昨日まで不思議の校舎/似鳥 鶏
まず、「市立三怪」にちなんだ三つの“事件”について。
- ・カシマレイコ
遠隔操作で放送を行う手段はすぐに解明され、謎は早い段階から〈放送室の鍵の問題〉に絞られますが、仕掛けが用意されたのは前日(18日)の夕方に青砥さんが放送室を施錠した後であることが明らかなため、鍵貸出ノート(132頁~133頁)の記録についても青砥さん以前が盲点となりやすくなっています。それでいて、葉山君がノートの前のページを確認している理由はさほど不自然ではありませんし、さりげなく
“無地のノート”
(132頁)と手がかりが示されているのもうまいところ。というわけで、鍵貸し出しのシステムを巧みに利用したトリックではありますが、現実的に考えれば実行はかなり困難でしょう。一つには、“ノートに記入→ページをめくる→ノートに記入”という手順になるわけですから、その動作で二度記入したことが露見しやすくなります。また、18日の放課後に鍵を借りにきた生徒は四人しかいない上に、青砥さんが放送室の鍵を返してからさほど時間が経っていない(*1)のですから、“本多美紀”が放送室の鍵を返しにきた時に、事務の先生が青砥さんによる返却を思い出し、矛盾に気づく可能性は高いと思われます(*2)。
一方、真相を見抜いた伊神さんが犯人に対して仕掛けた、うっかりすると読者も読み飛ばしてしまいそうな“引っかけ”は非常に巧妙です。が、細かいことをいえば、鍵貸出ノートに記入された押尾君の名前の位置に難があります。というのも、“本多美紀”のすぐ上ならばまだしも二つ上ともなると、犯人がそこまで記憶していない――“引っかけ”が不発に終わる恐れがなきにしもあらず。そしてそれ以上に問題なのが“探偵”の側で、葉山君自身はノートを目にしているとはいえ、事件の前の週(*3)に鍵を借りた押尾君の名前まで伊神さんに伝えた(*4)とは考えにくいのですが……。
犯人が容疑の圏外に逃れるためにあえて一旦疑われる、という例は枚挙に暇がありませんが、この事件の場合は疑われること自体が犯人(辻さん)の主目的だったという真相がユニーク。また、他の部員に容疑がかからないようにという配慮が“不可能犯罪”を生み出したところも印象的です。
- ・口裂け女
演劇部・推理小説研究会・吹奏楽部・美術部の四ヶ所で事件が起きたにもかかわらず、容疑者があっさりと吹奏楽部の関係者に限定されてしまうのが少々気になりましたが、それが犯人の目的だったという真相には納得。そして楽器室の鍵を使える容疑者の〈アリバイの問題〉にポイントが絞られるところまで、犯人の主たる目的に沿ったものだったわけですが、鎌に貼られた東急ハンズのテープを残しておくことで、事件前日(18日)のアリバイに着目するよう誘導してあるのも巧妙です。
そして、〈アリバイの問題〉をクローズアップするための仕掛けが、同時に真犯人を容疑の圏外に逃れさせるミスディレクションとなっているのが秀逸で、(作中でも引用されている(*5))“木の葉は森に隠せ”の原理も応用して、持参したフルートを部楽器に見せかけ、実在しない不可能状況を演出するトリックは非常によくできています。
いくつかのミスによって、犯人特定の手順は簡単なものになっていますが、伊神さんいわく
“本題”
(177頁)である動機の解明はなかなかの見ごたえ。葉山君が受け取った告発メールもあって、犯人(小林君)の狙いが守安君の18日のアリバイにあることははっきりしており、そこから守安君の浮気の告発が直接の動機であることまでは一直線ですが、そこで明らかになる友人としての苦悩に、その後の独白で示される秋野さんへの密かな思いも絡んだ、小林君の複雑な心情が印象に残ります。- ・トイレの花子さん
現場の用務員室は(ある程度)中に人がいることが前提となるため、(施錠よりもむしろ)出入りする〈タイミングの問題〉が重要になるわけですが、単純かつ不確実であるために第三者がトリックを弄する余地は見出しにくく、“御隠居”こと用務員の徳武さんの自作自演という真相はさほど意外なものとはいえません。
しかしながら、“御隠居”がそんな悪戯を仕掛ける理由はなかなか想定しがたく、明かされる動機は意外にして(特に葉山君目線で)ショッキングなもので、ハウダニットの物足りなさを補って余りあるといっていいでしょう。伊神さんが気を利かせたのか(?)、犯人との対決が葉山君に任されているのも見どころで、ついに葉山君の柳瀬さんへの思いが(読者に)明示される場面は、シリーズのファンとしては感慨深いものがあります。一方で、恋に破れた犯人の独白が思いのほかさっぱりした後味を残しているのも印象的です。
三つの“事件”の謎解きが終わったところで、全体をまとめる趣向が明かされるのは常道ですが、本書では三つの“事件”はバラバラなまま完結しており、きっかけとなった「市立三怪」そのものの方へ焦点が移り、その背後に埋もれていた過去の未解決事件が掘り起こされる形になっているのがユニーク。現在の三つの“事件”相互だけでなく過去の事件との間にも、直接の(事件としての)つながりがまったくないのは、かなり異色といっていいのではないでしょうか。
代わりにその隙間を埋めているのは、「市立三怪」に注目を集めて過去の事件を掘り起こしてもらおうとするかのように、(〈エリア51〉で特集を組んだ超自然現象研究会の丹羽会長も含めて)関係者の背中を押した、“今ならできるよ”
(126頁/193頁/219頁/240頁)という正体不明の囁き(*6)――というわけで本書は、“すべてが合理的に解明されるミステリ”ではなく、ミステリと怪異とが同居したホラーミステリの一種ととらえるべきでしょう。事件の真相はあくまでもミステリ的に解明され、怪異はそれを促す役割を果たしているという点では、三津田信三『作者不詳 ミステリ作家の読む本』に通じるところがあるようにも思います。
読み返してみると、物語中盤の葉山君が“女の子の足”に出くわしたエピソード(129頁~130頁)が、解かれるべき謎とされることなく放置されているあたり、見るからにホラー的な扱いではあります。また、冒頭の葉山君の述懐に“某市立高校に隠れ棲んでいた怪異の最古にして最後の一つ”
(13頁)とあるところからして、本書がホラーミステリであることを暗示する伏線といえるのかもしれません(*7)。
数十年前に起きた事件だけに手がかりも少なく、謎解きがやや弱いのはやむを得ないところですが、トイレの個室の中だけに血痕があったことから被害者が子供だとする推理はよくできていますし、時期・場所・手口などから「カシマレイコ」・「口裂け女」・「トイレの花子さん」が同じ犯人だというのも蓋然性は十分に高いといっていいのではないでしょうか。
さらにそこに、『理由あって冬に出る』でおなじみ(?)の「壁男」までが結びついてくるのが圧巻。やや牽強付会気味ではあるかもしれませんが、「壁男」――仙崎宗一が失踪する直前に「市立三怪」を調べていたという菅家先生の証言で、その後にある程度は補強されているといっていいでしょう。そして、「壁男」の事件だけでは見えてこない、他の事件と組み合わせて初めて浮かび上がってくる死体の特異性――切断された首が持ち去られていたことが、犯人特定の手がかりとされているのが秀逸です。
事件が解決された後の「エピローグ」は、非常に印象的。「口裂け女」の“事件”で犯人に利用されて苦い思いを味わった葉山君――“苦悩する探偵役”に対して、菅家先生がかける言葉は葉山君個人の問題にとどまらず、“探偵役のあるべき姿”の一つととらえることができる、興味深いものになっています。そして、葉山君への感謝のしるしとも最後の挨拶とも受け取れる、“こつり、と足音がした気がした。”
(295頁)(*8)という幕切れがお見事です。
“16:45”(132頁)の少し前あたりではないかと思われますし、“本多美紀”による返却は
“五時過ぎ”(207頁)としても30分以上超過することはないでしょうから、正味一時間もないと考えられます。
*2: さらにいえば、放送部員として鍵を借りる“常連”と思しき辻さんは、事務の先生に顔を(それなりに)覚えられている可能性が高く、多少の変装が通じるかどうか疑問の残るところでもあります。
*3: 18日が
“月曜日”(150頁)で、16日と17日にお昼の放送当番がない鍵貸出ノートの記録(133頁)とも符合します。
*4: 柳瀬さんがノートを借りてくる(202頁~203頁)まで、伊神さんにはノートを目にする機会がなかったと考えるのが妥当でしょう。
*5: いうまでもないでしょうが、(作家名)G.K.チェスタトン(ここまで)の短編(作品名)「折れた剣」(ここまで)。
*6: 三つの“事件”の犯人による独白が挿入されているのは、葉山君の視点では見えない犯人の心理の細部を描くというのもさることながら、この“囁き”を読者にはっきり示すという意図もあるのは間違いないでしょう。
*7: 加えて、『理由あって冬に出る』をお読みになった方はご承知のように、(一応伏せ字)「壁男」が発見された経緯からして怪異がきっかけとなっていた(同書240頁)(ここまで)わけで、シリーズ当初から怪異の存在が示されていたともいえます。
*8: 『理由あって冬に出る』の
“こつこつという靴音”(同書240頁)を参照。
2013.05.15読了