『「兮」字について』
其一
貴方の「竹枝詞」の内、皇甫松の詞を読ませていただきました。
私は、知らなかったのですが、あなたの「皇甫松の詞」の解説中に、「竹枝と女児」の合いの手の説明がありました。
実は、この「ハタラキ」を、「兮」の文字が示しているのではないかと思っているのです。
貴方は、竹枝は「唱」うので、詠うのでも吟じるのでもないと言われていますが、同様に、詩経の詩詞も、ウタワレテいました。
琴鼓笛に合わせて、ウタワレタ筈です。
そのときの合いの手・合いの合奏・合いのコーラスが、「兮」で示されていたのでは、というのが私の思いなのでした。
力は山を抜き
と項羽がウタウと、
オオー
と兵士がトキの声を上げます。
そして更に項羽は、
気は世を蓋う
と続けます。
これが、「力抜山兮気蓋世」ではないかと思っているのです。
兵士のトキの声といいましたが、これは比喩で、実はコーラスか太鼓か笛か、そんなものなのではなかろうかと言うわけです。
演劇なら、兵士の服装をしたコーラスの合奏合いの手です。
即ち、項羽のこの詩は、実は「詞」の「三字令」と同じ様なものではなかったろうか、と思います。
其二
郭沫若の戯曲「蔡文姫」の第1幕での説明で、胡茄十八拍の詩の説明中に、郭氏は、こう言っています。
“胡茄詩中的「兮」字古本読呵音,故一律改爲呵字。” 「胡茄十八拍の詩の中の「兮」字は古本では呵(ハァ)の音で読むので、一律に呵の字に改めた。」
そうして、「兮」の字を「呵」の字に全部変更して用いています。ハァと言われれば、ソーラン節を思い起こします。
そもそも、「兮」の字についてのことは、私が学生時代に没頭した古代「ギリシャ悲劇」の「コロス」からの類推なのです。 コロスは、後に、コーラスという英語になりました。
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