惜春 | |
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唐・杜牧 |
花開又花落,
時節暗中遷。
無計延春日,
何能駐少年。
小叢初散蝶,
高柳即聞蟬。
繁艷歸何處,
滿山啼杜鵑。
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春を惜しむ
花 開き又 た 花 落ち,
時節 暗中に遷 る。
春日 を延 ぶるに計 無く,
何 ぞ能 く 少年を駐 めん。
小叢 初めて蝶 を散 じ,
高柳 即 ち蝉 を聞く。
繁艷 何 れの處にか歸る,
滿山 杜鵑 啼 く。
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◎ 私感註釈
※杜牧:晩唐の詩人。803年(貞元十九年)〜852年(大中六年)。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。
※惜春:行く春を惜しむ。 *「春」は季節の「はる」のことだが、過ぎ行く歳月/時の流れの意を含んで使われている。
※花開又花落:(春の季節の)花が咲いては、また、花が散って(と、時間が過ぎ去って行き)。 ・花開…花落:花が咲き、…花が散る意で、時間の経過を表す。初唐・劉希夷(劉廷芝)の『白頭吟(代悲白頭翁)』「洛陽城東桃李花,飛來飛去落誰家。洛陽女兒惜顏色,行逢落花長歎息。今年花落顏色改,明年花開復誰在。已見松柏摧爲薪,更聞桑田變成海。古人無復洛城東,今人還對落花風。年年歳歳花相似,歳歳年年人不同。寄言全盛紅顏子,應憐半死白頭翁。此翁白頭眞可憐,伊昔紅顏美少年。公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫~仙。一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。」とあり、晩唐・薛濤の『春望』に「花開不同賞,花落不同悲。欲問相思處,花開花落時。」とあり、晩唐・于濆の『對花』に「花開蝶滿枝,花落蝶還稀。惟有舊巣燕,主人貧亦歸。」とある。 ・又:…してはまた。重ねてまた。その上また。 *相継いで発生することを表す。
※時節暗中遷:季節は、秘かに移(り変わってい)った。 ・時節:(季節の寒暖などの状態やそれに応じたきまり。移り変わってゆく天候や風景などによって感じられるその折々の)季節。時候。時期。また、時に応じて節度があること。時節を「時」と「節」に分ければ「四時」(しいじ)と「(二十四)節気」だが、ここでは、作者は単に前者・第一の意の「時候、時期」の意で使う。これと同様の前者の意での用例は、盛唐・杜甫の『江南逢李龜年』に「岐王宅裡尋常見,崔九堂前幾度聞。正是江南好風景,落花時節又逢君。」とあり、盛唐・杜甫の『春夜喜雨』に「好雨知時節,當春乃發生。隨風潛入夜,潤物細無聲。野徑雲倶K,江船火獨明。曉看紅濕處,花重錦官城。」とあり、晩唐・杜牧の『C明』に「C明時節雨紛紛,路上行人欲斷魂。借問酒家何處有,牧童遙指杏花村。」とあり、両宋・李清照の『好事近』に「風定落花深,簾外擁紅堆雪。長記海棠開後,正是傷春時節。 酒闌歌罷玉尊空,缸暗明滅。魂夢不堪幽怨,更一聲啼鴃。」とある。なお、晩唐・唐彦謙の『金陵懷古』「碧樹涼生宿雨收,荷花荷葉滿汀洲。登高有酒渾忘醉,慨古無言獨倚樓。宮殿六朝遺古跡,衣冠千古漫荒丘。太平時節殊風景,山自水自流。」とあるのは、「時世」の意。また、南宋・文天の『正氣歌』「天地有正氣, 雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。皇路當C夷,含和吐明庭。時窮節乃見,一一垂丹。」とあるが、これは第二の「時に応じて節度がある」の意の例。 ・暗中:陰で。ひそかに。こっそりと。秘密に。副詞。 ・遷:うつる。
※無計延春日:春の日々を延ばすという方法は無く。(新たな季節の夏を迎えることとなり)。後世、北宋・欧陽脩は『蝶戀花』で、「庭院深深深幾許?楊柳堆煙,簾幕無重數。玉勒雕鞍遊冶處,樓高不見章臺路。 雨風狂三月暮,門掩黄昏,無計留春住。涙眼問花花不語。亂紅飛過秋千去。」と使う。 ・無計:術(すべ)が無い。方法が無い。 ・延:のばす。
※何能駐少年:どうして、若者で留(とど)まっておられようか。(時の流れは、止(とど)めようがない)。 ・何能:どうして…できようか。また、…でありえない。なんぞよく(…せ)んや。ここは、前者の意。 ・駐:とどめる。たちどまる。また、車馬が止まる。ここは、前者の意。 ・少年:若者。成年期。 *日本語の「少年」とは微妙に異なり、青春時代、青年時代をを含む。以下の用例は「少年」というよりも「少年行」という用法が主であるが、「少年行」とは楽府題のことで、普通の用法とは異なる。「少年」の語には、日本語でも使われる「子ども」の意は無くて「若者」の意。盛唐・李白の『少年行』に「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」、盛唐・崔國輔の『長樂少年行』に「遺卻珊瑚鞭,白馬驕不行。章臺折楊柳,春日路傍情。」とあり、盛唐・王昌齢の『少年行』に「走馬遠相尋,西樓下夕陰。結交期一劍,留意贈千金。高閣歌聲遠,重門柳色深。夜闌須盡飲,莫負百年心。」とあり、盛唐・王維の『少年行』に「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」とあり、中唐・張籍の『哭孟寂』に「曲江院裏題名處,十九人中最少年。今日春光君不見,杏花零落寺門前。」とあり、中唐・ 白居易の『春中與盧四周諒華陽觀同居』に「性情懶慢好相親,門巷蕭條稱作鄰。背燭共憐深夜月,蹋花同惜少年春。杏壇住僻雖宜病,芸閣官微不救貧。文行如君尚憔悴,不知霄漢待何人。」とあり、唐末・沈彬の『結客少年場行』に「重義輕生一劍知,白虹貫日報讎歸。片心惆悵清平世,酒市無人問布衣。」とあり、南宋・辛棄疾の『醜奴兒』書博山道中壁「少年不識愁滋味,愛上層樓。愛上層樓,爲賦新詞強説愁。 而今識盡愁滋味,欲説還休。欲説還休,却道天涼好個秋。」とあり、宋・賀鑄『六州歌頭』「少年侠氣,交結五キ雄。肝膽洞,毛髮聳。立談中,生死同,一諾千金重。推翹勇,矜豪縱,輕蓋擁,聯飛, 斗城東。轟飮酒,春色浮寒甕。吸海垂虹。闌ト鷹嗾犬,白駐E雕弓,狡穴俄空。樂怱怱。」等がある。
※小叢初散蝶:小さな繁みでは、この時はじめて(春の季節の象徴である)蝶(ちょう)がちりじりに分散して。 ・初:(この時)はじめて。 ・散蝶:(春が過ぎ去って、春の季節の生き物である)蝶(ちょう)が分散する意。 *春の季節が終わった情景を謂う。
※高柳即聞蝉:大きな柳からは、ただちに(夏の季節の象徴である)蝉(せみ)の声が聞こえて(来た)。 ・即:〔そく;ji2●〕とりもなおさず。まさしく。ただちに。すなはち。 ・聞蝉:(夏の季節の生き物である)蝉(せみ)の声が聞こえて来る。「聞」は、きこえてくる。耳に入ってくる意。蛇足になるが、「聽」は聴き耳を立てて、意図的に聴こうとする意。
※繁艶帰何処:たくさん咲いていた(春の)花は、どこへ行ったのだろうか。 ・繁艶:たくさん咲いた花の意。 ・帰:(本来の居場所である自宅・故郷・故国・墓所などに)もどる。 ・何処:どこ。いづこ。
※満山啼杜鵑:山中(やまじゅう)で、(初夏を象徴する鳥の)ホトトギスが(悲しげに)啼いている。 ・満山:山中(やまじゅう)の意。 ・杜鵑:〔とけん;du4juan1●○〕ホトトギス。蜀王・杜宇(望帝)の魂が化してこの鳥となったという。「杜鵑」は、その鳴き声から、血を吐くような強い哀しみの声であり、また、その鳴き声は「不如歸去 bu4ru2gui1qu4」((自宅や故郷へ)帰ったほうがいいよ もう帰ろうよ)と、郷愁を誘う言葉に聞こえると云う。(日本では「テッペンカケタカ」「イッピツケイジョウ」か)。盛唐・李白の『宣城見杜鵑花』に「蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。」とあり、杜甫の『杜鵑』「我昔遊錦城,結廬錦水邊。有竹一頃餘,喬木上參天。杜鵑暮春至,哀哀叫其間。我見常再拜,重是古帝魂。」『杜鵑行』「君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。寄巣生子不自啄,群鳥至今與哺雛。」とあり、晩唐・李商隱の『錦瑟』に「錦瑟無端五十弦,一弦一柱思華年。莊生曉夢迷蝴蝶,望帝春心托杜鵑。滄海月明珠有涙,藍田日暖玉生煙。此情可待成追憶,只是當時已惘然。」とあり、南宋・陸游の『鵲橋仙・夜聞杜鵑』に「茅檐人靜,蓬窗燈暗,春晩連江風雨。 林鶯巣燕總無聲,但月夜、常啼杜宇。 催成C涙,驚殘孤夢,又揀深枝飛去。故山猶自不堪聽,況半世、飄然羈旅。」に詠われている。
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◎ 構成について
韻式は、「AAAA」。韻脚は「遷年蝉鵑」で、平水韻下平一先。この作品の平仄は、次の通り。
○○●○●,
○●●○○。(韻)
○●○○●,
○○●●○。(韻)
●○○●●,
○●●○○。(韻)
○●○○●,
●○○●○。(韻)
2014.6.27 6.28 7.17完 |
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