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五色沼黄緑館藍紫館多重殺人/倉阪鬼一郎

2011年発表 講談社ノベルス(講談社)
[謎解き]

 まず解き明かされる〈第一の殺人〉と〈第二の殺人〉は、被害者が二人とも心臓が悪かったということで、被害者を“いかにして脅かすか”がポイントとなるのは予想できるところ。他の殺害手段に比べると実行可能性のハードルが低くなるのは確かですが、その一方で自由度はかなり高くなるわけで、一風変わったハウダニットといえるのではないでしょうか。

 しかして、〈第一の殺人〉の“どんでん返しの騙し絵”はやや物足りなく感じられるところもありますが、序盤でぬけぬけと“怪物”を騙し絵みたいなものですか。”(21頁)と表現してあるのに脱帽せざるを得ません。

 そしてカーター・ディクスン『魔女が笑う夜』が引き合いに出された〈第二の殺人〉は、“良絵の顔写真のプリントアウト”という材料まで先に明かしておいて(66頁)、それが仕掛けられた場所だけで勝負するという潔さ(?)ですが、それに見合うだけの凄まじいインパクトを備えた便器のフタの裏という真相には完敗(笑)。犯行を彩る“強烈な便所性”(104頁)も相まって、『魔女が笑う夜』をも凌駕する空前絶後のバカトリックとなっています。

[さらに謎解き]

 ここではまず“館のトリック”が明かされますが、それ自体は個人的に少々残念。“倉阪流バカミス”をある程度読んでいれば、作中の“首のない男”や“本を読む女”の描写(12頁下段・70頁下段など)事実をぼかして表現したにすぎないと見当をつけるのは困難ではなく、美術館という真相にもさしたる驚きはありません。加えて、いわゆる“館”と美術館との間に落差が少ないのも物足りないところです。

 黄緑館と藍紫館が上下に重なっていたという真相も、題名の“多重”に引っかけてあるのはうまいと思うものの、〈第四の殺人〉での墜死という状況から十分に推測できるものですし、“エレベーターを雪上車と呼ぶ”(111頁)のは(“くだらなすぎる”というよりも)“パーティの趣向”にしてもいささかやりすぎのように思われます。

 とはいえ、舞台が美術館であることを利用した、作品の題名による叙述トリックは秀逸。“密室があった。”(76頁)という唐突な一文から始まる場面をみれば、さすがにそれが“「密室」という作品”であることは予想できますが、“犯人が爪で空間を弾いたのだ。”(125頁)という一文には意表を突かれました。

[変容、そして爆発]

 多重殺人の真犯人が多重人格という、これまた題名に引っかけてある真相に苦笑。今どき多重人格オチは陳腐ではありますが、作中の世界で犯人が指摘されてからその正体が読者に明かされるまでの隠蔽工作はなかなかのもので、特に[謎解き]の途中で絵美が女子トイレに行く場面(101頁)“妙に気まずい間があった。(中略)しばらく経ってから”のあたりはうまいと思います。

 続いて明かされるのが、“倉阪流バカミス”のファンにはおなじみの仕掛け……ですが、上段と下段の中央にある“絵”“刻”、上段と下段の間の“虚|無”“空|間”、さらに後の[もう一つの謎解き]で明かされる各頁四隅の“からくさ”も含めて、本書では実に三種類もの仕掛けが用意されており、これまでの作品より確実に増大しているはずの作者の“無駄な労力”がしのばれます。

 この仕掛けは、作中で“暗号”とされているように、それを解き明かすことで“館のトリック”と〈第三の殺人〉・〈第四の殺人〉のトリックのヒントとなるものではありますが、単なるヒントにとどまらずテキストによる“見立て”――“文字(の配置)”で舞台の構造を表現する、タイポグラフィック的な趣向――となっているのがものすごいところで、前述のように三種類とこれまでの作品より増えていること*1、そして終盤近くまでのほぼ全頁に仕掛けられていることに、“見立て”に対する作者の執念がうかがえます。

 148頁以降では、作中の世界とテキストとが混沌とするメタホラー的な展開の中、犯人からの逃走劇を通じて各頁の“絵”“刻”、さらに“虚|無”“空|間”を要領よく紹介していく手順がなかなか見事です。

[もう一つの謎解き]

 “倉阪流バカミス”に慣れた読者であれば、各頁四隅に“からくさ”の文字を見出すのはたやすいことでしょう。それに対して、冒頭の“Lの向こうに、真実が見える。”(9頁)をはじめ、意味ありげな記述によってヒントであることが示唆されている“L字”の仕掛けは、やや気づきにくいところに配されています。“窓”なので前述の“見立て”と同じく本文中に仕掛けられていると思い込んでしまいましたが、実は“L字型の窓(9頁)に対応させるべくテキストの“枠”――前見返しの「著者のことば」――に仕掛けられた、ということかもしれません*2

 ちなみに本文中には、“ワインセラー”“ウインク”(37頁)が真横に、あるいはただの筒”ただの模様”(35頁)“組み合わせ“鉢合わせ(38頁)がちょっとずれて並んでいたり、前述の三種類の“見立て”には影響しない箇所に若干不自然でぎこちない表記/表現があったりと、仕掛けを見抜こうとする読者を惑わすような文字の配列が散見されます。作者が狙ったものかどうかはわかりませんが、意図的なミスディレクションだとすれば、さらに輪をかけた“無駄な労力”に敬意を表さざるを得ません。

 それはさておき、[変容、そして爆発]までの部分が「五色沼黄緑館藍紫館多重殺人」と題された館主の著書だったというのは、もはや想定の範囲内ともいう気がしないでもないですが(苦笑)、前述の“L字”の仕掛けの性質――本の形態として作中に登場して初めて言及できることを踏まえれば、必然性が備わっているといえるでしょう。

[最後の謎解き]

 再びの多重人格ネタとメタホラーの後、“最後の最後に現れてこの世界をことごとく破壊していく”(115頁)、“世界の構造の〈外〉から現れる怪物”の正体はさすがに見え見えで、“どのように登場するか”が見どころとなりますが、作中の“最後に作者の顔が大きく浮かびあがったりしたら大笑いだな”(133頁)という言葉そのままに、“赤と黒と黄色に染められた怪物――テキストを過剰に支配する真の作者(中略)その顔が大きく浮かび上がる”(193頁)――後見返しの著者近影に思わず唖然。

 さらに、作中で再三にわたって唐草模様が“動く”とされてきた“最後の謎”の真相――“からくさ”が動いた結果としての“くらさか”にまた苦笑。とりわけ最後の“くらさか(194頁)のせいで、“苦悶に大きく顔を歪め”ている(193頁)はずの著者近影まで、どことなく“ドヤ顔”に見えてくるのが何ともいえません(笑)

*1: 一連の“倉阪流バカミス”のファンにはおわかりのように、(一応伏せ字)『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』では一種類、次の『新世界崩壊』では二種類(ここまで)の“見立て”が盛り込まれています。
*2: 作中で説明されてはいないので、穿ちすぎかもしれませんが。

2011.09.14読了