりを見出しながらも、それを隠滅してつかさを庇おうとした阿久津の最後の“嘘”(*24)は、やはり強く印象に残ります。
一方、阿久津の体に入り込んでいた〈転生者〉の正体は、読者にとっては〈被害者〉以上に歴然としていますが、これまた真相を知る人物(明と優子)に語らせることなく、あくまでも推理によって真相を導き出す徹底ぶりがお見事。そして、阿久津の体を借りて〈転生者〉が口にした“エメラルドグリーンの太陽”に着目し、二日目の法廷での“血で汚れる前の絵を見た”という解釈の他に、もう一つの意味――“(単なる“緑色”ではなく)エメラルドグリーンで描かれたことを知っている人物”という解釈を引き出した、黒崎謙吾刑事の推理は実に鮮やかです。
かくして早苗が〈転生者〉だったことが明かされると、殺されたことがすでに確定していた〈被害者〉の場合(*25)と違って、相島雅夫による“阿久津殺し”の実態が大きな変容を遂げるのが強烈で、“相似形の悲劇”
(309頁)どころか“悲劇の再現”に、しかも相手を娘の仇と思い込んだ父親による“娘殺し”という悲劇の極致となっていたことを知った相島雅夫の胸中は、察するに余りあります。
*18: 〈阿久津透殺害事件〉については(疑問もあるにせよ一応は)相島雅夫の自白がある一方で、法廷での“阿久津”の“自白”をきっかけに“阿久津が抱える秘密”に焦点が当てられることとなるので、捜査陣の関心が〈阿久津透の行動について〉(及び〈相島早苗殺害事件について〉)に集約されるのは当然ではあります。
*19:
“やりたいことが整理されてない感がある。阿久津の秘めた想いがコアならば、語り手はつかさにしたほうが良かった”(杉本@むにゅ10号 さんのツイート)という意見もありますが、“自分の見つけた真実に嘘をつかない”という覚悟が語り手に突きつけられてこそ、阿久津の“最初と最後の嘘”がより際立つのではないかと考えられるので、明を語り手に据えて妹・つかさを告発させる本書の展開がやはりベターではないでしょうか。
*20: 筆跡の違いを読者は認識できないので、〈被害者〉の特定につながる手がかりがそれしかないのであれば、読者にはアンフェア感が生じることになります。
*21: “阿久津”の
“他のいかなる推理にも繋がっていかないどん詰まりの推理”(285頁)という表現を借りれば、ルームサービスはいわば“どん詰まりの手がかり”であって、フックやハンカチ、あるいは小箱などと違って〈阿久津透殺害事件〉と〈相島早苗殺害事件〉のどちらとも関連が見えないので、手がかり(らしきもの)の中でも浮いて目立っている印象があります。
*22: 泡坂妻夫「DL2号機事件」(『亜愛一郎の狼狽』収録)へのオマージュであることは、いうまでもないでしょう。→(2019.05.26追記)なお、『逆転裁判1』にも「DL6号事件」という事件が登場するようです(まなみんさんより。追記が遅くなって申し訳ありません)。
*23:
“スーツケースには傷一つなかった。新品同然である。先の二枚のハンカチ問題について、犯人がここからピッキングしてハンカチを持ち出した可能性も潰すため、鍵穴の部分を観察してみたが、こちらも針金で引っ掻いた痕跡すらない。”(353頁~354頁)。
*24: つかさは、明が指摘するまで気づいていなかった様子(420頁~421頁)ですが、明の推理でフック(槍)の高さが犯人特定の手がかりとなったわけですから、本来ならばその時点で阿久津の行動の意味に気づくのが自然なはずで、つかさの阿久津に対する複雑な心理が表れているようにも思われます。
*25: 阿久津を殺した“真犯人”だったつかさに対して、瀬川が普通に接しているようにみえるのは、つかさを庇おうとした阿久津の遺志を尊重するということもあるでしょうが、先に相島雅夫による“阿久津殺し”が発覚したことで、すでに阿久津の死を受け入れたということもあるのではないでしょうか。
〈相島早苗殺害事件(その2)〉
実のところ、事件当日に関する柚月の新たな証言が出てきた時点で――あるいは阿久津の小箱からクワガタの絵が見つかった時点で、〈相島早苗殺害事件〉の核心部分はかなりあからさまになっていると思います(理由は後述)が、“すべてをどのように解き明かしてみせるか”が本書の真骨頂。
まず、早苗が幽霊となって目撃した阿久津による偽装工作に関して、早苗が想定される偽装工作のほぼすべてを証言したがゆえに、その証言に矛盾が生じるという、つかさの逆説的な推理が非常に面白いところですし、死んでから幽霊が出現するまでに“一時間四十四分”(*26)かかるという転生の設定が根拠とされているところもよくできています(*27)。さらに、阿久津の偽装工作に関する早苗の証言の中で、死体の切断が二度に分かれていたり、何度も指紋を拭ったりと、阿久津が考えながら行動していることを示す手がかりが用意されているのが周到で、“一時間四十四分の空白”が密室トリックの考案に使われた可能性がしっかり排除されているのがお見事。
これに対して明は、早苗の証言を信用して“一時間四十四分の空白”を埋めるべく、偽装工作の中で“阿久津がそうせざるを得なかった部分”として、阿久津が密室トリックを考える前に行った〈首切り〉、阿久津の“解決”で使われなかった〈暖炉〉、そして早苗が目撃する前に隠された〈スケッチブック〉を拾い出します。ここまででもよくできています(*28)が、ここから先の推理の筋道に工夫が凝らされているのが見逃せないところで、作者の苦心の跡がうかがえます。
切断行為、暖炉、消えたクワガタの絵。この三つが同じ方向を指し示した――その方向とは、『離れが殺害現場ではない』というものでした。
(458頁)
まず〈首切り〉は、〈首切り講義〉(*29)が書かれるほどにその目的/理由は多岐にわたるので、それだけをみれば“血を流すため”だと一概にはいえないのですが、“一の矢”・“二の矢”に続く“三の矢”としては有効といえるのではないでしょうか。
次に“二の矢”たる〈暖炉〉は、〈暖炉講義〉を経て浮上した“何かを乾かすため”という可能性を踏まえれば、暖炉に一番近かった“濡れた死体を乾かすため”(*30)と考えるのは妥当。そして早苗の死体が濡れていたとすれば、離れの外で雨に濡れていたとするのが自然なのは確かです。
そして“一の矢”たる〈スケッチブック〉は、密室状況の離れから安全に持ち出すのが不可能だとすれば、切れ端が本宅の雨どいで発見されたことも考え合わせて、離れではなく“もともと本宅にあった”(*31)という発想に至るのも難しくはないかもしれません。そうすると、阿久津の偽装工作が本宅から始まっていたわけですから、離れではなく本宅が殺人現場だということになるでしょう。
……というのが、明が最後に語った推理の内容ですが、よく考えてみるとこの推理には奇妙なところが見受けられます。
“阿久津がそうせざるを得なかった部分”を解き明かすに当たって、“何をしたのか”はすでにおおむね明らかになっている――“死体の首を切る”・“暖炉の火をつける”・“クワガタの絵を隠す”――ので、次に考えるべきは“何のためにそうしたのか”であるはず。ところが明の推理は上のように、〈首切り〉や〈暖炉〉と違って〈スケッチブック〉だけは、ストレートに“何のために”へ行く代わりに“どうやって”を対象としています。ここで“何のために”が回避されている理由は、いきなり事件の真相が丸見えになる手順を避けるためだと考えられます。
前述のように柚月の新たな証言だけでも、クワガタの絵を見せてきた直後の早苗の様子――“早苗ちゃんは立っていた(中略)少し首を傾けていました。”
(362頁)という不可解な反応の薄さ(*32)から、(さらに虫を目にした際の柚月の暴れっぷり(155頁~156頁/303頁)を念頭に置けば)それが“犯行”直後の様子であること、すなわち事件の真相が柚月による“自覚なき殺人”であることに気づくのは、さほど困難ではないでしょう(*33)。たとえ気づかなくとも、阿久津がクワガタの絵を隠した理由に目を向けてしまえば、それが事件の核心に関わっていたと考えられることから、自ずと真相は明らかになります。
本書では後述する理由により、推理の説明よりも先に真相を明かさざるを得ないので、真相に直結すること自体にはあまり問題がないかもしれませんが、解明の手順として面白味に欠けるのは否めません。そこで作者が組み立てた、〈スケッチブック〉に関する阿久津の意図を“迂回”する筋道は、ぎりぎりで不自然にならない――〈スケッチブック〉は早苗が目撃していないので、阿久津が具体的に何をしたのか不明であり、明がまずその部分を解明しようとしたとも考えられる――ところを進み、“一の矢”・“二の矢”・“三の矢”と“同じ方向”へつながっていく(*34)形がユニークで、非常によくできていると思います。
さて順序が前後しましたが、早苗が思い出した殺害時の記憶をもとにした真相の見せ方も、何から何まで実によく考えられています。まず、“法廷では証拠がすべて”
(407頁)という観点からすれば、クワガタの絵は真相を裏付ける直接的な証拠とはいえないでしょうし、(蓋然性が高いとはいえ)明の推理も同様です(*35)。そうすると、法廷での証拠(*36)となり得るのは被害者たる早苗の証言しかない(*37)のですが、当然ながら早苗には殺害時の記憶がない(*38)わけで、その状態で明が推理を披露するのは誘導尋問となりかねないので不適当です。
とはいえ、作者としては早苗に殺害時の記憶を取り戻してもらう必要があるので、“ふと思い出した、などという言葉を軽々しく使ってはならない”
(153頁/表記が若干違いますが363頁も)という言葉を強調することにより、逆に“適当なきっかけさえあれば、突然思い出しても不自然ではない”と読者に思わせようとしてあるのではないかと思われますが、それにしても、(阿久津の肉体を借りて)当時の自分と同じように(*39)再び殺害される体験がきっかけとなっているのは、これ以上ないほど納得できるものといわざるを得ないでしょう。
そして実際に早苗が思い出した“視界一杯を覆う、自分のスケッチブック(中略)エメラルドグリーンの太陽”
(451頁)は、真相につながる決定的な証拠となるのはもちろんですが、殺害される瞬間の記憶にもかかわらず早苗自身にも真相が見えないというのが何とも絶妙なところで、クワガタの絵をそのまま見せることなく“裏側”(隣のページ)によって間接的に示すと同時に、早苗に余計な情報を与えないようにその視界をしっかり遮る、スケッチブックの使い方が非常に秀逸です。そして解決でも、細工を施して“復元”したスケッチブックを使って、わかりやすく真相を見せる演出が鮮やか。
早苗を突き飛ばした柚月が告発されるのではなく、“火の戦士・フレイが犯人”と指摘される形になっているのも面白い(*40)……だけではなく、思わぬ罪を背負うことになる柚月への配慮もありそうです(*41)が、いずれにしても悪意なき事件の真相は、〈DL8号事件〉から教訓を得た阿久津が“嘘”を積み重ねて隠蔽しようとするにふさわしいものでしょう。そして明とつかさによる最後の謎解きでは、阿久津が何をしたのか/何を考えたのかが“最後の真相”として語られ、探偵弾劾裁判の締めくくりとして榊が下す判決まで併せて“名探偵・阿久津透の真実”を浮かび上がらせる、実に印象深い結末となっています。
“魂を抜き取るためには、一時間以上の長い時間瞑想しないといけません”や、
“五、六十年ほど前に仕事した時も同じだけの時間がかかった”(いずれも68頁)といった凛音の言葉からすると、きっちり“一時間四十四分”と決まっているわけでもないようですが……。
*27: 転生を見抜かれた明が、関係者たちに
“転生というシステムのこと”(327頁)を語った際には、幽霊の出現にかかる具体的な時間などの細部まで説明されたとは考えにくいのですが、〈隠された殺人〉についての検討の中で
“幽体が出現するのは、死亡から一時間四十四分後なのです”(415頁)と(ついでにいえば、幽霊の出現する場所が死体の移動先であることも)、重要な手がかりがしっかり伝えられている(ことが読者にも知らされる)のが巧妙です。
*28: 〈暖炉の問題〉が俎上に上った段階で、すでに推理の手法は確立されているともいえますが、〈首切り〉は最終的に密室トリックの一部として使われているので、つかさの推理で“阿久津が密室トリックを考えながら行動していた”ことが明らかになるまでは目に付きにくいところがあるでしょうし、〈スケッチブック〉は処分されたと考えられていたので、阿久津の小箱から発見されるまでは検討しても仕方がないでしょう。
*29: 詠坂雄二『遠海事件』。あるいは、三津田信三『首無の如き祟るもの』の〈首無し死体講義〉も。
*30: 暖炉の火で温めても、死体の床に接している側は乾ききれないはずですが、切断した首などから流れ出た血に浸ることで、問題はなくなるかもしれません。
*31: 離れが殺人現場だと見なされたとはいえ、犯人が通過した可能性のある本宅の方も徹底的に捜査されるのではないかと思われるので、クワガタの絵を本宅に隠しておくのはかなり難しいような気がするのですが……。
*32: 実際には早苗は悲鳴を上げていた(456頁)わけですが、雷鳴のせいで柚月には聞こえなかった――ということが、“クワガタ怪人”の際に柚月の記憶がよみがえったきっかけからつながってくるところがよくできていますし、どう考えても本筋とは関係なさそうに思えた、柚月の高校時代の思い出――
“ふと思い出した、などという言葉を軽々しく使ってはならない”(153頁)――がうまく使われているのに脱帽です。
*33: とりわけ、同じく“自覚なき殺人”(ただし
“延髄なら死ぬのは一瞬”(456頁)の方)を扱った某国内作家の長編((作家名)岡嶋二人(ここまで)の(作品名)『そして扉が閉ざされた』(ここまで))などを読んでいれば、ピンと来るのではないでしょうか。
*34: 唯一“何のために”ではない〈スケッチブック〉を“一の矢”に持ってくることで、仲間外れの違和感を抑えてあるのもうまいところです。
ついでにいえば、三つの着眼点を示す際には、明が気づいた順(少なくとも〈暖炉〉が最初)でも阿久津が行った順(〈スケッチブック〉→〈首切り〉→〈暖炉〉)でもなく、単独では意味がわかりにくい〈首切り〉が最初に挙げられているために、“同じ方向”を読者が予測しづらくなっている部分もあるように思います。
*35: 被告人質問での“阿久津”による推理――〈暖炉講義〉が、“専門家による証言”扱いで特別に認められている(284頁)ことからも、推して知るべしでしょう。
*36: この法廷には当然持ち出されていませんが、凶器となった銅像の剣や、真の現場である縁側から早苗の血液が検出される可能性は……十五年前の事件ではさすがに難しいでしょうか。
*37: したがって本書では、事件解決の面からも転生が不可欠といえます。
*38: 早苗が“エメラルドグリーンの太陽を見ていた”ことだけでも忘れずにいれば、幽霊になってから最初に目撃した阿久津による首切りとの“不連続”に気づき、空白の時間帯に着目するところまでいくことになったのではないかと思われるのですが……。
*39: 相島雅夫がハンムラビ法典を持ち出して“目には目を”にこだわっている(307頁)ことが、“クワガタ怪人”だけでなくここにも効いてくるのがすごいところです。
*40: 再現実験の際に、榊が
“宇野さんは係官にフレイの銅像と同じポーズを取らせ、手にお手持ちの指示棒を握らせてください”(454頁)と、宇野に指示を出しているのが愉快です。
*41: 縁側による高低差を利用して、柚月には“犯人”が見えなかった状況を作り出してあることにより、まずは柚月を納得させるために“犯人”(凶器の所在)を指摘する必要が生じています。
2017.06.28読了