螺鈿の四季/R.ファン・ヒューリック
The Lacquer Screen/R.van Gulik
まず序盤に法廷に持ち出される絹商人・葛基元{コウチーユアン}の“自殺”については、主に両替商・冷呈{ロンチエン}の目撃証言によって説明されていますが、自殺とも事故死ともつかない曖昧な状況であることは確か。そして、“母屋で実際には何があったんだろうか”
という目立つ謎とともに狄判事が挙げている、(曖昧な状況にもかかわらず)“あの両替商が自殺とすぐ思いついたのはなぜか?”
(いずれも39頁)もまた重要になってくるのが面白いところ。
つまり、松平いを子訳『四季屏風殺人事件』でいうところの“偽りの弁明事件”――“白面書生”(夏良{シアリアン})と葛夫人の共犯による殺人と、“だまされやすい商人事件”――冷呈による詐欺という二つの事件が、いずれも葛基元を被害者として重なり合っていたわけですが、友人を騙している後ろめたさゆえに冷呈が“自殺”だと思い込んでしまうことで、事件がより複雑化しているのが巧妙です。
さらにいえば、詐欺の証拠となる帳簿が冷呈の失敗で葛基元の手に渡った後、“白面書生”から石竹を経て孔山{クンシヤン}の手に入ったという経緯が巧妙で、冷呈をゆすろうとした(*1)孔山がこちらの事件の方に深く絡んでいるように思い込まされてしまい、ミスディレクションとなっている感があります。
その孔山が犯人となった“漆の四季屏風事件”は、滕{トン}夫人の“不思議なほど安らか”
(58頁)な死に顔が手がかりとなっているところがよくできていますし、使われた薬が滕知事を昏倒させてしまったという経緯が見事。動機に関わる孔山の過去――“窓辺の陰からあの娘が笑いかけてきた。”
(149頁)が、四季屏風の“白秋図”――“二階の露台からのぞくのは夢に出てきた四人姉妹、花嫁にしたいと願ったあの娘もその中にいる”
(65頁)――と対照をなしているように感じられるのは、穿ちすぎかもしれませんが……。
そしてもちろん、孔山の犯行が滕知事の計画と重なったことによる不可解な事態が秀逸で、夫人を殺す計画を練っていた滕知事自身が予期せぬ出来事により激しく動揺したために、狄判事に対する告白の信憑性が高まるとともに、滕知事の計画がたくみに隠蔽されている――第1章冒頭(13頁~15頁あたり)の滕知事の内面描写が実に効果的――ところが非常によくできています。
閉廷後の“どんでん返し”として用意された滕知事との対決では、暴露される真相そのものもさることながら、“無窮の比翼連理”という世評のみならず狄判事自身の抱いていた印象(*2)までも覆す人物像の反転が鮮やか。そして、その滕知事を罰することのできない狄判事の苦々しい思いが、(“伍長”に対する人情味のある処置の後だけに)強く印象に残ります。
*2:
“滕は外見こそ冷たく見えるが、強い自己抑制の下に、情理兼ね備えた人間味ゆたかな心が息づいている。あの妻がこんな夫を裏切るなど、思うだけでもばかげている。”(124頁)。
2001.11.12 『四季屏風殺人事件』読了
2009.12.30 『螺鈿の四季』読了