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ささやく真実/H.マクロイ

The Deadly Truth/H.McCloy

1941年発表 駒月雅子訳 創元推理文庫168-11(東京創元社)

 ウィリング博士が犯行直後に現場を訪れた際に、カフスボタンが壁の蔓草に引っかかって葉がこすれ合った音で、犯人がウィリングの存在に気づいて*1立ち去ったとされていますが、“紙が破れるような小さな音”“ささやくようなシュッという弱い音”(いずれも114頁)という記述だけでは、犯人にとってどの程度の音だったのか読者には伝わりにくいところがありますし、ウィリングから話を聞く警察にとっても同様です。というわけで、犯人が優れた聴覚の持ち主であるという判断までウィリングが明らかにしている(154頁~155頁)のは、妥当といわざるを得ないでしょう*2

 しかし犯人の特徴が明らかになると、モーターボートの音(135頁)*3、ペギーの声(218頁)、あるいは“七{しち}の和音”(218頁)*4といった、ロジャーの耳のよさを示す手がかりがかなり目立つので、犯人はほぼ見え見えといっていいでしょう。動機についても、ウィリングが最後に指摘している(302頁~303頁)手がかりのうち、燃え残りのラブレターらしきもの(186頁)などはかなりあからさまです。

 一方、犯行の機会に関する推理――“招待客のなかでノボポラミンを飲まなかった唯一の人物(301頁)につながる手がかりは、しっかりと隠されています。ノボポラミンの効果について、ウィリングは“サザーランド財団の研究所へ行ってじかに確認した”(301頁)としていますが、その場面には““真実の血清”なる薬の情報収集に三十分ほど費やした。”(233頁)とあるだけで、ウィリングが何を調べたのか明示されていないのが(あざといながらも)実に巧妙。読者に対しては、冒頭のロジャーとクローディアのやり取りの中でさりげなく効果が示されている(18頁)ので、アンフェアではありません*5

 とはいえ、前述の“音”に関する手がかりだけでも犯人は明らかになってしまうわけで、おそらくは少しでも読者を惑わすために、ユニークなレッドへリングが用意されています。すなわち、耳が不自由という理由で当初は容疑を免れていたチャールズが、実際には耳が聞こえることを解き明かすことで、“意外な容疑者”として“表”に引き出していかにも怪しく見せる仕掛けが面白いところ。ウィリングが真実を見抜くきっかけとして、ケーテ・ツィマーの独特のダンス(を目にしたギゼラとのデート)が使われているところもよくできています。

 ただし、チャールズを“意外な容疑者”に仕立てたことによって、最後の解決――犯人に対する罠に問題が生じているのがいただけないところです。というのも、“意外な容疑者”の仕掛けを機能させるには(当然ながら)犯人特定よりも前に、チャールズが(容疑を免れているようでいて)実際には容疑者に含まれることを明かさざるを得ず、したがって(作中でもそうなっているように)犯人が優れた聴覚の持ち主であることまで明言することになるからで、犯人は罠が発動する前に警告されたも同然となってしまいます。

 その状態で*6ロジャーがみすみす罠にかかってしまうのは、(失礼ながら)間抜けなほどに警戒心が足りないといわざるを得ませんし、ウィリングにとっては“結果オーライ”にほかならないでしょう。さらにいえば、事前の警告があったために他の容疑者たちを除外できない――葉のこすれる音が聞こえても警戒心から反応を抑えた可能性が否定できない(日頃から訓練しているチャールズは特に)わけで、罠の効果に疑問符がついてしまうのは否めません。

 最終的には、前述のノボポラミンの効果など別の手がかりと推理を突きつけることで、ロジャーの自白を引き出すことに成功していますが、そちらが決定的といえるのであればウィリングが罠を仕掛けるまでもないはず。つまりは、音の手がかりを中心に据えるとともに犯人の特定を鮮やかに演出するという作者の都合でこのような形になったと考えられますが、結果としては全体的にちぐはぐな印象が残る作品になっているように思われます。

*1: 犯人に気づかれずにウィリングがそこまで近づくことができるように、“足音のしないゴム底の靴”(112頁)を履いていた(→“警察に足止めを食らったせいで、着替えに戻れなくなって”(105頁~106頁))のはまだしも、車がエンストして惰性で坂道を下りてきた(111頁)ことになっているのがすごいところで、綱渡りの状況設定というよりほかありません。
*2: 警察などと協力しない“一匹狼”の探偵や、カーター・ディクスンのヘンリ・メリヴェール卿のような警察に対しても読者に対しても“不親切”な探偵であれば、もう少し違った処理ができたのかもしれませんが……。
*3: これは犯人の特徴が明らかにされる前の出来事ですが、その後にウィリングがガソリンスタンドの店主に確認している(192頁~193頁など)ので、思い出しやすくなっています。
*4: 七の和音(セブンス・コード)は四和音(→「七の和音 - Wikipedia」)ですが、作中には“釣鐘形の風鈴は三つとも大きさが違い、それぞれ高さの異なる音を出す”(218頁)とあるので、第5音を抜いた三音(C7ならばC・E・B♭)か第3音を抜いた三音(同じくC・G・B♭)になるでしょうか(こちらのファイルで最初に鳴るのがC・E・B♭、二番目がC・G・B♭で、どちらかといえば後者の方がよさそうな気が)。
*5: もっとも、各人がどの程度ノボポラミンを飲んだのかよくわからない状況――ノボポラミンがベルモットに混ぜてあったらしい(90頁)ことに注意――では、効果の持続時間ははっきりしないようにも思われますが、まあそこはそれ。
*6: 実のところ、その前にもウィリングとロジャーの間で犯人の聴覚に関するやり取りがなされている(222頁~223頁)ので、十分に警戒していてもよさそうなはずですが……。

2016.11.09読了