だいぶ前のことだが、 ハイジャック事件が起きて、犯人の要求で、容疑者だったか服役囚だったか忘れたが、 出国させるべきでない人を超法規的措置で出国させたことがあった。 あの時はハイジャック犯に“屈した”わけだけど、 やはりあれで正しかったんじゃないかと思う。
「あのときは危険が目の前に迫っていたが今回は違う」と言えるかどうか、 私にはわからない。
又。
米国のイラク進攻に賛同した人のうち、 心の底から正しいことだと思って賛同したのではなく、 「しかたがないから」と賛同した人は、 米国に“屈した”ことになるのではないだろうか。 それがいいとか悪いとかではない。 「それが日本にとっての最善の道だと思うから」 と考えて賛同する道があるのなら、 テロにも“今回は屈しておく”という道もあるのではなかろうか。
付)心の底では「しかたがないから」と思っているのだが、 「そう言うと問題になるから」 と考えて心から賛同しているようにふるまう人がいたとしても、 上と同じ理由で、それも一つの道だと考える。 ただ、そう考えた時点で、 “世の中には屈せざるをえないことがある” と考えたことになる。 そうであるなら、「テロに屈することになる」から直ちに 「それはよくない」という結論には至らないはずである。
2003-12-04 (4) 00:46:46 +0900
「いったん出すと決めた自衛隊を出さないと、テロに屈したことになる」 という説に対しては 「じゃあ初めから自衛隊は出さないことにしておけば屈することもなかった」 との反論がありそうだ。
「自衛隊を出さないと、テロに屈したことになる」 という説に対してはどんな反論がありえるだろうか。
2003-12-04 (4) 00:13:35 +0900
このことは、 《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する? (2000-12-31 (0) 01:54:40 +0900)》の表を見ればわかる。 グレゴリウス暦のうるう年の入れ方は 400 年を周期とするが、 連続した 400 年に含まれる日の数が 7 で割り切れるので、こうなるのである。
2000 年に「ことしは例外中の例外の、400 年に一度のうるう年」 と言っていた人がいるが、 「400 で割り切れるからうるう年」という年は必ず土曜日から始まることになる。 (そして“新しい 400 年”は必ず月曜日から始まる。)
グレゴリウス暦を始めたとき、何日かを飛ばして調整を行なったが、 その日数が違っていたら、 上に書いた曜日は別の曜日になっていたかも知れないわけだ。 その点 --- 特に 1601-2000 年、2001-2400 年のような 400 年が月曜日から始まること --- を考慮して決められたのでは、と言っておられたのは massangeana さんでしたっけ?
2003-12-03 (3) 19:42:27 +0900
massangeana 氏からお聞きしたのは、 現行のうるう年の置き方のルールのうちの三番め 「西暦が 400 で割り切れる年はうるう年」を 「西暦が 500 で割り切れる年はうるう年」としたほうが誤差が少ないが、 しかし、もしそうしていたら、 1600 年はうるう年でないことになる。1582 年に改暦し、 そのすぐ 18 年後にこのような例外の年がくると評判がよくないかもしれない。 そこで 400 のほうになったのでは、という話だったような気がしてきた。
《冗談提案>「4 で割り切れる年はうるう年で 128 で割り切れる年は例外」 (2001-01-05 (5) 02:57:10 +0900)》 にも書いたが、広辞苑によれば太陽年は 365.24219... 日である。 現行のグレゴリウス暦の一年は 365.2425 日で、太陽年より 0.00031 日だけ長い。 もしも「500 で割り切れる年はうるう年」と改暦していたら、 一年は 365.242 日なので、0.00019 日だけ短いことになる。
なお、そこに冗談で書いたように 「4 で割り切れる年はうるう年で 128 で割り切れる年は例外」 と改暦すれば、一年は 365.24218... 日で、差は 0.00001 日となり、 現行の差の約 30 分の 1 となる。
2003-12-05 (5) 20:43:31 +0900
これも massangeana 氏の説ではないそうです。
2003-12-17 (3) 02:56:55 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 23:16:27 +0900
「うめがえ」が正しい読み。
2003-12-03 (3) 19:25:42 +0900
時計、特に腕時計を買うときの注意点の一つ。 「短針を探してしまう」と言っても一瞬に過ぎない。 しかし、その一瞬にいらいらすることがあるのである。
2003-12-03 (3) 19:17:25 +0900
確か、腕時計にはリバーシブルのがある。 また、ガラスの強度が十分でなかった時代には、 時計の保護のため裏返しにして裏ブタの側を“表”にできる腕時計があったと聞く。
では、懐中時計がリバーシブルだったらどうだろう? 「表はアナログ、 裏はデジタル」とか、「表はシンプルな三針、裏は多針で日付・曜日・月齢も」 とか、いろいろ考えられる。 時刻合わせは、 両面を別々に合わせることも、一緒に合わせることも、 分以下は一緒に合わせるが時差をもたせることも、 どれでも可能だとよりうれしい。
腕時計は、はめたほうの腕の動作だけで見ることができるのが特徴である。 そこに“裏返す”という動作を求めれば、手間が増えてしまう。 それに対し、懐中時計では、 ポケットから出したあと「表を手前にしてから見る」 のが当然のこととして受け入れられている。 だから、そこで、 どちらを表にするかを選択させてもよいと思うのだ。
2003-12-03 (3) 19:08:35 +0900
リバーシブルとは違うが、ふたのまん中に穴があいていて、 ふたをしたままでも読めるし、もちろんふたを開けても読める、 というのはある。 ふたをしたままと開けたときとで文字盤・針の感じがかなり変わるようにできている。
2003-12-17 (3) 02:39:50 +0900
「おみそ汁」と「なめこ汁」を用意している店は見たことがあるが、 《みそ汁は「豆腐とネギ」「ワカメ」「キャベツ」からお選びください》 などとしている店は見たことがない。
スープなら、 ファミレスでも「コーンスープ」「トマトスープ」「パンプキンスープ」 など複数の種類を用意しているところがあるのに。
2003-12-03 (3) 19:02:40 +0900
これも意味なし。
2003-12-03 (3) 01:27:35 +0900
「浪人しても大星力弥」は仮名手本忠臣蔵の九段目「山科閑居」 に出てくる印象的な(?)せりふ。
2003-12-03 (3) 00:53:15 +0900
デパートのお歳暮売り場などでもコンピュータが使われているが、 USB 端子が客のほうを向いていることもある。 そこに客が勝手に機器を接続して、ということはないだろうか?
2003-12-02 (2) 19:33:20 +0900
デパートのお歳暮売り場へ寄ったら、 一列並びを実施していた。 贈る商品を選んだら番号札を受け取り、イスに座って待つ。 そして、 自分の番号が呼ばれたら空いた店員のところへいって手続きをし、 支払いをするのである。 その番号は表示機にも出るのだが、 その裏には「いま何人待ちか」が表示されていた。 店員が見て参考にするのだろう。なるほど。
2003-12-02 (2) 19:28:57 +0900
…のが一般的だろう。
珠算の検定試験を受けたことがあるが、そうだったのを思い出して。
2003-12-02 (2) 19:23:54 +0900
「井上」は「低高高高(高)」に対し、 「井ノ上」は「低高低低(低)」。 「猪上」と同じ。
「井上」が代表的で、それと違う表記のときは別アクセント、 という意識が働くのだろう。
2003-12-02 (2) 19:17:50 +0900
「外交官が殺害されたのだから自衛隊は反撃できる」 と言っている政治家はいないみたいなので取りあえずは大丈夫か。
2003-12-02 (2) 03:34:11 +0900
盲導犬は、いくらきちんと教育されていても、 和室にはいるとき靴を脱ぎはしないだろう。 戸外を歩いたままの足ではいることになるのだろうか。 それを理由に旅館が盲導犬を伴った客の宿泊を拒否することはできるのだろうか。
盲導犬は足を拭いてあがらせればいいから拒否はできないとされるなら、 盲導犬とは関係のない客が靴をはいたまま、 靴は拭いたからといって和室にあがるのは拒否できる?
2003-12-02 (2) 03:32:16 +0900
「拭いたからいって」となっていたのを直した。
2004-07-21 (3) 21:21:38 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「敬宮さま2歳に」。
《雅子さまに続いてアルファベットを言える
》
とあるが、どういう意味だろうか? 各字母の名前が言える、
という意味だろうか? また、何語(なにご)のアルファベットだろうか?
「何語のアルファベット」というよりも、 どのアルファベットの、何語での名前か、と問うほうが正しいか。
2003-12-02 (2) 03:04:05 +0900
「雅子さま」と言ったあとそれに続けて字母の名前を言える、 という意味ではないだろう。 すなわち、 「雅子さま、アルパ、ベータ、ガンマ、デルタ、……」と言える、 という意味ではなかろう。
付)暗唱する場合、最初のきっかけさえつかめれば言えるが、 ということがありえるから、上のようなことが絶対にないとは言えない。
付)「アルファベット」はギリシア文字の最初の二文字「アルパ・ベータ」 が由来だと思われるので、上ではギリシア文字の字母名を使った。
2003-12-02 (2) 19:02:37 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面の、 放送大学助教授の高橋和夫氏の文章中にこうある。
自爆テロが増えていることからみても、 現地にアルカイダのテロリストが入り込んでいることは明らかだが、 彼らは基本的に外国人だ。 イラクで外国人のテロリストが活動するためには、 住民側の、 少なくとも暗黙の協力が必要だ。
この「基本的に」の意味について、あとでよく考えてみよう。 「基本的に」が「原則として」の意味で使われるのは最近ときどき見かける。
2003-12-02 (2) 02:58:33 +0900
「そのことを見落としがちであるが、初めに戻ってよく考えてみると」 ぐらいの意味だろうか。 「やっぱり」「なんといっても」と言い換えられるかもしれない。
2004-06-20 (0) 22:36:40 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面「ハーフタイム」。
フィギュアスケートの選手が「宇宙戦艦ヤマト」の曲で自由演技をした、という記事。
《ヤマトにふさわしい、有終のジャンプを誓った
》で終わっているが、
ヤマトと言えば、
「これで最後」と言っては続編が作られるので有名だったのではなかったか。
「話がヤマト」なんて言い方があったっけ。
2003-12-02 (2) 02:53:13 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版国際面の、
イラク派遣に関する、スペインの記事。
《同国を代表する日刊紙エルパイスは(中略)
「開戦の判断自体が米国に操作されていた。
イラク問題には最初からかかわるべきではなかった」
》
と書いているそうだ。
ふと思い出したこと。 軍隊を出せる国には、 「かかわるべきではない」と判断するほかに、開戦時に 「大量破壊兵器査察を無事終わらせるため、米軍のイラク攻撃を阻止する」 という選択肢はなかったか。
現実的にはないのは明らかだけど。
2003-12-02 (2) 02:48:44 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の
「イラク・2外交官殺害」の記事。
《首相側近の中川秀直国会対策委員長も
「テロに屈した印象を与えるのはテロリストの思うつぼだ」
と朝日新聞記者に語った
》とあるのを見て。
別の総合面の「ドキュメント外交官殺害」には
《8・24 フジテレビの「報道2001」
で自民党の平沢勝栄衆院議員が
「ここで自衛隊派遣をやめると、まさにテロの思うつぼ。
安全に万全の対策を講じたうえで、やっぱり派遣すべきだ」
》とある。
(「8・24」はたぶん時刻。)
2003-12-02 (2) 02:14:02 +0900
いまは思うつぼでないと仮定して、 自衛隊を派遣して思うつぼになることはないのか、 という議論も必要だろう。
2003-12-02 (2) 19:11:37 +0900
意味なし。
2003-12-02 (2) 01:54:44 +0900
ある人のある行為をみて「見損なったよ」ということがあるが、 この意味は広辞苑第五版にあるように「評価をあやまる」 で説明できるだろうか? 私は、「見損なった」で 「いままで評価をあやまっていたことがいま判明した」の意味だと思っていたが。
2003-12-01 (1) 20:35:13 +0900
天皇の権威が絶対だった時代に「鮟鱇」という表記が禁止されたりしなかったのかな、 と思ったものだから。
こういうのは、縦書きにしてあるのを見たほうが見つけやすい。 かんむりをのぞくとこれこれと同じ、 というのは横書きのほうが見つけやすいわけだが。
2003-12-01 (1) 20:26:14 +0900
30日づけ大阪本社版社会面「女神の分銅 / レバノンで奈良大チーム発掘」。
写真の説明に
《表(右)には「LβI]と記されている
》とあり、
確かにそう見える。
でも、ギリシア文字の小文字ってそんな昔からあったんだっけ?
(ラテン字母とカン違いしているか?>自分)
2003-12-01 (1) 02:57:12 +0900
30日づけ大阪本社版読書面の、 ゲルト・ギーゲレンツァー著(吉田利子訳) 「数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活」の、 新妻昭夫氏(恵泉女学園大教授)による書評。
もし警察に逮捕され、犯人が残した血痕と私の血液のDNA鑑定の結果、 一致する確率はわずか百万分の一という証拠を突きつけられたら? 本書を読んだ私は、こう反論するだろう。 「百万人に一人だから、東京だけであと十人は容疑者がいるじゃないか」
《残された血痕と自分の血液が「一致する確率はわずか百万分の一」という証拠》 なら、 「そんなに低いんですか。じゃあまずまちがいなく私じゃない、ってことですね」 と言えばそれですむ。 そうではなく、 《犯人が残した血痕と私の血液のDNA鑑定の結果が一致し、 偶然に一致する確率はわずか百万分の一》ということなのだろう。
でも、なかなかそうは読めないよなあ……。
その続き。
四〇歳の女性が乳癌検査で陽性と判定された。 同年齢女性の乳癌罹患率は一%。 乳癌患者が検査で陽性と判定される確率は九〇%。 非患者も九%が陽性と出る。 さて、この女性が乳癌である可能性は何%か?
同じことを別の言葉でいうと、 平均して百人に一人は乳癌。 九九人の非患者のうち九人は検査で陽性と出る。 したがって陽性と判定されても、 乳癌なのは一+九=十人のうち一人。
母集団を明示し、比率でなく実数で説明する。 こんな簡単なことで統計数字から「難解」と「誤解」が払拭される。 (以下略)
これって、「原因の確率」の基礎的問題では?
0.01 * 0.9 / (0.01 * 0.9 + 0.99 * 0.09) = 0.009 / (0.009 + 0.0891) = 0.009 / 0.0981 = 0.0917... が、 この患者が乳がんであることが原因で陽性と判定された確率である。
この手の議論を初めて見たので感心しているのか、 こう説明するとわかりやすいというので驚いているのか。 引用部分の計算は、上の計算の分母子に 100 をかけただけのことである。
付)ほとんど全文を引用しましたが、議論に必要と判断したためです。
2003-12-01 (1) 02:27:00 +0900
29日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面「オトナの総合学習」は缶コーヒー。
山頂のサービスエリア、 長距離トラックの運転手、 自販機のコーヒー、演歌……。 中島みゆきが「流星」で歌った世界だ。 日本コーヒー文化学会理事の小山伸二さん(45)はその風景に、 中世アラビアの砂漠を行くキャラバンが、 幕舎の中で飲むコーヒーのイメージを重ねる。
なるほど。 そう考えれば、 自動車道路が山頂を通っていてそこにサービスエリアがある、 という不自然な設定も納得がゆく。
私がふと思い出したのは、申命記の終わり近く、山に登って死ぬモーセであった。
2003-12-01 (1) 02:09:45 +0900
ほかに、大統領機だけがイラクまで往復し、 公開された写真は米国内で撮影されたもの、という可能性もある。 同行した記者は限られていたらしいし。
注)毎度のことながら、 「そうだ」と言っているわけではない。 「そういう可能性がある」と言っているだけである。 実際には、そのような疑いを持たれないよう、 十分な数の写真などが公開されているのであろう。
2003-12-01 (1) 01:56:14 +0900
残り | ----+----1----+----2----+----3----+----4----+----5--- | ||
2002 年 | 十一月末 | 425 | ******************************************* |
十二月末 | 443 | ******************************************** | |
2003 年 | 一月末 | 450 | ********************************************* |
二月末 | 456 | ********************************************** | |
三月末 | 467 | *********************************************** | |
四月末 | 451 | ********************************************* | |
五月末 | 468 | *********************************************** | |
六月末 | 472 | *********************************************** | |
七月末 | 484 | ************************************************ | |
八月末 | 492 | ************************************************* | |
九月末 | 497 | ************************************************** | |
十月末 | 518 | **************************************************** | |
十一月末 | 532 | ***************************************************** |
※ 残りがゼロになるまで、月末ごとに掲載する予定です。
2003-12-01 (1) 01:35:37 +0900
もちろん、 囲碁の“殺す”は抽象的であるのに対し、 テレビゲームは描写によってはいくらでもリアルになるので、 そのこと自身がおかしいわけではないが。
2003-12-01 (1) 01:27:59 +0900
この「いろいろ」の各項目のタイトル --- <h2> と </h2> とで囲んでいるもの --- の長さには制限を設けている。 「タグも含めて 79 カラムまで」である。 こう決めると、 Vz エディタで行末に表示される改行マークも込めて一行に表示される、 というだけのことである。 ずっと昔にこう決めて、それからなぜかずっと守っている。
この制限を守りながらタイトルを決めるのを容易にするため、 下書き用のファイルの冒頭には
あと書いてある。 この「あ」の置かれている位置が 80 カラム目(と 81 カラム目)である。 (実際はタブを使っているが、 ブラウザが常にタブを正しく解釈するとは限らないような気がして、 ここではスペースにしてある。)
しかし、これだと、ブラウザに読み込んだ際
あ 下書き用ファイルでタイトルの長さの制限を示す印をコメントアウトした この「いろいろ」の各項目のタイトル --- |
そこで
<!-- あ-->とした。
2003-12-01 (1) 01:16:32 +0900
なんだか気持ちがよくない。
2003-12-01 (1) 00:59:07 +0900
「ラク」という音があるからだろうが、 「ク」を読まないで「ラ」となるのはなぜだろう?
最近の子の命名ではこういうパターンをときどき見るが、 昔からあったのだろうか?
2003-11-30 (0) 22:05:48 +0900
普通、どこの駅でもよさそうな話だと、JR亀有駅という設定のことが多い。 しかし、今回、両津たちが駅前に屋台を出したのは「最新駅」という架空の駅で、 しかもその駅名の看板がやたらと何度も映った。
鉄道会社から苦情がきたり、モデル問題が発生したり、というのを避けた?
それにしても、きょうの話は両津と中川が完全な“悪役”で、 あまり気持ちがよくなかった。
2003-11-30 (0) 21:57:22 +0900
モデル問題と書いたのは、両津たちより先に駅前に屋台を出していた二人組のこと。
後味がよくなかったのは、 両津と中川が警官であることを利用して商売をしていたからだろう。 地道に働く二人が泣くストーリーだったことも。
付)当時書いたメモが出てきた。
2004-07-21 (3) 21:17:51 +0900
火事の描写がすごかった。 あのサイズのミニチュアだからできたのかも。
火事で落ちたエレベータに乗っていた男を助けるため、 そのエレベータの落ちた穴へ降りて行く防火エレベータ。 そこにバージルとアランが乗っていた。 耐熱服のようなものを着ていたし、 最後は防火エレベータから降りて救出にあたるのかと思ったら、 無線で男にエレベータの箱がまだ無事であることを確認した後、 防火エレベータの下についた装置で落ちたエレベータをつかんで一緒に上がってきた。 あれなら、バージルたちは地上にいて、 無人の防火エレベータを降ろせばよかったのでは。 二次災害の心配もあるし。
ミンミンは一般のラジオ放送を聞いて救助のための情報を収集していたようだが、 それで間に合うのかいな。
2003-11-30 (0) 21:54:38 +0900
家の中じゅうおそろしく散らかっているので新聞を広げられるスペースがなく、 手に持って読んでいた。 これだと、だんだん手が疲れてくる。 疲れてくると頭の回転が遅くなり、なかなか読めなくなる。 それのみならず、 一つの面の中でどの記事を読み終えどの記事をまだ読んでいないのかわからなくなり、 またその面を最初から読み直し、ということにもなる。
先日、ダイニングキッチンのテーブルの上に置いて読んでみたら、 えらく読みやすかった。
いままでは「ダイビングクイズ」をやっていたようなものだ。
2003-11-30 (0) 18:53:54 +0900
むかし買ったカシオの腕時計はうるう年に対応していなかった。 大の月と小の月は自動判別するが、 二月は 28 日までと決めて処理していた。 私は、二月 29 日を表示させる方法を見つけ出せたが、 そういう人ばかりではない。 何もしないと三月 1 日になってしまうが、 翌日の 2 日になってから 1 日戻そうとすると 「日」は戻すことができないので 30 日分進めることになり、 めんどうなのである。
だったら、二月は 29 日まであるものと決まっているほうが便利ではないか。 平年には一日進めればよい。
最近の製品はどれもうるう年自動判別になっているだろうけどね。
2003-11-30 (0) 18:51:01 +0900
本文ナシ
2003-11-30 (0) 18:45:06 +0900
アナログ式の「日」を旧暦に合わせてみた話は前に書いたが、 自動巻きなので使わないでいるとすぐに止まってしまう。 ずっと昔に買ったカシオのデジタル腕時計があったのを思い出し、 「月日」を旧暦に合わせてみた。 「年」は入力せず、曜日は自分で合わせるタイプなので、 「月日」が旧暦でも曜日は正しく表示させることができる。
二月は 28 日までとして設計されているのでそこだけやや問題あり。 (旧暦二月 28 日のうちに三月 28 日にしておき、 三月 29 日が表示されてから「月」を二月に戻せばよい。 ただし、二月が 30 日まであるとこれを二度しなければならない。)
(余談だが、この腕時計は若いころ買ったものなので、 操作法を完全に覚えている。 最近買った機械はどうも操作法が完全には頭にはいらない。)
2003-11-30 (0) 18:40:12 +0900
「サイゼリヤでは、品質劣化を防ぐため、
ハウスワイン(赤・白)を冷蔵保管しています
」と書いてあった。
「それがどうした」とちょっと考えてしまったが、
常温で飲むのが普通である赤も冷たくなって出てくるので、
文句を言う客がいるのではあるまいか。
2003-11-30 (0) 18:28:21 +0900
前者はフランス語の ballet だろうから「バレ」が、 後者は英語の volley で「ヴォリ」が、最も近い発音のように思われる。
ということは、かなり昔に日本語にはいった?
前者は、長音をア行の文字で表わしていたころにはいってきた?
2003-11-30 (0) 18:24:27 +0900
NHKラジオ第一放送の、18時からのニュースの次の番組で、 ドイツにいる人に聞く直前に、 「日本との時差はマイナス8時間」と言っていた。
「時差」は「差」なのであくまでも絶対値のような気がする。 「日本から見てマイナス8時間」のような言い方ならわかるが……。
「A選手のB選手とのホームラン数の差はマイナス3本」とは言わないでしょ?
時差については特別にそのような言い方をする、 と決めるなら、もちろんそれで構わないのだが。
2003-11-30 (0) 18:16:42 +0900
ファミレス風の店に寄ったら、 若い男の二人連れがイスに座るなり靴のままあぐらをかいたので少々驚いた。 私の世代だと、 靴をあげてよいところといけないところがはっきりしているものだが、 最近は米国風になってきた、ということか。
2003-11-30 (0) 18:13:10 +0900
仕事についた場合の守秘義務、 仕事の上の上下関係。 (例えば、 一つ上の上司がいないが緊急を要する事態が発生した場合、 もう一つ上の上司に許可を求めて行動に出てよいか、 また、その場合、 一つ上の上司は不在だった部下に対し事後にどのような連絡などを行なうか、 などなど。)
こういうことは学校では習わないのだが、仕事についてみるときわめて大切だ。
又。 「なぜ人を殺すのはよくないか」を教えるのはむずかしいが、 「人を殺せば罰せられることになっている」と教えるのはむずかしくない。 事実の伝達に過ぎないからだ。
2003-11-30 (0) 18:07:22 +0900
29日づけ朝日新聞大阪本社版 be の b2 面、
米国マイクロソフトの古川享・副社長のインタビュー。
《上の世代は「権威を壊せ」と制服を廃止して私服に、と叫んだ。
でも僕らは制服でも私服でもいいから選べるようにしてほしいと戦った
》
とあるのだが、「制服でも私服でもいい」
となったら制服は制服としての意義を失うのではなかろうか。
と思ったが、デパートで制服と私服の店員が混在しているところもあるし、 私服警官なるものがいても警官の制服に意味がなくなったわけではない。
よってタイトルには「学校で」を入れてみたが、さらに考えよう。
付)
見出しには「選べないのは不自由。トロンと長所を生かしあう
」とある。
選べるようにするけれどマイクロソフトは“制服”であり続ける、ということか。
2003-11-30 (0) 01:56:25 +0900
「浄火」は漢和辞典にはそういう意味は出ていないが、 山川丙三郎訳の「神曲」は「地獄」「浄火」「天堂」となっているので、 「浄火」は「煉獄」の別の訳語であり、その由来は「浄める火」ではないか、と。
2003-11-30 (0) 01:47:06 +0900
本多勝一氏ではなかったかと思うのだが、 文章を書き慣れていない人たちが一生懸命に書いたといいたいときに決まって 「鉛筆なめなめ」を使うのはやめよう、と書かれているのを読んだ記憶がある。
鉛筆をなめながら書いている人は見たことがないので、 自分では使おうとも思わない表現だが、 しょっちゅう使われた時代もあったのだろう。
では、これにあたるパソコン時代の表現はなんだろう、ずっとと考えていた。 「キーを見ながら人差し指で打った」はどうだろうか、と思いついたが、 ほんとうにそうであって、そのことを伝えたいならそう書けばよい。 「鉛筆なめなめ」は本当になめたかどうか調べもせず、 みんなそう書くからそう書いていたのだろう。
そもそも、使い古された表現を自分で考え出そうとするのが無理か。
2003-11-30 (0) 01:40:30 +0900
鉄腕アトムは海水パンツをはいているように見えるがそうではなく、 ああいうふうにできているのである。 だから、掻くとしてもあの上から掻くしかないわけで、つらいだろうなと……。
2003-11-30 (0) 01:26:50 +0900
敵全体にダメージを与えることのできる最大呪文といえば、 Wizardry では tiltowait, ドラクエではイオナズンである。
tiltowait は核爆発を起こす呪文だ、と読んだことがある。 それでは放射能がでてしまうので、 爆発そのものは異次元世界で起こる、とした本も見たことがある。 (最初に tiltowait を核爆発と説明した人は、 実は本当の核爆発を知らないのであろう。)
ドラクエをしながらそんなことを考えていたら、 呪文をはね返す呪文マホカンタで、 どうしてイオナズンがはね返せるのか、不思議に思えてきた。 イオナズンも、空中で大爆発を起こす。 マホカンタは呪文ははね返すが、爆発をはね返す設定にはなっていない。 だから、 マホカンタをかけておいたキャラだけが敵のイオナズンのダメージをはね返す、 というのは理屈に合わない。 火の玉のメラ系、炎のギラ系、真空のバギ系、電撃のデイン系も同様である。
それに対し、 守備力をさげるルカニ系や、突然死を引きおこすザキ系の呪文は、 相手に直接はたらきかけるので、はね返しても不思議はない。 味方のかけるホイミ系回復呪文も同様である。
ゲームの約束だから、目くじらを立てることじゃないのだが。
2003-11-30 (0) 01:24:43 +0900
VI で、いろいろな種類のモンスターが同時に出ると、 なんだかおかしいことがある。 考えてみたら、 下から見上げたような絵のモンスターと、 上から見下ろしたような絵のモンスターが一緒に出るとおかしく感じるようだ。 また、「じゃしんぞう」「キラーデーモン」のように、 下から光があたってできる影が書き込まれているモンスターもある。 それがそうでないモンスターと一緒に出ると、やはり変だ。
敵モンスターのグラフィックデータを3Dとし、 それに戦闘が行なわれている場所などのデータを加味して表示したらどうだろうか。 同じ敵だが、この洞窟では下から光があたっているのでイメージが違う、 などということが起こって変化がつく。 こちらが呪文を唱えると影も変わる、というようにもできるだろう。 デイン系は上からくるので一瞬上から光があたった影ができるとか、 メダパニは回りを光源が回るとか。
2003-11-30 (0) 01:06:51 +0900
カナ漢字変換が出始めたころ、 「『辞書を育てる』とはなんという言い方か」と嘆いている人がいた。 無生物である辞書(実は「語彙集」にすぎなかったが)に対し、 生物に使われるべき「育てる」という語を使うとは、というのである。
その話が頭に残っていたので、ふと。
2003-11-30 (0) 01:02:41 +0900
だから、警官の制服が盗まれたりすると大変だ。
2003-11-30 (0) 00:59:10 +0900
「うつ病の地獄から云々」というような本のタイトルを新聞広告で見た。 仏教の地獄にはいろいろあるようだが、 責め苦は肉体に与えられるものばかりで、 「うつ病になってしまう地獄」というのはなかったような。
2003-11-30 (0) 00:57:51 +0900
ロールプレイングであの百人の中から仲間を選ぶとか、 格闘ゲームでポリゴンで登場するとか。
紫式部の特技が「雲隠れ」とか、 清少納言の特技が「鳥の空音」とか、 いろいろ考えてみた。
2003-11-30 (1) 00:54:55 +0900
そういう事件があったと思うが、 自動車は、そういうとき、ひいてしまうような走り方をしているのだろうか。 常に、「前の自動車がいまいる位置で突然とまってもその手前でとまれる」 ような走り方はしていない?
信号のない横断歩道上に前の自動車から人が落ちた場合は? 横断者にはならないか。
2003-11-30 (0) 00:47:58 +0900
どうせ本人は食べられはしないのだが、 タイを使うのがいまでは普通だろう。 しかし、当時はその余裕がなかったそうだ。
タイもエビも、子どものころはほとんど口にしたことがなかった。
2003-11-30 (0) 00:43:57 +0900
「より大きい」が比較級といえるかも知れないが、 「AはBよりは大きい」「BよりはAのほうが大きい」などのように、 「より」を離すこともできる。
「より早ければよりよい」は「早ければ早いほどよい」 といいかえることもできる。
2003-11-30 (1) 00:41:05 +0900
主人公はレベル 99 で職業はドラゴン、 カダブウがレベル 90 台で職業は盗賊、だったころのことである。 二匹で出る敵モンスターで、 カダブウが「せいけんづき」二発で一ターンのうちに倒せるのがいた。 しかし、主人公が「しっぷうづき」で一匹に先にダメージを入れておくと、 カダブウは「ビッグバン」「せいけんづき」という行動に出る。 最初に「ビッグバン」をするのは、 一匹倒したうえでもう一匹にダメージを入れられるので、 「せいけんづき」で一匹倒すだけよりもよい、と判断するためと思われる。
このため、主人公が「しっぷうづき」 をするとかえって MP を消費させてしまうことになる。
各自はベストの行動をするが、 「このターン内にあと誰が行動するか」 は考えていないようだ。
(将来、ドラクエ VI について全く忘れてしまった場合のための注: カダブウは一ターンに二度行動することができる。 「ビッグバン」は敵全てにダメージがはいるが、 それでこの敵にいれられるダメージは「せいけんづき」 でこの敵一匹にいれられるダメージには及ばないので、 「ビッグバン」だけで二匹を倒すことはできない。)
2003-11-30 (0) 00:32:57 +0900
ドラクエ IV から導入されたAI戦闘だが、 最初のうちモンスターの弱点を知らないようにふるまうオートにほかならない、 と聞いたことがある。 IV はファミコンだったのだから、しかたがないところだろう。
もしも、ユーザの性格を読み取ってAI戦闘が成長したら、 おもしろいのではないか。同じゲームでも、 別の人がプレイするとAIキャラも別の性格になるのである。 ユーザの性格は、AI戦闘時の主人公の行動、 マニュアル戦闘における命令から読み取れる。 どのモンスターを先に倒したがるかとか、 ヒットポイントがどのくらい下がってくると回復させようとするかとか。 現在の PC なら可能なのではないだろうか。
2003-11-30 (0) 00:24:26 +0900
ボールペンでインク残量が見えるものがあるが、 それでもインクがつまって途中で書けなくなることがある。
ほかには軸が透明なシャープペンシルがそうか。
2003-11-30 (0) 00:15:39 +0900
映画を見にいく気はないのだが気になる。
2003-11-30 (0) 00:12:37 +0900
tomate は女性名詞なので petit tomate ではなく petite tomate となるはず。 それとも和製仏語なのかな?
2003-11-30 (0) 00:08:28 +0900
鉛筆削りで、芯の先が尖るまで削れば、削り口は円錐形になる。 その頂角は、たいていの場合、鉛筆削りごとに決まっていて変えられない。
頂角が小さいほうが芯をたくさん削ってしまうのでもったいないと思っていたが、 芯の先が芯の半分の太さになったら削ると決めておけば、 頂角によらず十二分の一の芯を使うことになる。 (《エンピツをエンピツ削りで削ると芯のごく一部しか使えない (1998-05-19 (2) 00:09:51 +0900)》参照。)
鉛筆削りを使うが、芯の先が尖るまでは削らない、というやり方の場合、 同じ長さだけ芯を出して使いたいと思ったら、 頂角が小さいほうが、芯を削る量が少なくてすむ。
2003-11-30 (0) 00:05:31 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 23:25:43 +0900
JR千葉駅がΥ型になっているのを理解していなかった話は前に書いた。
先日、朝日新聞に地図帳の広告がはいっていたので見てみたら、 サンプルに房総半島が含まれていた。 南総里見八犬伝の舞台となる地域だが、 地図が全く頭にはいっていないのに気づいた。 臨海学校にも行ったのに。
2003-11-29 (6) 23:42:12 +0900
字音かなづかいでは「ラフソク」と書いて「ローソク」と読む。 だから、戦前には「ラフレシア」と書かれているのをみて「ローレシア」 と読んだ人がいても不思議はない。
「ラフレシア」は世界最大の花を咲かせると言われる植物名。 先週の「こち亀」に出てきたので思い出した話。
2003-11-29 (6) 23:32:58 +0900
有名な問題である。1/4 と答えると誤りで、12/51 = 4/17 が正解である。
二枚のカードのひき方は全部で 52*51 通りあるが、 そのうち二枚目がハートになるのは 51*13 通り。 そのうちで一枚目もハートであるのは 12*13 通りなので 12*13 / 51*13 = 12/51 = 4/17 となるのだが、 「一枚目を抜いたところで見たらハートだった。 これから抜く二枚目がハートである確率は」と問題を言い換え、 残り 51 枚のうち 12 枚がハートだから 12/51, としたのと同じ答えになるのは偶然ではない。
2003-11-29 (6) 17:29:42 +0900
むかし、大学受験のための勉強をしていたときのことだが、 どこかの大学で少し前に出た問題で、どうしてもわからないのがあった。 「次の二つの事象が独立になるような n の値を求めなさい」 というような問題であり、 二つの事象のうちの少なくとも片方は n によって決まる事象である。 しかし、意味を考えると、n をどう決めてもこれらの事象は独立とは思えないので、 どうしたらよいのか全くわからなかった。
それまでよく見かけていたのは、 「サイコロを二つ振る。 一度目が6である確率が 1/6, 二度目が6である確率も 1/6 で、 これらの事象は独立であるから 二度とも6の目が出る確率は 1/6 * 1/6 = 1/36」のような議論であった。 この場合、これら二つの事象が独立であることは意味のうえから明らかで、 それを使って二つの事象がともに起こる確率を簡便に求めているのである。 (本来のやり方は、「二つの目の出かたは全部で 6 * 6 = 36 通り。 それらは全て等確率で起こるので、二度とも6である確率は 1/36」 とするものであろう。)
しかし、 事象 A と B とが独立であることの定義は、 事象 A と事象 B とがともに起こる確率が事象 A の起こる確率と事象 B の起こる確率との積になっていること、である。 だから、意味を見て独立かどうか考えてもしかたがないのである。
最初の段落に書いた問題は正確には思い出せない。 そこで、似た趣旨の、より単純な例を自分で作ってみることにした。
こんどはうっかりすると独立に思えてしまう例。
2003-11-29 (6) 17:12:09 +0900
《朝日新聞>センター入試「数学」の正答の最上位は「1」が多い、という調査
(2003-11-18 (2) 02:11:32 +0900)》
への追加部分(2003-11-22 (6) 16:19:05 +0900 づけ)に、
『ぼんやりとあの記事を見て
「全く解けなくても、これを知って当てずっぽうに答えると半数が正解になる」
とカン違いした読者もいるかもしれない
』と書いた。
しかし、もし本当にそれで半数が正解になるなら、 3けたの空欄には「100」と答えても「101」と答えても 「102」と答えても……「199」と答えても、1/2 の確率で正解となる。 正解が複数ある場合を除けば、これはおかしい。 間違いだとすぐ気づくはずだ。
それで思い出したのが、 事件のある遺留品に血液が付着しており、 それがある人の血液である確率が九十何パーセントであると鑑定された、 という話である。 (これについて調べるため、 ちょっと前に、 殺人事件のサイトを調べていたのだった。)
しかし、そうだとすると、 同じ型の血液を持つ別人の血液である確率も九十何パーセントになり、 この二つの事象はほぼ背反だから、 「その二人のどちらかの血液である」という事象の確率は 1 を越えてしまう。
(「ほぼ背反」としたのは、 複数の人物の血液が付着した可能性を否定しきれないからである。 また、「同じ型の血液」と書いたが、 鑑定で調べたすべての検査項目において一致する血液、 という意味である。 血液型には、最もよく知られている 「A型B型AB型O型」の区別のほかに、いろいろな分類がある。 また、その血液型は「世界に一人しかいない」 というような血液型ではなかったはずである。)
私はそう考えたが、 実際には、 本質的には似たようなことを別の言い方で反論した人がいたらしい。 その反論に対し、誰かが“同じ血液型の人がいたとしても、 その日に出血していなければ関係ない” と再反論したと書いてあるのを読んだ記憶がある。 この議論が正しいとすると、 その血液型を持ったほかの人物はその日に出血していなかったことが、 この鑑定の結果だけからわかってしまうことになる! これはすごい!
付) インターネットで調べた結果、 うろ覚えだった事件名はほぼはっきりした。 この鑑定を含む裁判の結果については批判的に扱っているページが多かったが、 私が読んだような反論・再反論について書いてあるページは見当たらなかった。 そこで、ここでは事件名などは伏せることにした。
2003-11-29 (6) 16:15:26 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 23:28:03 +0900
どちらも -sault のようだ。
2003-11-29 (6) 01:30:13 +0900
濡れたから干す。
2003-11-29 (6) 00:40:48 +0900
……、LPで第4面にはいっていたという 「私はこの世に忘れられて」 「ほのかな香りを」 「真夜中に」が原タイトルで書かれている。 しかし、収録されていない。文句を言ってくる客はいなかったのかな。
日本ではポリドール株式会社から発売。POCL-9701. アルトを歌っているフェリアーが没後五十年で新聞に取り上げられていたので、 また聴いている。 なんか歌い方に癖があるような気がするのだが。
2003-11-27 (4) 22:53:16 +0900
《A5サイズの二穴バインダを購入 / ミスコピーなどを綴じてメモ帳にする (2003-10-31 (5) 02:40:07 +0900)》に、 プリントの余りなどを半分のA5サイズにしてとじて使っている、 と書いたが、なぜA5サイズにするのか書かなかった。
プリントは原則としてA4で作る。 よって、プリントの余りもA4である。 まず、それをA4のクリップボードにはさんでメモに使う。 しかし、半分も書かないところで、用件が終わってしまったり、 別の紙に書き直したくなったりすることがある。 その、少しだけ書いた紙は、 捨てて(=リサイクルして)しまうほうが効率的だろうが、 なんとなくもったいない。 そこで、半分に切る。こうしてA5サイズの紙ができるのである。
もう一つの理由もあった。 A4のまま裏を使うと、 「あれ、これは実は大事な書類だったのでは!?」 と気になることがある。 これを避けるため、「二つに折って穴をあけたのはいらない紙」 として区別すればいい、と考えたのである。 しかし、これは、別の方法できちっと区別すればよいことだ。
2003-11-27 (4) 22:45:52 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 23:30:41 +0900
書いたような気がするがみつからないので。
2003-11-27 (4) 22:23:30 +0900
いま「言った」と「行った」を手が間違え、あぜんとした。
カナ漢字変換を使い慣れることで、 「とりあえず打って後から漢字は直そう」 という感覚におちいるのではなかろうか。
Tコードの使い手の間でときどき言われるのは、 字体の似た漢字を間違える、というものである。 私の場合、「徒」と「従」を間違えたりする。
2003-11-27 (4) 22:15:30 +0900
順に「Help」「About...」 とクリックすると作者名などをごく簡単に表示するソフトウェアが多い。 そのことから、「About を見てごらん」と教えたりするが、 英語でも See the About. のように言ったりするのだろうか。
2003-11-27 (4) 19:20:44 +0900
本文ナシ
2003-11-27 (4) 19:09:18 +0900
バスの中で大学の教員らしい人たちのそばに座ったら、 「人間と機械の仲がよい」とか「悪い」とか話しているようだった。 もう少し間接的な表現だったかもしれない。
鉄腕アトムみたいに心を持った機械ができていて、 それと人間との仲の話かと思って、 最初は少し驚いた。
そのうち、名前に文字列「人間」「機械」を含む学科か何かがあり、 そのスタッフの仲の話をしているのだ、とわかった。
なーんだ。
2003-11-27 (4) 19:04:24 +0900
アナログ時計にも、液晶表示や、コンピュータ画面に表示したものがある。 これらは、本来の針式の時計と異なり、長針は 1 分に一度、 短針は 12 分に一度、動くことが多い。 さらに細かく言えば、 短針は毎時 00 分、12 分、24 分、36 分、48 分に動くことが多い。
(そうでないのも見た記憶がある。 00 分、10 分、20 分、40 分、50 分に動くのである。 ちょっと見ただけでは違いはほとんどわからない。)
そうだとすると、12 時間の間に長針と短針とが重なるのは 0 時 00 分、1 時 05 分、2 時 10 分、3 時 16 分、4 時 21 分、5 時 27 分、 6 時 32 分、7 時 38 分、8 時 43 分、9 時 49 分、10 時 54 分の十一回。
……と思ったら、11 時 59 分を忘れていた。 1 分後に長針短針とも動いて 12 時の位置でまた重なる。 これはちょっと意外だった。
次のような、推理小説のプロットを考えてみた。 「ある人が、11 時 50 分ごろ、幼い子に 『この時計の二つの針が重なったらこのスイッチを押すんだよ』 と言いつけておいた。 そうすれば 12 時にスイッチがはいって、目的のことが起こるはずだ。 ところが、その時計は液晶表示のアナログだったので、 子どもは 11 時 59 分にスイッチを押してしまった……」。
(押した結果起こるのが殺人事件だったりするのは物騒でいけない。 パーティーの席で噴水から水が吹き出す、なんてのを想像してほしい。 頼んだ人は 12 時までに予定の席につくはずだったが、 1 分早く水が出たのでびしょぬれに……。)
付) 短針が動くのは毎時 06 分、18 分、30 分、42 分、54 分、 とすることも考えられる。 というか、このほうが普通の針式時計の動きに近い。 これだと、 0 時 00 分、1 時 05 分、1 時 06 分、2 時 11 分、3 時 16 分、4 時 22 分、 5 時 27 分、6 時 33 分、7 時 38 分、8 時 44 分、9 時 49 分、10 時 54 分 の十二回。
短針が動く時刻は 00 分と 30 分を結ぶ線に関して対称のように見えるが、 重なる時刻はそうでない。 短針がある位置にある間に長針は十二通りの位置をさすので、 (例えば)00 分を中心に手前に六つ、先に五つ(←これが上の場合)となるか、 手前に五つ、先に六つとなるか、どちらかにずれるのである。
2003-11-26 (3) 02:59:39 +0900
上で例えば「7 時 38 分」と書いたのは、 7 時 38 分ちょうどから 7 時 39 分ちょうどまでの一分間のことである。 その一分間、長針が 38 分の位置をさしていてよいのか、という疑問は残る。 38 分の位置をさすのは 37 分 30 秒から 38 分 30 秒まで、とする案もあろう。 その場合、短針は、 例えば 12 時の位置をさすのは 11 時 54 分 00 秒から 0 時 06 分 00 秒までの 12 分間、とするのが自然である。
もしもこうすると、 短針が動くのは秒のけたが 00 のとき、 長針が動くのは秒のけたが 30 のとき、とずれが生じる。
この表示で、長針と短針とが重なる時間を求めてみよう。
二番目と三番目の間は、ちょっと奇妙である。 01 時 05 分 30 秒になると長針が 06 分の位置に動くので、 二つの針は重ならなくなる。 しかし、06 分 00 秒になると、短針が 06 分の位置に動いて、 再び重なるのである。 短針が長針に追いつくのは、普通の時計ではありえないことである。 同じ現象が、あと三回、起きている。
実際の時計で針が重なる現象は、12 時間に 11 回、等しい間隔で起こる。 よって、その時刻は次のようになる。
最初に書いた、一番よく見かけるタイプでは、 上の 11 の時刻には二つの針が重なっている。 今回書いたのも同様である。 全て、(30 秒でなく)1 分間、 針が重なり続けるところにあたることに注意。
上で「付」として書いたのは、 この意味ではかえって改悪になっている。 つまり、本当に針が重なる時刻に重なっていない場合がある。 ただし、上の 11 の時刻の分未満を“四捨五入”すれば、 かなり合っているとも言える。
では、完全に前提を変えて、 長針がさすべき位置は一周に 60 だが短針は 48 とし、 かつ、長針と短針とが絶対に重ならないようにしたらどうか。 次は、0 時と 1 時の間の目盛りをまっすぐにのばして書いてみたものである。 大カッコの中の数は分を表わしている。 長針はここをさしながら動いてゆく。
[00] [01] [02] [03] [04] [05] (??) (??) (??) (??)小カッコが、短針のさす位置である。 12 時間に 48 回動くから 1 時間に 4 回。よって 15 分ごとに動くことになる。 すると、短針がそれぞれの場所を指すのは 00 分から 15 分、 15 分から 30 分、 30 分から 45 分、 45 分から 00 分となる。
長針が動くのは秒のけたが 00 のときと決めると、
長針が動くのは秒のけたが 30 のときとしてみると、
ほかにも、まだまだバリエーションが考えられそうだ。 上で長針と短針の刻みを変えたのは針が絶対に重ならないようにするためだったが、 ここには私の思い込みによる間違いがあった。 そうしなくても、重ならないようにできるのだった。
本当にきちんとやりたかったら、一周を 60 と 11 の最小公倍数である 660 に等分すべきかもしれない。 これだと長針は 5+5/11 秒ごとに動くことになる。 機会を改めて考えてみよう。
2003-11-27 (4) 19:39:50 +0900
Wiz の呪文のダメージは、 味方が敵に唱えても敵が味方に唱えても同じである。 しかし、ドラクエは、 たとえば VI では味方のメラゾーマは 190 ポイントほどなのに対し、 敵のは 128 ポイントほどと、差が設けられている。 味方は全員メラ耐性があると考えることもできるが、 そうではあるまい。
敵は一戦ごとに別グループが出てくるが、 こちらは次々と続けて戦う。 Wiz は敵味方同等のため、 出てくる敵よりもかなり強くならないと先へ進みづらくなっている。
ドラクエは、 差を設けておきながらそれをあまり感じさせず、 プレイヤーを楽しませてくれているのである。
(このおまけはいつからついているのだろう? I にはなかったような。)
2003-11-26 (3) 02:43:38 +0900
Wizardry では敵も「レベル3までの魔術師の呪文を使う」 のように設定されているところからふと思いついた。 ドラクエ VI では味方は職業につくが、 敵モンスターは職業についているのだろうか? もしついていたら、
メタルキングなどに呪文がきかないのは、 モンスターの属性としてそう書き込んであるからで、 職業としてのはぐれメタルを極めているからではないだろう。
2003-11-26 (3) 02:38:05 +0900
※ 小6のときの机運びが強制労働のように過酷なものだった、 という話ではありません。
囚人に過酷な労働をさせ、 道路を作らせたり、トンネルを掘らせたりすることがある。 それでも、意味のある仕事をさせるのはまだましだそうだ。 ある場所に積み上げられた岩石を別の場所に運ばせる。 それが済むと元の場所に戻させる。 これをくり返していると、たちまち囚人たちは発狂するという。
この話を読んだか聞いたかしたのは、 大学を出てかなり経ってからのように思う。 そのとき、ふと、十何年かぶりに思い出したのは、 小学校6年の修学旅行の直前に、 「男子は机運びをしてもらう」 と言われてある場所から別の場所へ机を運ばされたことだ。 次の時間に校庭を見ていたら、隣の組の男子が、 私たちが運んだ机を元の場所に戻していた。 小6の私は「あれ? せっかく運んだのに、なんで元に戻しているんだ?」 と思っただけだったが、 そのときには、「ああ、そうだったのか!」と大きくうなづいたのであった。
ふとしたことがきっかけで、うんと昔のことを思い出すことがあるものである。
2003-11-25 (2) 19:21:15 +0900
「ああ、そうだったのか!」というのは、 女子がそのあいだ何をしていたのかがわかった、という意味である。
2003-11-27 (4) 22:40:34 +0900
きのうの夜(厳密にはけさ未明)、 インターネットで調べものをしていたら、 「無限回廊 endless loop」というページを見つけてしまい、 4時すぎまで読んでしまった。 トップページの“リンク規定”がちょっとしゃれている。 (刑法の文体のマネ?)
そのため、 24 日未明に書いてありながらアップロードできなかったものができてしまった。
2003-11-24 (1) 23:24:45 +0900
また続きを読んでいる。 読み出すと止まらないのでこのへんで一度アップロードしよう。
2003-11-25 (2) 02:56:07 +0900
上記サイト名の前後にかぎカッコをつけ加えました。そのほうが見やすいので。
上記サイトは、「about」にも書いてあるように、 写真やイラストは置いてありません。 その点では安心して読めますが、 書かれている内容のため暗澹たる気分になる可能性が高いと思われます……。
2003-11-25 (2) 22:06:12 +0900
今月は
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30のように、6週ある。
こういう月は多くないので、一カ月5週と決めてあるカレンダーがある。
その場合、日本では 23 日のところを対角線で二つに割り、 そこに 30 日をも押し込んでしまうことが多かった。 だが、これだと見間違いも生じるし、メモのスペースが半分になってしまう。
確か米国製のカレンダーだと思うが、
30 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29となっているのを見たことがある。1週目が空いているのを利用し、 そこにいれてあるのである。 (その意味がわからなくてか、わかったうえでかは知らないが、
と修正して貼ってあった。 この 27 から 31 までは、前の月の日付である。)3027 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
では、
2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30としたらどうか。1 日は、前の月にいれるのである。 よって、前の月のカレンダーは
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1となる。 月末の日付を翌月に回すのは、 そこで月が終わっているとカン違いするおそれがあるのに対し、 月初めの日付を前の月にいれるやり方には、その心配がない。 月が 2 日から始まることはないからである。
6週分とっておけば何の問題もないのだが。
2003-11-24 (1) 23:01:20 +0900
もうかなり昔のことになるが、 あるとき、31 日締め切りの大事な提出物があった。 その月のカレンダーは次のようになっていた。 普通に並べると6週分になるので、 昔よくあったように、23 日と 30 日、 24 日と 31 日はほかの一日分のスペースを斜めに割って共有することで、 全体を5週分に押し込んであったのである。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23/30 24/31 25 26 27 28 29
確か 22 日の土曜日のことだった。 お風呂上がりにこのカレンダーを見て、翌々日が締め切りとカン違いし、 血の気がひいた記憶がある。 それ以来、このタイプのカレンダーは大嫌いになってしまった。
あのころの気力がまた出せるとよいのだが。
2003-11-24 (1) 22:49:45 +0900