クドリャフカの順番/米澤穂信
まずは、「十文字」というネーミングがさりげなく効果的。奉太郎は“普通に読めば『じゅうもじ』だろうが”
(203頁)と指摘していますが、犯人の署名と思われること、そして“桁上がりの四名家”の一つである十文字家が――第一作『氷菓』の時点ですでに――作中に登場していることから、どうしても“じゅうもんじ”と読みたくなってしまうのは人情で、読者をミスリードするのに一役買っています。
もっとも、“じゅうもじ”、すなわち“どこまで続くのか”まではわからなくても、あらすじと“占い研究会から 運命の輪は既に失われた”
(95頁)――特に“運命の輪”とはっきり指定されていること――で、アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』を下敷きにしていることに気づく方も多いのではないでしょうか。そしてその後、囲碁部(101頁)、アカペラ部(133頁)、お料理研究会(188頁)と事件が発覚していくことで、“あいうえお順”であることもかなり見えやすくなっていると思います。
で、序盤に挿入されているしおり――「カンヤ祭の歩き方」を見て、被害に遭った部活が同じ頁(しおりの33頁/本書13頁)に固まっていることまでは気づいたのですが、そこに“く”で始まる部活がないことで行き詰まってしまったのが悔しいところ。ちょうど十個の部活が並んでいるので、“あいうえお順”というのはダミーで、ブラスバンド部が狙われるのではないか(*1)とまで考えたのですが……。
よく考えてみれば、『クドリャフカの順番』という題名ですから“く”が飛ばされるはずはないのですが、一つだけ部活名ではなく個人名であること、そして何より「十文字」の犯行声明がないことが、真相をかなり見えにくくしています。このあたりは、『ABC殺人事件』が下敷きにされていること自体がミスディレクションとなっている(*2)感もあり、非常に巧妙なひねりといっていいのではないでしょうか。
「十文字」が“く”を飛ばしたのではなく、“く”、すなわち漫画原作『クドリャフカの順番』はすでに――「十文字」の犯行によらずして――失われている、とする逆転の発想に基づく奉太郎の推理はお見事で、その逆転が、陸山が『クドリャフカの順番』を“失った”ことこそが事件の発端である、というところまで至っているのが秀逸です。そしてここでも、『ABC殺人事件』のネタにひねりが加えられている(*3)のが見逃せないところです。
「十文字」の犯行の動機となった“期待”の裏には“絶望的な差”があり、それが里志と摩耶花のやり取り(346頁~349頁)、あるいは摩耶花と河内先輩のやり取り(358頁~361頁)と重なることで補強され、何ともほろ苦いものを残しているのが印象的です。
*2: 似ているようでいて性格が大きく異なるという意味で。というのも、『ABC殺人事件』の場合は(以下伏せ字)犯行声明のない犯行はあり得ない(ここまで)からです。
*3: (以下、一部伏せ字)『ABC殺人事件』では“ABC”自体に意味はなかったのに対して本書では犯行声明がメッセージになっていたこと、また『ABC殺人事件』では装飾が“本命”を埋没させるためのものだったのに対して本書ではむしろ“本命”(陸山と『クドリャフカの順番』)を浮かび上がらせるためのものだったこと(ここまで)など、非常に面白いと思います。
2013.03.01読了