プレーグ・コートの殺人/C.ディクスン
The Plague Court Murders/C.Dickson
誰も足を踏み入れることが不可能と思える強固な密室状況に対して、用意されている真相は“犯人が密室に侵入することなく、外部から犯行に及んだ”(*1)というもので、穿った見方をすれば密室状況そのものがミスディレクションになっているともいえるでしょう。
この種のトリックの場合、“いかにして外部からの犯行を実現するか”と同時に“いかにして密室内部での犯行に見せかけるか”が重要になるわけですが、本書では凶器の偽装――銃による射殺を短剣による刺殺に見せかける(*2)――によってその難題が克服されています。
まず、銃による射殺という真相を隠蔽するために岩塩の銃弾を使うのがトリックの第一段階で、熱で溶けて痕跡が残らないのが巧妙なところ。岩塩が射撃による衝撃に耐えられるのかという疑問がしばしば持ち出されますが、作中に“フランスの警察ではそれを前から使っている。”
(267頁)とあるのが事実ならば、十分に実行可能なトリックということになるでしょう。また、岩塩の入手経路に一工夫されているのも見逃せないところです。
そして第二段階は、密室内部での犯行と見せかけるトリックですが、ここで秀逸なのが“偽の凶器”である短剣の特殊性――“太い千枚通しのような”
(75頁)“ルイス・プレージの短剣”の設定で、短剣でありながらも銃創と同じ形状の傷を残すものであるため、射殺を刺殺と見せかけることが可能になっています。しかも、黒死病の時代に端を発する因縁話が物語の中心に据えられることで、“ルイス・プレージの短剣”が強く印象づけられてミスリードになっているわけで、怪奇趣味を巧みにトリックに組み込んだカーの手腕が光ります(*3)。
事件の構図は、被害者であるダーワース自身の計画に協力するふりをしつつ、犯人がそれを利用して犯行に及んだというもので、計画の目的からすればどう考えてもダーワースが犯人を信用しすぎなのが気になるところではありますが、予め“ルイス・プレージの短剣”で自身の体を傷つけておくことで、内部での犯行という印象が強まっているのはよくできています。
犯人はなかなか巧妙に隠蔽されていて(*4)、典型的な“顔のない死体”であるジョセフ―テッドの入れ代わりはたやすく見抜けるとしても、ジョセフ=グレンダの変装にまで思い至るのは(グレンダの芸歴という伏線はあるものの)かなり困難でしょう。また、ジョセフのアリバイがマクドネル巡査部長によって保証されているのも周到で、ややアンフェア感が漂うのは否めないにせよ、その共犯関係をうまく生かしてある意味衝撃的な結末に仕立ててあるのが実に見事です。
“(a) 犯人は部屋に入らなかった”のうち
“6.室外にいる人物による殺人”に該当します。ちなみに拙文「私的「密室講義」」では、
“2.凶器の出入りがある”の
“2-1.凶器の侵入”に分類しています。
*2: 余談ですが、泡坂妻夫の某短編(以下伏せ字)「双頭の蛸」(『亜愛一郎の逃亡』収録)(ここまで)では、これを完全に裏返したトリック――至近距離での刺殺を遠距離からの射殺と見せかける――が使われています。
*3: この点については、二階堂黎人『名探偵の肖像』に収録された随筆「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」において、類似のトリックが使われた高木彬光の作品(以下伏せ字)『魔弾の射手』(ここまで)と対比する形で詳しく論じられていますので、興味のある方はぜひご一読をおすすめします。
*4: そもそも、H.Mによるトリック解明の場面に犯人が(直接は)立ち会っていないというのも異色で、ミスリードに一役買っている感があります。
2000.01.22再読了
2010.03.11再読了 (2010.04.16改稿)