五十嵐貴久 09


シャーロック・ホームズと賢者の石


2007/07/31

 北村薫さんによるエラリー・クイーンのパスティーシュ『ニッポン硬貨の謎』に手を出して痛い目を見た後、僕は考えた。シャーロック・ホームズのパスティーシュなら楽しめるのだろうか。現在、光文社文庫より新訳シャーロック・ホームズ全集の刊行が進んでいるが、その光文社からシャーロック・ホームズのパスティーシュが刊行されたという。

 僕が愛聴するビートルズの曲には星の数ほどのカバー・バージョンが存在する。自分が聴いた中ではオリジナルを尊重したものに好感を覚えるし、過剰なアレンジには拒絶反応を示す。もっとも、許せるか許せないかのボーダー・ラインは極めて感覚的で曖昧である。ホームズもののパスティーシュにも同じことが言えるだろう。

 本作は僕が初めて読んだホームズもののパスティーシュだが、結論から言うと大変楽しめた。オリジナルへの敬意と遊び心のバランスが高度に保たれている。当然ながら、オリジナルを知っていてこそ楽しめる。『冒険』『回想』『生還』の3作は必須だ。

 有名な「最後の事件」(『回想』収録)の真相に迫る、「彼が死んだ理由―ライヘンバッハの真実」。ワトスンの本音は興味深いが、一ファンに言わせるとどうよこれ。これまた「最後の事件」に絡む「最強の男―バリツの真実」。ホームズの推理が外れるエピソードはオリジナルに存在するが、ある意味こちらの方が屈辱か。格闘技ファン必読。

 ホームズ引退後のエピソードはオリジナルに2編しか存在しない(『挨拶』収録の「最後の挨拶」と『事件簿』収録の「ライオンのたてがみ」)。今ここに、3編目が発表された。「賢者の石―引退の真実」。引退したホームズをニューヨークまで出張させるだけでも大胆だが、超有名エンターテイメント巨編とのコラボレーションだ。不思議と違和感がない。

 最後を飾る「英国公使館の謎―半年間の空白の真実」はすごい。これもホームズが出張するエピソードであり、実際に起きた事件をテーマにしているとだけ書いておく。ホームズもののパスティーシュであると同時に、有名事件の大胆な新解釈でもある。

 著者の五十嵐貴久さんについて詳しくは知らない。著者のことばで、「今回のパスシーシュが面白いとしたら、それはすべて原典の物語の力である」と述べている。原典の力が大きいとは僕も思う。しかし、五十嵐さんの技量もやはり大きいのではないだろうか。



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