天体の回転について/小林泰三
一部の作品のみ。
- 「あの日」
“わたし”の書いていた小説は、ただでさえ珍妙な状況で笑えるものになっていますが、時間稼ぎのために――重力を正しく理解した上で――わざと間違えていたという真相を踏まえてみると、そのあまりに投げやりな内容に一層笑いがこみ上げてきます。例えば次に引用する部分などは、わかって書いているにしてはいくら何でも適当すぎるでしょう(苦笑)。
地球には重力があるから、空中にあるものは重力線に沿って力を受ける。
僕はそのことを思い出したのだ。
そいつや他の皆はとっさのことで思い出せなかったのだ。
(109頁;下線は筆者)宇宙空間での“墜死”には前例(*)がありますが、ダイナミックソアリングという特異な現象を利用している点が非常にユニークですし、“先生”が危険に気づかないことにも説得力が感じられます。しかも、そのダイナミックソアリングを“わたし”の(間違った)小説に取り込むことで、読者をミスリードしているところが巧妙です。
- 「性交体験者」
冒頭の
“わたしは彼の口を吸った後、瞼を舌で抉じ開け、眼球をしゃぶった。”
(136頁)という文章で、性交後の男性が女性に殺される/食べられるという設定が見えてしまいました。さらに、“知り合った男性はみんな死んだに決まってるじゃない!”
(143頁)という台詞が決定的。しかし、“わたしは膣を収縮し、棘を発生させた。”
(172頁)という描写をみると、人類ではなさそうなので一安心(?)。- 「銀の舟」
火星を訪れた地球人の物語だと誤認させる叙述トリックが仕掛けられていますが、
“地球と火星の間に広がる八千万キロメートルの空間を越えて”
(182頁)や、“地球と火星の行き来だけで精一杯なのに”
(203頁)あたりはなかなか巧妙です。ただ、火星が現在の状態(作中で描かれた地球の状態)から、現在の地球と見まがうような環境にまでなり得るとは考えにくいので、オチがかなり無理なものに感じられてしまうのが難点。地球人がテラフォーミングを行った可能性はあるかもしれませんが、そうであれば“第一の鍵”である隕石より前の、最初の干渉として言及されないのが不自然にも思えますし……。
- 「盗まれた昨日」
“わたし”=光川夕実/“みっちゃん”=荒山美智子だと思わせて実は逆だったという“真相”に、二人が密かにメモリを交換していたという“もう一つの真相”が組み合わされて、実に効果的なトリックとなっています。例えば、
“昨日までのわたし――光川夕実――は普段ならもう家に帰っていてもおかしくない時間だ。”
(274頁)という文章は光川夕実の肉体/(昨日までは)荒山美智子の記憶の組み合わせならば嘘ではありませんし、逆に“「みっちゃん!」わたしは血溜まりの中に倒れこむようにして、荒山美智子の体を掴んだ。”
(276頁)もアンフェアではありません。時間稼ぎを経ての逆転というクライマックスが、「あの日」とまったく同じ展開なのはいただけませんが、前向性健忘症という設定を考えれば時間稼ぎは必然といわざるを得ず、致し方ないところでしょうか。
“わたし”=荒山美智子が殺人鬼の記憶を取り込んでしまったという結末は何ともおぞましいものですが、最後に“わたし”が自分の肉体に淡々と別れを告げる様子もまた、どこか空恐ろしいものに感じられてなりません。
2008.03.25読了