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題藤野嚴九郞先生記念館

戊戌海鳴碧九霄,
越前波及浙江潮。
西風東漸存亡晩,
不惧師夷相顯昭。





戊戌 ぼ じゅつ 海は鳴る  碧九霄きうせうに,
越前 波はおよぶ  浙江の潮せつかう  うしほに。
西風 東漸す  存亡のくれ
師夷しいおそれず  あひ 顯昭す。


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  芦原あわら温泉のある町には、藤野厳九郎記念館がある。十四日朝、藤野厳九郎記念館とその側に移築された旧居を訪ねた。藤野厳九郎とは、魯迅の『藤野先生』の主人公である。彼(藤野先生)が仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)で教鞭を執っていた際、清国留学生の周樹人(魯迅)に対して懇切叮嚀な指導(写真上:魯迅のノートと藤野先生の朱)をし、その誠意が学生・魯迅に伝わり、魯迅は終生恩師を忘れることはなく、机上に藤野先生の写真を飾って、奮起していたという。(その間の事情は魯迅の『藤野先生』に詳しい。

  余談になるが、わたしは四十余年前に魯迅のこの作品を、日本語訳された『魯迅選集』で読み、(今も持っており、また、当時中国で出版された繁体字中国語のも持っており)『藤野先生』を「とうの せんせい」と読んでいた。(当時は、そのように振り仮名をつけていた出版物もあった)。ただ、何となく解(げ)せないところもあり、今回そのことを館長さん(のような方)に尋ねてみた。答は「ふじの」だった。「この辺の『藤野』姓は、みな『ふじの』だ」とのことだった。
 
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・戊戌: 戊戌の変法と、戊戌の政変を指し、参加した人士の戊戌政変(國變)後の日本への亡命を謂う。日本の明治維新後の隆盛に触発された立憲君主制を主張、維新を目指し戊戌変法を光緒帝の下で行ったが百四日で失敗(戊戌政変)、参加した人士は日本に等に亡命した。戊戌の変法の根本精神は、1898年(光緒二十四年)に宣布された変法維新(欧化、近代化の改革運動)の政治運動。その由来は、アヘン戦争後、国威の衰頽が顕在化し、やがて、日清戦争(中国側の呼称:甲午戰爭)後、日本の欧化の優越性を目の当たりにしすることで、自国の後進性の改革の必要性と、西欧列強の対清朝中国蚕食という現実に直面して、危機感を持った先覚者が、政治の改革と軍備の改善を図り、日本の明治維新後の政府と帝政をモデルにした救国改良運動にある。康有為や梁啓超がその中心であった。やがて、1898年(光緒24年)に光緒帝によって宣布された変法維新は、百四日で、西太后慈禧のためにあえなく挫折する。それ故「百日維新」とも称される。なお、この政変の失敗後康有為や梁啓超は日本へ亡命、他の譚嗣同、楊鋭ら6人は処刑された。
・浙江潮: 銭塘江の海潮の溯上現象。また、当時の浙江の民族革命を論じた雑誌名でもあり、浙江省からの秋瑾や魯迅の日本留学していたという人的交流をも、ここでは指す。
・西風東漸: 西洋の勢力や文明が、東方に侵出してくること。
・師夷: 外国を師と仰ぐ。外国を教師とする。孫文のことば。戊戌の変法も、日本の明治維新をモデルとした。


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    (memo:十四日の行程:藤野厳九郎記念館・旧居⇒永平寺⇒一乗谷(朝倉城址)⇒一乗谷滝(佐々木小次郎)⇒北陸自動車道)

平成二十一年五月十四日




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