〈亜愛一郎シリーズ〉泡坂妻夫 |
『亜愛一郎の狼狽』 『亜愛一郎の転倒』 『亜愛一郎の逃亡』 / 『亜智一郎の恐慌』 亜智一郎・その他短編 |
シリーズ紹介 |
最後の一人の男は、背が高く、整った端麗な顔立ちであった。年は他の二人と同じく、三十五ぐらいだろうか。色が白く、貴族の秀才とでもいいたかった。目は学者のように知的で、身体には詩人のようにロマンチックな風情があり、しかも口元はスポーツマンのようにきりっとしまっていた。(後略) 雑誌「幻影城」による第一回幻影城新人賞。その小説部門佳作に入選した「DL2号機事件」に登場し、作家・泡坂妻夫とともにデビューを飾った名探偵・亜愛一郎は、泡坂妻夫の代表的なシリーズ探偵です。 雲や虫、化石などを専門に撮影するカメラマンである亜愛一郎は、上にも引用したように端正な外見とは裏腹に間が抜けた振る舞いを見せるかと思えば、いかにも運動神経が悪そうな動作の割に腕っ節は強いといった具合に、そのちぐはぐなキャラクターが印象的です。また、唐突に口にするピントの外れたような言葉が、実は的確に真相を言い当てたものであったり(あるいはそうでなかったり/苦笑)と、探偵役としてもどこかちぐはぐなところが独特の魅力となっています。
“亜 愛一郎”という風変わりな名前は、名探偵名鑑が編まれた時に(五十音順で)最初にくるようにと命名されたものですが、耳慣れない名前ゆえに、 それぞれに愉快な登場人物たちやいい意味で現実離れした作品世界によって、たとえ殺伐とした事件が扱われた物語であってもどこかとぼけた雰囲気に包まれ、楽しく読める味わい深いユーモアに満ちたシリーズとなっています。 ミステリとしてはまず、発端の奇妙な謎が目を引きます。早い段階で事件が起きる作品でもそれぞれに風変わりな状況設定がなされていますが、一見すると犯罪とは関係のない些細な謎(*3)から始まる作品が多くなっているのが特徴で、最後まで犯罪が登場しない作品こそほとんどないものの、後の“日常の謎”(*4)に通じるところがあるといえるでしょう。 そのような奇妙な謎に対して意外な真相が用意されているのはもちろんですが、実はそれ以上に重視されているのが“亜がいかにして真相を見抜くに至ったか”という推理の過程です。シリーズの大半の作品において、“意外な真相”が唐突に明かされた後で亜が“謎解き”を行う、すなわち推理の結果が示された後に推理の過程が披露されるという構成が採用されている点をみれば、推理の過程に力が注がれていることは明らかといえるのではないでしょうか。
そして、“日常の謎”――本質的にはホワイダニットである(*5)――に通じる発端が多いだけに、推理の過程で目立つのは“ある人物”(しばしば“犯人”)の心理や思考を探り、さらには
ある * * *
すらりとした長身で、引き締まった筋肉だった。年齢は三十前後、端麗な容貌だからこの男ほど長裃の似合う男はいない。式典の日などは末席に居並んでいてもすぐに目に付く。だから、正團も最初、年始御礼の席で見たときには、これは文武に優れた傑物に違いないと、すぐ勘違いした。勘違いと判ったのは、番頭が歩き出したときだった。この男は長裃を捌きかね、何度も転びそうになった。矢張り雲を見上げている役しかこなせそうにもない。 亜愛一郎のご先祖様である亜智一郎は、徳川十三代将軍家定に仕える雲見番の番頭で、江戸城内の雲見櫓で日がな一日空を眺めているという、これ以上ないほどの閑職についていました。が、シリーズ第1作「雲見番拝命」の事件でその異才を老中・鈴木阿波守正團に見出され、以降は将軍直属の隠密をつとめることになります。その配下には、甲賀忍者の末裔として忍びの術を継承する藻湖猛蔵、天下無双の怪力を誇る古山奈津之助、そして自ら左腕を斬り落として危地を脱した剛の者(ということになっている)緋熊重太郎という、同じ事件で功のあった三人が控えます。 亜愛一郎ものに比べると、隠密という役割が与えられていることで総じてややシリアスな印象を受けますし、江戸期の中でも幕末に近い激動の時代であるために殺伐とした雰囲気が漂う部分もあります。とはいえ、主人公の亜智一郎はやはり(上にも引用したように)亜愛一郎に通じるとぼけたキャラクターですし、勘違いから雲見番衆に加えられてしまった緋熊重太郎の苦渋なども目を引くところで、亜愛一郎もののようなユーモラスな味わいが感じられる部分もないではありません。また、葉山響さんによる「亜智一郎の恐慌 御先祖様他対応リスト」にまとめられているように、随所にさりげなく見覚えのある名前(に似た名前)が登場してくるのも、昔ながらの作者のファンとしてはうれしいところです。 * * *
*1: 「DL2号機事件」(創元推理文庫『亜愛一郎の狼狽』27頁)より。
*2: 「亜愛一郎の逃亡」(創元推理文庫『亜愛一郎の逃亡』314頁)より。 *3: 「DL2号機事件」(『亜愛一郎の狼狽』収録)の“なぜ階段でつまずいたふりをしたのか?”が典型的です。 *4: 一般に“日常の謎”の元祖とされるのは、1989年発表の北村薫『空飛ぶ馬』(「日常の謎 - Wikipedeia」参照)。 *5: 別のところにも書きましたが、“日常の謎”とはある行為(もしくは現象)の“意味がわからない”というのがほとんどで、多くの場合は(“誰が?”などを含むものであっても)“なぜ?”という疑問に集約することができます。 *6: 「藁の猫」(創元推理文庫『亜愛一郎の転倒』46頁)より。 *7: 「DL2号機事件」(創元推理文庫『亜愛一郎の狼狽』40頁)より。 |
作品紹介 |
このシリーズはすべて短編で、亜愛一郎の活躍する24篇は『亜愛一郎の狼狽』・『亜愛一郎の転倒』・『亜愛一郎の逃亡』の3冊にまとめられています。 |
亜愛一郎の狼狽 泡坂妻夫 | |
1978年発表 (創元推理文庫402-14) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
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2008.10.05再読了 [泡坂妻夫] |
亜愛一郎の転倒 泡坂妻夫 | |
1982年発表 (創元推理文庫402-15) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
*1: 現在書店で流通している版では大丈夫らしいですが(未確認)、少なくとも手持ちの初版では、
“それにしても、亜愛一郎は世界名探偵史上(後略)”(340頁;最後の1行)以降がネタバレとなっています。 *2: 例えばJ.D.カー「亡者の家」(『ヴァンパイアの塔』収録)など。 2008.10.08再読了 [泡坂妻夫] |
亜愛一郎の逃亡 泡坂妻夫 | |
1984年発表 (創元推理文庫402-16) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
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亜智一郎の恐慌 泡坂妻夫 | |
1997年発表 (双葉社) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
*: 「雲見番拝命」が
“「野性時代」'92年12月号”、「補陀落往生」が “「野性時代」'93年1月号”とされていますが、正しくはそれぞれ“「野性時代」'86年2月号”・“「野性時代」'87年3月号”のようです。 一旦シリーズが中断された後、新作「地震時計」が「小説推理」'93年2月号に掲載されるのに先立って、「雲見番拝命」と「補陀落往生」がそれぞれ「小説推理」の'92年12月号・'93年1月号に再掲されたと記憶しています。 2008.10.13再読了 [泡坂妻夫] |
亜智一郎・その他短編 泡坂妻夫 | |
2012年刊 『泡坂妻夫引退公演』【第一幕 絡繰】(東京創元社)収録 | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
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