陶淵明集 陶潜 陶潛
1.出自について 田園詩人、隠逸詩人、隠遁の人、帰園田の士…と謂われる陶淵明は、西晋の末年(興寧三年;365年)に生まれ、東晋の滅亡後七年で(元嘉四年;427年)世を去った。ちょうど東晋と時代をともにした人であるといえる。彼の名は淵明か、或いは潜を名とするが、未だ以て定かでない。本サイトでは陶潛を常用にしている。字は元亮で、自ら五柳先生と号し、世に靖節先生といわれる。 潯陽(現・江西省北部にある九江一帯)柴桑( 九江市の西南で、九江県)の人である。昭明太子蕭統は「潯陽柴桑人」と記録し、以降それに倣っているが、諸解説書が、潯陽、九江、柴桑の位置について、説明が不十分であって、違いが不明確であったり、盧山、陽湖との位置関係が相互に矛盾して混乱しているようなので、このことについて九江〜盧山に行かれた伊勢丘人先生にお教えを乞うたところ、早速数種類の九江の地図と九江柴桑城の歴史資料を取り寄せて下さって、送って下さった。それらを見比べるて、次のようなことが判った。 @ 九江市全域と九江市城区と九江県は、指すところや範囲が異なる。三種の九江があるとも謂える。 大きいものから順に見ていくと、先ず、九江市城区と盧山、瑞昌市、修水の流域を含めた東西160kmに亘るもので、我が国の四国程にもなる地域がある。おそらく白居易が任ぜられた九江郡司馬の九江とは、この単位になろうか。次に長江沿岸の九江市城区がある。地方の中心都市である。三番目に九江市城区の西南西10kmに位置する比較的小さい九江県になる。 A 九江市城区には、潯陽楼などの外は、昔を偲ばせるものが見あたらない。 B 九江県には、柴桑路、陶淵明紀念館、私立陶淵明学校、桃源賓館など、陶淵明ゆかりのものが多い。 以上のことを基にして昭明太子蕭統のいう「潯陽柴桑人」を考えると、「潯陽の柴桑」とは、「(江西省北部にある盧山や修水を含む)“大”九江の中にある九江県」のことになろう。 2.詩作について その作風は、阮籍の『詠懷詩』(『古詩源』卷六、『昭明文選』第二十三卷『詠懷詩十七首』(八十二首))の影響を強く受け、その重苦しさと諦観を引き継ぎ、『古詩十九首』の持つ哀歓を漂わせたものとなっている。死生観は慥かに阮籍の流れを汲む暗いものだが、緑野を慕い田園生活を謳う姿は明らかに陶淵明ならではのものである。この一種独特の雰囲気を漂わせた明暗双方を担う作品こそ、阮籍を超えた彼のオリジナリティなのだろう。 3.その生涯について 陶潜のイメージは、『飲酒』二十首のうちの其五(結廬在人境)にある「采菊東籬下, 悠然見南山。」が強いだろう。また、『歸園田居』五首と田園を謳う隠遁の詩人の面目躍如たるものがある。しかしながら、彼の心は平静ではなかった。 『歸去來兮辭』(歸去來兮,田園將蕪胡不歸。)や、『歸去來兮辭序』で、彼が言っているように、胸の内に大きな不満、鬱懐があったのである。能力があっても世に容れられないという嘆きと憤りである。彼が四十一歳の時、貧窮に迫られて、糧を得るために小役人に任官した。しかし、「吾不能爲五斗米折腰,拳拳事ク里小人邪!」(『晉書・列傳第六十四・隱逸・陶潛』)として、官に在ること八十余日で、辞して田園に帰っていった。僅かの俸給のために、田舎の木っ端役人にぺこぺこすることは、我慢がならなかったのだ。“ク里小人”に仕えるぐらいならば、飢寒に苛まれている方がましだ、ということである。たいしたものである。この行動は、彼が庶民の出身ではなく、下級ではあるが、一応の名がある氏族に生まれたからできたことでもあろう。このことは、『晉書・列傳第六十四・隱逸・陶潛』では、簡潔に「以親老家貧,起爲州祭酒,不堪吏職,少日自解歸。………素簡貴,不私事上官。郡遣督郵至縣,吏白應束帶見之,潛歎曰:『吾不能爲五斗米折腰,拳拳事ク里小人邪!』義熙二年,解印去縣,乃賦歸去來。其辭曰:」と記述し、この『歸去來兮辭』に続けている。その間の心情は、『歸園田居』でもうたっている。 彼は、農民詩人ではない。農人とは、一定の距離を置いていた。それは、『歸園田居』「相見無雜言,但道桑麻長。」や『飮酒』の「一世皆尚同,願君其泥。深感父老言,稟氣寡所諧。」ではよく現れている。彼は、ただ、園田にあこがれたのではない。大志があって、それが叶えられる機会がないため、鬱勃たる思いに駆られ、それを癒すためにも田園にいた。『雜詩』十二首では、その心情がよくわかる。『雜詩』其二「日月擲人去,有志不獲騁。念此懷悲悽,終曉不能靜。」」や『雜詩』其五 「憶我少壯時,無樂自欣豫。猛志逸四海,騫思遠」などである。 当時は、激動の時期であった。一つの王朝を倒そうという革命期である。東晉の隆安三年(399年)孫恩のが挙兵して乱を起こし、元興二年(403年)には桓玄が政権を簒奪して楚を建国、しかし、翌年、劉裕に打ち倒され、劉裕は安帝を擁立して東晉を再建した。その相当後、劉裕は禅譲を受けて皇帝に即位、(劉)宋が建国されるという相互攻伐の時代であった。 陶潜は志を得ることなく、南山の麓に隠棲し、農事に携わった。果たせぬ思いを舒ばすものは、酒であった。美酒と麗しい自然が、陶潜を桃源へと誘った。彼は現実で果たせぬものを飲酒、詩作に求め、やがて、『桃花源記併詩』『讀山海經』などの創作世界や『詠貧士』『詠荊軻』のように過去の歴史に遡り、空想の世界に遊んでいる。そして、その眼は、同時に“歸盡”=生命の終焉・死をみつめている。彼の詩には「人の生」というものについての洞察がある。これが彼の作品の大きな魅力の一である。『己酉歳九月九日』「從古皆有沒,念之中心焦。何以稱我情,濁酒且自陶。千載非所知,聊以永今朝。」や、「羨萬物之得時,感吾生之行休。已矣乎,寓形宇内復幾時?曷不委心任去留,胡爲遑遑欲何之。富貴非吾願,帝ク不可期。懷良辰以孤往,或植杖而耘。登東皋以舒嘯,臨C流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑!」 と。 ああ。 4.わたしの見解 全く個人的な見解になるが、わたしにとっての陶潛のイメージは、隠者のそれではない。緑野の田園詩人や農人でもない。ましてや酒鬼でもない。彼は『形贈影』「適見在世中,奄去靡歸期。」 『影答形』「此同既難常,黯爾倶時滅。身沒名亦盡,念之五情熱。立善有遺愛,胡爲不自竭。」『游斜川』「吾生行歸休。念之動中懷」、前出「從古皆有沒,念之中心焦。」、『遊斜川』「開歳倏五日,吾生行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,班坐依遠流。弱湍馳文魴,闥J矯鳴鴎。迥澤散游目,緬然睇曾丘。雖微九重秀,顧瞻無匹儔。提壺接賓侶,引滿更獻酬。未知從今去,當復如此不。中觴縱遙情,忘彼千載憂。且極今朝樂,明日非所求。」 と使う。 彼は、詩で次のように詠う: 「金石のような不朽の肉体を持ちたいものだが、それは不可能である。仙人になって生死を超越したいが、それも不可能なことである。人はこの天地の間に、百年に満たない一生を送る。それが全てだ。やがて終焉がやってくる。それで、全て終わりだ。この「死」というものからは誰であっても逃れることは出来ない。この必ず来る「死」からは逃れようは無いという事実を考えれば、体が悶え、胸が張り裂ける。しかし、如何ともしがたい。せめてもの救いが酒である。今しばし、酔いで紛らわそう。しかし、人間世界との永遠の別離、最期の時はやがて必ず来る。肉体は、あの山の隈に埋められ、やがて一切が消えていく。」 とあるように、怜悧な眼差しで、分析的に死を捉えている知識人の姿である。聡明で優秀な頭脳を持ち、千六百年後にもその詩文を残せる才能でも分かるとおりの多才な人物なのである。自分自身の能力は自身がよく知っており、無能な小役人に仕えることは、我慢がなならなかったのだ。自分を欺くよりも清貧の道を採ったのは、彼のプライドがさせた面があるだろう。そのような、メンタリティを持った人物である。 しかしながら、そのような冷徹な彼も何如ともし難いことは、やがて訪れる“死”というものである。彼のイメージは、“死”を懼れる人そのものである。たしかに「登東皋以舒嘯,臨C流而賦詩。聊乘化以歸盡,樂夫天命復奚疑!」と、死を超克した詩句も残し、その方が有名になってはいる。しかしながら、彼は、冷徹に死を見つめ、そこから逃げなかった。『自祭文』の「人生實難,死如之何」と、“死”は、自分自身の存在の終焉であるということ、同時に他者からいえば、自分というものが、やがては人々から忘却されていくものであるということになる。この世に、自分が居たという事実は、自分の意識からも他人の中からも無くなってしまうものだ。それでいて、この世の中は関係なく動いている。そういうことをしっかりと認識できる頭脳の持ち主なのである。死は、必ず来るものである。怜悧な頭脳は、宗教へとは向かわなかった。「身沒名亦盡,念之五情熱。立善有遺愛,胡可不自竭。」 「向來相送人,各自還其家。親戚或餘悲,他人亦已歌。死去何所道,託體同山阿。」 『形影~序』(貴賤賢愚)、『形贈影』(天地長不沒)、『影答形』(存生不可言)、『挽歌詩』・其一(有生必有死)、『挽歌詩』・其三(荒草何茫茫)。死を見つめ続けた。そして、迫り来る時代の激変にも『乞食』「冥報以相貽」、『飮酒』・其八「凝霜殄異類,……」と、屈折した生をも詛い続けた。暗い。その暗い衝動は、詩賦へ、創作へと向かわせた。生の、そして死の憂いを補助的にではあっても、忘れさせる物としてあったのが酒である。「酒云能消憂,……」 彼の篇篇に酒があるのは、そのためである。 わたしにとっての陶潛のイメージは、冷徹に死を見つめ続け、そこから逃げ出せなかった詩人である。「死」の詩人、「無」の詩人である。 |
2003.5.13起 |
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