ねらわれた女学校/古野まほろ
2016年発表 角川文庫 ふ31-3(KADOKAWA)
2016.10.11読了
- 「消えたロザリオ」
- この作品で島津今日子は、推理を披露する前に罠を仕掛けて犯人を確定させていますが、言い逃れしづらい現場を押さえて一対一の勝負に持ち込む展開もさることながら、ロザリオが発見されることでようやく“井の頭竜子の狂言”の可能性が否定される――この罠そのものがフーダニットに不可欠な“一手”となっているのが見逃せないところです。
午後の授業時間に退室した三鷹台由衣・吉祥寺理代・新代田礼子の三人が容疑者として残る中、恋愛の絆(ゴンドラで目撃された異端者として)とカトリックの信者ではない(“ロザリオとは何か”(*1)が秀逸)という共通点によって、由衣と理代の二人が二重の意味でペアとなって除外され、礼子が犯人として残る“婆抜き”のフーダニットがユニーク。それをしっかりと支える数々の手がかりも、細かいところまで抜かりなく考えられています(*2)。
そして犯人にとどめを刺す最後の一手、すなわち犯人がロザリオを盗んだ動機については、葉月茉莉衣が出した“十字架に何故そんな警句があるのか”
(37頁)というヒントが効果的。かくして解き明かされる、持ち主の竜子も知らなかった十字架の秘密と、礼子に関する情報がことごとく――普段から“アイスコーヒーしか飲まない”
(54頁)ことまで手がかりとなって組み立てられる、覚醒剤の使用という“悪辣な物語”は、最後の一手にふさわしい破壊力を備えています。それでいて最後には、“竜子のため”という救いが用意されて丸く収まっているのがお見事です。
- 「とらわれた吸血鬼」
- 古野みづきは手の内を完全には明かさないものの、事前にも
“ミサイル(中略)もちろん携行できる程度”
(138頁)や“六・六七秒の奇跡”
(140頁)(→それだけの時間で5キロの距離を突破できる手段がある)といった手がかりが用意されていますし、何より「第四場」では倒叙ミステリ風に“犯行”が描かれているわけですから、そこで“真相”、すなわちハウダニットはほぼ明らかになります(*3)。
しかるに、最後に用意されているまさかの(?)古賀校長による謎解きは、通常と同じように“犯人”が“何をしたのか”を説明する(倒叙ミステリに近いので“補足する”の方が適切でしょうか)一面もあるものの、基本的には、“犯人”――みづきが“不可能命題”を“どのように“解決”したのか”をトレースしてみせる形になっています。これは古賀校長が、隠された真相を求める立場ではなく“出題”と“採点”を行う立場であるためで、読者にはすでにハウダニットの大半が明かされている中で、特殊な“探偵役”がうまくはまっています。
その謎解きでは、“不可能命題”が〈速度の問題〉・〈旅客の問題〉・〈調達の問題〉の三点に整理されているのがエレガント。最大の難関である〈速度の問題〉についてはスティンガ(携帯型地対空ミサイル)という非常識な(?)手段が採用されていますが、必要な速度を考えれば読者がそれに思い至るのも不可能ではないでしょう。そして〈旅客の問題〉では吸血鬼の“ルール”――“実在する蝙蝠であればどれにでもなれます”
(130頁)――が、また〈調達の問題〉では聖アリスガワ女学校の設定――実際には、『セーラー服と黙示録』で接点のできた飯塚祐司祭(*4)から調達したようですが――が、それぞれ使われているのがうまいところです(*5)。
- 「あらわれた悪魔」
- 弁護人側の逆襲の第一段階――古野みづきによる弁論は、サバトの真相解明から始まります。サバトを演出した直接の手段こそ、映像に薬物と陳腐なものですが、葉月茉莉衣・吉祥寺理代・久我山夕子の三人に薬物を摂取させた手口を証明する推理と、それを支える薬包などの細かい手がかりがよくできています。さらに、聖書の指紋を手がかりとして――のみならず、犯人・監査委員長の桜上水翔子(*6)を追い詰めるはったりとして駆使する“みづき流フーダニット”には、島津今日子のそれとは一味違った面白さがあります。
そして第二段階の、島津今日子のシナリオによる井の頭竜子の弁論では、霧島大司教による間違いだらけの異端審問が暴かれていくのが実に痛快です。とりわけ、文庫版で1ページにも満たない自白調書(216頁~217頁)の、何から何まで“間違いの塊”といっても過言ではない内容が強烈。一方で、霧島大司教が最後に指摘しているように、異端審問対策としてあらかじめ“魔女狩りマニュアル”を今日子に読ませておいた、古賀校長の布石が空恐ろしいところです。
“魔女の自白”とされた三人の奇怪な譫言が、鹿児島旅行パンフレット(175頁~176頁)のイメージだったという“オチ”もお見事。“地獄の煙が”
は桜島の噴煙でしょうし、“躯が、埋まってゆく”
は砂蒸し風呂で、“のしかかられ、襲われる”
は“カゴシマンエステ”でしょうか。そしておそらくはダイビングの海中写真から、“触手が、いっぱい”
(以上、194頁)という言葉が出てきたことに苦笑を禁じ得ません。
- 「ねらわれた女学校」
- 私の理解が正しければ、初期状態で正方形の無限階段を黄金長方形に変化させることで扉が開く(*7)――そのために必要な“φ”をどのようにして求めるか、というのが設問だということでしょう。いずれにしても、黄金比(→Wikipedia)の問題であることを示すヒントは、臍の部分で割られた黄金のヴィーナス像、端が切り取られた名刺、編み棒が刺さった糸玉のほか、名刺に記された
“最も美しい調和”
(274頁)や、階段の段数がフィボナッチ数列(→「フィボナッチ数#性質 - Wikipedia」)にしたがって増えていくことなど、豊富に用意されています(*8)。
これらのヒントはいずれもそれぞれに“φ”につながるので不思議はないかもしれませんが、今日子はヴィーナス像から、茉莉衣は名刺から、みづきは何と“毛糸の玉とそれに刺さった編み棒を一瞥したとき”
(299頁)という具合に、三人が異なるヒントに着目して“φ”に思い至っているのが面白いところで、その後の“解法”の違いも併せて、三人の人物像がよく表れていると思います。
恥ずかしながら今日子の解法が今ひとつよくわからないのですが、翌朝の会話での“限りなくφに近いもの”
(310頁)を“どんどん拡大していく”
(311頁)をみると、ヴィーナス像の臍から上を“1”、全身を“φ”としてそれぞれの長さの毛糸を得て(*9)、それを(“1”が階段の長さとなるまで)拡大していったということでしょうか。
茉莉衣の解法は、腕時計を分度器代わりに使って正五角形を作るもので、一辺が1の正五角形ができればその対角線の長さはφとなります(*10)。
みづきの解法は、“①1を決めて正方形を作る。②糸だから底辺の中点もすぐに決定できる。③それを円の中心として、コンパスを一度、新しい糸巻を一度使う。”
(313頁)と説明されているとおり。底辺の中点から底辺に含まれない二つの頂点までの距離が√5/2(=φ-1/2)になるので、それをコンパスで底辺の延長線上に持ってくれば、底辺の半分(=1/2)を足してφになります。
今日子……『最も美しい女神』という物語の主体から、知識で解答を得た
作中では三人の手法が上のようにまとめられ、さらに最後にはみづきが
茉莉衣……『切断された名刺』という関係性の象徴から、経験で解答を得た
みづき……『串刺しにされた糸玉』という暗号の直喩から、解析で解答を得た
(299頁)“努力、直感、合理。知識、経験、技能”
(314頁)と表現しています。これは前述のように、シリーズを通して描かれている三人の人物像に合致しているとともに、丁寧にロジックを積み重ねて、犯人以外の容疑者を排除していくフーダニット(*11)/理論的には無数の可能性があり得る中で、ぴったりと当てはまる動機を見出すホワイダニット/状況を適切に解析した上で、合理的な手段を組み立てていくハウダニット(*12)――という、謎解きの分担にも通じるところがあり、非常に興味深いものがあります。つまりは、三人のキャラクターが謎解きの分担をもとにして造形されている、ということになるのではないでしょうか。
*1: 古野みづきの
*2: 例えば、ゴンドラのペアの
*3:
*4: 飯塚司祭の
*5: “特殊設定下のハウダニット”という観点でいえば、特殊設定が“トリック”の中心ではなく、特殊設定だけをみても“解決”できない――というのがユニークだと思います。
*6: お御堂での聖書と鹿児島旅行パンフレットをめぐる一幕の中で、さりげなく
*7: しかしそうだとすれば、増やすべき階段の段数は計算で求めることができる――初期状態での踊り場間の階段の段数をnとすると、n(φ-1)(に近似の自然数)段増やせばいい――ので作図の必要がない上に、段数の増え方を考えると調整が難しそうなので、私が何か勘違いしているおそれが多分にあります。
*8: 茉莉衣が気づいている(294頁~295頁)ように、正五角形の鉄扉もヒントといえるかもしれません。
*9:
*10: これは知らなかったのですが、正五角形の対角線を斜辺、一辺を底辺とする直角三角形と、一辺を斜辺とする相似の直角三角形との比から、対角線の長さがφになることが確認できます。
*11: 「消えたロザリオ」の謎解きにも表れていると思います。
*12: 「とらわれた吸血鬼」の古賀校長による謎解きは、“ハウダニットをどのように解明するか”のお手本(の一種)といってもいいかもしれません。
“盗まれたロザリオそのものの意味”(37頁)というヒントは、一見するとホワイダニットのようではありますが、犯人が分離されていた十字架と“数珠”をともに盗んだこと、すなわち犯人の手口に着目したと考えれば、やはりみづきの領分ということになるでしょう。
*2: 例えば、ゴンドラのペアの
“うちひとりは、学年もクラスも確定”(48頁)できたことなどは絶妙だと思います。
*3:
“キティブタバナコウモリ”(146頁)(→Wikipedia)までは具体的にわからないとしても、それに変身することで弾頭部分に乗り込むことができるというのは十分に把握できるでしょう。
*4: 飯塚司祭の
“やんちゃ”(159頁)ぶりは、『ぐるりよざ殺人事件』で描かれています。
*5: “特殊設定下のハウダニット”という観点でいえば、特殊設定が“トリック”の中心ではなく、特殊設定だけをみても“解決”できない――というのがユニークだと思います。
*6: お御堂での聖書と鹿児島旅行パンフレットをめぐる一幕の中で、さりげなく
“反対側の隣にいた三年生のお姉様”(176頁)の存在が示されているのが心憎いところです。
*7: しかしそうだとすれば、増やすべき階段の段数は計算で求めることができる――初期状態での踊り場間の階段の段数をnとすると、n(φ-1)(に近似の自然数)段増やせばいい――ので作図の必要がない上に、段数の増え方を考えると調整が難しそうなので、私が何か勘違いしているおそれが多分にあります。
*8: 茉莉衣が気づいている(294頁~295頁)ように、正五角形の鉄扉もヒントといえるかもしれません。
*9:
“私はヴィーナスの彫像と、亜麻色の糸玉を採り、毛糸を糸切り歯で切って確認をしてから、また階段を上下し始めた。”(288頁)。
*10: これは知らなかったのですが、正五角形の対角線を斜辺、一辺を底辺とする直角三角形と、一辺を斜辺とする相似の直角三角形との比から、対角線の長さがφになることが確認できます。
*11: 「消えたロザリオ」の謎解きにも表れていると思います。
*12: 「とらわれた吸血鬼」の古賀校長による謎解きは、“ハウダニットをどのように解明するか”のお手本(の一種)といってもいいかもしれません。
2016.10.11読了