本文ナシ
2008-06-03 (2) 23:18:35 +0900
「もしかして:絶不調」と出るが。 いまラジオの野球中継のアナウンサが言ったような気がしたので調べてみた。 「絶好調」が「ぜっこうちょう」なので、そこからの類推で ハ行の「ふ」の前でも「絶」が「ぜっ」と読まれるのだろう。
2008-05-31 (6) 19:55:09 +0900
ジュースと名乗れるのは果汁100%のものに限るそうだが、 喫茶店などで氷を入れて出す場合、 持ってくるあいだにも少しは氷がとけるだろうから、 果汁100%でなくなってしまうだろう。
気温が0℃以下だと氷はとけないから問題ない? 0℃以下なら氷を入れる意味がない? そんなことはないよな。 −4℃のジュースの中に−8℃の氷を入れることってあるよな。 (ないかな?)
2008-05-30 (5) 00:49:29 +0900
本文ナシ
2008-05-28 (3) 00:13:12 +0900
夏時間がまた話題になっている。 新聞などでは「夏期に時計の針を一時間進める夏時間」 などと紹介されていることが多い。 これを、時計の針をみんな一時間進めるが時刻の呼び方はいつも通り、 とカン違いしている人はいないだろうか。 つまり、時計の針が10時を指しているとき、 針を一時間進めているので「ああ、いま9時だ」と思う、というわけである。 これだと、夏時間が導入されてもいままで通りの時刻で生活することになる。
じゃあ何のために時計の針を進めるのだと言われるかもしれないが、 「気の持ちよう」とか、いろいろ言えるのではあるまいか。
どうして 「現行の時刻に1時間を加えたタイムゾーンを採用する」 のような正確な言い方ができないんだろう?
付) 私は現在の国土の位置を考えると日本での夏時間の導入には反対だが、 「本当に時計の針を進めるだけならいいですよ」と言うこともできるか。
付) 本項は、「まさか」と思った人が多いだろうが、 第二次世界大戦直後に日本で夏時間が導入されたとき、 時計の針が7時なのを見て「針を一時間進めているから本当は6時なんだ」 のように考える人が多かったので効果が上がらなかった、 という話を読んだことがある。
付) 夏時間が導入されたとして、 9時の約束なのに10時にやってきた人がいる。 「遅いじゃないか! 時計を見てみろ!」というと、 「針が10時を指しているけど、 夏時間で時計の針を一時間進めているから今は9時」 と言い張ったりして。
2008-05-28 (3) 00:05:29 +0900
最近の北鉄バスで、前向きの席に座ったり(その席から)立ったりするとき、 座りにくかったり立ちにくかったりすることがある。 横向きの席に座ったときに、目の前の、前向きの席を見ていて気がついたのだが、 座席の前の床の部分に足をついてまっすぐ立つことができない席が多いのだ。 まっすぐ立とうとすると、 前の座席の背もたれが後ろに傾いているため、 背もたれや、背もたれについている手すりにおなかが当たってしまう。 あるいは、平らな部分の奥行が足の大きさよりも短かったりする。 それでも健康な人なら立ったり座ったりに問題はないであろうが、 足腰が弱っている人の中には、 立ったり座ったりに困難を感じる人もいるのではあるまいか。
2008-05-27 (2) 23:44:52 +0900
数式を読み上げた場合に同音になるものについては、 あまり注意してこなかったように思う。 ほかに、「9」と「q」がどちらも「キュー」と読まれる問題とか。
2008-05-27 (2) 23:42:58 +0900
岩波文庫の、呉茂一氏の訳。註釈にしおりがはさまっていた位置からすると、 数ページも読んでいなかったようだ。
2008-05-23 (5) 01:17:11 +0900
ゼウスが奥さんや娘と戦(いくさ)の話をするシーンを読んでいると、 「ワルキューレ」第2幕を連想してしまう。 ワーグナーは当然読んでいたんだろうな。
神々が人間の戦にどう干渉してくるのか、 最初わからなかったが、だんだんわかってきた。
第八書まで読んだけど、なかなかストーリーが進まないものだなあ、と感じている。
「国家」は、あのわけのわからない算術のところはやはりわからず。 ソクラテスの言う魂の不滅はわかるけど、 どうして冥府へ行って帰ってくる話になるのか、 不滅・不変のはずの魂が、どうして前の生のことを忘れてしまうのかは、 理解できなかった。
C-3PO が III の終わりで記憶を消されるところとかに、 影響しているんだろうか?
2008-05-27 (2) 20:01:57 +0900
2008-05-23 (5) 01:21:16 +0900
伊東屋の補助軸と三菱鉛筆 uni の組み合わせでいま使っているが、 補助軸の中の、舌がエンピツを噛んでいるところの塗料がはげ、 書いていると落ちてきて困る。
こういうのは、買ってみないとわからない。 (uni はお尻が最後まで六角形だが、 Hi-uni は最後の部分が丸くなっているので、もしかしたら Hi-uni なら OK なのかも。)
2008-05-22 (4) 21:12:27 +0900
文法の話を書いているとき、 単に「ける」と書くと何のことだかわかりにくい。 そこでカッコに入れて「ける(蹴る)」と補ったりすることがある。 これは漢字が有効な例であるが、 英語を添えて「kick の『ける』」と言うとの同じとも言える。 中国語を添えているのだから。
耳で聞いた場合のことを考えれば、「kick の『ける』」のほうが優れているか。
2008-05-22 (4) 20:47:13 +0900
すでに導入されている国ではでは「私は人種差別論者である」 などと偽って拒否されることを狙うと聞いたことがあるが、 人種差別論者であると思われることを私は好まない。 何かうまい方法はないか。
2008-05-21 (3) 23:58:29 +0900
シャープペンシルを、たとえばクリップが常に上にくるようにして書き続けると、 芯の先は円筒を斜めの平面で切り落とした形になり、線が太く書けてしまう。 しかけをし、書いているうちに芯が回るようにした製品らしい。 芯が回るため、芯の先は円錐状に減ってゆくことになり、 常に細い線が書けるという。 詳しくは「クルトガ」で検索してみられたい。
私の場合、無意識に近い状態で、 シャープペンシルそのものを回転させつつ書いているような気がする。 エンピツの場合も同様である。 だったらいらない機能である。 自分の回す向きと逆に回転するようになっていると、 せっかく自分の手が回しているのに芯は回ってなかったりして。
左手で字がうまく書けない理由の一つは、 この回転ができないので線が太く書けてしまうことである。
付) 芯の先が円錐形になってきたら、今度はその先を使って書くと細く書ける。
付) チョークで書くときも、同様のテクニックを使っているようである。
2008-05-21 (3) 20:27:10 +0900
グリップの形が特殊で、 回しながら書くことがむずかしいタイプのものには、 つける価値があるかも知れない。
付) 本文の初めのところで「グリップ」と書いていたのは 「クリップ」の間違いだったので修正した。
2008-05-22 (4) 20:56:00 +0900
条件 x > 0 の元で 1/(2x) を積分せよと言われたとする。 log(2x)/2 + C というのが一つの答え。C が積分定数である。 もう一つのやり方は、 1/(2x) = (1/x)/2 と考え、 log(x)/2 + C と答えるものだ。 前者は log(2)/2 + log(x)/2 + C だから、 前者の log(2)/2 + C が後者の C にあたる。 これは高校生のとき数学の時間に級友と答えが合わなくて悩んだ経験に基づいて作った例だが、 こういうのを見ていると「積分定数っていったい何だろう?」と自問したくなる。
別の例。 (x+1)2 の不定積分は合成関数の微分を知っていれば (x+1)3/3 + C だが、 知らなければ展開してから積分し x3/3 + x2 + x + C とするだろう。 この二つのC は同一ではない。
「(x+1)2 の不定積分を (x+1)3/3 と答えたときの積分定数の値はいくつか」 という問いには意味がなさそうだ。 「不定積分は積分定数の差を除いて一意に決まる」という言い方には意味がある。
SIG SCIENCE の掲示板 「■ 掲示板 ■ 「掲示板について」のページへ」 を見ていて思いついた話題。 昔は有意義な議論が活発に行われていたが、 変われば変わるものだ。
2008-05-20 (2) 19:27:27 +0900
ただの思いつき。全く意味なし。
2008-05-20 (2) 00:09:04 +0900
2008-05-19 (1) 01:49:46 +0900
英語ではΨが「サイ」、Χが「カイ」と読まれることがある。 ここではそう読むことにする。
2008-05-19 (1) 01:46:54 +0900
左上隅を叩くと右クリックと同等になるよう設定してあるので 「ここは地雷が埋まっている」とマークするのはそれになるが、 それ以外を叩くと左クリックとみなされ、 マスを開けてしまうので地雷が作動してしまう。
2008-05-19 (1) 01:22:39 +0900
なるべくなら残さないように注文したいと思うが、 分量がわからないことには加減のしようがない。 少なくとも、ライスは重量でほぼ分量がわかるはずだ。
注文する際に、 「このハンバーグは何グラムありますか」 「付け合わせの野菜は何グラムですか」としつこく聞く人が増えればいいのかも。
ステーキには書いてあることがあるな。
2008-05-19 (1) 01:05:39 +0900
同じく18日づけ朝日新聞大阪本社版「声」で、 中学生の久間省吾君の投書「春夏冬休みに禁酒車作って」を読んだ。 電車の隣席に座った人の飲むビールのにおいで気分が悪くなるというのだ。 そういう人もいるのか。 気をつけよう。 私は、 原則として、 乗り物の中ではアルコール飲料は飲まない。 私が好きな缶ビールは泡が吹き出すのでおいしく飲めないし、 揺れのせいでいつもより酔いが回って (自分の)気分が悪くなるといけないからである。 また、アルコール飲料なしで家族連れなどが食事をしているベンチ付近でも 飲まないようにしている。
ただ、
《新幹線や特急には禁煙車があるのに、
なぜ禁酒車がないのでしょう
》という問いには、簡単に答えられる。
たばこは他人の健康に有害な煙が出るが、
アルコール飲料からはそのような煙は出ないからである。
(喫煙者の一部に、たばこが嫌われるのはにおいがするからだ、
と曲解している人がいるので、念のため。)
2008-05-19 (1) 00:51:33 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版「声」の、兵庫県伊丹市の跡部悦子さんの投書 「市名だけでも届いた年賀状」。 市名しかわからない旧友に年賀状を出したら届いた、という内容だ。 最初読んだとき、「大丈夫かな?」と感じた。 あまり記憶が確かでないが、以前、 間違った切符を持って鉄道に乗ってしまった人の投書があった。 車掌さんの特別なはからいで、そのまま乗れた、というものだ。 その人は純粋に感謝の気持ちで投書したのだが、 その後、その鉄道会社の上のほうの人の投書があり、 そのような場合は正規の切符を買い直してもらうことになっている、 その車掌の行為は規則違反なのでしっかり指導する、 というようなものではなかったかと記憶している。 この場合も同様という解釈もあろう。 郵便の本来のサービスは、正しい住所を書いた郵便物について、 決まった値段で配達するというものだ。 住所が不完全な郵便物の住所を調べることに勤務時間を使うのは違反かもしれない。
また、このような“サービス”があると知れ渡ると、 市名+氏名だけを書いた郵便物を日常的に出す人が出てこないとも限らない。 この投書者の居住する市と氏名は紙面に出ているのだから、 それだけを書いて郵便を送ることも可能なのか。 (ほんとうに送りたいものがあれば、 新聞社に頼んで送ってもらえることは知っている。)
市名と氏名だけで郵便が送れるのだとすると、 逆の見方をすれば、 送り付けられたくないものを送られてしまうこともあるのではないか、 とちょっと心配になった。
付) 不完全な住所と氏名で配達するようなサービスが求められているのなら、 別に料金をとって引き受けるような規則を考えればよいだろう。 NTT の番号調べのようなものである。 「完全な住所でなければ郵便物は受け取りません」 という人は前もって郵便局に届けておく。
2008-05-19 (1) 00:32:21 +0900
1日づけ大阪本社版「声」に、おそらくこの投書に関連して、 長尾一雄さんの「宛先不明郵便 集配員は苦労」が載った。 かつて郵便の仕事をしていた人だそうで、 昔は集配員はどこにどんな家があるかを全部頭に入れていたので、 宛て先不明になりそうな郵便は出発前に集配員が集まった際に読み上げられ、 自分の受け持ち範囲ではないかと気づいた集配員は声を上げる、 というやり方で極力宛て先不明が出ないようにしていた、という内容だった。 この場合には、扱い方がルーチン化しているので、 宛て先不明郵便にさく時間は最小限になっていたと思われる。
2008-07-10 (4) 00:49:53 +0900
前々項を書くため、Google のトップから「表示設定」を選びいろいろいじってみた。 「Google のメニューやテキストの言語」にはエスペラント語 [sic], ラテン語もある。ちょっと感心した。 でも漢文はないんだ。
うっかりとんでもない言語にしてしまうと、日本語に戻せなくなる可能性もある。 その言語で書かれた「日本語」を選ばなければならないからだ。
2008-05-17 (6) 23:59:15 +0900
……と思ったが、大丈夫だった。 表示言語を変えると、たとえば英語に変えた場合はトップページに 「Google.co.jp offered in: 日本語」と出て、「日本語」 と書かれた部分をクリックすれば日本語で言語が選べるようになるのだった。
2008-05-19 (1) 00:05:57 +0900
「ほしい」が名詞にかかるのは、 「これがほしい人、手をあげて」のように 「ほっする」という動作の主体をあらわす場合か、 「ほしい本があったら持っていって」のように動作の対象をあらわす場合だろう、 と思っていた。 職場でまわってきた書類に書かれていたのは、 依頼の内容が「〜してほしい」である、という用例だった。
Google で「ほしい依頼」は 2540 件。しかも、 「教えてほしい依頼主」「『あげます』に『ほしい』依頼がきたら」のように、 偶然並んだものが多い。しかし、この用法が全くないわけではないようだ。
2008-05-17 (6) 23:50:39 +0900
はっきり書かなかったが、 「〜してほしい依頼」という表現を含む書類が職場で回ってきたのである。
2008-05-19 (1) 00:16:56 +0900
きょうの朝日新聞 be on Saturday の e1 面下に出ていた通信販売の広告。
「Christian bonheur」の下に PARIS と書かれたブランドのバッグが出ている。
《パリ発! 「クリスチャン・ボヌール」
》という触れ込みだが、
Google で "Christian bonheur"
を調べてみるとタイトル行に書いたような結果になった。
Google のオプションをいじってフランス語のページを検索してみると 77 件。
パリ発だけど、日本を主なターゲットにしている、ということか。
2008-05-17 (6) 23:41:28 +0900
10日づけ大阪本社版「天声人語」は次のように始まる。
《大学入試の珍問について、
30年ほど前の小欄が書いている。
「三重、東京、静岡、青森、富山、福岡」の中から、
共通点のないものを二つ選べ、
というのがあったそうだ
》。
次の段落で、
構成する漢字が左右対称でない静岡と福岡が答えだったと明かされるのだが、
本当にこんな問題が出題されたのだろうか。
30年前といえば、1979年に始まった共通一次試験の直前だ。
あの試験は入試から難問・奇問をなくすというふれ込みで始まった。
そのための作り話ではないかという気もする。
そもそも、出たとしたら、どの科目の試験だというのだろう?
当時のことはさておくとして、この日の筆者は確認したのだろうか?
2008-05-15 (4) 01:00:27 +0900
本稿は本文の下書きをそれで行ない、 メモ帳にコピー&ペーストして推敲している。 やはり、一度スクリーンエディタに慣れてしまうと、 ラインエディタはまだるっこしくてダメだ。
2008-05-14 (3) 21:55:55 +0900
Tコード対応の自作キャラクタデバイスドラバがメインに使えるのはこれだけなので --- Win95 でこの原稿を書いている PC-9821 Xa7 はリブートしてなんとかモードに切り換えないと使えない ---、 これが壊れたらTコードが非常に使いにくくなる。
2008-05-14 (3) 21:55:33 +0900
いま、広島−阪神を聞きながら、 4BのエンピツでA4用紙に5枚ぐらい速書きの練習をしたら、 ずいぶん楽に書けるようになった。 たとえば「高」という字は中に小さな「口」が二つあるが、 この部分を書こうと思うと自然に手が「口」と動く。
そのあと、ゆっくり書いてみると、かなりきれいな字が書ける。 そろそろ、人に見せるものも書けるかも。
2008-05-14 (3) 21:28:30 +0900
II も V も三部作のまん中の作品にあたり、 主人公が強力な敵の前に敗退し、右腕を失うところまで共通している。 II ではそのあとヨーダが助けにくるが、 V ではヨーダはダゴバにいるだけで、助けにはこない。 I から順に見始めた若い世代だと、 V のあそこで「II のようにヨーダが助けにくるのでは」と思うかもしれない。
2008-05-14 (3) 19:21:51 +0900
「99……99」になっているのだ。
2008-05-14 (3) 02:54:09 +0900
そういう例ではあるまいか。
2008-05-14 (3) 02:53:05 +0900
昔のメモに書いてあった。何がおもしろいと思ったのかもうわからない。 漢字で書けば「早稲予備」だろうが、そうはしないのだろう。
2008-05-14 (3) 02:49:06 +0900
前の三つは時計の精度を言うときのもの。
2008-05-14 (3) 02:41:41 +0900
現代日本語において、イ段の子音がほかの段の子音と大きく異なる問題、とか。
2008-05-14 (3) 01:40:17 +0900
常用漢字を検討する側やマスコミは、 ふだん漢字を使いなれている人が多いだろうから、 「これだけ使えるようになる」という感覚になるのかもしれないが、 私としては「これだけ漢字で書かなければならなくなる」との思いもある。
大学入試に書き取りが出るからと当用漢字をすべて書けるようにした記憶があるが、 「鬱」も試験に出るようになるのかな?
2008-05-14 (3) 00:55:30 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「常用漢字へ候補220字」。
漢字そのものが話題なのだから、
一画まではっきり見えるような大きさに組んでほしいと思うが、
まだ《たたき台
》だから扱いが小さいのか。
2008-05-14 (3) 00:26:03 +0900
ラテン語については、 ラテン語で書かれた雑誌が出たりしていると聞く。 きっと、ラテン語で書かれたサイトで、 ラテン語でのみ書き込まれている掲示板もあると思うが。
漢文についてはどうであろう? そういうのがあるようでないと、 《いま、漢文の筆談で外国人と話せる人はどのくらいいるのだろうか?》 に書いたような、漢文による筆談の復活など不可能だと思う。 (そういうサイトがあったとして、最適な文字コードはなんだろう?)
2008-05-14 (3) 00:20:03 +0900
本文ナシ
2008-05-14 (3) 00:17:36 +0900
《いま、漢文の筆談で外国人と話せる人はどのくらいいるのだろうか?》 から考えてみた。 西欧におけるラテン語が頭にあるなら、 「中国語を東アジアの共通語にしよう」となりそうなものだが、 そういう意見はほとんど聞かない。
漢字の読み方は国によって異なるから会話は無理という意見もあろうが、 あれだけの漢字の字体と意味を覚えるのに比べたら、 中国語音を覚えるのはたいしたことないとも言える。
中国語の文法を覚えることを勘定にいれるのを忘れてはいけないか。 ラテン語とは異なり、 この地域の言語には漢字を借り、単語を輸入しただけで、 言語そのものは中国語とは別起源、というものが多いから学習が容易でない?
2008-05-13 (2) 23:58:43 +0900
…きっといるんだろうな。
同音でイオナズンを出す序詞、なんて考えているやつもいるかも。
2008-05-13 (2) 01:08:57 +0900
本文ナシ
2008-05-13 (2) 01:06:51 +0900
カナで書けば「そしておぶつがでたたでがつぶおてしそ」。 後半は「そして汚物が出た」(口語訳、士師 3.22) を逆から読んでこじつけただけで、意味はない。
2008-05-13 (2) 01:03:54 +0900
ドライブ中に、こっちへ曲がると斑鳩町、という表示を見て。
2008-05-13 (2) 00:57:46 +0900
……という設定。実際にそういう体験をしたわけではない。
2008-06-25 (3) 21:57:03 +0900
別に「何階」でも「難解」でもいいのだが、 最後のころの弱かった南海ホークスが思い浮かんだもので。
「なんか、いかんな」でよかったか。
2008-05-13 (2) 00:56:06 +0900
「森厳に」でもよい。
2008-05-13 (2) 00:50:50 +0900
3月22日づけ朝日新聞大阪本社版文化面、
加藤周一氏「夕陽妄語」は「漢字文化讃」。
《私が夢見る文化的交流の要点は三つある。
第一は古典中国語の書き言葉による筆談の発展
》とある。
いつもの通りだが、ふと思った。
加藤氏自身は、これがおできになるのだろうか?
仮におできにならないとしても、
いくつもの西洋語に通じている氏のことだから、
これが空疎な空想でないことは確信しておられるのだと思うが。
そこから、本項のタイトルに書いたようなことを考えてみた。
付) かつてはできる人がいたのだから、というだけではだめである。 単語の面を考えるだけでも、たとえば、 電話、国連、ネットワークといった語を古典中国語に“翻訳”する必要がある。
2008-05-13 (2) 00:35:44 +0900
3月22日づけ大阪本社版第2面「ニュースがわからん!」は 「春分・秋分の日 毎年日付が違う?」。 鍛治信太郎と署名がある。
《地球は太陽の周りを365日ちょうどではなく、約6時間多めで1周する。
放っておくと夏至や冬至、春分、秋分の日は約4年で1日ずつ後ろへずれる。
そこで4年に1度、うるう年を設け調整するのだが、
それに伴い、たとえば春分も、うるう年前年は3月21日、
うるう年は3月20日といったように日付が動く
》と説明しているが、
これでは、「最近、
秋分の日の日付は動かないのに春分の日の日付が動くのはなぜか」
の説明ができないから、結局のところ、説明になっていない。
(その理由を説明しようとすれば、 春分日・秋分日を決める春分・秋分というのが実はある瞬間のことであり、 それを含む日が春分の日・秋分の日になることを説明した上で、 《春分の日は年によって変わるが秋分の日は変わらないわけ/立春も変わるのだ》 の前半に書いたようにしてその時刻を概算してみせるしかあるまい。)
私なら、こう説明する。 春分の日・秋分の日は太陽の動きを元に決めるので、原則として年によって変わる。 しかし、現行のグレゴリウス暦はこの変化が少なくなるように、 かつうるう年かどうかの判定法が簡潔になるように作られている。 よって、一日のずれだけで済んでいるのだ。---
旧暦のことを考えれば、一日しかずれないというのはすごいことではないか?
付) 「うるう年に伴って前後」という見出しもあるが、これは正しくないだろう。 うるう年は春分などの日付が前後することを防ぐために置かれているのだから。
2008-05-13 (2) 00:04:14 +0900
本書は15カ国以上で翻訳された》の意味は?
4日づけ大阪本社版書評面の、「クリエイティブ資本論」。
著者紹介に続いて《本書は15カ国以上で翻訳された
》とある。
これは 15 カ国以上で翻訳が出版された、の意味なのであろうが、
この訳書の翻訳が 15 カ国以上の国の中で行われた、
つまり、国から国へと訳者が旅をしながら翻訳した、とも解釈できる。
付) それとは別に、もしもフランスでフランス語に訳され、 それがカナダでも出版されたら、どうカウントするのだろう、 という疑問は残る。
2008-05-12 (1) 23:35:27 +0900
5日づけ大阪本社版社説「白鳥も君も同じ命なのに」。
ハクチョウなどが7羽殺される事件が起き、
やったのが男子中学生だったという事件を受け、
こどもの日ということで中学生にも読めるように書いたもののようだ。
趣旨はよくわかる。よくわかるが、だったらゴキブリはどうなるのだろう?
台所に出たゴキブリは殺してもいいのはなぜ?
そう思って読み返してみた。
冒頭の《細長く長い首が優雅なハクチョウやコクチョウを、
どうして力まかせに殴ってしまったのだろう
》を、
文才があれば「……が〜なゴキブリやなんとかを、
どうして力まかせに殴ってしまったのだろう」というパロディーが書けるだろう。
《殴られた時の鳥の痛みに、
ほんの一瞬でも想像を及ぼしてみる。そうすれば、
棒を振り下ろしたりはしなかったろう
》は、
ゴキブリに言い換えてみれば答えは「否、やはり振り下ろした」だろう。
動物愛護法違反になるんだそうで、ネットで調べてみたところ、 コン虫は対象にならないらしい。よかった。
2008-05-12 (1) 23:18:42 +0900
5日づけ大阪本社版「天声人語」に
《きょうの立夏から、暦は夏に入る
》
とあるが「暦が」ではなく「太陽が」「地球は」ではなかろうか。
立夏は春分と夏至の中間点だから、人間の作る暦とは関係なく決まる概念である。
《「二十四節気は新暦でも旧暦でもなく天文学上の概念」と言うべきでは》 参照。
「暦が夏に入る」という言い方を認めないわけではない。 たとえば、新暦では七月にはいると「夏に入る」と言えるのではあるまいか。 旧暦なら四月。 ただ、立夏がきて真に「夏に入る」のは暦ではなく、と言いたいのである。
2008-05-12 (1) 23:10:41 +0900
4日づけ朝日新聞 be on Sunday の s3 面「元気のひみつ」は伊東四朗さん。
《5階までなら、必ず階段を使うように心掛けている
》
と始まるのを読んで、
「どこから5階までなんだろう?」と思ったが、すぐあとに
《1階だけでもエレベーターに乗るのを見ると「もったいない」と思う
》
とあるので、この「5階」というのは「5階分」であることがわかる。
1階から6階まででも、地下2階から地上4階まででもよいわけだ。
私はこの意味では必ず「5階分」と言うようだ。
2008-05-12 (1) 23:04:43 +0900
2008-05-10 (6) 01:06:32 +0900
急遽、Vista の載ったマシンを買ってやるからそれで授業をせよ、 ということになった。 セットアップ後、ちょっと時間があったのでゲームも試す。 ソリティアをやったら、札がリアルに配られたり、裏返ったりするので驚いた。 (ゲーム機なら不思議はないが。)
普段は Win95 や XP のソリティアを見なれている。 XL2 でプレイしたときは「トランプの外枠だけ移動」 オプションをオンにしないとグラフィックが重くてかなわなかったっけ。
遠い昔のお話。
2008-05-09 (5) 23:09:24 +0900
質問をしにきた学生とベキ級数の収束半径について話していたときのこと。 収束半径を ρ とするとき、 「0 < r < ρ なる r に対し半径 r の円板内で一様収束する」 まではわかっていたが、 「だったら半径 ρ の円板内で一様収束しないんですか?」と聞かれ、 いろいろ話しているうちに、 「f が E で連続」は f が E の各点で連続のことであるのに対し、 「fn が E で一様収束する」は fn が E の各点でうんぬんではないことに気づき、 ここが誤解の元である可能性もあるんだなあ、と思ったのだった。
2008-05-09 (5) 23:03:11 +0900
ネット上の広告で、「その人たちには共通点があります」というのを見た。 Google で検索すると約 750 件。 「ギターが上達しない人。その人たちには共通点があります」のように使われている。 リンクをたどると、おそらくは、 ギター上達のための教材か何かの宣伝ページに至るのだろう。
……と思ってクリックしたのに 「それは、『ギターが上達しない』という点です」だったりしたら怒るよな……。
2008-05-09 (5) 20:15:18 +0900
本文ナシ
2008-05-09 (5) 20:05:59 +0900
誤変換をおもしろがっているサイトや、 文字どおりの意味でからかっているようなサイトがあると予想していたが、 見当たらない。 「"純血打線"」も意外と少なく、約 175 件。
(個人的には、 “外国人を含まない”の意味で「純血」を使うのはあまり好きではない。)
2008-05-09 (5) 19:23:55 +0900
昨年度のNHKテレビ「フランス語会話」では、 自分の名前のつづり字をフランス語で言えるようになりましょう、 と言っていた。 これからは、それに加えて、メールアドレスを読み上げるときに必要となる 「@」「.」や、URI で必要な「/」も、正しく読めるようにしておく必要があるのでは。
《朝日新聞「特派員メモ」>それって何語で話していたときのことですか?》 から思ったこと。
2008-05-08 (4) 01:53:10 +0900
6日づけ大阪本社版「声」に、
《朝日新聞「特派員メモ」>それって何語で話していたときのことですか?》
で取り上げた「特派員メモ」に関する投書が載った。
徳島県鳴門市在住の津田重延さんの『@を「鳴門」と呼んでほしい』である。
《鳴門市民の一人として
》、
小学館『句読点、記号・符号活用辞典。』にもある呼び方「鳴門」
を提案しておられるのだが、
多くの日本人が「@」の形から連想するのは「鳴門巻き」までであって、
鳴門そのものにまでは思いが至らないのではなかろうか。
(なお、この投書には「鳴門」とあるだけで、
「鳴門巻き」は一度も使われていない。)
付)
このかたの要約では
《「アットマーク」の呼び名がローマで通じなかった、という話
》
となっている。
ローマだから通じなかったということではなく、
言語が違うのでその呼び名は誤解を招いた、ということだと思うのだが。
2008-05-08 (4) 01:37:06 +0900
…いるんだろうな。実際に卵を腐らせてる人とか。
2008-05-08 (4) 01:21:29 +0900
2007年11月17日づけ大阪本社掲載分。
古代エジプト人の死生還について、作家の荒俣宏さんが書いている。 「彼らは、生命は永遠に存在し続けると信じていた。 死は完全な消滅ではなく、『霊的な旅』と考えられた」。 ならば今ごろ、あの10人はどの辺を旅しているのだろう
こう始まるので、古代エジプト人の話かと思うと、そうではない。
《エジプトのルクソールで観光客がテロ集団に襲われ、
62人が殺害された事件から今日で10年になる
》という話だ。
日本人も10人が亡くなったそうだが、
特に古代エジプトの信仰を持った人だとは書かれていない。
しかし、
最終段落はこうである。
永遠の生を疑わない古代人は、 魂の帰りに備えて死後の肉体を保存した。 命の神秘と尊厳を踏みにじるテロが、本来、これほど似合わぬ地はない。 10年でさらにもつれた憎悪の連鎖を嘆きつつ、 悲しい顔の10人が空を翔けているはずだ。
この筆者の死生観では、 古代にそういった死生観を持った人がいた土地で亡くなるとそのような死後の世界に至る、 と考えられているのだろうか。 それとも、死後の世界のことなど何も信じないで、 単なる“おはなし”だと考えて枠に利用しただけなのだろうか。
2008-05-04 (0) 01:59:45 +0900
2007年10月24日づけ朝日新聞大阪本社版「夕陽妄語」。
《これは『旧約聖書』、「伝道乃書」、第一章の巻頭の有名な文句である
(日本聖書協会、一八八七年)
》。
手元の文語訳を二種類見たが、どちらももちろん「傳道之書」である。
2008-05-04 (0) 01:26:58 +0900
2007年11月11日づけ大阪本社版教育面 「がっこう探検隊」は千葉県立姉崎高校。 そこに載っている数学の問題例が、全角半角ごちゃまぜで、非常に見にくい。
1+3= 38-5=といった具合である。 それと、こういった計算問題は等号で終わっているものだっただろうか?
1 + 3 38 - 5のように書かれるものではなかったか? 自信はない。ただ、 空白が短すぎるので、1 + 3 = 38 - 5 = ... のようにも見えてしまうのだ。
2008-05-04 (0) 01:17:53 +0900
2008年1月5日づけ大阪本社版掲載分。 この「ニッポン人脈記」は敬称略で氏名をあげることになっているはずだが、 「天皇陛下」と書かれ、「てんのうへいか」とふりがなが振ってある。 人名扱いだからだろうか?
2008-05-04 (0) 01:12:58 +0900
2007年10月21日づけ大阪本社版教育面の、 江戸川区立小松川一中の記事に使われている。 豊吹雪と署名あり。
(「チューバ」と呼ばれることが多いが、語源を考えれば「テューバ」が近いし、 「テュ」は「デュ」の子音を無声音に変えた音だから、 多くの日本人にとって発音できない音ではない。)
2008-05-04 (0) 01:05:17 +0900
1月10日づけ大阪本社版社会面の、動物園の記事。
《中には近づき過ぎて尾っぽの先を焦がしてしまうサルも
》とあるが、
「尾っぽ」は俗語であろう。
新聞記事としては「尾」のほうがふさわしいと思う。
2008-05-04 (0) 00:59:00 +0900
最終回で、確か、 逃亡していたダンは自分のビデオシーバーで基地の様子を見て、 “マグマライザーに爆弾を積み敵の地底基地を爆破する”という味方の作戦を知る。 ああいうことができると、 ゴース星人につかまって操られていたアマギのビデオシーバーでも、 基地の様子がわかってしまったのではあるまいか。
それを防ぐためには、基地の側から、隊員のビデオシーバーを一台ずつ、 オンオフできる仕組みが必要だ。 あの場合、ダンには基地逃亡の疑いがかけられていたのだから、 彼のビデオシーバーは「発信はできるが基地の様子は見られない」 という状態になっていなければおかしいはず。
2008-05-04 (0) 00:53:12 +0900
2007年10月27日づけ朝日新聞 be on Saturday の e1 面、
「愛の旅人」はモロボシダンと友里アンヌ。
本文に《円谷プロダクション
》とあるが、
ふりがなは「円」に「つぶ」、「谷」に「らや」と振っている。
正しくは「円」が「つぶら」、「谷」が「や」だと思うが。
2008-05-04 (0) 00:45:37 +0900
3日づけの第2石川面には、 能登の人たち30人の、顔写真と短いインタビューが載っている。 この春からの、一段を長くとった組み方をしているため、 段の中に縦4cmぐらいの写真が載せられるのだ。 これだけ大きいと、かなりよく表情が読み取れる。
……ということに感心だけして、よく読まなかった。
2008-05-04 (0) 00:36:51 +0900
3日づけ朝日新聞大阪本社版こころ面の、佐々木閑氏による「日々是修行」。
このコラムはおもしろく、共感できるところが多いのだが、
《仏教界で人気のある標語に、「生かされている私」という言葉がある。
ここには主語がない。何が私を生かしているというのか。それが問題だ
》。
この視点は興味深かったが、
ないのは「主語」ではなく「生かす」という行為の主体だろう。
2008-05-04 (0) 00:32:19 +0900
4月1日づけ大阪本社版社会面『拘束米兵「刺した」』。
《神奈川県横須賀市のタクシー運転手刺殺事件で、
車内に残されていたクレジットカード名義人で米海軍横須賀基地の上等水兵
……》
とある。「クレジットカード名義人」としているのは正しい。
確かNHKのニュースは「クレジットカードの所有者」と言っていたが、
カードの所有権はカード会社にある、とカードに書いてあったはず。
(そのとき、じゃあ何と言ったらいいのだろう? と思ったっけ。)
2008-05-04 (0) 00:25:55 +0900
4月1日づけ朝日新聞大阪本社版文化面
「外山滋比古さんから、新社会人になる君へ」は
《友人自慢の孫が新社会人になった
》と始まる。
私は、友人を自慢している孫かと思ったらそうではなく、
友人が自慢するところの孫なのであった。
2008-05-04 (0) 00:22:21 +0900
この二つは発音し分けられると思う。 「Aを自慢しているB」のときは「A自慢」が一語のように発音されるから。
2008-06-25 (3) 22:00:42 +0900
4月3日づけ大阪本社版芸能面の、関西フィル第200回記念定期演奏会の音楽評。
「ワーグナーづくし 充実の拍手」との見出しがあり、
《すべてワーグナーという異例のプログラム
》、
《なんと言ってもハープ4台を並べた総勢約100人の大編成は圧巻
》
とあるので何を演奏したのかと思ったら、
第2部では「ニーベルングの指環」から「ワルハラ城への神々の入城」などだそうだ。
「入城」ならハープが6台必要ではないか。2台はどこへ行ったのか?
《今も財政状況は厳しいはずなのに、
多くの臨時奏者が加わり経費の膨らむワーグナーにあえて挑んだことにまずは拍手
》
などとほめていいものだろうか。
谷辺晃子と署名あり。
2008-05-04 (0) 00:11:26 +0900
4月3日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「特派員メモ」はローマからの 『「@」何と読む』。喜田尚と署名がある。
ローマ在住の米国人記者が「あなたに送った電子メールが戻ってきた」と言う。 電話でメールアドレスを教えるとき、うっかり「@」を日本式に 「アットマーク」と呼んだため、彼女はそのまま「@mark」と打っていた。 英語では「@」を「アト」と読む。 当然メールは届かない。
わからないのは、この米国人記者との会話がどの言語で行われていたか、である。 もしも日本語で行われていたのであれば、 日本語では「アットマーク」と読むことを知らなかった相手のミスだ。 それに対し、英語で行われていたのであれば、自分のミスとなろう。 それが書いてないので、なんともわからない。 ローマ在住の記者どうしだから、イタリア語で話していたという可能性もある。
このコラムは、そこから発展して、 さまざまな言語において「@」 にどのような愛称がついているかが述べられていて楽しいのだが、 愛称より前に正式名称を知りたいと思ったのは私だけであろうか。
2008-05-03 (6) 23:59:34 +0900
4月3日づけ大阪本社版国際面「世界発 2008」は『僕が「反日」の訳』。
そこに
《「小泉(元首相)の靖国神社参拝は許せないからデモをした。
奉られているのは正義のために死んだ人びとではないからだ」
》とある。
広辞苑第五版は同じ読み方であり同源としながらも、
「奉る」「献る」を「祭る」「祀る」とは別項目としている。
「靖国神社にマツる」と書くなら後者であって前者ではない。
「たてまつる」の訓もあるが、それとも意味が違う。
2008-05-03 (6) 23:51:00 +0900
「え、80歳?」とびっくりする方もいた》
1日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「ひととき」は主婦・横田純子さんの
「六十の手習い」。
六十歳から卓球を始めた話なのだが、
《おかげで大勢の知り合いができ、「え、80歳?」とびっくりする方もいた
》
の意味がわからなかった。投書者の年齢は「61歳」とあるから、
投書者のことを 80 歳と思ってびっくりした人がいた、という意味ではあるまい。
投書者が、別のある人のことを「え、80歳?」と驚いたと考えるのが自然だが、
もしそうなら「〜とびっくりする方」とは言えないのではあるまいか。
関係代名詞が省略されているとしたら何だろうか?
いや、省略されているのは「私が」だろうか? これを補うと 『「え、80歳?」と私がびっくりする方もいた』となる。
私なら、『「え、80歳?」とびっくりするような方もいた』とするところ。
2008-05-03 (6) 23:40:27 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「分断 イスラエルパレスチナ60年」の「中」。
《ナアマは旧約聖書の「ノアの箱舟」で知られるノアの妻と同じ名だ
》
とあるのだが。
創世記 4,22 に「ナアマ」の名は見えるが、トバルカインの妹というだけで、 ノアの妻とは書かれていない。 (岩波版の注にもなし。)
2008-05-03 (6) 23:17:48 +0900
そのため、縦に組むと
C Oの「O」の右下に「2」がきて、横書きの「CO2」と似て見える。 縦横四倍にして示せば
※※ ※※ ※※ ※※ 2のようになるわけだ。 確かアポストロフィーもここにくるので、ちょっと変。 アポストロフィーは下につくものではないから。
2008-05-03 (6) 23:12:30 +0900
東京に住んでいたときは東京駅の大丸はそれほど行ったことがなかったが、 ここ金沢と往復するようになってからは、 弁当を買ったりするのでちょくちょく利用していた。 昨年秋に新しい建物に移った。 元の売り場をなつかしく頭の中に思い浮かべる。 店員さんと顔なじみになったのに、撤退してしまった弁当屋もある。
2008-05-03 (6) 22:54:31 +0900
2007年10月19日づけ朝日新聞大阪本社版「こころ」面。
「語り合う」は「演歌と日本人」の「下」で、
語り合っているのは宗教学者の山折哲雄さんと歌手の都はるみさんだ。
山折氏が
《実際には、エレジーは世界中で大衆に愛されていて、
短調(マイナー)コードのエリアのほうが、
長調(メジャー)の地域より広い
》と発言しているが、
本当に、「コード」でいいのだろうか?
日本の子守り歌などに短調のものはあるが、
それは短音階でできているということであって、
必ずしもマイナーコードがついて歌われるわけではない。
音階としては短音階の地域が広いとしても、 コード、すなわち和音をつけて演奏されるものとなると、 長調のほうが多いのではないかと思うのだが。
2008-05-03 (6) 22:40:23 +0900
私は自殺には反対だが、 自殺したいと考える人に自殺を思い止まらせることは不可能ではないかと考えている。 死後の世界のほうがこの世界よりもよいものだという考え方に、 決定的な反論をすることができないからである。
この世がどこかの山奥の村であり、死後の世界が都会であるとしよう。 村にはときどき人さらいが来て村人を都会へ連れてゆく。 一方では、自分の意志で村を出て都会へ向かうものもいる。 そして、この村はあまりに都会から離れているので、 一度村を出たものは二度と村に戻れない、というような状況をたとえに使うと、 「もっと生きていたいという人もいるのに」 などという説得は意味を失うと思うのである。
2008-05-03 (6) 22:32:01 +0900
もしも憲法改正が、改憲派の過半数を確認したのち、 複数現れるであろうと思われる改憲案のうちで最も多くの支持を得たものを採用、 というやり方で行われるとなると、話はだいぶ変わるだろうな。
とりあえずは現憲法に改正の余地があると思う人を増やすが、 自分と違う改憲案に意見がまとまるのは避けようとする、というような運動になろうか。
2008-05-03 (6) 18:33:12 +0900
本文ナシ
2008-05-03 (6) 18:26:13 +0900
本文ナシ
2008-05-03 (6) 18:25:31 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版第2面、「時々刻々 きょうがわかる」は
「ねじれ、改憲熱に水」。
自民党が中心となっているように思われる改憲団体の会合で、
(民主党の)《幹事長の代理としてあいさつした長島昭久副幹事長が
「民主党も憲法改正を党是としている」と語り、満場の拍手を浴びた
》
とあるが、自民党の改憲案に賛成するのでなければ、何の意味もないと思うのだが。
それが国会に提出されたとき、
改正に反対の票を投じる点においては改憲反対派と何も変わらないのだから。
2008-05-03 (6) 18:06:07 +0900
4月23日づけ朝日新聞大阪本社版第2面の、
「時々刻々 きょうがわかる」は、「光母子殺害判決」。
よくはわかっていないのだが、おそらく世間全体では少数意見となる、
弁護側の意見に注目してみた。
《死刑事件では反省の度合いより、
犯行形態や結果の重大性が重視されてきた。
反省すれば判断が変わったというのか。高裁の指摘は荒唐無稽
》。
《別の弁護士も「こんな判決が出るようでは、
事実を争うことがリスクになってしまう」と語り、天を仰いだ
》、
《事実を争ったことが死刑とする絶好の理由とされた
》。
私の知識不足なのかもしれないが、
「この犯罪事実を認めて反省すれば無期懲役。
事実を争った場合、勝てれば懲役十年になるかもしれないが、負ければ死刑」
というようなことなのだろうか。
もしそうなら、自分が被告であり、
裁判には明らかな事実の誤認があると確信した場合、
どういう戦術をとったらよいのかわからない。
自分が死刑を求刑されるような立場になるとは思わないが、 裁判員になる可能性はあるのだった。
2008-05-03 (6) 17:52:31 +0900
…可能なのだろうか。 II の最後のヨーダ対ドゥークー戦で、 ドゥークーはヨーダと剣を交えながら片手でフォースを使い、 柱をオビ=ワンやアナキンの上に倒そうとする。 ああいうことができるなら、たとえばヨーダは、 フォースでドゥークーのライトセーバーのスイッチをオフにし、 敵を“丸腰”にした上で斬り殺すこともできるのではと思うのだが。
もしもそれが可能なら、オビ=ワン+アナキン対ドゥークーのような場合、 一人が戦ってもう一人がフォースを使う、というような戦い方もあるのでは。 善の側も戦闘中にフォースが使えることは、 ウータパウにおけるオビ=ワン対グリーバス戦からわかる。
見ているほうはおもしろくないだろうけどね。
2008-05-03 (6) 17:46:56 +0900
少し前、某大学の教員がブログで“暴言”を吐いて叩かれた、 とネットのニュースで読んだもので。
2008-05-03 (6) 17:30:55 +0900
少し前、岩波文庫の「紫式部日記」を、 寝転びながら辞書もひかずにいちおうながめ終えたのだが、 冒頭の部分で、加持祈祷が本当に信じられて行われていたことを知り、 驚いた。 源氏物語に生霊・死霊や、 それに対抗するための加持祈祷が描かれているのは知っていたが、 “お話”の中だけ存在だと思っていたのだ。
2008-05-03 (6) 17:03:07 +0900
1月6日づけ朝日新聞大阪本社版文化 WEST 面の、 『「敗者に謝る 稀有な文化』 / 怨霊と鎮魂 / 大森亮尚さんに聞く」。
権勢を誇った桓武帝が、敗者の早良親王に繰り返し謝罪した点に注目する大森さんは、 日本には勝者が敗者に謝罪し、鎮魂する世界でも極めて珍しい文化がある、 と指摘する。
早良親王についてはその前に
《疑いをかけられて憤死
》したのち、
《桓武帝は親族が相次いで死去するなど「崇り」に悩まされ、
早良親王を崇道天皇と追号して何年も慰霊と謝罪を続けた
》
と説明がある。
果たして、桓武帝は早良親王に勝ったのだろうか? 現代の考え方では、
敵を死に追いやればそれで勝ったことは間違いない。
あとで崇りのようなことが起こっても、おはらいをすればそれで済む。
ただ、この時代には怨霊とか崇りの存在が真剣に信じられていた。
そこまで込めて考えれば、桓武帝は早良親王に勝ってはいないのかもしれない。
桓武天皇の早良親王に対する慰霊と謝罪は、いまで言えば、
言論では勝ったが実力行使で敗れた者が、
勝った者の前にひれ伏して許しを乞うているのと変わらないのではあるまいか。
記事の最後のほうに
《怨霊や幽霊や妖怪は、自分たちの心の中に潜む邪悪な部分を具象化し、
それを畏れ、敬うことで心の平安を保つ知恵でもあった
》とあるのは、
現代人の、「死者が生者に害悪を与えることはありえない。
そういうことが起こったとしたら、それは生者の精神に問題があるのだ」
と考える考え方だろう。
また、
《「欧米で、敗れた側を許すことはあっても、
勝ったことを謝る文化は聞いたことがない
》
というところから現代社会におけるキリスト教とイスラム教の対立を論じようとしているのだが、
自分に敵対したアブサロムの死を知らされたあとの、
《わが子、わが子アブサロムよ。
ああ、私が代って死ねばよかったのに
》(サムエル記下 18,33)
というダビデの言葉はどうであろうか。
ここではアブサロムがダビデの子であるから、
肉親の情を述べているだけとも考えられるが、
アブサロムに向かって、勝ってしまったことを謝っていると取れないこともない。
2008-05-03 (6) 16:12:42 +0900
2008-05-03 (6) 02:58:15 +0900
3月21日づけ「天声人語」は、前日のパ・リーグ開幕について、
《雨と寒さを心配していたら、3試合ともドーム球場だった
》
と書いているのだが、西武―オリックスは西武ドームでの試合だった。
あの球場は、屋根はついているものの周囲全部が覆われているわけではないので、
夏は暑く、冬は寒いと聞く。
2008-05-03 (6) 02:48:38 +0900
2日づけ大阪本社版科学面、「全国発明表彰受賞者決まる」。
「朝日新聞賞」の「話速変換装置の発明」に
《たとえば「とり」なら、「と」「り」の母音部分をのばす処理をして
「とぉりぃ」とする
》とあるのだが、
この小書きの「ぉ」「ぃ」は前の母音がのばされたことを意味するのであろう。
本来は、「ふぉ」「てぃ」のように、
前の文字の子音部分と当の母音とが組み合わされた音を表すための文字のはずだ。
それをこのように使うと、混乱を招くのではなかろうか。
私は「とーりー」でいいと思うが、 本来カタカナとしか組まない長音符をひらがなと組ませているのでおかしいだろうか。 だったら「トーリー」とすればよい。
2008-05-03 (6) 02:32:52 +0900
2日づけ大阪本社版国際面「ニュースの単語帳」の見出しは 「火炬接力 huoju jieli」。 横書きで、幅は1ページの幅と同じだけ、縦は3行という、細いコラムである。 (横長だからコラムはおかしいか。)
本文は《北京五輪の聖火が世界各地をめぐり
》と始まり、
五輪関連のほかの語も載っているが、これらが中国語であって、
ラテン字母で書かれているのはピンインである、という説明がどこにもない。
漢字で書かれている以上、こういう新語が日本語にはいったと思う人もしれない。
横文字は英語に決まっていると思い込む人も、結構いる。
「田村宏嗣」と署名があるが、 編集の段階で説明が付加されると思っていた可能性もある。
2008-05-03 (6) 02:25:03 +0900
6月19日づけ同欄では kidnap およびその周辺の語が紹介されているが、 英語だという説明がない。 倉重奈苗と署名あり。
2008-07-10 (4) 01:48:05 +0900
これだけかかったのは珍しい。 ごく初期(「その8」以前)を除けば新記録か。
2008-05-03 (6) 02:18:51 +0900
4月23日づけ朝日新聞大阪本社版の「全国学力調査 問題と解答例」。
《新聞紙面に収まるようにしたため、文字が小さくなりました。
問題文中の「左のグラフ」や「前ページ」などの表記が合わない場合があります
》
と注がついている。これは適切だなと思ったが、
「小学・算数B」の問題では、四分の一円であると思われる選択肢の図が、
横長に縮小されているのか、楕円(だえん)の四分の一に見える。
2008-05-03 (6) 02:09:24 +0900
書棚にあった田中美知太郎「哲學初歩」(岩波全書、1950 年)が目についたので、 手にとって読み始めた。 奥付からして、高校三年生のときに買った本ではないかと思われる。 私が受験しようとしていた大学の前の年の国語の問題に哲学に関連したものが出て、 確か「死の練習」が全然わからなくて、 それでとりあえず哲学の入門になりそうな本を、 と考えて買ったのではなかったかと記憶している。 しおりのはさまっているところからすると、 初めの数十ページだけしか読んでいなかったようだが、 28日の月曜日一晩で読んでしまった。 もちろん、どこまで理解できたかはわからないが。
それを読み終えたら、中で言及されているところの「理想國」が読みたくなった。 手元にはプラトン著・藤沢令夫訳「国家」(上)(下)(岩波文庫、1979 年)がある。 「上」を取り出してみたら、 120 ページあたりのところに革のしおりがはさまっていた! ここまでは読んだんだ。全く忘れていたが。 長い間はさまっていたので、紙がうっすらと黄色くなってしまっていた。 この「上」は30日の水曜日一晩で読了。 いまは「下」の「太陽」「線分」「洞窟」のところを読んでいる。
訳文は読みやすく、小説を読んでいるような気分になってくるところもある。 ソクラテスが自身を「ぼく」と言っているのがちょっと意外。 「対話」であることは知っていたが、“普通のおっさん”との対話だったんだ。 対立する哲学者と、緊張感あふれる対話をするのかと思っていた。 この文庫本のちょっと変わっているのは、上下巻に、 全く同一の「凡例」「『国家』全篇の構成」を収めていること。
付) ちょっと前から、 同じ岩波全書であるところの服部晶夫「多様体」を読み直しているのだが、 なかなか進まないところも多い。 それに対し、これならもしかしてすらすらと読めるかも、と思ったのが 「哲學初歩」を読み始めた理由だが、肝心の「多様体」はお休み状態だ。
2008-05-03 (6) 01:37:36 +0900