經汾陽舊宅 | |
|
唐・趙嘏 |
門前不改舊山河,
破虜曾經馬伏波。
今日獨經歌舞地,
古槐疏冷夕陽多。
******
汾陽 の舊宅を經
門前 改まらず舊 山河,
虜 を破り曾 て經 馬 伏波 を。
今日 獨り經 歌舞の地,
古槐 疏冷 にして夕陽 多し。
****************
◎ 私感註釈
※趙嘏:晩唐の詩人。元和元年(806年)頃〜大中六、七年(852年、853年)頃。字は承佑。楚州の山陽(現・江蘇省の淮安市楚州区)の人。若くして全国を遊歴した。大和七年の科挙試験に落第し、多年に亘って長安に留寓する。後、会昌四年(844年)に進士に合格する。渭南尉となる。
※経汾陽旧宅:汾陽にある(郭子儀が)以前に住んでいた屋敷の所を通り過ぎて。 ・経:へる。とおる。すぎる。この詩では詩題を含め、「経」が三回出るが、それぞれ意味が少しずつ異なる。 ・汾陽:〔ふんやう;fen2yang2○○〕山西省中部の名称。ここでは唐の名将・郭子儀の屋敷のあるところとして使われている。汾陽は、太原盆地の南西にあって、太原と汾河との中間点に位置する要衝。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)46−47ページ「唐 河東道」では汾州 隰城となっている。なお、蛇足になるが、汾陽の東北15キロメートルのところにある杏花村は、白酒(パイチュウ)の一である汾酒の産地。 ・旧宅:ここでは、汾陽王・太尉中書令に任ぜられた郭子儀の曽ての邸宅。郭子儀(697年〜781年)唐・玄宗、粛宗、代宗、徳宗の代の武将。安史の乱を平定し、後に、吐蕃、ウイグル、吐谷渾の侵入を退けた。最高官の太尉中書令に任ぜられ、汾陽王に封ぜられる。
※門前不改旧山河:(郭子儀の屋敷の)門前には、昔ながらの変わることのない山河の姿があり。 ・旧山河:昔ながらの山河の姿の意。
※破虜曽経馬伏波:(郭子儀は)かつて、馬援・伏波将軍(の功績と栄誉の道)を経てきた。/〔「経」字を「軽」字とすると〕:(郭子儀は)かつて、馬援・伏波将軍(の功績と栄誉)を軽んじた(程に勢威が揚がっていた)。 ・虜:えびす。蛮族。敵を罵っていう言葉。 ・曽:かつて…ことがある。 ・経:へる。とおる。すぎる。一般には「曽経」では、かつて(…たことがある)。今まで(…たことがある)、の意。「軽」ともする。軽んじる。『全唐詩』では「経」とする。 ・馬伏波:後漢の伏波将軍である馬援のことを謂う。=馬援・伏波将軍。「伏波」〔ふくは〕は、漢代の水軍の将軍の名称。馬援(前14年〜後49年)は後漢の名将。字は文淵。扶風の茂陵の人。功に因り、伏波将軍に任ぜられ、新息侯に封ぜられた。民をよく治め、用兵は神業のようであった。男児の意気たるや「馬革裹屍」(戦場に死して、遺体は馬の皮に包まれて(帰還する))であるとの気概に溢れていた。
※今日独経歌舞地:今、ひとりで(かつての)歌舞・遊興の繁華の地(=郭子儀の屋敷)を通り過ぎれば。 ・独:ひとり(で)。 ・経:すぎる。 ・歌舞地:歌い舞う地。歌舞・遊興の繁華の地。ここでは郭子儀のかつての栄華の地のことを指す。唐・劉希夷(劉廷芝)の『白頭吟(代悲白頭翁)』に「洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。今年花落顏色改,明年花開復誰在。已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。古人無復洛城東,今人還對落花風。年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。寄言全盛紅顏子,應憐半死白頭翁。此翁白頭眞可憐,伊昔紅顏美少年。公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫~仙。一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。」とある。
※古槐疏冷夕陽多:古いエンジュの木がまばらで寒々しくあるだけで、夕日がいっぱいに(照らしている)。 ・槐:〔くゎい;huai2○〕エンジュ。 ・疏冷:まばらで寒々しい。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「河波多」で、平水韻下平五歌。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
○●●○○●●,
●○○●●○○。(韻)
2012.12.12 12.13 |
次の詩へ 前の詩へ 抒情詩選メニューへ ************ 詩詞概説 唐詩格律 之一 宋詞格律 詞牌・詞譜 詞韻 唐詩格律 之一 詩韻 詩詞用語解説 詩詞引用原文解説 詩詞民族呼称集 天安門革命詩抄 秋瑾詩詞 碧血の詩編 李U詞 辛棄疾詞 李C照詞 陶淵明集 花間集 婉約詞:香残詞 毛澤東詩詞 碇豐長自作詩詞 漢訳和歌 参考文献(詩詞格律) 参考文献(宋詞) 本ホームページの構成・他 |