武關西逢配流吐蕃 | |
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唐・韓愈 |
嗟爾戎人莫慘然,
湖南地近保生全。
我今罪重無歸望,
直去長安路八千。
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武關の西にて配流の吐蕃に逢ふ
嗟 爾 戎人 慘然 たること莫 かれ,
湖南地 近くして 生を保つこと全 からん。
我 今罪 重くして 歸る望み無し,
直 ちに 長安を去ること路 八千。
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◎ 私感註釈
※韓愈:中唐の文人、政治家。768年(大暦三年)〜824年(長慶四年)。洛陽の西北西100キロメートルの河陽(現・河南省孟県=(『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国社会科学院主辦 中国地図出版社)44−45ページ「唐 都畿道 河南道」にある)の人。字は退之。諡は文公。四六駢儷文を批判し、古文復興を倡えた。仏舎利が宮中に迎えられることに対して韓愈は、『論仏骨表』を帝(憲宗)に奉ったが、却って帝の逆鱗に触れ、潮州刺史に左遷された。唐宋八大家の一人。
※武関西逢配流吐蕃:(陝西省東南端にある)武関の西にて、配流される吐蕃(とばん:チベット)(人)に出逢って。『謫潮州時途中作』(=潮州に流謫になった時の途中での作』)。 *潮州刺史に左遷された。その時の配流の旅路での詩。『謫潮州時途中作』なお、その時の代表的なものは、『左遷至藍關示姪孫湘』で「一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。欲爲聖明除弊事,肯將衰朽惜殘年。雲横秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。」がある。 ・武関:現・陝西省商南県にある関所。西安の東南200キロメートルのところにある。商州(=現・商県)の商洛県の東。長安の東南方向の出入り口に該るところ。 ・逢:(偶然に)であう。 ・配流:〔はいる;pei4liu2●○〕流刑に処する。遠く離れた土地や島に罪人を流す。ここでは、唐と吐蕃の戦いで、捕虜となった吐蕃の兵士が湖南の方に(労働力として?)流されていくことを指す。 ・吐蕃:〔Tu3fan1、Tu3bo1●○〕吐蕃(とばん)。チベット。ここでは、唐朝と対立したチベット民族の王朝を指す。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期76−77ページ『吐蕃』(中国社会科学院主辦 中国地図出版社)によれば、唐〜宋代の吐蕃の領域は現代と比べれば極めて大きく、その範囲は現・新疆ウイグル自治区、青海省、甘粛省四川省西、西藏(チベット)自治区と、広範囲に亘っている。また、『中国史稿地図集』下冊21−22ページ「唐代中期形成」(郭沫若主編 中国地図出版社)では、大まかに謂って現・中国の西南四分の一が吐蕃(更に西北四分の一が回鶻(=回紇=ウイグル)で、東北四分の一が靺鞨で、東南四分の一が唐)となっている。
※嗟爾戎人莫惨然:ああ、西方の戎(えびす)よ、いたみ悲しむな。 ・嗟:〔さ、しゃ;jie1○〕ああ。感嘆または嘆き悲しむ声。 ・爾:おまえ。なんぢ。 ・戎人:西方の異民族。ここでは、前出・吐蕃(とばん=チベット)や回鶻(かいこつ=回紇=ウイグル)を指す。えびす。 ・莫:なかれ。禁止・否定の辞。 ・惨然:いたましいさま。いたみ悲しむさま。悲惨なさま。惨(みじ)めなさま。
※湖南地近保生全:(おまえが流される)湖南の方の地は、(ここから)近く、生命に別状無くいけるだろう。 ・湖南:現・湖南省。 ・保生全:命が無事に済まされる意。 ・湖南:現・湖南省。 ・保生全:命が無事に済まされる。
※我今罪重無帰望:わたしは今、罪が重くて、帰る望みは無い(というのも)。 ・帰望:帰って来る望み、の意。
※直去長安路八千:(潮州へは、)まっすぐ直接に長安を去っての路程は八千里(なのだから)。 ・直:まっすぐである。ずっと。直接に。 ・去:行く。去る。 ・路八千:路程は八千里。長安から潮州への道のり。前出・『左遷至藍關示姪孫湘』の赤字部分「一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。」を参照。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「然全千」で、平水韻下平一先。この作品の平仄は、次の通り。
○●○○●●○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
●○●●○○◎,
●●○○●●○。(韻)
2014.6.13 6.14 |
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