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江神二郎の洞察/有栖川有栖

2012年発表 (東京創元社)
「瑠璃荘事件」

 シンプルなアリバイであるだけに、突破口がどこにあるのか――すなわち、問題が犯行時刻の錯誤であり、ひいてはその前提である門倉が帰宅した時刻の錯誤であることは明らかです。が、さらにその根拠となっている、下条がトイレの電球を交換した時刻がくせもので、まったく犯行の機会がない下条を疑う理由はないためそこに錯誤の余地はなく、結果として推理が苦しいものにならざるを得なくなっているのがうまいところです。

 対する江神さんの推理は、下条が交換するよりも前に電球がすでに交換されていたというところまでは既出ですが、換えの電球の出所と交換した古い電球の行き先を一挙に解決できる、一階のトイレの存在に着目しているのがお見事。その手がかりとなっている“高畑もあいにく友だちと遊びに出てて”(25頁)という台詞は、手がかりというには少々弱いようにも思われますが、あいにくという言葉の意味をよく考えてみれば、江神さんのように解釈することは可能でしょう。

「ハードロック・ラバーズ・オンリー」

 音楽喫茶では、大音量によるマスキング効果によって、アリスが真相に気づくことが不可能な状態になっていたのが面白いところ。そして、アリスのみならず読者をもとらえていた先入観を振り払ってくれる江神さんの謎解きは、これ以上ないほど鮮やかです。

「やけた線路の上の死体」

 列車を利用した死体移動トリックは、作中にも“内外にいくつか先例がありますが”(113頁)とあるように既視感のあるものです*1し、“振子電車”の話が出てきたところで見当がつく方も多いのではないかと思いますが、すっきりした屋根の構造と高速でのカーブ通過という“振子電車”の特徴をうまく生かしたトリックであることは確かでしょう。

 アリバイを支える死体移動トリックが明らかになると、運行ダイヤなどを考えれば犯人もおのずと明らかですが、残された偽の遺書に皺一つなかったことから、手ぶらだった池尻には不可能だった*2という推理もしっかりしています。また、犯人にとって予定外の降雨によって、そこに至る状況が作られているのが巧妙です。

*1: といいつつ、具体例はさっぱり思い出せないのですが……(苦笑)。
*2: ところが、後の「二十世紀的誘拐」では、これ自体が解き明かすべき不可能状況として扱われている、というのが面白いと思います。

「桜川のオフィーリア」

 “友人のことを真剣に案じるあまりなのだろう”(152頁)とエクスキューズをつけて、あえて石黒を“狂言回し”の立場に置くことによって、“穂積が何をしたのか”という謎を生み出してあるところがまずよくできています。一方で、穂積の心理は(推理研の面々と同じように)読者の目にもかなりあからさまにされており、結果として謎解きの“実体”は、石黒が抱く疑念に対して“いかにして穂積の無実を証明するか”に転じているといっていいでしょう。

 その、いわば全員の“期待”にしっかりと応えた江神さんの推理――間違いなく“なぜ人を呼ばなかったのか”まで想定した――は十分に納得できるものですし、それを受けてアリスの名探偵観に新たな一面――“時には、真犯人の不在を明らかにもする”(160頁)が加わり、(石黒のみならず)アリスにとっても“救い”がもたらされる結末が印象的です。

「四分間では短すぎる」

 男が改札口脇の黒板を見て駅員に話しかけたことから、列車の運行状況を気にしていると推測するのはまずまず妥当だと思いますし、そこから“四分間”が乗り換えの時間もしくは次の駅までの所要時間を指している、と解釈するのも納得できるところです……というよりも、普通ならもっと早い段階で持ち出されてしかるべき仮説ではないかと思われるのですが、そこはやむを得ない事情があったということで(苦笑)

 “Aから先です”という意味不明な言葉を、“ええ、唐崎です”(198頁)と実在の駅名につなげてあるのが――少々気になるところはある*3ものの――実に巧妙で、推理がにわかに現実味を帯びていくのがスリリングです。また、“靴も忘れずに”という言葉も何とも絶妙というか、“靴”を“忘れない”ような注意が必要になる状況は限られてくるわけで、履き替え→変装という推理の流れもかなり自然なものに感じられます。

 かくして、本家「九マイルは遠すぎる」さながらに推理の行く末には思わぬ犯罪が浮かび上がり、テレビのニュースでそれが裏付けられた……かと思いきや、アリス以外の三人が即興で(しかもアイコンタクトだけで)仕掛けた悪戯だったというオチがお見事。脱線気味ではあったものの興味深いミステリ談義が時間稼ぎだったというのが何とも愉快ですが、謎解きに見せかけた推理の誘導という構図は鮮やかでよくできています。

 それにしても、最後に望月が披露し始めている新たな推理の微妙さは……(苦笑)

*3: “Aから先です”と“ええ、唐崎です”とは、どうもイントネーションなどが違うのではないかと思われるのですが、関西圏の物語でもありますし、ちょっと定かではありません。最終的にはアリスも“僕が聞いたのは、あくまでも〈Aから先です〉でした。”(213頁)と断言しているので、やはり少々苦しい駄洒落なのかもしれませんが。

「開かずの間の怪」

 “怪奇現象”が途中退場した織田の仕業であることはさすがに見え見えで、最終的に何を仕掛けてくるのかが主たる興味の対象となりますが、封鎖されているはずの“開かずの間”にどうやって入ったのか――いわば“逆密室”の謎がユニーク。

 カーペットに残されたドアの跡という決定的な手がかりが早い段階で示されないのは致し方ないところでしょうが、トイレの“スッポン”がなくなっていたという苦笑を誘う手がかりは、ドアの開け方の強力なヒントとなっています。

「二十世紀的誘拐」

 “手ぶらでどうやって絵を持ち去ったのか”が一種の不可能状況となっていますが、単に持ち去るだけではない“誘拐”――すなわち返還する必要があるのが重要なところで、“折った跡もない”(255頁)状態が実際に確認されることで、不可能状況がより強固なものになっています……というだけでなく、“返された絵”と“持ち去られた絵”とが同一物だとミスリードする効果があるのももちろんでしょう。

 不可能状況を打破する、事前にカラーコピーとすり替えておくというトリックは秀逸で、“いかにして手ぶらで持ち出すか”から“いかにして手ぶらで持ち出せる状態にするか”へとポイントがずらしてあるのも巧妙ですし、“二十世紀的トリックによる美学への挑戦”(276頁)と銘打たれるにふさわしい、犯行の動機と絡んだ皮肉なトリックとなっているところが非常によくできています。

 そして、江神さんの推理も及ばなかった、“酒巻翔の絵は飛んだ(279頁)という最後の真相のイメージが、実に鮮烈かつ爽快です。

「除夜を歩く」

 望月による「仰天荘殺人事件」については、作中で十分に語られているのであまり付け加えることはありませんが、やはり犯人はかなりあからさまだと思いますし、使い捨てカイロで雪を溶かすトリックには、その必然性――というか必要性も含めて、いささか無理があるのは否めません。それでも、獅子谷が“汗を浮かべたまま”(305頁)という伏線には感心させられました。

 一方、江神さんとアリスが交わすミステリ談義はいずれも含蓄に富んだものですが、個人的に興味深いのはやはり“別のトリック問題”――“作中で別のトリックが使われた可能性を消去する方法がない”(347頁)という問題。作中で犯人が使うトリック、すなわちハウダニットに関しては、フーダニットと違って選択肢が無数に存在し得るために消去法が使えない、ということは以前から認識*4しつつも、“お約束”としてあまり問題視していなかった*5のですが、はっきり指摘されてみると考えさせられるものがあります。

 ちなみに、ネタバレなしの感想でも紹介したように、古野まほろ『絶海ジェイル Kの悲劇'94』はこの“別のトリック問題”と同じような問題意識に基づく作品で、“別のトリックが使われた可能性”を(完璧とまではいかないかもしれませんが)極限まで排除できるよう工夫してあるといっていいのではないでしょうか。その最大のポイントは、脱獄ミステリという特殊性にあり、強固な不可能状況が積み重ねられることで別のトリックを使える余地が極度に少なくなり、加えて“犯人”が最初から明かされていることでトリックが限定されるという、実にユニークなアプローチがなされています。

*4: 拙文「ロジックに関する覚書#謎とロジックの対応」で似たようなことを書いています。
*5: 実際のところ、これを逆手にとって“多重解決”の面白さを演出した作品もありますし、メリットもないではない……ようにも思えます。

「蕩尽に関する一考察」

 溝口氏の奇妙な気前のよさが“蕩尽”であることは、題名でもはっきり示されているわけですが、それによる効果が(常識的には)不明であるために、その目的が大きな謎となっています。それに対して江神さんが提示する、“無一文になることで無敵になる”という真相は強烈。しかも、“これでもう何も盗られるものはなくなった”(361頁)という伏線がしっかりと用意されているところに脱帽です。

 江神さんの推理はそこにとどまらず、さらに溝口氏の心理をトレースして未来の損害賠償(が求められる行為)というところまで到達しているのが凄まじいところ。このように、“犯人のロジック”に基づく推理によって未来の事件を導き出す手法は、泡坂妻夫〈亜愛一郎シリーズ〉(の一部の作品)を思わせますが、いずれにしても、“悲劇を未然に防ぐ”という名探偵の一面をアリスとマリアが身をもって体験した結末は、本書の幕引きにふさわしいものといえるのではないでしょうか。

2012.11.10読了