元年春之祭/陸 秋槎
四年前の事件については、序盤の於陵葵による推理(40頁~45頁)がかなり核心に迫っているので、真相のある程度の部分まではだいぶわかりやすくなっている感があります。まず前半の〈若英犯人説〉では、匕首が凶器となった理由や“切られた縄と木桶”に説明がつかないとされているものの、後半の〈芰衣犯人説〉ですぐにそれらに(一応の)説明がつけられ(*1)、なおかつ足跡に関する証言から芰衣が犯人とは考えにくい――となれば、若英が犯人であることまでは十分に予想できるのではないでしょうか(*2)。
木に吊るされた若英自身が縄を切ることはもちろん不可能としても、芰衣が“断ち切られた縄”
(30頁)を目撃しているわけですから、少なくとも誰かが縄を切ったことは確実。そしてそのために匕首が使われたとすれば、その後に若英が匕首を手にする機会は十分にあった、と考えていいでしょう。
というわけで、終盤の若英の“自白”そのものにはあまり驚きがないのですが、その後に葵が解き明かす、若英が首吊りを強要されたという恐るべき真相は、時代を考えてもなお戦慄させられるものです(*3)し、水を入れても凍って役に立たない木桶の使い道に、“小休が死んでから”
(289頁)思い至ったという葵の胸中を思うと、何ともやりきれないものが残ります。
“兵架かられいの匕首を手にとり、木のところまで駆けつけて”(44頁)としていますが、この時点での推理のとおり、無咎と上沅が若英を鞭打つために木に吊るしたのであれば、すぐに縄を切る必要がないわけですから、まだその場に匕首が用意されていなかったとしてもおかしくはないでしょう。
*2: 作中では当然、いきなりそこまで進んでしまうわけにはいかないのですが、容疑者とされた芰衣の人物像に焦点が当てられる中、“贅婿”の話が出たことで、葵自身が“巫児”であるという立場が明かされて、そのまま話がうやむやになっているのがうまいところです。
*3: この真相には、最後に明らかになる殺人の動機に通じる部分があり、そちらを読者に受け入れさせるための伏線としても機能しているように思われます。
現在の事件についての、葵による最初の解決は、第一の事件(鐘夫人殺し)の不可能状況に対して、江離と会舞には草むらの血痕が見えなかったという、ミステリではしばしばありがちな色覚障害ネタ(*4)から始まります。が、自らそれを認めた会舞はいいとして、亡くなった江離が色覚障害だったことを“証明”する奇天烈な推理のインパクトが強烈。“東君を信仰しながら五行説に触れた人はかならず、赤と緑を見わけることができない”
(201頁)という非常にユニークな“珍説”は、現代が舞台の作品ではあり得ない、この時代/この舞台ならではの魅力的な謎解き(もちろん正しいかどうかは別として)となっています。
また、“今回の祭儀はこれまでとちがう……だから、叔母さまは殺された”
(182頁)という江離の最期の言葉、鐘夫人が“編鐘を見るため”
(150頁)に倉庫を訪れたこと、“七孔の篪”
(156頁)を持ち込んでいたこと、さらには“上が青色、下が白色”
(157頁)の袿衣を準備していたことをもとに、祭儀の対象が東皇太一から東君へ変更されたことを解き明かし、それが犯人の動機だとする推理も面白いところですし、序盤の宴の席で展開された“神明談義”(80頁~92頁)の中に手がかりが配置されているのもお見事。
一方、祭儀と直接関係のない白先生については、口封じという動機は(納得はできるものの)あまり面白味があるわけではありませんが、犯人が犯人だけに直接名前を書くことができず、犯人につながる動機をほのめかすために“子衿”という言葉を書き残した、というダイイングメッセージの解釈は、それなりに筋が通っています(*5)し、名前を記せない事情と犯人を示す意思とをぎりぎりのところで両立させてある点で、なかなか面白いと思います。
かくして葵が導き出した結論は、東皇太一を信仰する観家の当主が犯人という〈無逸犯人説〉ですが、このような葵の解決に対して、若英がまず遺伝学的な知見(*6)をもとに、“血痕をまわりこんで倉庫に入っていった”
(135頁)無逸が、ひいてはその娘・江離が色覚障害ではないと反論した上で、さらに葵が示した条件――“東君を信仰しながら五行説に触れた人”に該当する若英自身が、赤と緑を見わけられると断言してとどめを刺すのが鮮やかです。
*5: 後に露申が
“あまりにも心もとなかった”と評し、葵も
“たしかに目も当てられなかった”(276頁)と同意していますが、(一見すると)“子衿”に該当する人物が見当たらない中では、まずまず妥当ではないでしょうか。
*6: まさかこの時代にそんな知識が……と仰天しかけましたが、巻末注6を読んで一安心(?)。
小休と若英の相次ぐ自殺というショッキングな出来事を受けて、激情に駆られた露申がぶち上げる〈葵犯人説〉は、葵の反論を待つまでもなく穴だらけで無理のあるものです(*7)が、布教のためという動機はなかなか印象的。そして、最終的に葵への疑いが晴れる理由が、露申の寝相が悪かったこと(*8)だというのがすごいところです(苦笑)。
対する葵の解決は、白先生が書き残した“子衿”が犯人の名前だった――“白先生は犯人の名前を“子衿”だと思っていた”とするところから始まります。葵が宴の席で“一同に小休を紹介”
(58頁)した後で“広間へ姿を現した”
(60頁)白先生は、もともと観家と交流があり、葵の名前も事前に知っていた(*9)わけですから、関係者の中で白先生が名前を知らない――葵が“《詩経》から名前をつけてあげた”
(88頁)ことだけ知っている――のは小休のみ。したがって、すでに葬られた小休が犯人(*10)という結論には納得せざるを得ません。
このダイイングメッセージの問題は、拙文「私的「ダイイング・メッセージ講義」」でいうところの[A-2. 変換の問題](犯人とメッセージが正しく対応していない)と、その結果としての[C-2. 解釈の問題]――[・対象(主題)の解釈の誤り](犯人の名前ではないと誤認)との複合形となっていますが、犯人が偽名を名乗っていたとはいえ、名前が完全に記されているにもかかわらず、“名前ではない”と解釈されるのはかなり異例ではないかと思われます。それはもちろん、江離の木簡に記された“子衿”という言葉がクローズアップされたからです(*11)が、その“子衿”の意味を尋ねるために小休は“子衿”と名乗ったわけで、必然性のある仕掛けとなっているのが秀逸です。
不可能状況を呈していた鐘夫人殺しについては、四年前の事件の真相から若英の視線が信頼できない――“縄”のある井戸が目に入る倉庫の方を向いていなかったということになり、“うしろに足音が聞こえてふりむいてみたら小休がいた”
(134頁)という、無難に受け止められていた証言の意味が反転するのが鮮やかです。
“小休には動機がない”
(203頁)という理由で除外されていた小休が犯人となれば、ほぼ初対面の人物を三人も殺した動機が最大の謎となってくるのは当然ですが、“二つの詩の意味をたしかめなければ、江離さまを殺すかを決められなかった”
(285頁)、すなわち小休が“子衿”の意味を知る必要があったという“ヒント”が出されてもなお、その動機は判然としない……というか、木簡に記された“緑衣”と“子衿”の真の意味――江離が青と白の袿衣を着るかどうかに関する“暗号”であったことがすでに明かされている(198頁)ために、“小休がどのように考えたのか”が見えにくくなっているのが巧妙です。
そして、殺された鐘夫人、白先生、江離の“ミッシングリンク”として巫女の禁忌が示された後、禁忌を破った人間を裁くのではなく、葵が禁忌を破らないように戒めるための殺人という真相はやはり凄まじく、三津田信三が“前代未聞の動機”
(帯より)というのも納得。しかもその真相が、葵その人の口から語られなければならないところが、何とも痛ましく感じられます。さらに、小休がそのような考えに至る原因となった、葵と露申、葵と小休の何気ない会話が伏線としてよみがえってくるあたりも含めて、あまり例を見ない形で心を揺さぶられる解決場面となっています。
葵を諌めるとともに、葵の中に取り込まれるために自ら命を絶った小休に対して、葵が小休の墓前で悲痛な独白を繰り広げ、葵の思いを通じて小休の思いが浮かび上がってくる美しくも残酷な結末は、いつまでも強く心に残ります。
“あらかじめ“子衿”と書いた土くれを用意しておいて”(280頁)に至っては、むしろよくそんなことを思いつくものだと感心してしまいます(苦笑)。
*8: 細かいことをいえば、
“露申は(中略)眠りながら葵に抱きついていた。”(160頁)という一文だけでは、朝までずっとそのままだったのかどうか、読者にはわかりませんが……。
*9:
“もうひとりの客の名前は観家の使者から聞いてはいた”(79頁)。
*10: 犯人が明らかになる場面(283頁)は、有名な海外古典((作者名)ジョン・ディクスン・カー(ここまで)の(作品名)『三つの棺』(ここまで))へのオマージュのような気がするのですが、そちらの本がすぐに取り出せないので確認できません。
*11: もう一つ、そもそも日本人の人名の場合、(メッセージが完成されていれば)名前であることがわかる例が多い――特に、漢字だけでなくひらがなやカタカナ表記も使えるため――ことを踏まえれば、(この時代の)中国ならでは、と考えてもいいのかもしれません。
2018.09.28読了