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生霊の如き重るもの/三津田信三

2011年発表 講談社ノベルス(講談社)
「死霊の如き歩くもの」

 美江子が事前に口にしていた(19頁)にもかかわらず、“双六、百人一首、羽子板、福笑い、独楽、歌留多といった正月の遊び道具”(40頁~41頁)の中に見当たらないという形で示唆されている*1凧揚げというキーワード一つをきっかけに、作中に盛り込まれた数々の謎がぱたぱたと音を立てるように解きほぐされていく解決がお見事です。

 “雪密室”以前に容疑者たち全員にアリバイがある以上、遠距離からの犯行を疑ってしかるべき状況であるはずですが、(“独りでに歩く下駄”はさておき)現場に残された“犯人の足跡”が(不可解なところもありながら)その大きな障害となっていたわけで、凧揚げの際の後ろ歩きを利用して被害者の足跡を“犯人の足跡”に仕立てたトリックは、なかなかよくできているといえるでしょう。また、吹き矢ではなくあえて竹筒の方を凶器とした犯行も、凧糸という“補助線”を引いてみれば思いのほか合理的なものになっている感があります。“独りでに歩く下駄”の謎も、解き明かされてみれば真相はかなりシンプルですが、逆にどうすれば“独りでに歩く下駄”が実現できるのかを考えていけば、“糸”から凧揚げに思い至ることも可能かもしれません。

 物語の最後に怪異が残されるのはもはやシリーズ恒例ですが、この作品の場合には言耶の部屋の前に下駄と野生の竹が置かれるという、やけにはっきりしたものになっているのが、個人的な好みにそぐわず残念なところです。

「天魔の如き跳ぶもの」

 そもそも、五、六メートル以上にも育った竹――おそらく太さは十センチ以上かと――が子供の体重でそれほど大きく撓るとは思えないのですが、仮に宗寿老人が鍬を伸ばして届くところまで撓ったとしても、その位置で穂少年の体重と竹の撓りが釣り合っているわけですから、そこから宗寿老人が竹を引っ張っても穂少年が跳ばされるほどの復元力が生じるとは考えにくいものがあります。

 もっとも、人間が空を飛ぶトリックはやはり愉快に感じられますし、で引っ張る(しかも二通り)という場面も同様です。さらに、(いかに子供とはいえ)額の裏に被害者が隠されているという真相に至るまで、バカトリックの連打で統一されているあたりは何ともいえません。

 ところで、竹の撓りを利用したトリックには既視感があるのですが、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 凶鳥の如き忌むもの (ミステリー・リーグ) / 三津田 信三」で前例として言及されている(以下伏せ字)天魔が天狗で竹藪(ここまで)のアノ作品”には心当たりがありません。一体どこで目にしたトリックだったか……?。

「屍蝋の如き滴るもの」

 「死霊の如き歩くもの」と同じ“雪密室”ということで、作者がそちらとは違った手で勝負をかけてくることは予想できますし、実際に作中で検討される遠距離からの殺害――「死霊の如き歩くもの」の真相に通じるところのある――が、いかにも“ダミーの解決”らしい(苦笑)やや無茶すぎるトリックになっているのが、少々残念といえば残念なところです。

 とはいえ、“第一発見者=犯人”という(今となっては)陳腐な足跡トリックに、“犯行後長時間現場にとどまる”というアレンジを加えることで、“密室”トリックをアリバイトリックに作り替えてあるのが非常に巧妙。現場が屋外で気温の低い“密室”であるだけに、何時間もそこにとどまるとは常識的に考えにくいのがポイント*2で、盲点を突いた巧みなアレンジといえるでしょう。

 高志少年が目撃した襤褸布をまとう屍蝋の正体が、暖を取るために現場に残されていた新聞紙を身に着けた犯人の姿だったというのも鮮やかですし、その新聞紙が意味ありげな死体の装飾としてうまく処分されているのも見逃せないところです。

「生霊の如き重るもの」

 熊之介の“生霊”の謎が解かれる間もなく、作中で言及されているジョン・ディクスン・カー『曲った蝶番』ばりの――というよりもやはり横溝正史(一応伏せ字)『犬神家の一族』(ここまで)さながらの“二人の虎之介”の謎が提示されたかと思えば、言耶らが谷生家を訪れた途端に“二人目の虎之介”が死んでしまい、さらにそれがあっさり自殺で片付けられるという、なかなかめまぐるしい展開となっています。

 そして言耶の推理は、シンプルに“偽の虎之介氏の正体と(中略)動機”(283頁)から出発しながら、“偽者”としての検討対象が“二人目の虎之介”から“一人目の虎之介”へと転じ、ついには(予想通りではありますが)“二人目の虎之介”の死の真相へと焦点が移っていくという形で、“二転三転推理”が存分に生かされているところがよくできています(下の表を参照)。

 一人目二人目死の真相
〈1〉虎之介偽者自殺
〈2〉虎之介猪佐武
〈3〉猪佐武虎之介
〈4〉熊之介虎之介茜婆さんが犯人
〈5〉熊之介虎之介龍之介が犯人

 “二人の虎之介”の登場でやや脇に追いやられていた感のある“生霊”が、“一人目の虎之介”の正体を暴く手がかりとして活用されているのもうまいところですし、(最終的なフーダニットも含めて)作中に登場した探偵小説が手がかりになっているのにはニヤリとさせられます。

 シリーズでは異例ともいえる、“たった一人を前にした謎解き”の意味が明らかになる「八」の最後の一文(298頁)の後、「九」冒頭の何ともいえない絶妙な間が印象的です。

「顔無の如き攫うもの」

 現場の密室状況が強固なために、想定できる可能性がかなり限定されてしまうきらいがあるのは確かで、ある海外古典*3を思い起こさせる、死体をバラバラに切断して持ち出すトリック――文字通りの“困難は分割せよ”――に思い至るのは、さほど難しくはないかもしれません。しかし、計画殺人ではない突発的な犯行に際して、傘直し屋から〈布と油紙〉・蝦蟇の油売りから〈蝦蟇の油〉・刃物の研屋から〈斧か鉈〉と、必要な道具が“現地調達”可能な状況が作り出されているのが巧妙です。

 さらに“全員が共犯”という、別の有名な古典*4を髣髴とさせるトリックを組み合わせることで、見事に不可能状況がクリアされているわけですが、それが自発的な協力ではなく強制された事後従犯だというのが秀逸で、差別的な扱いを受ける立場ゆえの“同属意識”につけ込んだ犯人の悪魔的な姿が印象的です。と同時に、少々無理筋な回り道とも思われた板戸の鍵についての推理の中で、すでにその“同属意識”に言及されている(358頁)――つまり言耶の“二転三転推理”の中に、真相を支える伏線が潜ませてあるのがお見事。

*1: 言耶の父・冬城牙城の“西洋の塩の悪魔”(51頁)というヒントはどうかと思いますが(苦笑)。
*2: 普通の密室はもちろんのこと、砂浜などでの“足跡のない殺人”でも成立しがたい、“雪密室”ならではのトリックといえるのではないでしょうか。
*3: (作家名)ジョン・ディクスン・カー(ここまで)の短編(作品名)「妖魔の森の家」(ここまで)
*4: (作家名)アガサ・クリスティ(ここまで)の長編(作家名)『オリエント急行の殺人』(ここまで)

2011.07.16読了