運命の証人/D.M.ディヴァイン
The Sleeping Tiger/D.M.Devine
ジョンが無罪を勝ち取った後が事件の真相解明の本番となりますが、、疑わしい人物といえばかろうじてアーサー・リースくらいで、リースの愛人であり脅迫者だったサンドラ・ウェルチが真相を知り得た(*1)――そしてリースを脅迫していたとくれば、ハリエットならずともリースに疑いを向けるのはやむを得ないところでしょう。
しかして最後には、医師フランク・ホーンビーが意外な犯人として飛び出してくるのに驚かされますが、ジョンとピーターの友人であり、ほぼ一貫してジョンに親身になっているようにみえる(*2)という関係性もさることながら、やはり徹底的に動機が隠されているのがポイントでしょう。ピーターが亡くなる直前の連夜の残業が動機に関連するのはまず明らかなところ、ジョンがなかなかそちらに目を向けないのはいささか不自然かもしれません(*3)が、当のホーンビーがそれを持ち出しつつ顧客の脱税へとミスリードしている(325頁)のが巧妙です。
さらに、ジョンがノラからリースの顧客を聞き出す際には、対象を“プレスコットの裁判で証言をした者”
(350頁)に限定した――これ自体はおかしくはないと思いますが――ことで、すでに亡くなっているパリー医師が除外されているのが地味ながら秀逸で、事件当時はパリー医師が診療所の代表だったはずですから、ノラからホーンビーの名前が出てこないのもおかしくありません。考えてみれば、パリー医師はリース家と家族ぐるみの付き合いだったのですから、リースに依頼するのが当然なのですが、そのパリー医師が巧みに盲点に追いやられ、その結果としてホーンビーにまで疑いが向かないのが実にうまいところです。
それに対してジョンが思い出した手がかりは、ノラとの婚約パーティーでピーターが“日曜の三時”
(46頁)にパリー医師と会う約束をしていたことで、ピーターの事件当日の“二時四十五分から四時半まで”
(340頁)の空白が埋まる(*4)とともに、引退したパリー医師の思わぬ困窮と合わせて、ホーンビーによる診療所の会計の不正に気づいたピーターが殺された、という構図が浮かび上がってきます。
ただしこれについては、少々日付がわかりにくいのが難点。婚約パーティーは“今度の土曜”
(42頁)の“四月二十一日”
(45頁)で、ピーターとパリー医師の約束が“日曜の三時”
となると、翌二十二日でもおかしくないようにも思われますが、ピーターが殺されたのは“四月最後の日曜日”
(78頁)、すなわち四月二十九日。これは、“明日の三時”
という表現ではないので二十二日ではなく次の日曜日、ということになるのでしょうか。
ピーターの検死についてパリー医師が“ひとことも口にしたことはなかった”
(156頁)はずが、裁判では“私の同僚が、ほかに傷はなかったと私に保証してくれました”
(272頁)と証言した矛盾や、ジョンとノラに関するピーターの態度についての微妙な証言(270頁~271頁)などもホーンビーへの疑いを強めるものですが、ジョンに届いた脅迫状の“後頭部を殴って”
(233頁)という表現が、ジョンがホーンビーに伝えた“後頭部への一撃”
(156頁)という表現そのままだった(*5)ことが、有力な手がかりとなっているのがお見事です。
*1: “手段はわからないけど”
(379頁)と、はっきりしないまま終わってしまうのは少々いただけませんが、致し方ないところでしょうか。
*2: とはいえ、自動車事故の一件(62頁~63頁)でホーンビーの自己中心的で冷酷な一面は示されているのですが。
*3: もっとも、当初はピーターが殺されたことを受け入れず、次いで“脅迫者探し”が優先事項となるジョンとしては、やむを得ないところではあるかもしれません。
*4: 加えて、パリー医師との約束の後、レイヴンに相談(しようと)してから、最終的にホーンビーを訪ねた(339頁~340頁)という一連の流れがみえてきます。
*5: しかも、リースが受け取った脅迫状の“頭を一撃”
(146頁)とは違うことで、“脅迫者”(サンドラ)とは別人の仕業であることが示されているところがよくできています。
さて、名作を引き合いに出すのは少々酷かもしれませんが、例えばカーター・ディクスン『ユダの窓』などと比べてしまうと、本書での法廷場面がミステリとして物足りなく感じられるのは否めません。もちろん、裁判の主題はあくまでもジョンが有罪か無罪かにあるのですが、法廷で謎を解くことで被告の無実を証明する『ユダの窓』と比べると、ハリエットの証言やそれを受けて“目を覚ます”ジョンの姿といった大きな見どころはあるにせよ、やはりミステリとしての面白味は薄くなっています。
実のところ、(記憶している限りでは)ディヴァイン作品での謎解きは、ロジカルな推理で唯一無二の真相を導き出すというよりも、明かされた真相に説得力を与えていく形が多く、それ自体は決して悪いわけではないのですが、さすがに法廷に持ち出すには弱いといわざるを得ません。本書でも、ハリエットに“ほとんど証拠なんて持ってなかったでしょ”
(382頁)といわれる始末で、“証拠”はほぼジョン自身の証言という形で出すしかない(*6)上に、ホーンビーの発言については“言った言わない”で終わりなので、法廷で争うのは厳しいものがあります。
そうなると法廷では、“ジョンが無実か否か”だけが焦点となるのですが、ハリエットらの証言も決定的なものとはいえない(*7)ので、そちらもややすっきりしない――のはまだいいとして、裁判の間は真相解明がほぼ停滞してしまうのが困ったところ。結果として、裁判が終わった段階で真相解明はゼロからのスタートに近くなる一方で、法廷での評決が物語のクライマックスである以上、そこから先の分量は限られる――さらにハリエットとのロマンスも進めなければならない――ということで、本書ではいつも以上に謎解きが駆け足になってしまっている印象です(*8)。
実のところ、結末近くのジョンは謎解きどころではない心理状況(苦笑)なので、駆け足になるのも当然といえば当然なのですが、逆にハリエットの方は“結論”を先延ばしにしたい様子で、そのおかげで謎解きが何とか最後までたどり着いている感があるのが、ある意味面白いというか何というか。
*6: 例えば、診療所の会計の記録などは残っているかもしれませんが、どう考えても調べるのに時間がかかるので、現実の裁判であればいざ知らず、およそミステリ向きではありません。
*7: 評決が出るまでどちらに転ぶのか(一応は)予断を許さないという点で、スリリングではあるのですが。
*8: しかも、手がかりが強固に隠されて、すぐにピンとこない状態ではなおさらです。