「いただく」という動詞と結びつけて考えてしまったからだろう。
2009-09-13 (0) 00:25:38 +0900
「お天気しらべ」とかを想像してしまったのである。
2009-09-13 (0) 00:24:19 +0900
12日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面に記事がでていたので。 1986 年だったか。
一つ一つの場面そのものはおもしろい、と感じた。 ただ、これはあとから新聞に出た批評を読んではっきりわかったことだが、 全体としてはつじつまがあっていない部分がある。
たとえば、どういうつもりでクマソを退治に行ったのか。 歌舞伎というのは、 全体としては荒唐無稽でも構わないから、 場面ごとのおもしろさがあればいい、という側面がある。 よって、たとえば、クマソ退治の場面だけを取り出して、 「こいつは何者なのかよくわからないが、 ヤマトタケルという英雄が女に化けて侵入し、 大暴れしてクマソを退治する」という一幕物にし、 彼が現代の視点で見て善なのか悪なのかはわからないまま、 というのなら、見てすかっとする、おもしろいものになっただろう。
オトタチバナヒメの入水のシーンもよかったな。
2009-09-13 (0) 00:11:36 +0900
アナキンは I と III で戦闘機をスピンさせるが、 その回転の向きと同じ右回りなのである。 それだけ。
2009-09-12 (6) 19:18:42 +0900
…だったと思う。冒頭の議長救出作戦の中でのライトセーバー戦。 オビ=ワンをフォースで叩き付け失神させた直後は、 オビ=ワンの上に物を落とすのではなく、 アナキンに対しフォースか電撃で攻撃するなどしたほうが、 よかったのではあるまいか。
議長から、事前に何か指示があったのか。
2009-09-12 (6) 19:16:55 +0900
あるいは、本当に議長を人質に取っているように見せかけているなら、 あそこでオビ=ワンを気絶させたあと、 アナキンに対して「武器を捨てないと議長に電撃を浴びせる」 などと脅すことも可能だったはず。
2009-10-06 (2) 20:20:10 +0900
冒頭の議長救出作戦。 戦闘態勢にはいるとき両翼の端が開くが、 あのままでは敵艦内に着陸できない。 どこで閉じたのだろう、と注意して見ていたら、 アナキン機が翼を閉じるのは、 翼を使ってオビ=ワン機のバズ・ドロイドを倒そうとするときである。 そりゃそうだな。開いていてはできないから。
オビ=ワン機はいつのまにか閉じている。
2009-09-12 (6) 18:59:22 +0900
I でクワイ=ガンとオビ=ワンが雑魚ドロイドを相手にしていたシーンや、 III 冒頭でオビ=ワンとアナキンが雑魚ドロイドを相手にするシーンと比べると、 III でヨーダとオビ=ワンがジェダイ神殿に侵入しようとクローン兵を相手にするときのほうが、 苦労しているように見える。
だから、たぶん、クローン兵のほうが強いんだろう。 でも、クローン兵と雑魚ドロイドが戦うシーンはなかったよな。
2009-09-12 (6) 18:53:22 +0900
確かに地球は多くの生物にとって住みやすいが、 宇宙人にとってもそうだとは限らない。 地球人がイオに調査隊を送り込んだら、 そこを植民地化しようとしていた宇宙人と鉢合わせ、なんてことはないのかな。
2009-09-12 (6) 18:48:50 +0900
5月21日木曜日づけ大阪本社版スポーツ面。「19日の試合」として、 ソフトバンク対阪神の試合の、個人記録だけが載っている。 どちらが勝ったのかすら、書いてない。 投手の欄を見ると、どちらにも勝ち投手・負け投手の印がないので、 引き分けだったのだろうと見当はつくが。
で、前日の新聞を見てみると、個人記録は先発メンバーの名だけ。 しかし、記事には引き分けたと書いてあった。 記事は間に合ったが、個人記録だけが間に合わなかった、ということか。 これは珍しいのかも。
2009-09-12 (6) 01:40:06 +0900
11日金曜日づけ大阪本社版生活面。
ケースワーカーに関する記事で、
《自治体のケースワーカー(CW)の
》として
「CW」という略語を導入し、以下、十数回、使っている。
そのことは悪くないと思う。
が、この略語は、この記事の中だけで使う、仮に作った略語なのか、
それとも、われわれが覚えておくことが望ましい、一種の新語なのか、
それがはっきりしない。
いま思いついた。ここだけの略語の場合、 「ケースワーカー(以下「CW」)」と書けばよい。 対談を記事にする場合、発言者名を 「長谷川(以下「長」)」などと書くのと同じである。
付)私は、この「CW」は一般には使われていない略語だと思う。 ここだけのものか、あるいは業界内だけで使われているところの。
2009-09-12 (6) 01:32:51 +0900
「長谷川(以下「長」)」という姓を選んだのは、
どこかで見たような記憶があったからだが、
それは、朝日新聞の「ホンネ de シネマ」
によく登場する長谷川千尋さんが
《長谷川(以下、長)
》と書かれているのであった。
12日土曜日づけ大阪本社版にもあり。
「ホンネ de シネマ」は 《「善きサマリア人」に登場するのは司祭ではなく祭司のはず》 でとりあげた。
2009-09-13 (0) 01:02:57 +0900
12日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b4 面、
be report では《ベーシック・インカム(以下BIと略)
》としている。
2009-09-15 (2) 01:56:50 +0900
いわゆる団子レース状態になった場合、からむのは多くて3チームまでだろう。 以前のように一位を争うなら、一位から三位までが団子レースで、納得できる。 いまは三位までに食い込めればクライマックスシリーズに参加できるから、 三位から五位までが団子レース、ということもある。 勝率五割未満で争うってのは、なんかむなしい。
昔なら「Aクラス争い」と言われたものだ。
2009-09-11 (5) 21:15:46 +0900
当時のユダヤ人に、 大地が球形であることは知られていなかったのでは? 文語訳も「地球」、 新共同訳は「地」。 欽定訳の「the circle of the earth」って何?
2009-09-11 (5) 20:57:51 +0900
旧版では「天の父は」でページがかわる。そこには読点はない。
「悪しき者のうへにも」の次には読点がある。
つまり、《天の父はその日を悪しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ
》。
新版では「天の父は」の次に読点があり、
「悪しき者のうへにも」の次には読点がない。
つまり、《天の父は、その日を悪しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ
》。
前項を書かなければ、気づかなかっただろう。どうなっているんだ?
2009-09-11 (5) 20:53:25 +0900
《天の父はその日を悪しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ
》
とある。
頭から読んでゆくと、「その日」の「日」が
day / jour / Tag / dies / ημερα
の意味なのか、
sun / soleil / Sonne / sol / ηλιος
の意味なのかわからない。「昇らせ」まできてようやくわかる。
2009-09-11 (5) 20:40:11 +0900
ケロニアの死体は、 近所の主婦たちがたきつけに便利といって持って行くんだったっけ?
2009-09-11 (5) 19:46:56 +0900
「ウルトラQ」の(放送)第一話のエンディングを思い出して。 単に埋葬されてしまうことはあり得ないよな。
2009-09-11 (5) 19:42:30 +0900
…を混ぜて使っている。
5月20日水曜日づけ大阪本社版社会面の、頼近美津子さんの訃報記事で。
《本名鹿内キャサリーン美津子〈しかない・きゃさりーん・みつこ〉さん
》
と。
長音符はカタカナとだけ組み合わせて使われる、という説もある。
2009-09-11 (5) 01:56:22 +0900
5月20日水曜日づけ大阪本社版「声」の、小学生の投書。
《大阪市福島区 9
》と、住所と年齢の間が二文字分空いている。
ふつうは一文字分しか空けない。年齢が一ケタであることで、バグった?
2009-09-11 (5) 01:52:33 +0900
5月20日水曜日づけ大阪本社版社説「裁判員スタート 新しい司法を国民の手で」。
国家の権力を形作る立法、行政、司法の3種のうち、 立法権と行政権は、 国政選挙と、 その結果にもとづく議院内閣制のもとで、 国民の意思が反映される仕組みを培ってきた。
なのにひとり司法だけが、人々の手の届かない存在となってきた。 法定での判決は一貫して、裁判官というプロの法律家が担ってきたのである。
最高裁判所の裁判官は内閣が指名すること、 最高裁判所の裁判官には国民審査があること、を忘れていないか?
2009-09-11 (5) 01:44:03 +0900
5月20日水曜日づけ大阪本社版「天声人語」。
《甘、酸、塩、苦と並ぶ五つ目の味「umami」
が日本で見つかったため、「judo」「manga」
のような国際語になった
》。
ここで言っているのは、これらの日本語の単語が、 多くの外国語の中でそのままの形で使われている、ということだ。 それを「国際語」とは呼ばないと思う。
広辞苑第六版によれば、国際語とは、エスペラントのような人工言語と、 多くの国で使われている自然言語のことである。
2009-09-11 (5) 01:38:19 +0900
《東京メトロ半蔵門線は外苑前駅を通っているのだろうか?》 に関連して、実地調査をしてきた。
新幹線で東京駅につき、 あるいて半蔵門線の大手町駅へ。 ここで駅員さんに質問したら、「表参道まで行って戻るのも自由です」との答え。
青山一丁目駅で銀座線に乗り換えて、外苑前駅へ。 ここで駅員さんに質問したら、「できればしてほしくないが、自動改札機は通れます」 との答えだった。
そのまま表参道駅まで乗り、同じホーム向かい側の半蔵門線に乗り換えて、渋谷駅へ。 半蔵門線の渋谷駅だと、改札を通らずに、副都心線の渋谷駅に行けるのだ。 聞いてはいたが、2面4線のホームがすでにできており、 線路も敷かれているが、使用しているのは外側の2線のみ。 内側の2線には架線がなかった。 二つのホームの間には、何箇所か、通路が橋のようにかかっている。 最も明治神宮前駅よりも“橋”になっており、 そこから明治神宮前駅方面を見ると、電車がやってくるのが見える。 もしもポイント操作を誤ると、内側の2線に進入してきて、 自分にぶつかるんじゃないかと思ったりもしたが、そういうことは絶対にあるまい。
急行に乗り、次の停車駅、新宿三丁目駅で降りた。
2009-09-11 (5) 00:29:37 +0900
九月 21 日が「敬老の日」、九月 23 日が「秋分の日」なので。
2009-09-10 (4) 23:35:42 +0900
《「書き下ろし」を「柿おろし」と誤解しているやつはいないか》 と合わせるとよりおもしろい(かも)。
2009-09-10 (4) 21:58:39 +0900
聞いたらすぐに復習して、テキストは捨ててしまえばすっきりするのだが、 少し前からためてある。 そのため、Daily Quiz がこの三年間でどう変わってきたかが、わかるのだ。
2007 年度の「ビジネス英会話」は
《例文の構文は換えずに、(a)、(b) のフレーズをどこかに入れ替え、
文を変化させてみましょう。正解を読みますから、後に続いて言ってください
》。
これはなかなかむずかしかった。
入れ換えるべきフレーズが読まれたあとと、
正解が読まれたあととに、音声がない時間があるのだが、
その間にリピートしようとすると、
ネイティブのゲストとほぼ同じスピードで発音せねばならなかったからである。
2008 年度の「実践ビジネス英語」は
《次の各文の (blank) には、
今回のビニェットに出てきた語句が入ります。
空いているところに、内容にあった語句を書き入れ、文を完成させてください
》。
これは、気がつけば簡単だった。
左側のページの Words and Phrases に答えが載っていることもよくあったし。
そして、きのうから聞き始めた 2009 年度の「実践ビジネス英語」は
《問題文の構文は変えずに、語句を入れ替える練習です。
(a) と (b) の語句を、必要な場合は変化させて、入れ替えてみましょう。
そのあと正解を読みますから、続いて言ってみてください
》。
一昨年度の形式に戻ったわけだ。
なお、上に引用した文だけからは若干わかりにくいかもしれないが、 2007 年度、2009 年度の問題は、 例文のどこかを (a) で置き換えて言ってみる、 続いて、例文のどこかを (b) で置き換えて言ってみる、 という練習である。 また、私が記憶している限りでは常に、 (a) で置き替える部分と (b) で置き替える部分との、元の文の中での位置関係は、 前者が後者よりも前、であった。
なお、担当は、すべて杉田敏先生である。
2009-09-10 (4) 20:17:41 +0900
範囲指定しようとし、 対象となる部分が反転したところでボタンから手を離すと、 反転が消えてしまう。
けさ未明、 この「いろいろ」の画面からプログラムを切り抜いて動かそうとして、 これで結局あきらめ、 ソースからコピーして、いつもとは逆に、 「<」「>」「"」「&」の四つを 「<」「>」「"」「&」に置換した。
この「いろいろ」のタイムスタンプは、 現在時刻をしかるべきフォーマットで出力する DOS 上のプログラムの出力をコピーしているが、 いま、そこでも同じような症状が出た。 こんどは落ち着いて、理由を考えてみた。 離した瞬間に、一度以上、押しては離した、と みなされる信号が本体に送られるのはなかろうか。 そうすれば、 最後の押してから離すまでの間にドラッグした部分しか範囲指定されなくなり、 事実上、何も範囲指定されなくなって、けさの症状の説明がつく。
説明がついたからといってどうなるものでもない。 だいぶ使っているので、ボタンがへたっているのではと思われる。 早く全ファイルを取り出して新しいマシンに移ればよいのだ。
2009-09-10 (4) 19:56:37 +0900
2009-09-10 (4) 02:29:51 +0900
9日水曜日づけ大阪本社版社会面、
「阿修羅 実は厳しい顔」。「原型、X線で復元」という見出しもある。
その記事本文に
《阿修羅像の代名詞となっている憂いを帯びた表情
》
とある。
「阿修羅像は日本の仏像の代名詞」というような言い方はある。 代表例、というぐらいの意味である。 それともまた違うので、興味深い。 「特徴」「チャームポイント」ぐらいの意味か。
《編集委員・中村俊介
》と署名あり。
2009-09-10 (4) 02:15:03 +0900
9日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面、 高階秀爾氏の「美の季想」は「異国で見る月」。
夏は夜。月のころはさらなり
「枕草子」の冒頭の段、 春のあけぼの、 秋の夕暮れのゆるやかに移り変わる自然の情景の印象深い描写とは対照的に、 夏の夜の奥深い闇と、 そしてその闇を照らし出す冴(さ)えざえとした月光の冷たい輝きを、 歯切れのよい簡潔な文体でさっと切り取った一句の魅力は、 それはそれでまた忘れ難い。
もっとも、清少納言の時代の夏は、 今の暦とは多少ずれている。 現在8月と言えば夏の真っ最中だが、 旧暦ではすでに秋である。 8月十五夜の月は中秋の名月ということになる。
冒頭から途中までを引用した。 高階氏は、清少納言のいう夏を、 いまで言ういつごろと考えておられるのだろうか? 普通に読むと、 いまと同じ八月、ただし旧暦の、と考えておられるように読める。 よって、中秋の名月も夏であり、 「月のころはさらなり」というのはそのころを指している、と。
だが、そうではあり得ない。 天文学上の夏は立夏から立秋の前日までで、これは暦に依存しない概念である。 (「日」をどう定義するかには依存するが。)
一方、旧暦の四月、五月、六月を「夏」と呼ぶ習慣もあった。 新暦でいうと、この期間は平均すればほぼ天文学上の夏と一致するが、 年によって、最大で半月ほど、前後にずれる。
立秋は新暦の八月7日ごろだから、 それ以降の猛暑の期間も、天文学上は秋である。
上の引用部分の次は
《秋の月見行事だけにかぎらず
》とある。
これは現在のことを言っているのか、それとも、
中秋の名月は今も昔も秋だと理解しておられるのか。
最初の引用部分の、「旧暦ではすでに秋である」を、 (立秋以降は)天文学上はすでに秋であると解釈し、 だから清少納言はそれより前のことを言っているのだ、と読むことは可能で、 それなら正しいか。だが、そう読むと、 「8月十五夜の月は中秋の名月」はそこまでとは無関係の、 秋の話にとぶことになり、なんだか変である。
2009-09-10 (4) 01:46:42 +0900
5月19日火曜日づけ大阪本社版「検証 昭和報道」の 32 回目、 「満州某重大事件」の 2 回目。
《日本新聞記者等にまでけん銃をつきつけ
》とある。
混ぜ書きは戦後、漢字制限が始まってから始まったのだと思っていたが、
そうではないようだ。
同じ記事で、
前のほうに「顰(ひそ)めた」などとふりがなつきの漢字が見えるので、
引用にあたって「けん銃」と混ぜ書きにしたのではないと思われる。
2009-09-10 (4) 01:41:59 +0900
5月19日火曜日づけ大阪本社版「検証 昭和報道」の 32 回目、 「満州某重大事件」の 2 回目。
歴史的かなづかいによる引用が続く中に
《(うわさも聞いたが)
それは皆日本人として耳にするに忍びないものばかりであつた
》
とある。「あつた」の「つ」が小書きでないことから、
これも歴史的かなづかいである。
カッコの中はおそらく記者による補足だろう。
「うわさ」の歴史的かなづかいは「うはさ」なので、
これは現代かなづかいなのである。
ちょっと紛らわしくないか? 西洋語で、 古いつづり字のものを引用する場合は、こういうとき、どうする?
2009-09-10 (4) 01:36:22 +0900
comedic は「喜劇の、おかしな」の意。
2009-09-10 (4) 01:32:38 +0900
かなで書けば「うわずみ」「うわづみ」と異なるが、 ローマ字で書けば同じだ。 (日本式ローマ字では uwazumi, uwadumi と書き分ける。)
《「上澄み」は「うわずみ」、「下積み」は「したづみ」》 を書いたときには、「上積み」には気づいていなかったか。
2009-09-10 (4) 01:28:11 +0900
その箇所に、断り書きを入れるのはやめた。 単なる書き間違いなので。
2009-09-09 (3) 22:04:21 +0900
II のアリーナで、落とした剣を引き寄せ、ジャンゴを倒したところはそうだ。 ほかには? 彼だったら、雑魚ドロイドではない、 戦闘用のもっと強いドロイドでも跳ね飛ばせそうな気がするが。
2009-09-09 (3) 21:50:53 +0900
水曜日、木曜日、金葉日の、週三日の放送。 カセットテープに録音して、遅れて聞いているのだった。
2009 年三月は
Su Mo Tu We Th Fr Sa 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 MAR 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31となっていたので四週とれるはずなのに、 第一週と第二週で Lesson 11 を放送し、 Lesson 12 は第三週の三回のみ。 第四週には、十一月、十二月、一月から一つずつレッスンを選び、 その最終回(=第六回め)の再放送だった。 なぜ、第三週と第四週とにわたって放送するように Lesson 12 を作成しなかったのかは不明。
さあ、2009 年度分に進もう。
2009-09-09 (3) 21:36:23 +0900
いま、出先で一番簡単に記録をとるときは、 胸ポケットにさしてあるメモ用紙に書く。 先日、少し前の分をパソコンに打ち込もうとしたら、 「月」(=月曜日)とだけ書いてあって、いつだかわからないものがあった。 たいした情報ではなかったので、捨ててしまったが。 これではいかん。
朝、このメモ用紙を胸ポケットに入れるときに、日付を書き込めばいいんだ。
2009-09-09 (3) 21:06:05 +0900
いまだに予定表はファイロファックスのダイアリーを使っているが、 一年分を持ち歩くと重い。 職場の前期(四月〜七月)には前期分だけを持ち歩いていたが、 八月になっても、なんとなくおっくうで、そのままになっていた。
では、八月以降はどうしていたかというと、 以前から集計用のリフィルを転用していたので、それをそのまま利用していた。 このリフィルは、おもてが一月から六月、裏が七月から十二月で、 日が行、月が列となっている。 つまり、31 × 6 の行列状になっており、 列の見出しは January, February, ... と月の名前、 行の見出しは 1, 2, ..., 31, T と日付である。 (T は total と思われる。これがあるから、厳密には縦は 32 行である。)
このリフィルは、一日あたりの記入欄はおよそ縦 4.5mm, 横 12.5mm と小さいが、 一枚に一年分が収まるのが便利で、 未来の数年分をバインダにとじこんで、予定表にしていたのだった。 日本数学会は二三年先までの年会・秋季総合分科会の予定を発表しているが、 それらを書き込んでおくのに便利であった。
八月分はほぼまるまる、これで済ましてしまったので、 2009 年用の、一週間2ページのダイアリーは使わなかったことになる。 なんて不精だったんだ。
この「一年一枚」のリフィル、手持ちのがつきたようだ。 新しいのを買わねばなるまい。あるいは自作する?
付)いまよく見てみたら、January は幅が 13mm 以上あるのに対し、 それ以外の月は 13mm 未満である。 そう思ってみると、目で見てもはっきり違いがわかる。 結構、いい加減に作っていたんだなあ。 型番だろうか、©1987 fikofax Ref.361 とある。
付)こんな感じです。裏面は省略。
January | February | March | April | May | June | |
1 | 々々々々 | 々々々々 | 々々々々 | 々々々々 | 々々々々 | 々々々々 |
2 | ||||||
3 | ||||||
4 | ||||||
5 | ||||||
6 | ||||||
7 | ||||||
8 | ||||||
9 | ||||||
10 | ||||||
11 | ||||||
12 | ||||||
13 | ||||||
14 | ||||||
15 | ||||||
16 | ||||||
17 | ||||||
18 | ||||||
19 | ||||||
20 | ||||||
21 | ||||||
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23 | ||||||
24 | ||||||
25 | ||||||
26 | ||||||
27 | ||||||
28 | ||||||
29 | ||||||
30 | ||||||
31 | ||||||
T |
2009-09-09 (3) 20:26:18 +0900
私の出身小学校には運動会の歌があった。 その中に、「赤勝て、白勝て」という箇所があり、 そこを歌うときは、 赤組は「赤勝て」だけを、 白組は「白勝て」だけを、大声でどなるのだった。
運動会は、紅白対抗が唯一の形式とは限らない。 いまでも紅白対抗でやっているのかしらん?
2009-09-09 (3) 19:22:08 +0900
作者の長谷川町子氏がクリスチャンだったことは有名である。 一方、「魚」はギリシア語では ιχθυς とつづられ、その初めの二文字 ι, χ はイエス・キリストの頭文字と一致し、 キリスト教が弾圧された時代に魚をもってイエス・キリストを暗示させたとも聞く。 何か関係はないのだろうか?
同じことを 《サザエさんの主題歌とルカ福音書「七十二人の派遣」》 でも書いていたか。
付)ς と書いて語末のシグマが出ることは最近知った。 これからはこの書き方で行こう。
2009-09-09 (3) 19:06:34 +0900
たとえば、アヲハタのジャム。
《開栓後は必ず冷蔵庫(10℃以下)に入れてください
》
と書いてある。
こう書いてあると、普通の人は、常温で保存し、開けてから冷蔵庫に入れるだろう。
でも、それでは、冷えるまでの間、腐敗などが進むのでは?
10℃以下に冷やしてから開けるほうが正しくはないか?
ところで、《開栓後要冷蔵
》とも書いてあるが、
これは正しい中国語だろうか?
2009-09-09 (3) 18:57:57 +0900
…言ったりはしないんだよな。 海苔(のり)もワカメも海藻だが。
2009-09-09 (3) 18:40:20 +0900
前項でとりあげた三菱鉛筆のシャープペンシル「クルトガ」。
台紙の「ご注意」に、
《替芯は、0.5mmの三菱鉛筆製ユニ芯、又はハイユニ芯とご指定下さい
》
とあるが、他社製品が使えないかのような書き方をして、
よいのだろうか? 昔はよく見たが、最近はないと思っていた。
一方、《替消しゴムは、シャープ消しゴムSとご指定下さい
》
で、メーカー名が書かれていない。
私自身は、国産ならハイユニの芯を買うが、ドイツ製を買うこともある。
2009-09-09 (3) 02:14:25 +0900
むかし見たのは、ソニーのラジカセで、テープもソニーを使え、 と書いてあったような記憶が。 カセットテープに関しては、劣悪なテープを使われると、 からまったりしてトラブルになるから、 意味がなくはなかったのだが。
2009-09-09 (3) 18:55:04 +0900
8日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「ニッポン人脈記」の 「街のエジソンたち」の5回目で知った。 日本の人口を考えれば、すごい売れゆきではないか?
《三菱鉛筆から、芯が回転し続けるシャープペンシル「クルトガ」が出たが》、 《いまの問題清書の際、三菱鉛筆のクルトガを初めて使ってみた》 参照。
2009-09-09 (3) 02:07:26 +0900
新聞で、「10年度予算」などの表現を見るようになった。 いままで、西暦なのか平成なのか迷いそうになることはなかったのに、 と思って、しばらく考えてしまったが、 「平成 9 年」が「09 年」と書かれることは絶対にないからだった。
2009-09-09 (3) 02:04:55 +0900
アブサロムがそうやって木の枝にひっかかって死んだとされるから。 サムエル記下 18,9- を参照。なお、 《アブサロムの頭が枝にひっかかったのは髪の毛が多かったからじゃない?》 も参照。
2009-09-09 (3) 01:52:55 +0900
地方大会で両チームの投手ともストライクがはいらず四球の連続、 なんて試合だとあるかも知れないが、 全国大会で。 松井秀喜が全打席四球で歩かされて負けた例があるから、皆無ではない。 《野球>一チームが他チームのある打者を毎回敬遠しなければならないとしたら》 参照。
2009-09-08 (2) 22:10:06 +0900
雑誌「世界」はその月のうちに目を通す、と決めたのに、 2月号の途中で止まってしまったのは、 福永正明氏の「インド・上昇する「大国」の実像1」が、 何度も読み返したくなるものだったからである。
35 ページ上段の
《インドは、宗教間対立によるコミュナル暴動が多発する社会である。
宗教間とは、おもに多数派のヒンドゥー教徒と少数派のムスリムの対立である。
しかし、ヒンドゥー教徒はシク教徒やキリスト教徒とも対立、
あるいは少数派への迫害を引き起こしている
》
を頭に入れておいて、36 ページ下段。
人民党は、会議派により達成された独立後のセキュラリズムを批判し、 会議派がムスリムたちの支持を獲得しつつ行った、 「多数派であるヒンドゥーへの国家介入」が、 ムスリム優遇だとする。 つまり、会議派のセキュラリズムは、 まやかしだと論断した。 多数派のヒンドゥー教徒はより尊重されるべきであり、 ヒンドゥーのもつ宗教的な寛容性により宗派間の関係調整が行われた時、 はじめてヒンドゥー国家となるとする。
ここを読むたび、なぜか、「ヒンドゥー」が、 日本における「多神教」と重なって読めてしまうのである。 「多神教のもつ宗教的な寛容性により宗派間の関係調整が行われた時」 のように。
実際には直接の関係はないし、 比喩としても成立しないと思うが、 一部、あるいは特定の宗教のもつ寛容性によって、というところが、 気になるのである。
付) コミュナル、セキュラリズムはそれぞれ英語 communal, secularism の音写である。この論文で初めて覚えた。
2009-09-08 (2) 20:17:22 +0900
呼ばないと思うが。
2009-09-08 (2) 03:57:16 +0900
文語訳は、新版では「款待」となっている。 旧版は、一文字めだけが異なり、「ヒ」の下に「矢」を書いたものがへん、 「欠」がつくり、の文字。漢和辞典によれば「款」の俗字とのこと。 この文字が当用漢字外だからひらがなにした?
漢和辞典によれば、「款待」と「歓待」は別の語である。 後者が前者の書き換えではない。広辞苑は一つの見出しとしている。
2009-09-08 (2) 03:50:22 +0900
「高等+学校」だから、 普通は両方の一文字目をとって「高学」となりそうなものだが、 「学校」は「校」が「まなびや」の意味だから、それでいいのか。
2009-09-08 (2) 03:40:22 +0900
今年の夏の甲子園大会で、 雨天ノーゲームになり、翌日の再試合は、前日ビハインドだったほうが勝った、 という例があったと記憶している。
ノーゲームではなく、続きからやるようにしたらどうか。 メリットは二つある。 一つは、前日の得点が無駄にならないこと。 もう一つは、翌日の試合時間が短縮できること。 どちらも、高校野球にはメリットではあるまいか。
デメリットを考えてみると、 前日の試合ですでに退いてしまった選手がもう出られないことか。 みんなと一緒にベンチにははいるのだろうが、もう出られない。 ちょっとかわいそう、かも。
入場券は、 第一試合が雨で途中までになった場合に限り翌日も使える、 としておけばよいか。
2009-09-08 (2) 03:37:44 +0900
本文ナシ
2009-09-08 (2) 03:36:33 +0900
2009-09-08 (2) 02:29:19 +0900
5日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 『「日本語大切」7割 でも目立つ誤用』。文化庁の調査結果だ。 私が間違えて覚えていたもののみ挙げる。 なお、以下、いずれも上が正しい。
まずは、「どちらの言い方を使うか?」
(問題)チームや部署に指示を与え指揮すること
プロ野球の中継で、「采配を振るう」と言うのを聞くような気がする。
以下は「どちらの意味だと思うか?」という設問。 原文でゴシックで強調されている部分を、ここではカギカッコに入れて示す。 その部分の意味を、二つの中から選ぶのである。
(問題)手を「こまねいて」待っていた。
「てぐすねひいて待っていた」と混同していたようだ。
(問題)事件のあとには、「時を分かたず」、厳重な警備が行われた。
この言い方は、全く知らなかった。広辞苑にも載っていないような気がするのだが。
(問題)彼の人生は「破天荒」だった。
間違って覚えていた。 実際には、その人生は豪快で大胆なことが多いところから、 勝手に意味を推測していたのであろう。
(問題)70点取れれば「御の字」だ。
これは、どちらか一方を選べないかもしれない。 「あれしか書けなかったんだから、70点取れれば御の字だ」 のように使うのだろうが、「ありがたい」とも思うし、 「一応、よかった」とも思う。 自分で意味を書けと言われたら「一応ありがたい」と書いてしまうかも。
2009-09-08 (2) 01:53:32 +0900
はっきり覚えていないが、午後9時半という時刻が頭に残っているので、 21時から21時30分までか、21時30分から22時までだったと思う。 その曜日だけは特別に両親に許してもらって起きていて見たものだった。
小学校の同級生に、 あの番組には自分たちと同じぐらいの年の子が出ているので、 自分たちも見ていいんだ、という主張をしている子がいた。 たぶん、当時の私たちがみんな寝てしまったあとの時間帯にも、 幼い子が登場する番組は放送されていたと思うけど。
ふと思い出したので、記しておく。
2009-09-08 (2) 01:40:34 +0900
数学の教師という商売柄、縁起のよい数とか不吉な数にこだわることは少ないのだが、 まれな数の中に、気になるものがあることがあるのだ。 タイトル行に書いた「10年、12年、15年」生まれの三兄弟姉妹、がそうだ。 純正律における、短三和音の周波数の比が 10:12:15 なのである。 「平成10年」とかでもいそうだし、 これからだけど、「2010年、2012年、2015年」生まれもいそうだ。
私が知っている例は大正10年、大正12年、大正15年の生まれの人たちで、 大正10年(1921 年)生まれの長男は戦死されたそうだ。
2009-09-08 (2) 01:31:54 +0900
イサクの妻の名前だから、名前そのものは変わってはいないのだが、 「りベか」は「ひらがな―カタカナ―ひらがな」、 「リべカ」は「カタカナ―ひらがな―カタカナ」なのだ。 自分で打ち込むなら問題ないが、 手書きで提出し、相手が入力する場合、おそらく、 断り書きをつけないと間違われるだろう。 また、打ち込まれたものを私のような人が見ると 「間違っていませんか」と言われて、うるさくてかなわないだろう。
ひらがなとカタカナが混在する名前は、明治時代にはあったと思う。
2009-09-08 (2) 01:27:29 +0900
ラジオだったかな。
2009-09-08 (2) 01:26:44 +0900
水を盗んでいるのではなく、おそらく、そのアパートの大屋さんなんだと思う。
これも、バス停からサイゼリヤまでの間で見た。
2009-09-08 (2) 01:25:11 +0900
それは、手を洗う人よりも水を飲む人が多いから、ではなく、 上を向いていても手は洗えるが、下を向いていては水が飲みにくいからであろう。
きょう、帰りのバスを降りて、サイゼリヤに向かう途中、 いつもの公園で、蛇口を上に向けたまま水を出して手を洗っていたら、気がついた。
ホースをつなぐときには下を向けたほうがホースが安定するか。
2009-09-08 (2) 01:22:38 +0900
鴎外で作ったからには漱石も。
内容的には 《回文>「うそ! 里緒菜、治りそう?」(うそりおななおりそう)》 とちょっと似てるか。
2009-09-08 (2) 01:15:03 +0900
新日本式ローマ字にしてみたが、日本式・訓令式でもよい。 ci が ti に変わるだけ。
江利チエミは実在した歌手・女優。 私は、子どものころテレビドラマの「サザエさん」を見た記憶しかないのだが、 1937 年生まれだから、もしいま生きていたら 72 歳。 早い死が惜しまれる。
単に彼女の名前を逆から読んでみたらこうなった、というフィクション。 「遺命」ということばは、今回、広辞苑を見て知った。
2009-09-08 (2) 01:05:54 +0900
「腹が減った」、「お腹が減った」「お腹が空いた」とは言うが、 「腹が空いた」とはあまり言わないような気がするのだ。 単なる個人的感覚。
2009-09-08 (2) 01:03:01 +0900
7日月曜日づけ大阪本社版第一面の、
『「ご神体」10億円所得隠し』。「自らのDNA情報張り販売」「金沢の宗教家」。
最初に《金沢市の宗教家の男性
》と登場し、
あとは「宗教家」とだけ書かれる。
本文は《宗教家らによれば
》で始まる。
これは、「この宗教家らによれば」の意味。
終わり近くの
《宗教家は、朝日新聞の取材に対し
「命が助かるなら100万円はないに等しい
》
も、「この宗教家は」の意味だ。
一般に宗教家は、の意味に読めてしまうのは、 私の感覚が古いのだろうか。
2009-09-08 (2) 00:53:43 +0900
2009-09-07 (1) 02:15:40 +0900
以前、東京の市内局番が三ケタだったころ、 abb という数字の並びの市内局番と aab とを取り違えてしまい、 間違い電話をかけてしまったことがあった。 相手の人が向こうの番号を言ってくれて、 私はメモした番号と突き合わせたが、なかなかミスに気づかなかった。 (このミスはよくあるようだ。117 と 177 を混同するように。)
ところが、きょうは、住所録から電話番号をメモした際、 abb を baa と間違えた。おぼろげに記憶にあった番号と違うので、 携帯電話に覚えさせてあった番号を見て、間違いを発見。
2009-09-07 (1) 02:04:22 +0900
5月16日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の e3 面の下の、 阪急交通社の広告。この面の下、約三分の一を占めている。 その中で、いま金沢に住んでいるせいもあって、 「びっくり! 金沢フリープラン」という、右端の企画に目がいった。 スペースの関係か、「インターネットだけの限定販売!」 「お得な価格でご案内」「こちらをクリック!!」として、 この会社の電話番号である 0663662677 を検索するようなイラストが書いてある。 その下に、タイトル行に引用した断り書きがあるのである。
クリックした途端にこの旅行を申し込んだことになるのでは、 という不安を抱かせないためかなあ、と考えてみたが、真相はわからず。
2009-09-07 (1) 01:57:20 +0900
5月16日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Suturday の b9 面、
「勝間和代の人生を変えるコトバ」は「やる気に頼るな、仕組みに頼れ」。
(身体の)運動を続けようと思ってもなかなか続けられない、という話の中で、
《毎日続けられる確率が70%なら、
10日連続して続けられる確率は0・7の10乗=0・028、つまり2・8%
》
とある。
「10日連続して続けられる」というのは、 最初の日にやれて、かつ、あとの9日連続して続けられることだろう。 最初の日にやれる確率も「毎日続けられる確率」 に含めてよいものだろうか。
あるいは、「10日連続して続けられる」を、 その前の日はやったとして、その次の日から 10 日連続して続けられる確率、 と解釈するか。これにはやや無理があろう。
これは、「毎日続けられる確率が70%」としたのがまずいのである。 “ある日にそれができる確率が 70%”とすれば何の問題もない。
2009-09-07 (1) 01:46:13 +0900
5月17日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版国際面の下の広告。
著:田辺功 元朝日新聞編集委員 話す人:松澤大樹 東北大学名誉教授だそうだ。西村書店。 《
「うつ病」「統合失調症」「認知症」が治る!》とある。
2009-09-07 (1) 01:41:07 +0900
6日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版、経済面下の、黄桜株式会社の広告。 例のカッパが、おそらくは公共の場所であると思われる屋外の場所で、 裸でいる。 「飲酒は20歳になってから」との注意はあるが、 「公の場所で裸になるのはやめましょう」の注意書きは要らないか。
2009-09-07 (1) 01:36:40 +0900
6日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版、第一面下の大学書林の広告。
乙政潤著「ドイツ語オノマトペの研究」の説明に
《オノマトペ(擬音語・擬態語)
を日本語と比較して言語音のイメージと意味の係わり合いを研究
》
とあるのを見て。
2009-09-07 (1) 01:32:50 +0900
6日日曜日づけ大阪本社版。
《法曹界が長らく男性社会だったこともあろう。
これほどむごい強姦罪の法定刑がなぜか強盗より軽い
》
とあるが、刑の長さは刑法で決まっており、
刑法を決めるのは国会の仕事だから、法曹界は直接には関係ないのでは?
2009-09-07 (1) 01:29:28 +0900
とにかく、とりあえず、 (いわゆる)日本語の文字をコンピュータで使いたい、 ということで入れられたのであろう。 旧カナでしか使われない文字が含まれていなくても、不思議はない。
2009-09-07 (1) 01:12:03 +0900
半角カナなので、「わ」を小さくすることができないのだ。
2009-09-07 (1) 01:09:25 +0900
石川県立歴史博物館で、この秋、「本願寺展」が開かれる。 そのパンフレットが新聞に折り込み広告としてはいってきた。 そこに Hongwanji とある。
ヘボン式の ji は別にして、興味深いのは「願」を gwan としている点だ。 字音かなづかいが「グヮン」なのをそのまま写したのだろう。 正式にはそう発音する、としているのかも知れないし、 昔のなごりに過ぎないのかもしれない。
2009-09-07 (1) 01:05:32 +0900
新型インフルエンザ流行のため、 デパート、レストランなどの入り口に消毒液が置かれている。 あれに、誰かが毒を混入したらと考えると、恐ろしいことだ。
2009-09-07 (1) 01:02:21 +0900
夕暮れ、いまは金沢中央公園と敷地がつながっている 「石川四高記念文化交流館」のわきを通って、ふと。 Google で「蝋勉」約 38 件、「弄便」約 12,800 件。
広辞苑にも載っていないようなので説明を。 「蝋勉」は、旧制高等学校などの寮で、 消灯後も、熱心な生徒が蝋燭(ろうそく)の明かりで勉強したこと。 「弄便」は、認知症などの症状の出てきた(主として)お年寄りが、 自分の大便を弄(もてあそ)ぶことである。
注) 本項は、 「蝋勉」と「弄便」が同音であることに気づいて、 それを書きとめるために書いたものですが、 決して、そのようなお年寄りをおもしろがったり、 からかったりしているものではありません。
2009-09-06 (0) 19:12:59 +0900
5月4日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版朝日歌壇に載った、
八王子市の川崎和香葉さん(「崎」は紙面では「山」の下に「奇」)の、
《受験生じゅけんせいだよジュケンセイJの響きが不安を煽る
》。
選者永田和宏氏が
《受験生と自らに言い聞かせるように繰り返すうちに、
不安は増すばかり。その感じはよくわかる
》
としているのだが、「Jの響き」とは、ヘボン式ローマ字で
「受験生」を書いた jukensei から、「じゅ」の子音部分を指しているのだろうか。
もしそうであって、大学を受験する準備をしておられるのなら、 大学では広く外国語を学んで、 Jをあのように発音する言語が決して多くないことを知ってほしいと思う。
2009-09-06 (0) 02:03:37 +0900
ヘボン式ローマ字でローマ字入力をしているうち、 「ザズゼゾ」の子音と「ジジャジュジョ」の子音が (音素として)別物であると無意識のうちに刷り込まれるのでは、 という心配をする人もあろう。
2009-09-07 (1) 01:23:41 +0900
5月4日月曜日づけ大阪本社版。 社会面に「宇宙に届け平和憲法」という四分の一面ほどの記事と、 その下に、その四分の一ぐらいの大きさの「護憲・改憲両派が集会」があるぐらい。 石川面には何もない。
2009-09-06 (0) 01:53:14 +0900
3日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版囲碁将棋面。 3×4マスで、駒は敵味方4枚ずつ。 細かいことは、ネットで検索すればわかるから省略。
《ある将棋ソフトの研究者がコンピューターで解析したところ、
最前を尽くせば「78手で後手の勝ち」と結論が出たというほど複雑だ
》。
すべての局面を考え、しらみつぶしでも解けるのか、 それともそれでは無理なのか。
2009-09-06 (0) 01:47:05 +0900
5月16日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
《国文学や民俗学の大家だった折口信夫は略語を好まなかったそうだ。
地下鉄と言わず「地下鉄道」、
企業の名も「鐘紡」ではなく
「鐘淵(かねがふち)紡績」とわざわざ言っていた
》。
なるほど、見習いたいな、と思う反面、
どこまでが略語で、どこからが熟語か、どう判定するのだろう、と思った。
「地下」は「地の下」であろう。これは熟語であって略語とはみなさないのか。
また、「鉄路」は「鉄道の線路」と広辞苑第五版では説明されているが、
「鉄路でどこそこへ向かった」と言う場合にはちょっと違うだろう。
2009-09-06 (0) 01:35:16 +0900
岩波文庫「日本書紀(一)」の神代上まで読み終えたが、 その中のどこかで知った。
テレビアニメだか実写版だったか忘れたが、 「ちびまる子ちゃん」で父親ヒロシの心の狭さに怒ったまる子が 「お父さんなんてヒロシじゃなくてセマシだ!」 と叫ぶシーンがあったと記憶しているが、 「広い(ひろい)」と「狭い(せまい)」 を対にして考えるのが現代語の感覚だったのだ。
岩波古語辞典で「せまし」をひくと「せばし」に同じとあり、 「せばし」は「せし」「せめ(攻め)」と同根だそうだ。 その語根、「せ」が単独で単語として使われるのか……。 その「せ」は甲類か乙類かと一瞬思ったが、 「せ」には甲類乙類の区別はないのだった。
で、「狭し(さし)」は「狭し(せし)」の古形。
付) なかなかおもしろかったが、ほかにやらねばならないことがある。 日本書紀はしばらくお休み。
2009-09-05 (6) 20:10:49 +0900
2009-09-05 (6) 01:35:49 +0900
4日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版の、
シンポジウム「いま『言語力』が危ない 読書はことばを救えるか」
(朝日新聞社、〈財〉文字・活字文化推進機構共催)。
《文・岡沢香寿美
》とある。
まずは、日本教育大学院大学各員教授、北川達夫さんの基調講演。
「言わなければ伝わらない」という見出しも見える。
《PISAでは、もっと総合的な言葉の力、いわば、
「言語力」が問われます。
たとえば、(1)落書きはけしからん(2)落書きは一種のコミュニケーションだ、
という異なる意見を述べ、「あなたはどちらの意見に賛成ですか。
また、(1)(2)のどちらが説得力のある意見ですか」と尋ねてきます。
「(1)が正しいに決まっている」と思う人が多いでしょうが
》
と続くのだが、
「どこに落書きをするのか」が述べられていないと、議論にならないだろう。
自分のノートの端に落書きをするのは個人の勝手だと私は思う。
たとえば、「公共物に」という言葉を入れれば、はっきりする。
次はパネル討論。
作家の平野啓一郎氏が
《教育やマスメディアで語彙が制限されてきたことも大きい
》
と発言している。これは事実か? 漢字は制限されることがあるが。続いて
《文体も「読みやすい」か「読みにくい」の二つしかなくて、
「読みやすい」がよいことになっている。
小説に難しい言葉を使うと、怒られる時代ですから(笑)。
文体に感心する文化も失われつつある
》。
続いて「ことばの杜(もり)代表」の山根基世さんが
《アナウンサーとして、
放送では、
中学生が聞いても分かる言葉を使うように心がけていましたが、
「本当にこれでいいのか?」と疑問も感じていました
》
と発言。
問題は、その“中学生が聞いても分かる言葉”
では言い表せないことがあったのか、それともなかったのか、ではないか。
なければそれでいいと思うのだが。
さらに続いて、東京大学大学院教育学研究科教授の秋田喜代美さん。
《大学生の娘が、
「言いたいことがあってもうまく言葉で言えない」と。
様々な心情語彙で丁寧に表現しないと伝わらない感情や感覚を、
「チョームカツク」「ウザイ」と一言発して、
後は察してもらうことに慣れているのでしょう
》。
これは、言いたいことを言い表すのに必要な語彙が足りない、
という話であり、上から続いてきた「読みやすい」文体、
「中学生が聞いても分かる言葉」とは直接関係ない。
ここで話がそれている。
(世界中の言葉を当たっても、
自分が言いたいことを言い表す言葉が見つからない、
ということはあるだろう。
ここでは、そういう意味ではないと理解した。)
ところで、最後に、平野氏が
《基調講演で北川さんが紹介した落書きの是非を問う設問は、
いい問題だと思いました
》と発言している。
付)小さな辞書では、 「落書き」は書いてはいけないところに書くものとなっているが、 私は、自分のノートの隅も、書いてはいけないところに含まれると思う。 広辞苑第六版には「たわむれに書くこと」の意味も載っている。 これだと、スケッチブックに、たわむれに書くことも落書きになる。 私が色鉛筆でしているのはこれである。 なお、古語としては「落書」と同じであり、 人の目につくところに落としておくことも含むが、 これは考えに入れないほうがいいだろう。
2009-09-05 (6) 01:02:09 +0900
1日火曜日づけ大阪本社版。 前にも書いたように、 特定の改憲案に対し、 各院の議員の三分の二の賛成があって初めて、 その改憲案が国民投票に進むはず。
2009-09-05 (6) 00:58:34 +0900
1日火曜日づけ大阪本社版に小さく載ったのみ。
2009-09-05 (6) 00:56:33 +0900
単に数えてみただけ。両方とも同じ段数。
2009-09-04 (5) 20:43:26 +0900
半角文字のカタカナで歴史的かなづかいが示されるのだが、 半角文字には「ヰ」「ヱ」がない。 そのため、「イ」「エ」で示されるのだった。
たとえば「井戸」は「イ・・」と、「声」は「コエ」と半角文字で示される。 このとき、「井戸」「声」の歴史的かなづかいは「イド」「コエ」 だと思ってはいけないのである。
そのことはどこに書いてあるのだろう?
「必要」は「ヒツエウ」だから「・・エウ」と示される。 これを見て、「・・ヱウ」だと思ってはいけないのだ。
私案だが、 たとえば「イ゛」で「ヰ」を、「エ゛」で「ヱ」を表すと決めるとか……。
2009-09-04 (5) 19:23:58 +0900
確か「ノンマルトの使者」だったと思うが、 子どもたちがポインターを見て、 “あ、ウルトラ警備隊だ”などと叫ぶシーンがあった。 ウルトラ警備隊の存在は、日本中に知られていたのだろうか? また、 ダン隊員が最も新しい隊員であることも知られていたのだろうか? ダンが自分の正体を明かしてM78星雲に帰ったことも、 国民に広く知らされるのであろうか?
もちろん、いずれも作中の世界で、の話である。
2009-09-04 (5) 19:19:55 +0900