瑤池 | |
李商隱 |
瑤池阿母綺窗開,
黄竹歌聲動地哀。
八駿日行三萬里,
穆王何事不重來。
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瑤池
瑤池の阿母 綺窗を開き,
黄竹の歌聲 地を動もして哀れなり。
八駿 日に行くこと 三萬里,
穆王 何事ぞ 重ねては來らず。
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◎ 私感註釈
※李商隱:晩唐の詩人。杜牧、温庭 らとの同時代人。812年(元和七年)〜856年(大中十年)。字は義山。河内(現 河南省)の人。玉溪生とも号した。独自の世界を開いた。
※瑤池:〔えうち;yao2chi2○○〕崑崙(こんろん)山にある池の名。西王母(せいおうぼ)が住んでいるところ。西王母とは、女の仙人で崑崙山に住んで不死の薬を持っている。
※瑤池阿母綺窗開:崑崙(こんろん)山の瑶池(ようち)に住む(不老不死の薬を持つ)女の仙人の西王母(せいおうぼ)は、綾絹(あやぎぬ)を張った美しい窓を開けると。 ・阿母:〔あぼ;a4mu3●●〕お母さん。母親を親しんで呼ぶことば。ここでは、西王母のことになる。 ・綺窗:〔きさう;qi3chuang1●○〕綾絹(あやぎぬ)を張った美しい(女性の部屋の)窓。
※黄竹歌聲動地哀:(穆王が作った民の苦しみを歌った)『黄竹詩(こうちくし)』の歌声(うたごえ)が地を揺るがせて響いてきて哀(あわれ)なものだ。 ・黄竹:民の苦しみを歌った『黄竹詩』三章のことで、「我徂黄竹。□□□□。□員閟寒。帝收九行。嗟我公侯。百辟冢卿。皇我萬民。旦夕勿忘。 我徂黄竹。□□□□。□員閟寒。帝收九行。嗟我公侯。百辟冢卿。皇我萬民。旦夕勿窮。 有皎者鴼。翩翩其飛。嗟我公侯。□勿則遷。居樂甚寡。不如遷土。禮樂其民。」のこと。 ・動地:地を揺るがせて響く。地をどよもす。
※八駿日行三萬里:周の穆王(ぼくおう)は八頭だての馬車に乗って、一日に三万里の道のりを行けるのだが。 *後世、毛沢東は『送瘟~』「告山枉自多,華佗無奈小蟲何。千村薜茘人遺矢,萬戸蕭疏鬼唱歌。坐地日行八萬里,巡天遙看一千河。牛カ欲問瘟~事,一樣悲歡逐逝波。」と使う。蛇足になるが、毛澤東の「八萬里」とは地球一周のこと。80,000里=40,000キロメートル(=地球一周の距離。現代中国の1里=0.5キロメートル)。 ・八駿:〔はっしゅん;ba1jun4●●〕八頭だての馬車。 ・駿:〔しゅん;jun4●〕良馬。すぐれた馬。 ・日行:一日に…行く。 ・日行三萬里:『穆天子傳』では穆王がに西遊して西王母の許に到る行程は、九万里とされている。それゆえ、90000÷30000=3となり、この詩句からでは、穆王は三日で辿り着いたことになる。ただ、本来ここは数値の問題ではない。「八駿日行三萬里」は「●●●○○●●」で、本来「●●○○○●●」とすべきところ。「八駿日行□萬里」で、□の部分は平字でなければならず、通常の数詞では「三」か「千」しかない。(「京」「零」では「…萬里」の表現に使えない)。それゆえ、「八駿日行三萬里」となった次第だ。
※穆王何事不重來:穆王(ぼくおう)は、どうしてなのだろうか、(西王母の許へ)再び来ることはなかった。 ・穆王:〔ぼくわう;Mu4wang2●○〕周・穆王のこと。『穆天子傳』に一度だけの西遊の故事がある。 ・何事:どうしてなのだろうか。 ・不重來:二度とは来なかった。(一度だけ来たものの)重ねては来なかった。蛇足になるが、もし「重不來」と表現すれば「重ねて来らず」(またしても来なかった=一度も来ていない)の意。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「開哀來」で、平水韻上平十灰。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
○●○○●●○。(韻)
●●●○○●●,
●○○●●○○。(韻)
2009. 1.12 1.13完 2015. 9.22補 2018.11.25 |
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