人民解放軍 南京を佔領す
鍾山 の風雨蒼黄 として起こり,
百萬雄師 大江 を過 る。
虎踞 り 龍盤 れるも 今は昔に勝 り,
天翻 へし 地覆 へして慨 して慷 。
宜 しく剩 れる 勇をもって窮 れる寇を 追ふべく,
名を沽 らんとて覇王 に学ぶ可 からず。
天若 し 情有 らば 天も亦 老いん,
人間 の正道 は是 れ滄桑 。
※七律 人民解放軍佔領南京: ・七律:七言律詩。1949年4月作。国共内戦で、中華民国側の敗北が決定的になった時期。 ・人民解放軍:中国共産党の軍隊で、実質上の中華人民共和国の国軍(1949年〜)。かつての紅軍。地域・時代によって八路軍、
新四軍等とも呼ばれた。 ・佔領:占領する。 ・南京:1949年当時の中華民国の首都。
※鍾山風雨起蒼黄:南京の鍾山に、あらしがあわただしく起こり。 ・鍾山:南京の東郊にある紫金山。南京市を暗に指す。 ・風雨:あらし。強い風をともなう雨。 ・蒼黄:あわてふためく。あわただしく落ち着かない。郭沫若は変化翻覆の意味がある、と『墨子・所染篇』を引用して、後に続く「天翻地覆」ということとの関連を述べている。(『人民日報』1964年1月4日)。=蒼惶=倉皇。
※百萬雄師過大江:多くの精鋭部隊が、長江を渡っていった。 ・百萬雄師:たくさんの精鋭(軍)部隊の意。 ・百萬:皇帝の率いる軍勢。金・皇帝・完顏亮の『呉山』に「萬里車書盡混同,江南豈有別疆封。提兵百萬西湖上,立馬呉山第一峰。」とあり、明・太祖・朱元璋の『無題』に「殺盡江南百萬兵,腰間寶劍血猶腥。山僧不識英雄漢,只顧嘵嘵問姓名。」とあり、明末/清初・鄭成功の『出師討滿夷自瓜州至金陵』に「縞素臨江誓滅胡,雄師十萬氣呑呉。試看天塹投鞭渡,不信中原不姓朱。」とある。なお、1967年の文革時代に、武漢に「百万雄師」という大衆の革命組織があり、七・二〇事件後、衰退していったが、その組織の名称は、おそらくこの詩から取ったことだろう。 ・過:渡る。 ・大江:長江。揚子江。北宋・蘇軾の『念奴嬌』に「大江東去,浪淘盡、千古風流人物。故壘西邊,人道是、三國周カ赤壁。亂石穿空,驚濤拍岸,卷起千堆雪。江山如畫,一時多少豪傑。 遙想公瑾當年,小喬初嫁了,雄姿英發。註綸巾,談笑間、檣櫓灰飛煙滅。故國~遊,多情應笑我,早生華髪。人間如夢,一樽還酹江月。」とある。
※虎踞龍盤今勝昔:(南京の)地勢が険峻であって(攻略できないされてきた)が、今は昔にまさっており。 ・虎踞龍盤:地勢が険峻なさま。竜虎が蟠踞する(とぐろを巻き、うずくまっている)ような状態の形容。成語。ここでの場合は、南京を指す。宋の張敦頤の『六朝事跡編類』に「諸葛亮(孔明)金陵(南京)の地形を論じて云く:『鍾阜(鍾山)に龍
蟠き,石城に虎 踞る(が如し)』(石城:=石頭城:南京の西にある)(郭沫若、周振甫、鐘振振、他)南京の東西の要害を竜虎に喩え、これら全体で南京を暗喩する。この表現は、辛棄疾の『念奴嬌』「我來弔古」にも見られる。 詩の中で、「龍盤(蟠)虎踞」(平平仄仄)か「虎踞龍盤(蟠)」(仄仄平平)のどちらの言い方をするかは、平仄式との関係で、決定される。(ここでは●●○○=仄仄平平とすべきところ)。この「S1+V1,S2+V2」の互文のいいまわしは、(日本語の表現では、ニュアンスが少し変わってくるが)「龍虎蟠踞」となる。この場合は、「龍虎 蟠踞す。」として、事実を述べることになる。もっとも、方向詞、対義語、反義語から構成された主語+述語構造のとき、その形容する表現として、この互文表現が見受けられる。≒竜盤(蟠)虎踞。
※天翻地覆慨而慷:天地が覆るような勢いで、心は昂(たか)ぶっている。 ・天翻地覆:天地が覆るような様子のこと。「天翻地覆」「天地翻覆」の言い回しの違いは、上記「虎踞竜盤」の場合と同じ。≒天地翻覆。 ・慨而慷:悲憤慷慨の慷慨。嘆く意味と昂ぶるとの反対の意味の両者があるが、ここでは心が高ぶる方。「慷慨」としないで「慨慷」とするのは、平仄の関係(「慨而慷」の所を「仄平平(押韻)」とし、「慷」字(陽韻)を韻脚とするため)。また、表現上からは、語調を整え、感情を表現するため。後者の例に曹操の詩句に「慨当以慷,憂思難忘」がある。この「慨当以慷」の句は、「慷慨」をそのまま使えば「慷慨以当」となる。しかし、感情のほとばしりを強調するため、「慷慨」を切り離して表現した。また、「而」は、前後二つの成分を接続する働きで「…で、…して」だが、字数を揃えるために入れたとも考えられる。
※宜將剩勇追窮寇:余剰の兵士で、追いつめた敵を追いかけるのが当然であって。 ・宜:よろしく……べし。そうするのが当然だ。 ・將:…を。…をもって。 この場合、「将」字のすぐ後には、名詞・名詞句が来る。「將」は平水韻下平七陽なので、押韻と重なる(=冒韻)ので、この表現(≒文字)は避けた方がいい。蛇足になるが、この字を「まさに…(せんとす)」と読む場合があるが、そのときは、「将」字のすぐ後には動詞・動詞句が来る。 ・剩勇:余剰の兵士、戦力。 ・剰:のこる。あまる。 ・窮寇:追いつめられた敵。逃げ場を失った敵。侵略者。「追窮寇」で、「逃げ場を失った敵を追い詰める」意で、諺(ことわざ)には「窮寇勿追」(逃げ場を失った敵を追うことなかれ。窮鼠 猫をかむ。)とあり、ここでは、その意味を逆にして使う。
※不可沽名學覇王:覇王・項羽のように売名的なこと(項羽は劉邦と天下を争い、「鴻門之会」で「宋襄の仁」を施し、結果、項羽は劉邦のために滅ぼされたこと)をまねてはいけない。 ・不可:…してはいけない。…できない。…するを許さない。不禁止、許可を表す。 ・沽名:〔こめい;gu1ming2○○〕売名的なことをする。名声を求める。名を売る。名誉を求める。 ・沽:〔こ;gu1○〕売る。買う。 ・學:みならう。お手本とする(現代語)。また、まなぶ。ここは、前者の意。 ・覇王:西楚の覇王・項羽 のこと。項羽は劉邦と天下を争い、「鴻門之会」で劉邦の和睦を容れて、劉邦を赦した。後日、項羽は劉邦のために滅ぼされた。この句は、「徹底的に敵を叩きつぶせ。間違っても好い格好をして仁を施し、その結果千載に悔いを遺すようなことをしてはいけない」ということ。“痛打落水狗”(窮地に陥った相手を更に追いつめて、徹底的にたたきのめせ)。
※天若有情天亦老:もしも、天に感情があるのならば、天もきっと人の世の変化に感慨を催して老(ふ)けたことだろう。/仮に、天に感情があったとすれば、天も人民の勝利を喜ぶことがしきりだろう。/天に、もしも人と同様な感情があったのならば、迅速に変化をさせることであろう。(この三通りの解は、『毛沢東詩詞大観』(増訂本 蔡清富黄輝映編著
四川人民出版社 1998年成都)に基づいた。) *中唐・李賀の『金銅仙人辭漢歌』明帝青龍元年八月,詔宮官牽東西取漢孝武捧露盤仙人,欲立置前殿。宮官既拆盤,仙人臨載。乃潸然涙下,唐諸王孫李長吉。遂作金銅仙人辭漢歌。「茂陵劉郎秋風客,夜聞馬嘶曉無跡。書欄桂樹懸秋香,三十六宮土花碧。魏官牽車指千里,東關酸風射眸子。空將漢月出宮門,憶君清涙如鉛水。衰蘭送客咸陽道,天若有情天亦老。攜盤獨出月荒涼,渭城已遠波聲小。」にある。 ・天若有情:天にもしも感情があるのならば。 ・老:老いる。この言葉の意、分かりづらい。「天若有情天亦老,人間正道是滄桑」の部分が「天若有情天亦解,人間正道是滄桑」の意であれば、意味がよく通るが…。 ・若:もしも。
※人間正道是滄桑:人の世の道理は、変革である。/人類社会の発展の正しい法則は、不断の革命である。 ・人間:この世。この人の世。社会。 ・人間正道:人の世の道理。人類社会の発展の正しい法則。 ・是:…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。〔A是B:AはBである〕。「…は…である。」にあたる。その義は「世の中の正道は、滄桑である。」になる。 ・滄桑:変化の激しいことの形容。ここでは、不断の変革。永世革命のことになる。=「滄桑の變」「滄海 變じて桑田と爲る」。
◎ 構成について:
七言律詩平起式 この詩の場合は次の通りである。
○○●●●○,
●●○○●●。
●●○○○●●,
○○●●●○。
○○●●○○●,
●●○○●●。
○●●○○●●,
○○●●●○。
原則をふまえた、正確な作詩である。なお、「過」は両韻。
韻脚は、「黄、江、慷、王、桑」で、「江」以外は陽韻。「江」は江韻。通韻ではない。初唐のころ既にこの両者の韻目の音は近かったので、混用があった。しかし、韻書の普及の影響で、盛唐以降は、この両者の混用は無く、厳密に区別されていた。もっとも、現代語では、発音は同じか近いので、現代語では同じ韻目といってもいいだろう。詞韻(詞林正韻)では同一の第二部に属し、通用となっている。「滄」「將」は陽韻。
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◎ 蛇足
蛇足であるが、この詩の中の覇王・項羽を描いた京劇『覇王別姫』がある。また、それを演ずる京劇俳優の一生を映画にした、張國榮(レスリー・チャン)主演の同名映画は、佳篇である。
『天若有情』という映画もあるが、その名の方は、ここからきたのか李賀からきたのか?
1999. 4月中完 2000.年中補 2001. 1.11補 3.28 4. 4 4.25 5.23 2003. 1.22 2009. 5. 6 2010.11.16 2013. 2.19補 2.20 2016. 1.30 |
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