わたしは、今、次のような思いを抱いており、皆さんにお話ししたいので、どうかお聴き願う。 わたしは、昨日横浜へ友人に会いに行ったが、その途上、にぎやかな軍楽が聞こえてき、さらに多くの男や女たちが、そして老人や子供達が皆、手に手に小さな国旗を持ち、まるで発狂したかのように、幾千の声、幾万の声の万歳を、一つの声にそろえて唱和しており、騒々しくやかましく、砂ぼこりや霞が、天にまで立ち上っていた。 わたしは、何事が起こって、こんなに賑やかなだったのか、分からなかった。 後で聞いてみると、それは、出征軍人を我々の東三省(訳註:滿洲。山海関以東にある盛京(遼寧)、吉林、黒龍江の三省を指す清代の称。)でのロシアとの戦いに送り、そこでの戦闘に送り出すためということが分かった。 ロシアは、我々は、それを「俄羅斯」(訳註:ヲールォスー = オロシア)と呼び、日本(語)では「露西亜」と呼んでいるため、かれは、「征露の軍人」と呼ばれている。それ故、日本人は全て、名誉なことと思うので、群をなして隊伍を組んで、彼を見送っていたのである。 最も奇怪だったのは、我が中国の商人であり、恥ずかしげもなく、彼らに付き従って爆竹を鳴らし、万歳を叫んでいた。わたしは、これを見て羨ましくもあり、腹立たしくもあり、羞ずかしくもあり、慙ずかしくもあった。(訳註:・羞:人に顔を合わせられない恥ずかしさ。羞恥。 ・慙:心が冷たくなるような、恥ずかしさ。慙愧。) 心中は、実際、辛かった。一体どうしたらよいのか分からなかったが、ただ中国の様々な事がらや、色々な人々は、すべて、彼らに及ばないと感じただけだった。 ちょうど、わたしもその汽車で出かけることになるので、一緒に歩いて行ったが、その軍人を送る人がますます多く集まってきて、「万歳、万歳、帝国万歳、陸海軍万歳」と騒々しくて、すっきりしなかった。 停車場に着くと、手に負えない混雑になった。 その軍人は、見送りの人があまりにも多いため、ベンチの上に立って、みんなに感謝の言葉を述べた。 見送りの人は、彼を取り巻いて、幾重にも円くなって、大きな円になっていた。 辺り一面の人の声と爆竹を鳴らす音が混じわって、はっきりと聞き取れないほどだった。 ただ、多くの人々が手に手に小さな国旗を持ち、手足を打ち振り踊り、大きな喜びであることは、見て取れた。 汽車が動き始めて、やっと人々は散っていった。 停車場に着くたびに、男女老少、軍楽を奏でる者、国旗を打ち振る者と、全てが揃っての送迎である。 最も羨ましかったのは、一群の子どもたちであり、大きい者は大きい者なりに、小さい者は小さい者なりに、すべて、道ばたに立って、手を挙げる者は手を挙げて、万歳を叫ぶ者は万歳を叫んでおり、なんとかわいげがあるではないか。 本当に羨ましい限りではないか。 我が中国は、何時の日、このような日が訪れるのか、分からない。
ああ、みなさん、日本の人の心は、このように心を一つにして軍人をかくも貴重なものと見なすからこそ、あのように死を恐れず命がけで戦うようにさせているのではないか。 それゆえ、だれもが死を恐れない心を抱き、我々(訳註:自分。日本の軍人自身のこと)がもしも勝利を得ることができなかったら、帰国しても人々に会わせる顔がないと思うようになっているのだ。 誰も皆、この思いを持っており、毎回の戦闘でも、全て命がけで攻撃をしており、砲火から逃げないのだ。 前の者が死んだら、後の者がまた、引き継いでいく。 今日、ロシアはこんなにも大きな国でありながら、小さな小さな三つの島(訳注:蓬莱、方丈、瀛州≒日本)の日本のために、打ち負かされてこんなていたらくになっているが、それは、大体以上のようないきさつがあったからなのだ。 その上、軍人となった者の家族には、すべて扶助金がおりる。その家の人が、もしも、夫か、息子か、兄弟が出征していれば、その家の人にとって、とても名誉なことになる。 もし、貿易をしている人ならば、門前に出征軍人の札を掛けている。 各地の旅館や料亭や写真館、及び商売をしている各店舗では、すべて、大きく、特別に、『陸海軍御用品』や『軍人半額優待』と書き出している。明らかに百円の物を、軍人が買った場合、半額だけ払えばいい。 かわいそうなのは、我が中国の兵士で、毎月ピンハネでいじめられて、僅かの価格の軍人支給米も、またその上に、家族への仕送りがあり、自分の分も要り、いかほど充分なものと謂えるだろうか。 上官に出逢えば、ネズミが猫に出逢ったも同然だ。 奉職していて些かでも意に副わなければ、罵ったり殴ったりしている。 少し名のある人は、兵士と見れば、すっかり自分の下男と見なして、意のままに使っている。 豊かで身分が高い人は、自分をたいした者として、立派な衣服に豪華な食事をとっており、自分を天の神同様に見なして、兵卒を軽んじて、まったく下僕にも及ばない扱いをされている。 戦うことが起これば、彼らを戦闘に出し、旅の辛苦を構わず、餓えや寒さの苦難を強いて、命がけで戦うことを要求するが、果たして一体そんなことができるものか、どうか、如何思われるか。 たとえ、戦いに勝ったとしても、それらは、位がずっと上の上級者の手柄になってしまい、兵士の身にとっては、何ら良いところがない。そればかりか、それらの上官は、べつに戦場に行くことはなく、些かも力を労することもないどころか、逆に手柄を独占し、褒賞を手に入れるが、このような者に、一体誰が心服するものか。 道理で、これらの兵士は、命惜しみが激しく、敵に出逢うやいなや、たちまち、するりと逃げ出してしまう。 中国の今日を、これらの兵卒について言ってみれば、教育を受けたことがないので、このような状態なのであるということに尽きる。 我々中国人が、教育を受けたことがない事から来る弊害を言い出せば、限りなくあり、言い尽くすことができなく、私も二、三日かかっても言い尽くせない。 多くの同胞達よ、どうかあせることなく、わたしが次回にさらに詳しく述べるのを聞いて頂きたい。(未完)(訳注:左記の(未完)の文字は、原文通り)
(訳註:以上で、秋瑾の原文は終わっている)
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2003.8.24 8.25 8.26 8.27 8.28 9. 5 9. 8完 2004.4.27補 |
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