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塞下 | |
許渾 |
夜戰桑乾北,
秦兵半不歸。
朝來有鄕信,
猶自寄征衣。
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塞下
夜 戰ふ 桑乾の北,
秦兵 半ばは 歸らず。
朝來 鄕信 有り,
猶自 征衣を寄すと。
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◎ 私感註釈
※許渾:晩唐の詩人。791年(貞元七年)~854年(大中八年)?。字は仲晦。丹陽の人。現 江蘇省丹陽市。陶淵明の時代では曲阿といつた。鎭江市のすぐ南になる。
※塞下:長城の下。砦のそば。「塞」は長城のある地帯のようすや異民族との戦闘や交流を詠う。
※夜戰桑乾北:夜、桑乾(そうかん)(大同附近)の北側で(吐蕃と)戦って。 ・桑乾:〔さうかん;Cang1Gan1○○〕桑乾河附近の戦闘のこと。桑乾河北方に要衝・雲中(現・大同)がある。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)46-47ページ「河東道」にある。漢民族にとっては、中華の地・中原の北の最果ての地の意として使われる。異民族との攻防の要衝である。桑乾河は、山西省北部から東に流れ、河北省北部を通り、北京を貫流する。永定河の別称。北京より上流を桑乾河と呼び、北京より下流を永定河と呼ぶ。桑乾水。長安の人にとっては遙かな地の涯になる。唐・賈島に『渡桑乾』「客舍并州已十霜,歸心日夜憶咸陽。無端更渡桑乾水,卻望并州是故鄕。」や、李益『幽州』「征戍在桑乾,年年薊水寒。殷勤驛西路,此去向長安。」
や、李白の『戰城南』「去年戰桑乾源,今年戰葱河道。 洗兵條支海上波,放馬天山雪中草。萬里長征戰,三軍盡衰老。匈奴以殺戮爲耕作,古來唯見白骨黄沙田。秦家築城備胡處,漢家還有烽火然。烽火然不息,征戰無已時。野戰格鬪死,敗馬號鳴向天悲。烏鳶啄人腸,銜飛上挂枯樹枝。士卒塗草莽,將軍空爾爲。乃知兵者是凶器,聖人不得已而用之。」
がある。
※秦兵半不歸:陝西省長安出身(漢民族)の兵士は、半(なか)ばが(死んで)帰ることはなかった。 ・秦兵:(陝西省)長安出身の兵士。漢民族の兵士。 ・不歸:死ぬこと。戦死したことを謂う。
※朝來有鄕信:(夜戦が終わり、)朝になって、(死んだ兵士に)故郷よりの便りがあり。 ・朝來:朝方になって。 ・鄕信:故郷よりの便り。
※猶自寄征衣:(文面は、生きている者に対しての内容で)依然として軍旅での衣服を送る、とのことだった。 ・猶自:〔いうじ;you2zi4○●〕まだ。依然として。 ・寄:郵便で送る。 ・征衣:軍旅での衣服。旅行用の服装。戦争に行く時の服装。軍服。
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◎ 構成について
韻式は、「AA」。韻脚は「歸衣」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●,
○○●●○。(韻)
○○●○●,
○●●○○。(韻)
2009.1.10 1.11 1.12 |
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