君の望む死に方
[紹介]
膵臓ガンで余命六ヶ月と告知されたソル電機の創業社長・日向貞則は、生きているうちにしかできないことを模索した挙句、社員の梶間晴征に自分を殺させる最期を選んだ。自分を殺す動機を持つ梶間に殺人を遂行させながらも、彼が殺人犯となることがないように、日向は万全の計画を練る。そして――熱海の保養所で行われる“お見合い研修”に、梶間を含めた四人の若手社員を招集した日向は、期待通り梶間が動いてくれるのを待つ。だが、研修のゲストとして招いた一人・碓氷優佳が、日向の計画に微妙な影響を与えていき……。
[感想]
石持浅海久々の長編は、傑作『扉は閉ざされたまま』の続編にして、やはり前作と同様に一風変わった倒叙ミステリです。前作に引き続いて繰り広げられる静かで凄まじい攻防が見どころですが、前作ではいかにも倒叙ミステリらしい犯人と探偵の対決だったのに対して、本書ではまた一味違ったものになっています。
本書の最大の特徴は、倒叙ミステリでありながら“犯人”ではなく“被害者”が主役となっている点です。もっとも、本書で“被害者”たるべき日向貞則は、単に殺されるだけの役どころにとどまらず、“犯人”たるべき梶間晴征に殺されることを自ら期待し、お膳立てを調えて梶間を“操る”、いわば“もう一人の犯人”であるわけで、その限りにおいてはオーソドックスな倒叙ミステリの延長線上にあるといえるかもしれません。
もちろん“犯人”としての梶間の視点も用意されているのですが、こちらはこちらで様々に策を練っているとはいえ、やはり“被害者”の掌の上で踊らされている印象が拭えないところ。梶間が日向の命を狙う動機も、早い段階からある程度示唆されている上に、前作ほどインパクトのあるものではありません。というわけで、正直なところ多少奇をてらった程度でしかないように思えました――前作でも“探偵”として活躍した、鋭く冷徹な思考を持ちさりげなく状況をコントロールする能力に長けたあの“怪物”(*1)が前面に出てくるまでは。
その“探偵”碓氷優佳の存在によって、“被害者”と“犯人”それぞれの計画に予想外の歪みが生じていく過程は、実に見ごたえがあります。そもそも、“被害者”と“犯人”とはいいながらも双方の望みは一致している(*2)わけですから、ある意味では“ぬるい”対決(*3)といえるのですが、そこに“探偵”が絡むことで一気に緊張感が高まっているのが見事。しかも熾烈な頭脳/心理戦が、無関係な人物がいる中で完全に水面下で行われているのが非常に秀逸で、いかに不自然に見えない形で手を打つかというところに凝らされた工夫に注目です。
前作でみられた怒涛のロジックよりは一歩後退した感もありますが、終盤に披露される推理はやはりよくできています。そして、予想を裏切って倒錯した結末が生み出す、強烈なねじれの感覚が何ともいえません。人工的なキャラクターゆえにまたしても好みが分かれるところかとは思いますが、前作に優るとも劣らない傑作です。
*2: もちろん、“犯人”の側はそれを知らないわけですが。
*3:
“格闘技で言えば片ヤオ状態”(「君の望む死に方/石持浅海 - 猫は勘定にいれません」より)というのは言い得て妙。
2008.03.20読了 [石持浅海]
【関連】 『扉は閉ざされたまま』 『彼女が追ってくる』 『賛美せよ、と成功は言った』 / 『わたしたちが少女と呼ばれていた頃』
エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ
[紹介]
モディリアーニ、スーチン、パスキン――その悲劇的な生涯ゆえに、“呪われた芸術家たち{レザルティスト・モウディ}”とも称されるエコール・ド・パリの画家たち。彼らに魅せられ、ついには自らエコール・ド・パリをテーマとした美術書まで著した有名画廊の社長・暁宏之が、密室状態の自室で刺殺された。邸の庭には何者かが現場の窓から逃げ出したことをうかがわせる足跡が残されていたが、その窓は室内から閂鍵がかけられていた上に、そこにはなぜか被害者の血がべっとりと塗りつけられていたのだ……。
[感想]
デビュー作『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』で《読者が犯人》という大技を手堅くまとめてみせた作者による、前作とは逆にベタすぎるともいえるほど手堅い雰囲気の陰に意欲的な仕掛けを潜ませた第二長編。前作の逆をいってはいるものの、堅実さと大胆不敵さが奇妙に同居した独自の作風が、二作目にしてすでに確立されているといっていいかもしれません。
題名からして、ハッタリの効いた前作とは対照的に、カバーの“芸術論と本格推理をクロスオーバーさせた渾身の一作!”
という紹介文そのまま、“エコール・ド・パリ”+“殺人事件”というひねりのないものになっています。また、画廊の社長が自宅の密室内で刺殺されるという発端もありがちといえばありがちですし、そこから始まる警察の捜査もおおむね型通りで、比較的地味な展開になっています。
しかしその中にあって目を引くのが、いわば作中作として挿入されている、被害者自身が書いた美術書『呪われた芸術家たち』で、被害者の人物像を浮き彫りにするとともに、事件の背景となる“エコール・ド・パリ”――モディリアーニらによる美術界の一派――について要領よく説明されています。芸術論にありがちな難解なところ(*1)はなく、あくまでわかりやすく興味深いものになっており、非常によくできていると思います。
その『呪われた芸術家たち』の内容を捜査陣に解説するという形で、本書の謎解き役となる海埜警部補(*2)の甥・神泉寺瞬一郎が事件の捜査に(非公式に)絡んでくるのがうまいところです。そしてその瞬一郎のどことなくとぼけたキャラクターは、捜査の指揮をとる大癋見{おおべしみ}警部による狂言回しとしての破壊的なまでの言動と相まって、淡々とした物語に味わいを添えています。
確たる容疑者も見当たらないまま物語は終盤に差し掛かりますが、挿入された「読者への挑戦状」を挟んで章題の通りの“急転回”をみせ、それまでの地味な道行が嘘のような展開に唖然とさせられます。そしてついに明らかになる真相は、まさに青天の霹靂というべき衝撃的なもの。一部比較的見えやすいところもあるにはありますが、それが強力なミスディレクションと結びついて、意外性が高まっているのが見事です。
と同時に、それまで見えていなかった数々の手がかりや伏線が、一気に浮かび上がってくるところが秀逸で、その巧妙な仕込みには脱帽せざるを得ません。(一応伏せ字(*3))「読者への挑戦状」(ここまで)に至るまで、全編に張り巡らされた周到な“罠”とあわせて、実にユニークでよく考えられた仕掛けだといえるでしょう。
物語は印象深い結末を迎えますが、読み終えてみると改めてその巧みな構成に感心させられるとともに、ひねりがないとも思われた『エコール・ド・パリ殺人事件』という題名が、それ以外考えられないほど適切なものであったことがよくわかります。一見すると地味ながら、一筋縄ではいかない企みに満ちた傑作というべきではないでしょうか。
2008.03.23読了 [深水黎一郎]
天体の回転について
[紹介と感想]
先に同レーベルで刊行された『海を見る人』とは打って変わって、ハードSFとしての魅力は控えめな反面、ミステリやホラーなどの味付けが施されたバラエティ豊かな作品が収録されたSF短編集です。
あまりにもらしからぬカバーイラストが目を引きますが、あくまでも中身はいつもの小林泰三作品なので、ファンの方はご安心を。
- 「天体の回転について」
- 科学者たちが姿を消し、科学について語ることが禁忌となった世界。星や月を見るのが好きだった俺は、「妖怪の森」の奥に残された、天と地を結ぶ遺跡“天橋立”へと向かった。その中で俺を待ち受けていたのは、“リーナ”と名乗る若い女。彼女のしゃべる言葉の意味はわからないまま、俺は彼女とともに天上――月世界へと旅立つ……。
- 科学知識/技術が捨て去られた未来を舞台に繰り広げられる、宇宙への冒険行+“ボーイ・ミーツ・ガール”。鬱陶しいほどハートマークだらけの口調とは裏腹に、丁寧かつ詳細に状況を解説していくリーナの言葉によって、小林泰三にしては異例ともいえる、読者に親切な作品となっています。
しかしその言葉が、主人公にはまったく通じないというのがポイントで、(映像などの助けも若干あるとはいえ)リーナの解説抜きで、自ら体験する現象をもとに世界を司る法則を少しずつ理解していく主人公の姿が、ハードSFとしての最大の見どころといえるのではないでしょうか。
またその一方で、言葉が通じないゆえに生じる恋心の行方には、作者らしい底意地の悪さも感じられ、十分に満足のできる作品に仕上がっています。
- 「灰色の車輪」
- 地球とほぼ同じ公転周期で太陽を廻る“灰色の車輪”――高度に隔離された先端研究開発施設・クルーイーニャ基地。そこで天牙博士が開発している新型ロボットは、『ロボット三原則』に従うとされてはいるものの、高い知能と複雑さゆえに実状は判然としない。調査のために送り込まれた麗奈は、早速ロボットと対面するが……。
- アイザック・アシモフによる(*1)
『ロボット三原則』(『われはロボット』や『鋼鉄都市』など)を題材とした作品。「あとがき」にも書かれているように、この『ロボット三原則』は
“ロボットに限らず、すべての機械や道具に共通する原則”
ともいえるのですが、単なる“機械や道具”の域を脱するほど進歩したロボットがどのように『三原則』に対応するのかという問題は、この種のSFにおいて避けて通れないテーマといえるでしょう。
その意味では、この作品の結末はやや無難なところに落ち着いてしまった感がなきにしもあらず。
- 「あの日」
-
“あの日に起こったことは忘れない”
という一文で書き始めたわたしの小説――“地球時代”を扱ったミステリは、小説教室の先生に酷評されてしまった。時代考証がまったくなっていないせいで、重力を利用した物理トリックが成立していないというのだ。先生の指摘を受けて、何度も小説を書き直すわたしだったが……。 - 無重力環境で育った主人公が、想像力を駆使して地球を舞台にしたミステリを書くという、SFミステリを裏返したような設定が秀逸で、次々と描き出される愉快な(?)状況には笑いを禁じ得ません(その反面、SF作家の並々ならぬ苦労もしのばれますが)。また、作者の得意とする、不条理なやり取りの繰り返しによって生み出されるブラック・ユーモアも見逃せないところです。
……と思っていると、意表を突いた見事なオチが。必読の傑作です。
- 「性交体験者」
- 行為を終えたばかりのわたしは、非番だというのにボスに呼び出され、殺人事件の捜査に当たることになった。犯人は男性の性交体験者らしい。被害者の女性が時々秘密クラブに行っていたという情報を入手したわたしは、相棒のリサとともに早速クラブを訪ねてみたが、捜査は空振りに終わる。そして翌日、新たな事件が……。
- 作者得意のグロ描写が盛り込まれたミステリ仕立ての作品ですが、殺人事件の犯人探しそのものよりも、読者には伏せられたまま暗黙の前提となっている、作中の設定の方に重点が置かれているのが面白いと思います。
ただし個人的には、かなり早い段階でそれが読めてしまったのが残念。
- 「銀の舟」
- 探査基地を飛び出したサキは、異世界の砂漠にたった一人で、途方に暮れていた。20年以上も前、テレビで初めて人面岩を見て以来、取りつかれたように宇宙を目指し、ついに探査隊員に選ばれて人面岩の近くまでたどり着いたのに、人面岩が探査目標からはずされてしまったのだ。無謀にも単独で人面岩を目指したサキは……。
- 最後のオチはやや強引で無理があるようにも思えますが、オチなしでは作者らしい“毒”の欠けた、何とも物足りない作品になってしまうのが苦しいところです(*2)。
- 「三〇〇万」
- イジュギダの王アルカリオス率いる三〇〇万の軍勢は、次から次へと異種族の戦士を打ち倒し、数多の惑星を征服してきた。だが、今回訪れた惑星テラは、今までの惑星とは様子が違っていた。テラ人たちはアルカリオスと戦おうとはせず、自ら進んで奴隷になろうともせず、なぜか無意味な話し合いを求めてきたのだ……。
- まったく価値観の異なる種族のファーストコンタクトを描いた作品。グロ描写があるにもかかわらずどこか笑えてしまうのは、コンタクトのあまりのかみ合わなさゆえか、それとも「あとがき」に書かれた発想の原点ゆえか。
- 「盗まれた昨日」
- 全人類が前向性健忘症――長期記憶を持つことができなくなる病気を発症してから10年、ようやく長期記憶を半導体メモリに記録するシステムが完成し、今では誰もが無意識にそれを使いこなしていた。そんなある日、差込口の不具合が原因で、メモリをどこかに落としてしまったわたしは、慌ててあたりを探し回るが……。
- グレッグ・イーガン「ぼくになることを」(『祈りの海』収録)などを思わせる、記憶とアイデンティティをテーマとした作品で、ミステリ風のひねりは見ごたえがあります。また、結末の恐ろしさは本書の中でも随一。
- 「時空争奪」
-
“川はどこから始まるのか、君は知っとるのかね?”
――教授の質問に答えられない由良/“『鳥獣戯画』に妙な生き物が描かれているのよ”
――弓利が由良に話しかける/“河川争奪も知らないのか”
――呆れる教授/“歴史って要は過去だろ。だったらどうでもいいじゃないか”
――友人が言う/“では世界はどこから始まるか答えなさい”
――。 - バリントン・J・ベイリーによる時間テーマのバカSF『時間衝突』にも匹敵する奇想、作者自身による時間SF「酔歩する男」(『玩具修理者』収録)に通じる強烈な不安定感、ファンにはおなじみの例のネタ、そして実に小林泰三らしい結末。持ち味が存分に発揮された傑作です。
*2: 初出が「YOU&I SANYO」だからかもしれませんが。
2008.03.25読了 [小林泰三]
ライノクス殺人事件 Rynox
[紹介]
F・X・ベネディックとS・H・リックワース、そしてF・Xの息子アンソニーの3人が経営に当たるライノクス無限責任会社。経営は危機に瀕していたが、それを乗り切ればさらなる発展が見込めるという、まさに正念場を迎えていた。だがその矢先、F・Xに積年の恨みを抱くマーシュという男がついに決着を迫り、F・Xは凶弾に倒れてしまう。容疑者マーシュはそのまま忽然と姿を消し、F・Xの遺志を継いだアンソニーはライノクス社の難局に懸命の努力で対処する。その甲斐あって、ライノクス社の経営は再び軌道に乗り始めたのだが……。
[感想]
「結末」に始まり「発端」に終わる特異な構成などの実験的手法で名高いと同時に、かつて刊行された六興キャンドル・ミステリーズ版の入手難易度の高さでも知られた“幻の作品”。シリーズ探偵のゲスリン大佐は登場せず、本格ミステリ的な興味もないではないものの、どちらかといえばサスペンス寄りでしょうか。
まず、「結末」として冒頭に置かれているのは、何者かが匿名で保険会社に大金を送りつけてくるという不可解な一幕。ここで読者の興味を引いておいて、続く「第一部」から「第三部」までの本編では、その「結末」に至るまでに“何が起こったのか”を描き、そして最後の「発端」ですべてを解き明かすという形になっています。
このように、最初の「結末」は(確かに物語の結末ではあるものの)あくまでも“発端の謎”として機能しているのであり、また最後の「発端」はそれに対応する“解決”の役割を果たしているのですから、実際のところは一般的なミステリの構成と大きく変わるものではない(*1)ともいえます。少なくとも、物語の「結末」をあえて冒頭に置くことで“謎”として成立させる手法には先駆者的な意義があるのかもしれませんが、「発端」を最後に置いた点にはあまり見るべきところはないように思います(*2)。
さらにいえば、「結末」の“謎”そのものにも難があるのがつらいところです。冒頭の場面はそれだけ見ても不可解ではありますが、やはり本編との関連が不明であって初めて最後まで“謎”として成立し得るところ、本書の発表当時であればいざ知らず、現代ではかなり見え見えといわざるを得ません。加えて、冒頭に置かれた「結末」のせいで本編の謎まで見通しやすくなっている(*3)きらいがあり、特異な構成がミステリとしては効果的どころか弊害となっている感もあります。
というわけで、正直なところミステリとしては今ひとつなのですが、その一方で物語そのものはかなり魅力的で、今までに読んだP.マクドナルドの作品の中では最も面白いと思います。その中心となっているのは、題名にもなっている“ライノクス”という会社の命運であり、その経営に当たるF・Xとアンソニーの親子二代にわたる奮闘ぶりは、読者を引き込む力を備えています。とりわけ、“ライノクス社第二の危機”が描かれた「第三部」は、あらかじめ見えている部分があるだけになかなかスリリングです。
(本格)ミステリとしてはあまり期待すべきではありませんが、“ある種の小説”としては十分に楽しめるものになっており、以前の六興キャンドル・ミステリーズ版の古書価に見合うかどうかはともかく、少なくとも文庫本で手軽に入手できる限りにおいては、一読の価値があるといえるでしょう。
2008.03.31読了 [フィリップ・マクドナルド]
死写室
[紹介と感想]
シリーズ探偵の一人である紅門福助を、作者自身が長年にわたって身を置いていた映画業界に放り込んだ、意欲的な連作短編集です。作品を通じて映画業界の様々な事情がうかがえるところも面白いと思いますが、それ以上に映画業界という特殊な“場”がミステリ部分にうまく生かされているところが魅力です。
また、一篇ずつの分量が少ないだけに、いつものギャグや“動物づくし”も封印され、動機にも最小限しか筆が割かれることなく、ひたすらフーダニット(消去法推理)とハウダニット(バカトリック)に力が注がれた“純度の高い”作品集といえるかもしれません。
- 「届けられた棺」
- かつて人気を博した忍者映画をリメイクしようとするプロダクションが、資料として旧作の衣装や道具を取り寄せた。ところが、届けられた柳行李の中身を確認してみると、なぜかその中には老人の死体が。しかもその被害者は、プロダクション社長の父親であり、四十年前に当の忍者映画を手がけた人物だった……。
- 荷物の中から死体が発見されるという状況は、ミステリにおいてしばしば目にするものですが、この作品ではその状況そのものに工夫が凝らされており、物語の進行に伴う“展開”が非常によくできています。
しかし、最後の最後に明らかになる真相には、敬意を込めて“バカ”という言葉を進呈せざるを得ません。
- 「血を吸うマント」
- 吸血鬼映画を製作中の撮影所で発見されたのは、吸血鬼に噛まれたかのように首から赤い染料を滴らせたブロンズ像。その悪戯を仕掛けた人物のものと思われる、雪の上に残された一組の足跡をたどってみると、衣装小屋の中で吸血鬼の扮装に身を包んだ衣装係が死んでいた。マントを血で赤く染めて……。
- 吸血鬼に見立てた“自殺”という、常識ではあり得ない奇天烈な状況が目を引きますが、冒頭の(ミステリ的な意味合いではない)伏線によってそれなりの説得力が生じているところがよくできています。
もちろん真相は自殺に見せかけた殺人であるわけですが、既視感のあるトリックにひねりを加えて面白味を出しつつ、あくまでもすっきりとまとまっているところが見事です。
- 「霧の巨塔」
- ロケ先の田舎道で深夜、俳優を同乗させてバイクを運転していたマネージャーがスリップ事故を起こす。幸い軽傷ですんだが、俳優は事故直後に意識を取り戻した際に、現場で大きな塔を目撃したという。ところが、付近にはそんな塔などないらしいのだ。そして翌朝、マネージャーが死体となって発見され……。
- 大きな塔の消失というスケールの大きな謎ではあるものの、真相は脱力、というかかなり無茶苦茶です。しかし、塔の消失とそれ以外の謎との絡みがなかなか面白いと思います。珍しく解決がアンフェア気味なのはいただけませんが……。
- 「首切り監督」
- プロデューサーが宿泊していたホテルの部屋で、なぜか首を切断された監督の死体が発見された。ところが、首から下は監督ではなく別人の死体であることが判明したのだ。やがて監督の自宅で、プロデューサーの切断された首と監督の首なし死体が発見された。犯人による首の入れ替えの意図は、はたして……?
- 単なる首の切断であればともかく、切断した首の入れ替え(すげ替え)を前面に出した作品は、少なくとも(本格)ミステリではほとんどないように思います(*1)。この作品では、もちろん前例とは一味違った、そしていかにも霞流一ならではといえる豪快な真相が用意されており、バカトリック好きとしては十分に満足のできる作品となっています。
なお、微妙に内容にそぐわないようにも思える題名は、ジョン・ディクスン・カー『喉切り隊長』を下敷きにしたものでしょうか。
- 「モンタージュ」
- ロケセットでの撮影の最中、装飾スタッフの一人が施錠された倉庫の中で殺害されているのが発見された。だが、被害者は鍵を持たされていなかった上に、倉庫付近をずっと眺めていた目撃者の目にも止まることなく、まるで透明人間のようにいつの間にか現場に入り込んだらしいのだ。一体どうやって……?
- オーソドックスな施錠された密室から“監視付き”の密室へとシフトし、挙句の果てに被害者の密室への侵入が問題になるという展開が興味深いところ。そして“透明人間”の謎を支えるトリックが非常に秀逸です。
- 「スタント・バイ・ミー」
- 新作映画の主演俳優が、主役の衣装と覆面を着けたまま、鍵のかかった控え室の中で殺害された……と思われたのだが、到着した捜査陣が覆面を外してみると、死体の主は主演俳優のスタントマン。そして主演俳優は別の場所で、やはり主役の衣装と覆面を着けた状態で死体となって発見された……。
- 都筑道夫「覆面条例」(『銀河盗賊ビリイ・アレグロ』収録)ほど極端な状況ではありませんが、覆面によるアイデンティティの不安定さが印象的です。ただ、ある意味で真相が見えやすくなっているのが少々残念ではあります。
- 「死写室」
- 二名の映画ジャーナリストを招いて行われた新作映画の試写。ところがその試写室の中で、一人が殺害されてしまった。もう一人の男が一旦試写室の外に出て電話をすませ、戻ってきてしばらくすると被害者が死んでいるのに気づいたという。だが他に出入りした者はおらず、現場は密室状況だったのだ……。
- 密室内の二人のうち片方が殺されているという、カーター・ディクスンの傑作『ユダの窓』を思わせる発端の状況が面白いと思います。そして、予期せぬ“もう一つの真相”を経由することで、真相につながる手がかりが浮かび上がってくるという展開がよくできています。しかしもちろん最大の見どころは、読者にはまず見破ることが不可能な、思わず唖然とさせられるバカトリック。そのインパクトは実に強烈です。
- 「ライオン奉行の正月興行」
- 正月興行の最中、映画館の支配人が館内のトイレの個室で殺害されているのが発見された。そして同じ個室内には映画監督の首吊り死体が。その監督は事件の直前に、館内で上映中の映画「ライオン奉行II」のフィルムを盗み出して切り裂くという騒ぎを起こし、取り押さえられそうになったばかりだった……。
- 懸賞付き犯人当て小説として書かれた作品。にもかかわらず、相変わらずのバカトリックが炸裂しているところが無茶ですが、そこはフーダニットとハウダニットを切り離す(*2)ことで驚愕のトリックと消去法推理を両立させてきた作者のこと、この作品でも犯人だけを当てることは十分に可能だと思われます。
*2: とはいえ、例えば本書の「血を吸うマント」や「モンタージュ」のように、フーダニットとハウダニットが絡んだ作品もあるにはありますが。
2008.04.04読了 [霞 流一]